フルーツ少女! ‐宝果絢爛‐
「あなたはフルーツ少女の“育成士”に選ばれました」
“フルーツ少女”。突如として現れた第二の人類。余分な栄養を果実として蓄えるというその特性から、瞬く間に人間社会に馴染んでいった。
“フルーツ少女育成奨励機関”、略して果樹関。彼らによって選定された人類には、フルーツ少女育成の義務が生じる。頑張れば断ることも出来るが食糧難により協力推奨。
以上二名、俺の日常に現れた非日常二人の名前。要らんの一言で追い返せない辺り、下手なセールスより厄介だ。
「あの……どうして俺が」
「複合的評価により、一概にこうだとは申せませんが……そうですね。独身一人暮らし、趣味料理、日当たり良好気候安定都会から少し外れて空気の綺麗な自然に囲まれる」
「後半ほとんど俺の条件じゃないじゃないですか」
「そして何より、植物相手にも優しく接してくれそう……あくまで他評ですが」
「はぁ……」
「こちら今回ご紹介のフルーツ少女、“日結果種”の蜜柑ちゃんです」
彼女が脇にどくと、後ろにいる。台車に乗せられた植木鉢型の台座、そこにちょこんと座った女の子。特筆すべきは不思議な髪の色、髪に絡まった植物の枝。それは髪飾りなどでなく、紛う事無き彼女の一部。
「ではパートナーとして、彼女を大事に美味しく育ててください。それでは」
「あ、あのっ!」
もう帰り支度の心の彼女を呼び止める。
「これって……必ずでは、無いんですよね」
「貴方に育成条件能わずとの判断が出れば、彼女たちは回収されます。書面では条件適正との評価が出ておりましたが……何か、ご不安でも?」
「……その、俺は、他の生命に責任を持てるほど、出来た人間じゃないんです、だから……」
「ふむ。貴方の精神状態が育成に支障をきたすならば、条件不適合と下され、回収はされますが……」
ちらと、彼女が植木鉢の少女を見る。
「彼女たちはとても、とても環境の変化に弱いのです」
「はぁ」
「今回の移動も彼女にとって苦痛の種、“植物園”からの移動で、彼女はとても疲れております」
少女を見ると、ただぼーっとしている……ように見える。……よく見れば、顔には少し脂汗が滲んでいる、気もする。
「片道のつもりで来ましたが……ここから往復、さらに新たなパートナーを探すとなると……彼女にはかなりの負担が……」
少女はじっと俺を見る。
「最悪の場合……死に至る事も――」
ただじっと、無垢な瞳で、俺を。
「分かりました! 分かりましたよ、もう!」
「ありがとうございます! それでは付属の説明書をご確認の上、彼女の育成に励んでください、良きパートナーライフを!」
こうやって情や押しに弱い事も、条件の内に入っているのだろう、きっと。
「えっと、何々……“フルーツ少女の扱い方……大体人間と同じです。水と日光と食べ物が重要です。たくさん食べるほど実ります。愛情を感じると甘くなります。大事に美味しく育てましょう”……これだけ?」
説明書にウェブアドレスが付いている、入力すると、果樹関のホームページが。気になる項目をクリックする。
“育成士”について。実際に“フルーツ少女”の育成に携わる人間の事を指します。
「知ってる」
“フルーツ少女育成奨励制度”について。
国が徴収した個人情報を元に、育成に適した人間を選定、合意の元、“フルーツ少女”育成に協力して頂きます。“フルーツ少女”から産生される“人工果実”は、人間にとって極めて効率のいい栄養分が含まれており、保存性も高く、我が国の食糧難の問題を一挙に解決してくれた存在ともなっています。基本的に理由なく育成の協力を拒否する事は許されていませんが、フルーツ少女は愛情を持って育てねば育たないという都合上、止む無しと判断された場合には協力を取りやめる事もあります。
フルーツ少女は、自身が取り入れた余分な栄養を果実として、周期的に “結果”します。“結果”した“人工果実”は、週に一度訪れる“回収屋”が回収し、品質に応じて“育成士”に報酬が支払われます。収穫した“人工果実”は、基本的にどんな状況下でも保存可能ですが、日の当たらない風通しのいい涼しい場所で保存してください。
“育成者”には、収穫した果実の一部を味見する権利があります。但しこれは品質向上の為であり、全部はダメです。高品質な“人工果実”を独占的に食べてしまう人間が度々現れますが我慢してください。
「これもまぁ……何となくは」
“フルーツ少女”の育て方について。
彼女たちの取り扱いは個体によって千差万別です。彼女たちの様子、態度、 “結果”など、彼女たちをよく見て彼女たちに合わせた方法を取ってください。
