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 6 想い



 三日が経過して、ジュンはそのほとんどの時間を睡眠と、食事と、動画編集に充てた。

昨日なんかは徹夜だったりして、その足で今、病院の前に立っている。

あの後のことを直接確認しようと、ジュンはここまでやってきたのだ。

カメラは変わらず手に持って、撮影可能なエリアではほとんど動画を撮った。

病室の前では厳重な警戒態勢をとっているのであろう、武装した兵士が二名、立っている。


「失礼します」


 ジュンは兵士の道案内に沿って、病室の前でノックを二回とあいさつをする。

ゆっくりと扉を開くと、ベッドに横たわってジュンを見つめる姿があった。

マサルだ。

ベッドの上体が起こされており、彼は二、三度瞬きをしてみせた。

それからすぐに、怪我人とは思えないほどの声量を発す。


「あ! あのとき俺を助けもしないでカメラ回してた冷酷男じゃないか!」


 ジュンを指さして、マサルは声高らかに言う。

ジュンはどういうことかわからなかった。

わからないままに「そうですね」なんて答えてしまったものだから、マサルは空笑いを浮かべて、ベッドに背中をひっつけた。


「まあいいや。お見舞い誰も来る人いねえからさ、わりと寂しくて。座って座って」

「それだけ元気なら、心配なさそうですね」


 まあね、なんて言うマサルの姿にジュンは頬を緩めた。

しかしマサルは、急に表情を曇らせて、恐る恐るといったように口を開く。


「俺、どうなっちゃうわけ?」

「それは、俺にはわかりません」


 それだけしか言えず、言えないがゆえに短く切って言った。

それなりの処分は覚悟しておいたほうがいい、と言いかけて口を閉ざした。

マサルは片手で頭を押さえ、オーバーに反応している、のだが、直後には腹に手を当てて「イタイ、イタイ!」なんて叫んでいる。

ジュンはほんのわずかに安心して、再びフッと笑った。


「笑ってるんじゃねえ、人が痛がっているってのに」

「すみません」


 ジュンは平たく謝る。

ジュンは用意された椅子に腰かけて、カメラを回した。

「撮ってるの?」「撮ってます」そういうやりとりがあって、マサルはカメラにピースを向けている。

そろそろ時間の関係もあって、ジュンはそれで、と切り出した。


「どうして、あんな行動を?」


 ジュンの問いは、直線的なものだと思う。

時間が停止したように静まり返る病室のなか、外の騒がしい踵の音、取り付けられた医療器具の機械音、外の電線に停まったスズメの鳴き声がハッキリと聞こえる。

マサルは持ち上がっていた肩をそっとおろし、白い布団の生地に視線をさまよわせながら、ゆっくりと口を動かし始めた。


「どうしてって、迷惑のかからないところでことを解決したかったんだよ」

「それにしては見つけてくださいって言ってるようなものでしたよ」


 動画の内容を編集しているときも、発見はあっという間だったという認識だ。

マサルはくすぐったいように肩をすくめる。


「これ以上に語ることがない」


 ジュンはキッパリと言うマサルに質問の角度を変えてみることにした。

彼の実像に迫るには、それなりに回り道が必要だ。


「お姉さんは、どんな人だったんですか?」

「聞きだすの意外とうまいね。ジャーナリスト向きだよ、ええと、名前、ええと」

「ジュンです」ジュンはカメラを片手に持ち替えて、椅子を引きながら言った。

「そうだ、チュンちゃんだ。ほら、そこにスズメがいるだろ、チュンチュンって」


 意味を理解はできなかった。

しかしいまはインタビューだ。ジュンは続ける。


「動画を見返していて、お姉さんはお酒をやめたって言ってましたよね」

「そうだよ」


 短い返事が、真実味を帯びる。

ジュンはカメラを両手で持ちながら、続けた。


「転生者の生態や原理はあまり詳しく解明されていません。お姉さんの人格が消えたとも言えない。だからといって、この国の脅威には変わりがない。それはニュースなどでご存じですよね」

