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 7 世界はうまくいかないことのほうが



 暗い部屋に壁の模様の文字が浮き上がり、光が強くなってゆく。


「ジュンちゃん、ちょっとコレマズいんじゃないの」


 マサルの言葉にジュンは眉をわずかに寄せた。

明らかに魔法が使われている。

しかしどういったものなのか定かではない。


「なんで開かないんだ。外から鍵でもかけられてるのか?」


 マツウラの言葉に、ジュンは沈黙を貫く。

恐らく、扉が閉められていることも魔法が使われているのであろう。

光が強まってゆくにつれ、体が徐々に浮いているような感覚に陥っていた。

虚脱感に近い、自分の体から離れて行くような感覚だった。

魔法も使えないジュンには、よくない状況だった。

そのとき、後ろから聞き覚えのある声がした。



「私の声と姿はお前にしか見えない。ゆっくりと振り向きなさい」



 声に従って、ジュンは振り向く。

ジュンは思わず目を見開いた。

女がいた。

左右に分かれた髪を耳にかけ、ブラウスとジーンズ姿の、畠山明子はたけやまあきこの姿をした女だった。

ジュンが問いかけるよりも先に、アキコの姿が先に口を動かす。


「私はお前とはもう会う気はなかった。しかし、この肉体がどうにもお前にまだ執着しているようだ。不自由なものだな」


 その声は冷ややかにも感じたが、少し温度があるようにも感じられた。

ジュンは動けずにいる。

マサルとマツウラの様子を視界に入れながら、ゆっくりとアキコに視線を戻す。


「あの魔女は自分が帰るための魔力と、魔法の術式を失ったのだろう。だからお前たちの肉体に宿った魔力を使って、この場所の術式を使って元の世界に戻ろうとしている」


 アキコの言葉に、ジュンは答えられない。


「このままではお前たちの肉体から魔力が奪われ、魂をも利用されるだろう。それは肉体の死を意味する」


 なぜだか、ジュンは恐怖を感じられなかった。

しかし、言っている言葉の意味は理解できる。

ジュンは首元にぶら下げたUSBメモリのケースを握った。


「この状況を打開してやろう。しかし、お前はまた私と出会うことになる。それを、約束しろ。承諾なら小さく首を縦に振れ」


 ジュンは迷うことなく、小さく首を縦に振った。

すると目の前からアキコの姿が霧のように消えて、紋様の光が徐々に弱まってゆく。


「なにが、どうなっている」


 マツウラが頭を押さえながら言う。


「光が消えたし、生きてるし、おい、チュンちゃん扉も開いてるぞ!」


 マサルの言葉に、ジュンはカメラを手にしたまま二人に続いて外に出た。「待て、なんだ、コレ」マサルの静止があって、ジュンは廊下の先を見た。

そこには、床に巨大な焦げた跡があった。

まるで巨大な熱で床が溶けたように、陥没している。

そこに魔女の気配はなかった。


「とにかく、助かった。外に出よう」


 マサルの先導により、外に出ることになったのだが、マツウラは静かにその痕跡を見つめている。


「どうしましたか」

「いや、なんでもない」


 ジュンの言葉に答えたマツウラがジュンを追い越す。

その背中をジュンは静かに撮った。

スーツを着た背中には、見えない傷がたくさんあるように感じられた。





 ジュンは、おそらくアキコの姿をした異世界転生者があの女になんらかのコトをしたのだろうと思った。

しかし考えても答えはわからない。

だからアキコの姿を見たこともすべて誰にも打ち明けていない。

とにかくジュンはビルを出て、報告をしているマサルと、なにやら空を見上げているマツウラを撮り続けた。

その背中を、横顔を、逃さなかった。

藍色に沈み始めた街に街灯が灯りはじめる。

誰もいなくなった街は静かで、どこか不気味だった。


 それからすぐに青山にタクシーを呼んだ。

その間、マツウラはなにも訊かなかった。

疑問を一切口にしなかった。

焦げたような陥没のこと、女の正体、すべてに口を挟まなかった。

静まったタクシーのなかで、空気の重さに耐えられなくなったのかマサルが運転手に声をかけている。

そのさなか、マツウラがようやくボソリと言った。


「一体、なんだったんだ」

「俺にも、わかりません。ただ、あれは魔法です」


 そうか、と短く答えがあった。

それからマツウラは窓枠に肩ひじをついて、


「あの危険性が、ショウリさんを追いかける対価だっていうのか」


 細い声で言った。

車体が揺れる。


「ただ、会ってまた酒を飲みたいだけなんだけどな」


 本音が、ジワリとこぼれた。

ジュンはカメラを録画モードにしていたのだが、そこで映像を切った。

これは、見ず知らずの誰かが触れてはいけない瞬間なのかもしれないと思ったからだ。

明確な理由はわからない。


「会いたい人は、いつだって会えるとも限らないんだな」

「そうですね」

「思い通りになることのほうが少ない」

「はい」


 視線を落としながらあいづちを打つ。

マサルと運転手の「マジすか」と「岩手出身」の話と、車内のラジオのあいまいな音量が、マツウラの寂し気な声をうまくかき消してくれた。

ジュンはやはり再びカメラを回した。

撮らなければならない。

間違っていたとしても、この彼の記録は残さなくてはならない。

自然と、そう思えた。


 タクシーは撮影協力のお礼としてマツウラの住むマンションの前で停まった。

恐らく経費で落ちるだろうという発想からだ。


「いろいろ、説明しそびれたこともある。だけど、まあ、後日にでも連絡する」

「わかりました」


 ジュンも同意見だった。

恐らくあの施設には軍が捜査を始めるだろう。

色々と時間のかかることも多い。


「タダシくん」


 唐突に柔らかな声があった。

マツウラの肩越しに、一人の女性が立っていた。

マツウラが振り返ると、互いに手を軽く振っていた。

その女性は、腰まで伸びた髪を結って、後ろでまとめた、愛想の良さそうな女性だった。


「おかえりなさい。こちらの人たちは取引先の?」

「ああ、そんなところだ。こちらは妻のミサキだ」


 ジュンは頭を垂れて応じる。

マサルはジュンの耳元で「美人さんだな」と言ったが、無視を決めた。

彼女と視線が合った。

少し小走りに彼女は近づいてきて、ジュンの目を見つめて一秒後、


「主人のために、色々とありがとう」


 なにか見透かされたような気がした。

ジュンは頭を下げて再び応じる。


「また連絡する。行くぞ、ミサキ」


 二人がマンションに入って行く背中を、見送って、再びタクシーに乗り込んだ。




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