2.変わりゆく日常
水槽の中で眠る少年は、あれほどデイヴィットが騒ぎ立てたのにもかかわらず、目を開ける素振りすら見せなかった。
おれの髪とは少し違う、淡い金色…。
デイヴィットの父や叔父は同じ濃い金色だが、繊細とはかけ離れて、勇ましさを感じさせる色彩であり、少年の淡い色合とは異なるものだ。
なーんか、怪しい匂いがプンプンする。
気づけば、握りしめていたぬいぐるみの存在も忘れて、水槽の出入り口を探していた。
「うーん、見つからない…いっそのこと、この水槽、壊しちゃおっかな~」
この後、見つかった時のお説教が怖くないと言ったら否だが、少年を連れ出してあげなければ、という思いで頭がいっぱいだった。
「手っ取り早いのは、父上の手を借りることだろうけど、きっとやめておいた方がいいだろうし」
見遣る先には、少年の手首をひとまとめに拘束する手枷がある。
元来、神殿は、神を祀る場所だ。最も、神殿が神聖な場所であることは、誰にでも染み付いた、常識だが。
ならば、これは一体どういうことなのか。
その神聖なる場所でこのように拘束した人物を放置するなど、神を冒涜するに等しい行為だと言えるだろう。それに、この国の信仰する宗教は生贄を捧げる行為を悪行であると定めているため、尚更だ。
考えたくはないけど、ここでの禁固刑が父上の采配により施行されてるなら、ありえなくはないんだよなあ…。でも、そんな変わった罰が下された事件なんて、あったけ?
ここ数十年で、過去の判例に則さない刑罰はなかったはずだし……。
「それか本当に生贄とか?……この平和な国で?」
それに、重罪を犯したがゆえに、監禁されているのであれば、進入禁止場所として伝えられるのが常であり、言い含められていないのは妙な話だった。
それは、監禁場所の悪質な衛生状態であったり身体刑が決行されている際に、まだ幼いデイヴィットが遭遇するような事態を防ぐために配慮されているからだ。
ただ、おれがその事件を見落としてて、父上達が伝え忘れたのかな…?
しかし、あらゆることに万全を期す父上や側近らが、そのような失態を犯すだろうか。
どんな施策にも慎重さと確実な結果を出すことに余念のない彼らが。
腹の底が重くなったような心地を抱きながらも、突如として湧き出した疑念から、目を逸らすことはできなかった。
デイヴィットの世界は、いつだって安全な物だけで構成されている。それが当たり前であったし、これからもそうあるものなのだと、信じて疑っていなかった。
疑う余地など、微塵もないはずだった……。
暗い思考に囚われていると、以前に一度だけ、剣術の指南をしてくれた騎士の言葉が思い浮かんだ。
『当たり前の日常は、ある日突然、奪われてしまうものなのですよ、王子。それまでどれだけの徳を積んできたかなど関係なく……だから、わたくしは奪われたものを取り返すために、この道を選んだのです…』
この少年の存在は、今までの日常を変えてしまうかもしない。
デイヴィットや国民を愛し、賢王だと称えられる父に、自らの手で我が子を育てたいと、忙しい公務の中、時間を作ってくれる母。
そんな両親の、まだ知らぬ一面が垣間見えようとしていた。
おれは、どうしたいんだろう。
「引き返せば、そりゃあいつも通りの毎日が待ってるんだろうし…ここのことも、上手く誤魔化されるよなあ~」
知りたいような、知りたくないような、相反する願望に感情が揺れ動き、まとまらない。
「父上がこの人を隠したがってるってのが、妥当なんだろうけど」
どんな理由があるのか、見当もつかないがこの城に隠された、後ろめたいことがあることは察せられた。
自らの親のことを思うなら、ここで引くべきなのだろう。
なかったことにして、少年にはこのまま眠り続けてもらう。
そうすれば、あの地下への入り口付近を通る時は、モヤモヤするかもしれないがそれもしばらくすれば、収まるに違いない。
父上に聞いて、優しい嘘で自分を誤魔化してしまうのも、1つの手だ。
頭ではわかっていたはずだった_____でも。
ここで引き返したら、きっともう、誰もこの少年を見つけてはくれないんじゃないか、なんて。
それは、道徳心か、同情か、親の隠し事への焦燥か…はたまた好奇心だったのか。
