前編
タイトル通りの内容です。
怖くはない……はず。
……メリーさん。
それは、日本中で広く知られる怪異。
いつからあるのか、どこで発生したかは定かではない。
たとえば、捨てた人形が持ち主の下へやって来る話。
たとえば、夜の学校に笑う南瓜頭がやって来る話。
たとえば、高層ビルを一階から徐々に上がって来る話。
時代によって、あるいは場所によってその内容に差異あれど、その全てで必ずと言っていいほど共通している点がある。
「私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」
最初は遠く離れていた彼女が、徐々に自分のところへと近付いて来る。
そして最後には、そのセリフとともに背後に立つ。
怯える姿を楽しむようにゆっくりと。
精神を蝕むようにじっくりと。
彼女は、標的と定めた者を決して逃がさず、必ずその身も心も戦慄と恐怖で染め上げるのだ。
そんな怪異メリーさんが、もしも――――
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「……?」
『ようこそ、いらっしゃいました』
彼女が目を開けると、そこには真っ白な世界が広がっていた。
そして目の前には、美しい女性が佇んでいる。
「……」
真っ白なワンピース姿の、穏やかで美麗な女性。
古臭い服装に深くつば広帽子を被った自分とは、まるで違う存在。
彼女が茫然とそんなことを考えていると、その女性は微笑みながら口を開いた。
『ふふっ。戸惑っていますね? 誰かと、面と向かって会話するのは初めてですか? メリーさん』
「……⁉」
初対面の女性から名前を呼び当てられ、メリーさんは驚愕する。
その瞬間、ボーッとしていた意識がハッキリとして、メリーさんは我に返った。
どうして怪異である自分がこんな場所にいるのか考えもせず、のんきに目の前の女性に見入っていたなど普通ならあり得ない。
いつもなら自分の方が驚かす側だというのに、今は完全にその女性の掌の上。そう感じてメリーさんはゾッとする。
『簡潔に事情を説明させてもらいますね。私は神です、女神です。あなたには、異世界に転移して魔王の脅威からあちらの世界を救ってほしいのです』
唐突に告げられた神を名乗る存在からの願いに、メリーさんは大いに戸惑う。
彼女が何を言っているのかも、どうして自分に頼んでいるのかも、全く理解不能だった。
いつもならば怪異の常識に従って脅かす相手を探し、不気味な笑みを浮かべながら行動を開始していたはずなのに。
何がどうして自分がこんな場所にいるのか、全くもって不可解であった。
『詳しいお話は、あちらの世界の巫女を通じてお伝えします。もう、あまり時間が残されていないのです。どうか、お願いします……』
一方的にそんな話をされ、女神に頭を下げられる。
すると次の瞬間、メリーさんの全身は眩い光を放ち始めた。
「……⁉」
光が収まると、そこには既に彼女の姿は無い。
何も理解せず、何も同意すらしていないにもかかわらず、彼女は突如として異世界へと転移させられてしまったのだ。
もしも彼女が今どきの“テンプレ”を知っていたなら、自分の身に何が起きているのかを把握できたかもしれない。
だが彼女は人間ではなく、人の世のテンプレなど知る由も無い。
彼女が唯一知っているのは、自分自身の逸話。
メリーさんという都市伝説のみである。
だが――――
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「……?」
――――光に包まれたメリーさんが再び視界を取り戻すと、その瞳に映ったのは先ほどまでとは全く異質な風景であった。
煌びやかな装飾の壁や柱に囲まれた室内で、多くの人々が自分に向かって手を合わせて祈っている。
そんな光景に唖然とするメリーさんだったが、ハッと我に返ると慌てて帽子を深く被り直し、その顔を隠した。
「おお……! 成功だ! やった、遂にやったぞ!」
立ち並ぶ多くの人の中で、最も煌びやかな服装の人物が声をあげる。
メリーさんがそちらに目を向けると、それとほぼ同時に室内が歓喜の叫びで満たされた。
「やった!」
「これで世界は救われる!」
「神よ、この奇跡に感謝します!」
「ああ、やっと悲願が果たされるのだ!」
口々に喜びの言葉を述べる大勢の人々。
その様子に戸惑うメリーさんの下に、集団から一歩進み出した者がいた。
「……お初にお目にかかります、勇者様。わたくしは、貴女様を召喚したこの世界、この国の巫女でございます」
「……?」
メリーさんは、未だ何一つとして理解できていなかった。
女神を名乗る女性の説明も、目の前の巫女が話す内容も。
だが、彼女とて怪異の端くれ。
ある程度、人間でいうところの知能は持ち合わせており、段々と自身が置かれた状況について考え始めてはいた。
「召喚に応じ、この世界にいらしてくださったことに最上級の感謝を。戸惑っていらっしゃると思いますので、まずは大まかな事情を説明させてください」
とにかく、現状の把握が最優先である。
メリーさんは自分が今どういう状態で、どんな事情に巻き込まれたかを掴もうと、巫女を名乗る女性の話に耳を傾けた。
「……というわけなのです。この世界は魔王の侵略によって平和を脅かされ、貴女様を……勇者様を召喚するに至りました」
「どうか、どうか! 魔王からこの世界を救ってくだされ!」
「望む物は何でも差し上げます! 勇者様だけが我らの希望なのです!」
この場の誰もがメリーさんを勇者だと疑わず、彼女に祈りを捧げ続ける。
そんな中で、彼女は漸く自らが置かれた状況を理解するに至った。
