5 異世界転生者
「ぜんぶ、燃やしてあげる――Fire」
アオイの唇が動いた、と同時、鼓膜を貫くほどの銃声が鳴り響いたのだが、熱気が押し寄せたと思ったときには炎が突如として現れた。
アオイのかざしたてのひらの先で炎の壁が現れて、周囲の木々に火が燃え移る。
一瞬にして消し炭と化した植物たちに、ジュンは生ぬるい汗が背中にしたたるのを感じた。
それでもカメラを回し続けることが必要だ、と思った。
渋谷の事件のときと同じで、気がつけばジュンは映像を撮ることに集中していた。
銃声が止み、炎が消える。
魔法としか説明のつかない現象を、確実にカメラでとらえた。
溶けた銃弾の破片と、チラチラと残った炎。
その向こうで、アオイとマサルがいた。
マサルはその場に腰から砕けて、必死に距離をとろうとしていた。
「化け物、化け物!」マサルが目を見開いて言う。
「すごい、ただのファイヤの魔法でこの威力。魔力に満ちた世界って本当なのね」
マサルの動揺すら無視して、アオイは自分の手のひらを見つめ、今度は手の甲から肩、そして足にいたるまでを、他人の体を調べるように見ていた。
ジ、ジジ、と燃え残った炎が音を立てている。
それからすぐに目を見開くマサルに向けてアオイが口を開く。
「化け物だなんて酷いじゃない、弟くん」
「一斉射撃!」
隊長である女性の叫び声に、アオイの唇が素早く動いた。
「Wind」
突風が突き抜けた、と思ったときには、その場にいた隊員たち全員が見えない車にはねられたみたいに投げ飛ばされている。
一番遠くにいたジュンだけには被害が少なく、なんとかスニーカーの内側で踏ん張った。
とにかくカメラを回すのだが、その光景がいつかの記憶とリンクして、今にも思いだされそうになる。
それをすんでのところで押し込めた。
心臓がバクバクと激しく動くのだが、ジュンは奥歯を強く噛んで炎の揺らめきを青に、真っすぐに戻す。
とにかくアオイは手の甲で口元をぬぐい、唇を三日月形に歪ませた。
「炎の魔法は術者にダメージが大きいのが難点だって思ってたけど、これだけの魔力を扱えれば改良はすぐできそうね」
アオイの言葉に返答する者はいなかった。
ジュンは一人ただカメラのアームを握りしめて撮影を続行するのだが、いよいよアオイの視線がジュンをとらえた。
「逃げないの? 手に持ってるそれは、なに?」
「カメラです。俺は、記録係ですから」
ジュンはあくまで冷静な口調を装って言った。
再び首元の血管が強く激しく動くのを感じる。
本能が逃げろ、と言っている。
しかしジュンはカメラを構え続けた。
「敵意はないみたいだけれど、私が怖くないの?」
アオイは少しばかりジュンに興味を持ったのか、ほほ笑みながら言った。
「逃げろ!」マサルの言葉も無視して、ジュンは一つ呼吸を置いて答える。
「怖いです。けれど、与えられた仕事は、こういうことですから」
まるであの日のようだ、と思った。
雨の日の、桜を散らすほどの強風と、湿気と、乾いた音色。
天気もなにもかもが違うのに、ジュンの頭の中では同じだった。
ジュンはカメラを構え続け、ただ撮り続けている。
唯一、カメラのアームを操作して、拡大し、アオイの突き刺すような視線を収め続けた。
「イカれてるね、ボウヤ。でも私そういうの好きだよ」
ボウヤ、と言われてもアオイの見た目はジュンと大して年齢差を感じさせない。
ジュンは一歩、また一歩と近づくアオイに、つばを飲み込んで動揺をしずめた。
しかし不思議なことに、カメラを捨てて逃げてはならないと、ただ思った。
「さて、死にたいのかな。それとも生き地獄を味わいたいか、どっちかな」
「化け物! 姉さんを返せ!」
アオイの言葉にかぶせるように、マサルが叫んだ。
アオイはゆっくりと、マサルに振り向く。
「それは無理よ、かわいい弟くん。だって、もう、この体の持ち主は私なんだから」
額から、汗がしたたるのを、ジュンは肩で拭った。
「さて、この世界のこと、教えてもらえるかな。私もやるべきことがあるのよ」
「この、魔女が! 覚悟しろ!」
突然割り込んできたのは隊長の女性だった。
視線を滑らせると、彼女はそれまで手にしていた銃を放り捨て、コートの内側から小さな銃を取りだしている。
空気を切り裂く音がしたと思った直後、アオイの前に立ちふさがったのはマサルで、マサルが腹を押さえながらその場にうずくまる。
それをアオイは目を見開いて見つめていたのだが、もう一度シュパッという音がした。
今度はアオイが肩を押さえながら倒れ込む。
ジュンはカメラを二人に向けた。
すると、体をじたばたと動かし続けているのは、アオイのほうだった。
「こちらの魔力と思しきものを圧縮した弾丸は、あなたたちの世界には毒みたいね。一月は苦しむ量の魔力よ。これから時間をかけてたっぷり尋問してあげる」
隊長の女性はそう言って、二人に近づいてゆく。
アオイが抵抗しようと周囲に紋様を発生させた、と同時、アオイが更に苦しみ始める。
そのかたわらでマサルは地面を這いながら、
「待て、俺が、俺が殺さなきゃならないん、だ! 約束を、」
マサルがポケットからナイフを取り出す。
しかし、それを隊長の女性は足で軽く蹴って、カランカランと乾いた音を立てて転がった。
隊長の冷たい視線は、まるで尖端を最大まで尖らせたアイスピックのようだと思った。
マサルはその直後に意識を失ったのか、その場で動かなくなる。
ジュンは、自分の拍動が激しくなっていることを感じ、それでもカメラを握る手は弱めなかった。
全身から噴き出した汗が、パーカーに貼りついて気持ちが悪い。
「緊急事態です。異世界転生者確認。拘束完了」
隊長が無線で手短に報告をし、ジュンに目を向けた。
なにかを言うわけでもなかったが、とにかくジュンはカメラを持つ手に力を込め続ける。「動ける隊員は医療班を呼んで。それから、魔女を完璧に拘束します」速やかに言って、騒然とする様子に、ジュンはただ立ってカメラを動かす。
アオイは首元を押さえたり、腕の付け根を押さえたりしながら、涙を流し、苦しんでいる。
そのアオイが、小さく言った。
「わ、たし、落ちこぼれ、イヤ、イヤだ、処分は、イヤ」
ジュンは目を細め、カメラをしっかり構えていた両腕の力をようやく弱める。
この世界にきた経緯など、ジュンには想像もできない。
けれど、彼らもきっと同じ人間なのだろう。
少なくとも、ジュンはそれを知っている。
片手にカメラを持ち替えて、ジュンは右手で胸元のUSBメモリのケースを握りしめた。
なにかが引っかかりながら、鼓動が小刻みに早まった。
一体、このあと彼らはどうなるのだろうか。
ジュンはそこが重要だ、と思った。