デイヴィットは、護身用の短剣を取り出し……少年を閉じ込める、水槽に突き刺したのである。
突き刺した箇所から、ガラス特有の音を立てひび割れたと同時に、隙間から水が漏れ出てくる。割れ目を、少年を引っ張りだせるほどの、大きさにしなければと何度も、何度も短剣を振りかざした。
気づけば、神殿内はここに訪れた時よりも薄暗くなっており、急いで懐中時計の明かりをつけた。割れ目は水流の助けもあり、屈んで出られるほどの穴になっている。
「ねえ!起きて!もうここから出られるよっ!!」
短剣の刃は、無理やり水槽に叩きつけていたせいか、脆くなっていて、もはや使える状態ではなかった。割ることのできなかった、まだ頑丈な部分のガラスを拳で叩きながら、何度も声をかける。
「…んぅ…?」
揺さぶり起そうかと、穴から腕を伸ばしかけていると、少年が身じろぎ眩しげに瞼を開け、その瞳が見開かれた。
夕暮れを切り取ったような、茜色の瞳。たれ目がちな目尻は、優し気で、弱気な印象を受ける。その瞳は淡い金色と相まって、儚げで胸がざわざわした。
「はじめまして、俺はデイヴィット・ラッセル・ヴィルトゥエル、この国の第一王子だよ!」
デイヴィットは、自らの頬が赤らむのを感じながら、儚げな少年に名乗った。
おかしいなぁ、剣舞の発表会の時もこんなに緊張することはなかったのに。
そんなデイヴィットを見て、少年はゆったりとその身を起こすと、訝しげに言い放った。
「……第一王子?君が?」
まどろんでいた時の様子とは打って変わり、優しげな雰囲気は身を潜め、冷ややかな目でデイヴィットを見下ろしていた。
「う、嘘じゃない!…この濃い金髪に、群青色の目!王族の証拠だよ」
「確かに、どちらも王族特有のものだね…なら君は、陛下の妾との子供ってとこなのかな」
「そ、そうきたか。うーん、おれが王族であることの証明…」
おれが第一王子なのか疑われるなんて経験、初めてだ。
第一王子の証明、証明、しょうめい…ある意味授業で出される課題よりも難しいのでは…!?それに、自分の身よりも第一王子ってことに拘ってるみたいだし。
予想外の展開に小さい頭を抱え、唸っている最中少年はというと、デイヴィットを観察すべく神経を尖らせていた。
「やはり、嘘なんじゃないか。それに最初から君が素性を偽っていることなんて、僕にはお見通しだよ!」
お、お見通し!?本当に第一王子なのに!おれ、本当に王子なのにぃ!?
この国の王子として5年と約1ヶ月、王子としての地位にそれほどこだわることなく生きてきたデイヴィットであったが、ここまで否定されると逆に何が何でも認めさせたいという気になってしまっていた。
「な、なんでよ!そっちこそ、おれが第一王子じゃないっていう証拠でもあるの!?」
「ふっ、あるさ…君が嘘つきだっていうとびっきりの証拠がね」
意地悪な含んだ笑みを浮かべる少年に、続きを促し一体どんな証拠とやらが飛び出てくるのか身構える。
「簡単なことさ、このヴィルトゥエル王国の第一王子は、ウィルフリッド・ラッセル・ヴィルトゥエルただ一人だからね!」
うん?ウィルフリッド………っておれの父上のことじゃないか!!
「ねえ、一体いつからここにいるの?ウィルフリッドはおれの父上の名前だし、父上が王位を継承したのはもう10年も前のことだよ!?」
おれより6つくらい年上に見えるこの少年が、第一王子だったときの父上を知ってる?
あまりにも予想外の展開に、呆然としてしまう。
それは、少年も同じだったようで暫く何かを考えているようだった。
悩みすぎて、頭から湯気がでそう…。
2人してずいぶん長く悩んでいたが、少年がなぜ第一王子が未だ父上であると思い込んでいるのか、さっぱりわからなかった。
ふと、少年のことが気になり視線をやると先程までとは打って変わって、顔を青ざめ何かぶつぶつと小声でつぶやいていた。
「やっぱり全然わかんないや。そっちも同じだろうけど…ってちょっ…どうしたの?」
突如、肩を引っ掴まれ何事かと見上げた。
口にするのも恐ろしいのか、かすかに声を震わせている。
肩を掴むその手をそっと握り返しながら、もう一度聞き返すと少年は困惑した表情で言ったのだ。
「…なあ、………君の言うウィルフリッドは、今年で何歳になるんだ?」