要するに、自分は女神とやらを通じて別の世界に呼び出されたのだ。
何がどうして人を驚かす怪異である自分が、世界を救う勇者とやらに選ばれたのかは定かではないが。とにかく召喚された事情と、自分の身に何が起こったのかは充分に理解できた。
ならば、自分がやるべきことは一つしかない。
そう考えて、メリーさんは巫女に向かってコクリと頷いてみせる。
「……ああ、ありがとうございます! 引き受けてくださるのですね」
「……」
「では、早速準備を進めさせていただきます。魔王の拠点、魔王城までは長く険しい道のりになると思われます。ですが、我が国が誇る精鋭たちが旅の仲間として必ずや貴女様を支え、我らの鍛え上げた最強の武具が必ずや貴女様の御力となることでしょう」
まるで自分たちの用意した人員と武器防具によって、魔王が打ち倒される瞬間が目前であるかの如く。
恍惚の表情で遠くを見つめていた巫女だったが、すぐに我に返るとコホンと咳払いをしてそれを誤魔化す。
「さあ、それではこちらへ。まずは、貴女様を国王様方に紹介したく存じます。それから出立式の段取りと国民への流布、仲間たちの紹介と武具の進呈を……」
そう言って徐にメリーさんの手を引こうとした巫女だったが、何故だかメリーさんはその場から微動だにしなかった。
まるで巨大な岩を引こうとしたような反動に、巫女は思わずギョッとする。
「さ、流石は勇者様でございます。強靭な肉体をお持ちなようで。み、見た目から華奢な少女と思い込んでいた自分が恥ずかしいです」
照れ隠しのようにはにかみ、巫女はメリーさんの前に両膝をついた。
それは周囲の者たちから見れば、大人である巫女が少女であるメリーさんに目線の高さを合わせて話そうと膝を折ったように見えただろう。
……だが、巫女が両膝をついた理由は少し違っていた。
彼女は震えていたのだ。
そのことをメリーさんに悟られては失礼にあたると考え、それを隠すために膝をついて誤魔化したに過ぎなかった。
まさか、自分が怯えているだなんて。折角やって来てくれた勇者だというのに、そんな失礼があってはいけない。
しかし、巫女の感じた一抹の恐怖。
メリーさんの手を引いた瞬間に感じ取ってしまった本能的な恐怖は、決して間違いなどではなかった。
いくら屈強な肉体であろうと、大人である巫女が小柄な体格であるメリーさんの手を引けば、物理法則的に多少の動きはあるはず。
だというのに、メリーさんは微動だにしなかったのだ。それは、生物同士ではあり得ない現象。
「そ、そういえば、まだお顔をしっかりと拝見しておりませんでした。さぞかし、美しく可愛らしいに違いな……」
膝を折った理由をなんとか誤魔化したい一心で、巫女は帽子に隠れたメリーさんの顔を覗き込もうと身を屈めた。
つば広帽子で深く隠された彼女の表情はまだ誰も見ることができていなかったが、神が選び賜うた人物なら皆に愛される容姿に違いないと盲信して。
そうして巫女は、初めてメリーさんの顔をハッキリと目にする。
何の警戒心もなく、それはそれはしっかりと、ハッキリと。
巫女は、見てしまった。
とても楽しそうに笑う、メリーさんの顔を。
「ヒイイイイイイィィィィーーーーッ⁉」
心臓を突き刺すような異質な奇声。
場の空気は、巫女が発したその恐怖の悲鳴によって一変した。
それまで浮かれていた全員が、何が起こったのか理解できないまま視線を巫女の方へと集める。
すると、彼女は尻もちをつく形でメリーさんと向き合い、その視線を真っ直ぐメリーさんへと注いだまま固まっていた。
それも、この場の代表格であり容姿端麗な巫女らしからぬ大股開きの、あられもない体勢のままで。
「……」
何事かと様子を窺っていた人々だったが、すぐに巫女が何故だか酷くガタガタと震えていることに気付く。
彼女は、そのあられもない体勢など全く気にかける余裕も無いくらいに、真っ青に青褪めた顔をしていた。
巫女の周囲から、ザワザワと人々の戸惑う声が聞こえ始める。
するとメリーさんは、そんな大衆を一瞥したあとでその口を開き、こちらの世界に来てから初めてとなる声を発した。
「……私、メリーさん。クス、クスクスクス……」
その声に、場の全員が戦慄する。
何故なら、それは明らかに少女が放つ声色などではなかったからだ。
まるで、地の底から自分たちの頭の中に直接届いているかの如き、悍ましい音。
クスクスと可愛らしい少女が笑う声……のはずなのに、その音はただただ悍ましい害悪にしか感じられない。
人々は一瞬で悟った。どうして巫女があんな叫び声をあげたのかを。
そして、人々は悟ってしまった。自分たちが召喚したものが、勇者などではなかったということを。
唯一彼女の顔を目の当たりにしてしまった巫女。
その足下には、生温かい水溜りが作られていた。
「…………ば、ば、ばけ……もの……!」
巫女が、ガタガタと震えながら言い放った言葉に、メリーさんはそれまで以上の悍ましい笑顔を浮かべて喜んだ。
恐怖に震える人間も、自分を悍ましく思う心も、怪異である彼女にとっては最上級の御馳走でしかない。
そして彼女は、自分がやるべきことを見据えて遠く遠く離れた何処かをジッと見つめる。
すると次の瞬間、彼女の姿は人々の前からフッと掻き消えてしまった。
「……えっ?」
その場に残された人々は、心の奥底に刻まれた恐怖に怯えながら自分たちがいったい何を呼び出してしまったのかを考えていた。
神が遣わした存在が、果たして魔王を打破するものなのか。それとも、魔王以上の脅威になり得るものなのか。
……だが、最早人々に為す術など有りはしない。
メリーさんは、既に動き出してしまったのだから。