「小難しい話は俺、苦手なんだよ」


 右手で頭をかきむしりながら、マサルは顔をしかめた。

それからなにかの話題を探すように視線をジュンの背景に向けたりしながら、ソワソワとさまよわせはじめる。


「チュンちゃんさ、お茶取って。冷蔵庫にあるから。それから、花瓶、そうだ花瓶の花を変えよう。それから、」

「茶化すのは、もうやめませんか?」


 ジュンが少しばかり強い口調で言う。

ジュンはマサルの茶色の瞳から視線を外さない。

マサルは視線を外したがっているが、それでも。

胸で呼吸をする様子があって、マサルは肉食獣に怯える草食動物みたくジュンを見つめて答える。


「誰だって、言いたくないことの一つや二つある。姉ちゃんの沽券こけんに関わる問題だし、なんていうか、」

「だとしたら、なおさら言うべきです」


 ジュンは言い切った。


「どうして」

「お姉さんを二度、殺さないためです。さいわい、俺は記録係です。ここで話したことはあなたが亡くなっても残り続けます」

「なんで、俺が死ぬ前提なんだよ」


 意味わかんね、とマサル。

体をあまり動かすと痛みが走るのか、顔をしかめて腹を押さえている。

ジュンはカメラのコントローラーを両手で握りしめ、モニターを一度確認したのち、ゆっくりと視線をマサルに戻した。


「いま世界中は、いつなにが起こるかわからない災厄に怯えています。誰もが、死に隣り合わせです」

 ジュンの言葉に返すごんを失った様子で――諦めに近いものを感じた――起こしていた上体を戻して、窓の外を見つめる。その視線は、どこか遠くの手に届かないものを見ているときの眼だった。

「いいけど、つまんないよ」


 そう前置きをして、彼は重い唇を動かし始めた。


「姉さんはさ、アルコール中毒だった。それで、精神的にも強くなくて、俺の母ちゃんと、ロクデナシのオヤジと、三人で住んでた」


 マサルが語り始め、ジュンはカメラのフォーカスを彼の顔に合わせた。


「いろいろ大変だったんだとよ。それが、東京で一人暮らしを始めた途端、少しずつ元気になって、それでオヤジは病気はすべて気のせいだって言い始めて。古い人だからとか、そういうのは俺たちにはカンケーないんだよな。だから色々あって、縁を切る前に、姉ちゃんはアルコールをやめるって言ったんだ。俺のために、働きたいからって」


 目を伏せてゆっくりと言葉を探しているマサルの瞳は、揺らいでいた。

過去を一つ一つ口にするたび、内側にある葛藤と闘っているような、そういう眼だった。


「だから、あれだよ。よくある家庭のゴタゴタと。それに、姉ちゃんと約束したからさ」


 約束ですか、とジュンは聞き返す。

マサルは一言「そ」と言って、続ける。


「もう一度お酒を飲むときは、本当に死にたいときには、アンタを利用して殺してもらうからって。お願いされたんだ。誰も裏切りたくないって、そう言ってた」


 言葉尻ことばじりで、マサルの瞳に浮かび上がった波紋を、ジュンは見逃せなかった。

カメラを斜めに彼の顔に向ける。

彼のシーツを握る手と、引き結んだ唇と、揺れる瞳。

そういうものが、すべてを語っていた。


「それから〈適合者〉として選ばれて、俺たち兄弟はここに来た。つい一週間前だ、姉ちゃんが酒を飲んでいたのは。だから、どれだけ魔女が姉ちゃんの体の中にいるのかはわからない。だけど関係なかった。俺が殺さなければならないって、そう思ったんだ」


 そう、思ったんだ。

二回続けて言って、マサルはようやく視線をジュンに、カメラに戻した。


「姉ちゃんさ、優しいんだよ。優しいから、優しさに耐えきれなくなって、酒に逃げて、答えを探そうとするんだ。あの時は、もう見ていられなかった。まるで別人だよ」


 冗談を言うわけでもなく、彼はただ静かに語った。

これが真実だった。

真実でなければならない、と思った。

起こった事実はやはりわからずとも、真実として撮るものであるべきだった。


「俺の気持ちなんて、誰もわからないよな。それで当然だ。だけど、」


 マサルは言って、苦しそうに力んでいた体を緩めて、首を完全にジュンに向けて言った。


「世界がどうなろうと、俺は俺だし、アンタはアンタだ」


 彼の瞳に映った水面みなもを、これ以上語るというのは非常に無礼だと感じた。

ジュンは、自分の心臓が跳ねるのを感じ、首筋辺りの脈がしっかりと動いていることを感じた。

ありがとうございます。

ジュンはお礼を言って、今更ながらにカメラをオフにする。


「まあ、あれだ。万が一俺の手に負えなくなったときの保険に、軍を利用した」


 ジュンは彼の言葉にゆっくりと深呼吸をした。


「話してくださり、ありがとうございます。気持ちはわかりません。ですが、察することはできます。なぜなら――」


 ジュンは小さな声で話し始める。



 今ここで、ジュンが話したことについては、彼以外にまだ打ち明けるつもりはない。

それが彼にできる唯一のリスペクトだった。




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