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 7 帰り道の日暮れ



 病院を後にする頃には日が暮れはじめていた。

十一月に入ると、気温と共に日の落ちる時間も早まって、冬が近づいているな、なんて唐突に思う。

ジュンはカメラを首からさげながら歩き、ときどきカメラを構えては街の写真を撮る。

いつなにが起こるかわからない世界でも、変わらず日常は続く。

サラリーマンも、女子高生も、美容師も、教師も、料理人も、ホームレスも、世界には必要で、異世界なんて見えない脅威に怯えているひまはないとでも言わんばかりに電車もいつも通りのダイヤで駅に停まる。

不意に人気の少ない路地裏がさびしくて、シャッターを切ることにした。

ジュンはカメラのレンズをのぞき、構図を切り取ろうとしていた、のだが、背後に人の気配を感じて振り向いた。

女がいた。

その女の正体を、ジュンは誰よりも早く理解していた。

無表情な顔に、左右に分かれた髪をそのまま耳にかけている、中年の女。

ここにいること自体があり得ないずっと探していた人物。

「おかあ、さん」思わず口にして、ハッとした。


「私がお前の母親ではないことくらい、もう理解しているだろう」


 畠山明子はたけやまあきこの顔はそう言って、ジュンをじっと見つめている。

くぎを刺すような言葉に、ジュンは次の言を失って黙り込んだ。

手にしたカメラが自然とゆっくりと下がる。


「私はいま、気配を殺す魔法でお前にしか見えないようになっている。単刀直入に話そう。私は、因果いんがの魔法を使う。だから一応警告しに来た」


 アキコの言葉はジュンの頭のなかに入ってこない。

心臓が早く鼓動を打っている。

首筋の辺りで自分の速まる脈拍を感じながら、ジュンはなんとか口を開いた。


「警告って、どういう意味ですか」


 ジュンは敬語を使うべきかわからなくなった。

動揺しているのが自分でもたやすくわかる。

アキコはジュンの様子も構わず答えた。


「私のことはもう忘れろ。この体の持ち主はもう私なのだから」


 彼女の冷淡な声と表情に、ジュンは胃の辺りが重くなるのを感じる。

ずっと探していた手がかりが相手からやってきて、それで、忘れろと言った。

理解の範疇はんちゅうを超えた出来事に、ジュンはカメラを構えようとした。


「なにも記録に残すな。これは私がお前に対する最初で最後の同情だ」


 カメラを持ち上げる手が止まる。

アキコの姿の彼女は続けた。


「この体の持ち主は、お前に対する愛を持てなかったようだ。だからせめてもの、幕引きを用意してやろうと思ったのだ」


 完全に、とどめを刺す言葉だった。

母の記憶を持っているような口ぶりだった。

愛を持てない、というのは、子供であるジュンにとってはあまり聞きたくない内容だ。

口を半分ほど開いて、視線をさまよわせたジュンがようやく口にしたのは、たぶん本音だ。


「返してくれ」

「それはできない」


 簡潔で、冷淡な声。

心臓が縮まる感覚があって、ジュンはアキコを見つめる。

少し無言の間があって、アキコはこう続けた。


「それでは、さようならだ」

「待ってください!」


 ジュンが言った直後には、アキコの姿が幻のように透明に消えて、ジュンは一人取り残される。

それからこの内容を報告すべきかを考える。

それが唯一できる、思考の逃げだともわかっていた。

しかし、今、ジュンにできる自分の心を守る方法は、冷静に炎を青く灯し続けるには、それしかなかった。


 ジュンはしばらくその場から動けない。

動く気力もなかった。

再び人が行き交い始める道に、ジュンはただ棒立ちになって、いぶかしんだ視線にも構っていられなかった。


 そもそも、ジュンは母親に会ってなにをしたかったのだろうか。


 それすらも、わからなくなっていた。


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