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 3 任務



 一時間に及ぶ講義は、重たい空気で幕を閉じた。

それから退席することとなったのだが、元映画館の通路を歩きながらマサルがついて来ている。


「最初に出てきたあの偉そうな人、ありゃ独身だな」


 ジュンはどうしたものかと思いながら三脚を背負ってカメラを首からさげて歩く。

マサルはジュンが無言なことも構わず続けた。


「こええよ、こんなところに連れてこられて同意書? かなんか無理矢理書かされて挙句の果てにあんな怖いお姉さんが隊長でしょー? 質問したときチビるかと思ったよ」


 マサルの言葉にジュンは速度を落とすことなくただ歩き続ける。

時おり駆け足で追ってくるマサルは懲りずにジュンに声をかける。


「ところでさ、チュンちゃんは兄弟いる?」

「いや、いません。マサルさんはご兄弟、いるんですか?」


 そこでようやくジュンは振り向いた。するとマサルが驚いたように瞬きし、


「いるよ、姉ちゃんが」


 わずかに声のトーンを下げて言った。彼の表情が一瞬だけ強張ったように見えた。


「俺はさ、姉ちゃんがいたんだけど。その姉ちゃんに俺、色々とさ迷惑かけちゃって」


 そこから先、ジュンは歩く速度を緩めながら彼の話を聞くことにした。

同時にカメラの電源をオンに切り替える。


「異世界転生者って、他人事とは思えないよな」


 ジュンはチラリ、と視線をマサルに向けた。それからすぐに質問する。


「お姉さんは、どんな人なんですか」


 カメラを両手で構えてマサルに向けた。


「ここも撮っちゃうわけか。ああ、ええと、なんていうのか。狂った人だよ」


 マサルの口から発せられたのは、想定外の言葉だった。

狂った人、という言葉に、ジュンはどういうことかの回答を待った。

慌てて首を振るマサルが「ちがうちがう」と続ける。


「いい人なんだけど、色々姉ちゃんも問題ありでさ。まあ、感謝はしてる。さっきの集まりにもいたんだぜ。俺と同じで収容されて、ここに来た」


 レンズで切り取った彼の視線は、どこか寂しそうに揺れているように見えた。


「俺は姉ちゃんには頭があがらないから。だから恩を返さなきゃいけないんだ」


 珍しく茶化す様子もないマサルの瞳が、カメラのレンズを通してジュンを真っすぐ見つめていた。

いつの間にか止めていた足を先に踏み出したのは、マサルだった。

だからその背中を撮りながら、ジュンはつけ足す。


「大切な人が近くにいるなら、大丈夫です。きっと」


 マサルが足を止めた。

周囲の行き交う迷彩服たちのいぶかしんだ視線も構わなかった。

とにかくカメラを支え続ける。

マサルはほんの数拍遅れて振り向いて、


「チュンちゃん、ありがとな。またな!」


 そう言って、先に歩き始める彼の背中を、ジュンはただ撮り続ける。記録に意味などないのかもしれない。

けれど、なぜだろう。

一人ひとりの物語を、人生を逃してはいけない気がした。




 それからおよそ四時間後、彼がこの施設を脱走したことをイイジマから知らされた。




    ■




「なんだそれは」


 イイジマに呼び出され、開口一番がその言葉だった。

だからジュンは素直に答える。


「笑え、と言われていましたので」


 切れ長の日本刀のような鋭い視線に、ジュンはなるべく口角を上げ続けていた。

「それは、今はいい」イイジマはそう言って、なにやら難しい顔でペンを紙に走らせていたので、ジュンはいつもの顔に戻す、のだが。


「それはそうと、記録に載っていたが、おふくろさんを探しているのか」


 イイジマの言葉に、ジュンは返す言葉を失って、視線をわずかに伏せた。

それが答えになったようで、イイジマは軽く吐息交じりに口を開く。


「いつどのタイミングで俺たちも異世界の人間に体を奪われるかわからない。いつ、渋谷の二の舞が始まるかもわからない。そういう恐怖の元、今日一日がある」


 イイジマの眼と、先ほどのカンノの眼は、やはりどこか似ていると感じた。


「いま世界中の人間が、この恐怖と闘い、団結を余儀なくされている。その中で脱走兵が出た。まあ、気持ちはわからなくもないがな。カンノの率いる部隊と合流して、映像を記録しろ。ほら、外出許可証だ。一月ひとつきは自由に出入りできる。どうした?」


 ジュンはイイジマの手渡した用紙を受け取るに受け取れなかった。


「異世界とは一体、なんなんでしょうか」

「それがわかってたら苦労なんざしない。お前、体力に自信は?」

「多少は、あります」

「それならいい。ほら早く行け。端末に情報はもう送っておいた」


 一度この話題を持ちだしたのは、あくまでクッションだ。

だからジュンは、もうひとつ質問を重ねることにした。


「ではもう一つだけ。その十一名のなかに、母は含まれているのでしょうか」

「それは知っていたとしても、答えられない」


 イイジマの目がギラリ、と光る。

ジュンは思わずパーカーの内側に入れたUSBメモリのケースを握ろうとしかけた。

寸前のところで腕を下ろす。

イイジマの視線は獣そのもので、今にも噛みつきそうなほどの勢いがあった。

しかしジュンは動じず、ただ視線を返し続ける。

無言の圧に負けたわけではないが、数秒後、ジュンから視線を外す。

外出許可の用紙を受け取って、


「それでは行ってまいります」


 それだけ言い残してリュックと荷物を手に、部屋を後にした。

扉が背中で閉まって、ジュンは今度こそ胸のUSBメモリを握りしめ、足を踏みだす。

深い呼吸を繰り返す。

そのたびに、胸の内側で灯った青い炎の揺らめきが真っすぐに戻った気がした。





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