1 カメラマン
ジュンはフリーターをしながらワンルームの部屋に住んで、オンライン販売の商品撮影やユーチューバーの撮影協力に携わりながら、ギリギリ生計を立てていた。
西日暮里駅近くの格安アパートは、今ごろどうなっているのかわからない。
母であるアキコがよく訪ねてきては、お節介をしていたあの頃が懐かしい。
当たり前のことが、当たり前ではないことを、ほとんどの人が今目の当たりにしているに違いない。
渋谷区のほとんどが封鎖され、あれから四ヵ月が経過したにもかかわらず、未だに事態の収拾はついていない。
ジュンは軍の施設となったショッピングモールの中にいた。
支給されたカメラと、ハンドルと、モニターと、収音マイク一式を手にして、イイジマに言われた笑う練習をすることにした。
トイレの鏡の前で頬を持ち上げるのだが、引きつって、違和感しかない。
高校のときのあだ名である鉄仮面が思い起こされた。
トイレを後にし、カメラを構えながら軍服姿の間をパーカー姿が通る。
ジュンはなんだか一人だけはみ出しているような気がした。
そもそも記録係に任命されてから、自由に撮ってくれ、との指示しかあたえられていない。
そもそも、記録を撮る意味があまりわからない。
そう思いながら歩いていると、吹き抜けの下に巨大なモニターがあって、大量のパソコンと人々が睨めっこしている。
ひとまずそれを撮ろうとした、その直前だった。
「アンタ、カメラ持って私服ってことは、記録係か」
迷彩色の軍服姿の男に声をかけられた。
ジュンはアームの操作をやめて、乗り出していた体を戻す。
「突然声かけちゃってゴメンねゴメンね! あ、U字工事出身のマサルだよ。栃木県出身って意味なんだけど、伝わってる?」
「伝わってます」ジュンは瞬き一つして答えた。
「よかった。ジョーク通じない暗いお通夜みたいな顔してるヤツしかしなくってさ。ヤケクソで声かけてみたってわけ」
マサルと名乗った男は手すりに肘をもたれ、もう片方の手でジュンより少し長い短髪をかき上げた。
首筋をかきながら首を左右に回して骨を鳴らす。
無精ひげを生やし、軽い吐息と共に吹き抜けの様子を見つめている。
それからジュンに視線をすぐに戻し、
「カメラ回してんなら俺を撮ってよ。全国一斉パッチテストに見事合格して、俺は今ここにいるわけ。〈適合者〉ってだけで優遇されるけど、監獄みたいな生活はもうヤだよ」
やたら強弱のある声で言った。
マサルは〈異世界転生組〉に選ばれなかっただけマシだけど、とつけ足す。
ジュンはすぐにカメラを持ち上げた。
「いいですよ。撮る人を探してたところですから」
ジュンは二つ返事でカメラをマサルに向ける。
マサルが一瞬驚いたような反応をしてみせて、にこりと笑い、ピースサインをする。
ジュンはただその彼の様子を撮り続けた。
なにか聞かなければならない。
インタビュー形式に慣れていないジュンは、迷った挙句にありきたりな質問をした。
「ここでの生活は、どうですか」
「ここにいるメンツで、心地のいい思いをしてるヤツって、どんだけいるんだろうな」
マサルの声のトーンが、下がる。
そうかと思うとニヤっと笑い、おどけて見せる。
彼の実像が、見えた気がした。
ジュンも、マサルもきっと同じで、ここに半ば強制的に集められた一般人だ。
「そんな真剣にとらえないでよー! 飯は、そこそこ食えてるからいいよ。それに、豚小屋みたいな自分のスペースに、毎日二時間待ちのシャワー室、困ってませんって」
軽快な口調に、完全なシニカルで言いきった彼は、カメラ目線で両手をポケットに突っ込んだ。
視線がソワソワ動いているのは、彼の性格だろうか。
「異世界転生者に、魔法? なんか意味がわからないよな」
マサルの言葉に、ジュンの頬がひりつくのがわかった。
「異世界から来たやつが、こっちの人間の体を乗っ取るんだってな。ニュースでも取り上げられてるけどさ、意味がわからないんだけど」
ジュンがカメラのアームを持つ手に、力が入った。
「けれど、真実ですよ」
「だよな」
なにかを知っているような口ぶりだった。
「この世界で起きている紛争よりも、ずっと意味がわかんねえよ。現実味がないっていうか、だけどさ、こう、目の前にしちまうとな」
「大きな事件だと渋谷事変ですが、あのとき現場にいたんですか?」
ジュンの質問に、マサルは眉を持ち上げる。
「いや、いなかったよ。それから日本各地で色々あったじゃん。そういうの見てると、嘘みてえなホントなんだなって」
渋谷の異形生物のほかに、主要都市でいくつか同様の事件が発生した。
そのことを言っているのだろうと、ジュンは思う。
渋谷と同様、異形生物の大量発生と、異世界転生者による、魔術事件。
ジュンは唐突に、母の笑顔が思い出されて、それを振り払うようにわずかに顔をしかめた。
「ところでさ、ここのメシ、どう思うよ」
「それは、食べれるものは出ているんじゃないかと」
実際、お弁当支給で冷めたご飯に不満はあるが、食べるには問題ない。
率直に感想を述べたところ、マサルは大げさに手を振って言う。
「ちがうちがう、そんな肩ひじ張ったやつじゃなくってさ。ホントに思ってること」
「川崎のラーメンが食べたいです」
即座に回答が出てきたことに、自身で驚いた。
「だよな! なにラーメン派? 家系?」マサルの目が輝いている。
「おれは、豚骨が好きで。ベースがそれならなんでもいけます」
「博多ラーメン派か!」
体をのけぞりながら額に手のひらをぶつけて、オーバーな仕草をしてみせるマサルに、ジュンは目を丸くしながらも撮り続ける。
それから少し間を置いて、マサルが今日の予定を思いだした、みたく言った。
「あ、これ。上の人に見られるやつ?」
「おそらく、そうですね。編集は俺がやりますけど」
事実を伝える。
「んじゃ、豚箱のところはカットで! 飯のとこも! それじゃ俺行くわ。トイレに行きたかったの忘れちゃってたんだよな。まあ、お互い頑張ろうぜ!」
早々に立ち去るマサルに、ありがとうございます、を言ってジュンは彼の背中を映し続けた。
頑張ろうぜ、の言葉にジュンはわずかに気持ちが楽になった。
しかし、気のせいかもしれないが、彼の背中から、少しだけ寂しさを感じた。