4 マツウラの恩人
青山一丁目駅に着いたとき、改札を抜けて適当な出口を見つけた。
それからすぐにマツウラに連絡をもう一度して、交差点の前で合流した。
「思ってたより早い到着だな、兄ちゃん。それからもう一人の兄ちゃんもいるのか」
「自己紹介がまだでしたね。俺は畠山隼で、こちらが斎藤勝と言って、補助をしてくれています」
設定を考えていなかった、と思い、ジュンは咄嗟に言ったのだが、なんだかマサルは不服そうに見えた。
「改めて、俺は松浦忠だ。よろしく」
言って、ポケットから両手を取りだしてお辞儀をするスリーピースのスーツ姿のマツウラは、なにやら高そうな腕時計を見つめてすぐにジュンに視線を戻した。
「飯屋でも行くかと思ったけどな、時間が時間だ。連れて行きたい場所がある」
「連れて行きたい場所、ですか」
「そうだ。もし本気で探してくれるのであれば、こちらもカードはすべて切ろう」
眼鏡の奥の細長い切れ長の目をジュンに定めて動かさない。
彼は持っている情報すべてを渡す気でいるのは間違いなさそうだ。
しかし、なにやら直感に働きかける全身のしびれのようなものを感じ、ジュンは聞き返した。
「でも俺たちはあくまでショウリさんとの話を聞きたいだけですよ」
「それも含めて、行って説明が早いと思う」
ジュンは思わずマサルを見る。
マサルは戸惑ったような表情をしていて、たぶん同じように少しばかり警戒しているのだろう。
二人の様子を感じ取ったのか、マツウラは「安全を保障する」と言って、歩きだす。
だから、ジュンはその後ろ姿を撮りながら追うしかなかった。
案内されたのは青山一丁目駅から一本路地に入ったところにある通りだった。
人の気配がすっかり消えた青山オフィス街は、ホームレスがぽつんといる程度で、ゴーストタウンと化していた。
街路樹の葉を拾う清掃員もいない、ゴミを拾う人も、営業している店もほとんどない。
マツウラは革靴のかかとをカツン、と鳴らしたかと思うと、唐突に足を止めた。
「ここから中に入る」
そう言って足踏みした先は、ガラスが割られた廃ビルだった。
「待ってください、ここに、入るんですか」
「特大スクープだ。俺は基本的に人相で人を判断する。まあ、勘みたいなもんだな。俺の眼鏡にかなったってことだぜ」
答えになっていなかったが、ここに重要ななにかがあるらしい。
「じゃあ、まあ危ねえから気をつけて進んでくれ。その間に、なにから話す?」
完全に、ペースを掌握され、ジュンはなんだかこの先に進んでいいものか二の足を踏んだ。
しかし、彼だけが知る真実がここにあるのだろうという確信があった。
だからジュンは足を踏みいれつつ、マサルの「おい」を振り払った。
「ショウリさんを命の恩人だって言ってましたよね。どういうことですか?」
「いきなり、核心を突くか。そうだな、まず俺のおふくろの話になるし、少し長いぞ」
構いません、と言って、マツウラと一定の距離を開けながらカメラを回した。
「俺のおふくろはな、認知症だったんだ」
マツウラは慣れた様子で足を進め、それをジュンはひたすら追う。
カメラのレンズの内側で、マツウラの背中が寂し気に見えた。
「兄貴は全く介護とか介入しねえし、オヤジは先に死んだ。よくある話だけどよ、施設には絶対入れたくなかったんだ。俺が見放したら、おふくろホントに一人になるって、そう思ってしまったんだ。まあ、それも間違いだったんだろうけどな」
自虐的に言って、マツウラの背中から肩が落とされた。
階段を上りはじめた。
「相談相手も、恋人も作る暇なんかねえし、俺がどれだけ必死にやっても、おふくろは俺のことも忘れて怒鳴られるし、深夜徘徊もあったな。警察に世話になって寝れずに仕事に行って、ヘルパーさんが来る間は家に戻って、限界だった。そろそろ一緒に死ぬかってときに、俺は最後にお酒が飲みたくなってな。だから仕事終わりに立ち飲み屋に入った。一人で飲んで、飲み散らかして、帰っておふくろと乾杯して、その勢いで一緒に死のうって、本気だった。これ以上介護を続けてると、おふくろとの思い出が壊されてくような気がしたんだ」
二階に到着し、途中にいたジュンへマツウラがようやく振り返る。
「そこで出会ったのが、ショウリさんだ。そんで、俺は本音をゲロっちまってな。それで言われた」
再び上を見つめながら歩くマツウラを追う。
後ろのほうでマサルの呼気が聞こえるが、一旦は頭の端に追いやった。
マツウラの息づかいが、少しひかえめに言葉をつむぐ。
「『お前は死ぬために生きているのか?』今でも覚えてるよ。そしたら俺なんも言えなくってさ、そこにさらにこう言ったんだぜ。『じゃあさ、俺と一緒に遊ぼうぜ。サーフィンしてさ、夕焼け見てさ、酒飲んで暮らそうぜ』って」
信じらんないよな、とマツウラは言って、手すりすら掴まず息を切らすことなく上っている。
「その一月後、おふくろが老衰であの世に逝っちまって。それから俺は、必死だったものが急に消えて、存在意義みたいなものがわからなくなった。好きなこともわからない、一人の時間を永遠に浪費するんだ」
ジュンは少しばかり自分の母親のことを思いだした。
状況は違うが、突然失うというのは映像が突然切られたテレビのような感覚で。
マツウラはさらに続けた。
「そっから先、俺はホントにショウリさんの言葉にすがったんだ。湘南でサーフィンに明け暮れた。生活のことを相談するだろ、そしたらショウリはそんなの俺がなんとかしてやるから、って言ってな。仕事の電話が来ても『俺はいま、どうしてもやらなきゃならないことがある』って言って、俺と一緒にいた。半年くらいかな、仕事もらいながら遊んだ。夜のお店を手伝いながら、海の家やって、波乗ってさ」
まあ、そんな感じだよ、と後半のほうは勝手に締めくくった。
どうやら時おり見える彼の横顔から嘘は感じなかった。
むしろ、懐かしさに目を細めているくらいだ。
「さすがにやべえなって思って、就職して、月に一度くらいになって、彼女ができてさ、それをめちゃくちゃ喜んでくれて、嬉しかったよ」
はじめてマツウラが笑ったような気がした。
無邪気な少年のような、ガラスビー玉の目をしていた。
「そろそろ、着くぞ」
言って、マツウラはジュンの向けたカメラのレンズ越しに見つめてくる。
まるで、この記録が他の誰かに繋がっていて、その誰かにうったえかけるような感じさえした。
「ここからが、本番だ」