「……これだけ」
スクロールすると、大きな空白を挟んで続きがあった。
一応、セオリーとして知られているいくつかの情報をここに記しておきます。往々にして反する事があるので、参考までに。
・水は良いものをあげましょう。ただし水道水を好む子も居ます。
・食事は食べたいものをあげましょう。極めて偏食の子も居ますが、柔軟に。
・日向ぼっこは邪魔しないでください。とても大事です。
・運動は苦手です。基本的に。
・可愛いですが手出しは厳禁です。育成開始から一か月未満の場合、法に問われる事があります。
・出来るだけ何もさせない事が豊かに実らせる条件ですが、品質についてはその限りではありません。
最後に。
“育成者”によって、“フルーツ少女”によって、環境によって品種によって需要と供給のバランスによって、様々に適した方法が存在します。ネットにも多種多様な育成日記が掲載されており、中には報酬によって莫大な富を築かれた成功者も居ますが、彼らの方法を真似する事は必ずしも正解には結び付きません。育て方に迷いが生じた場合は、最初に付いていたプラカードを、彼女たちを見てください。正しい事はそれだけです。大事に美味しく育てましょう。
それでは、良きパートナーライフを。
「……まだ、知識に不安があるかな」
“よくある質問集”、というのをクリックする。
Q.いろいろなサイトを見て回りましたが、結局正しい育て方が分かりません。
A.いつまでもネットを泳いでる暇があったら今すぐそこに居る彼女たちを見ろ。
「はい」
振り返ると、彼女は窓辺に居た……全裸で。
「なっ何しっ——」
露わになった、腰から下は木の根っこだからまだしも、背中は滑らかな人の肌。俺の声に少女はゆっくりと振り返る。特にこれと言った表情は浮かんでいない。
“日向ぼっこは邪魔しないでください。とても大事です。”
慌てているのは……俺だけだ。落ち着いて、でも出来るだけ見ないようにして、窓の外へ運んだ、カーテンをシャッと閉じると、輪郭だけがそこに浮かぶ。シルエットはまんまアルラウネ、ファンタジーの中のそれだ。
L字かコの字型の仕切りでも買ってくるか、日光を浴びながら、彼女の姿を隠せるように。
網戸とカーテン越しに声を掛ける。
「ねぇ、君は何ていうの?」
影が振り返る。くいと、首を傾けたようだ。
「蜜柑ちゃん……で、いいの?」
くいと首を傾けた。……まぁ蜜柑ちゃんでいいか。
「蜜柑ちゃんは……あぁ、俺の言葉は通じてる?」
こくんと頷く。良かった。……えっとー、
「俺は……まぁ“育成士”でいいね。これからよろしくね」
彼女は小さく頷いた。
「さむい」
「喋れるんかい。服脱いだからだよ」
「へやのなか」
「……あぁ、風が冷たいのね。……んー」
まぁ……いいか。植木鉢を部屋の中に戻す、少し腕が痺れてきた。結構重い。出来る限り目は逸らす、日光浴中は。
「おみず」
「水道水しか無いけど、それでいい?」
「ふぁんたぐれーぷ」
「結構言いたい事言えるのね」
安心した。まぁ俺は育成初心者だし、そりゃ扱いが分かりやすいのが来るか。……炭酸飲料? 子供の我が儘と見るべきか、種族的な栄養の欲求と考えるべきか……余った栄養で果実が作られるなら、食べ過ぎは考えなくていい……よね。ファンタグレープで蜜柑作んなよ。ファンタグレープ知ってんのかよ。それ食事? 水分補給? 一言の情報量多いな。
とりあえず……一本与えてみる?
「ちょっと買ってくるね」
彼女は頷いた。
階段を降りる、カンカンと音が鳴る。ボロアパートの前には自販機が二つ。その両方にそれはあったはず、人気だからね。その人気が彼女たちにまで及んでいるとは、もちろん知らなかったけれど。
隣人とすれ違い、軽く会釈をして通り過ぎる。
部屋の中を覗けば、彼女は幻覚の類などではなく、やっぱりそこに座っている。
プルタブを開けて彼女に渡すと、こくこくと飲んでいく。細い喉が一生懸命に上下する。
「しふくのいっぱい」
「おっさんみたいな事言うね。それ好きなの? 毎回それなら……懐が、ちょっと。厳しいんだけど」
「とーぶんかた」
「毎回は糖分過多? そりゃそうだ」
空っぽになった缶を受け取る。彼女たちにも血糖値とかあんのかね。
「今日は何食べたい?」
「おまかせ」
「まずは俺の実力を見せてみろって? 腕が鳴るねー。アレルギー……食べられない物とかは、ある? 苦手な物とか」
「まずいやつ」
「俺も不味い物は苦手かなぁ。ま、うちでは出ないから安心しなー」
「いうねー」
「……ふふ。言うよー?」
せっせと作ってオムライス。彼女は行儀よくテーブルに座っていた。二人分の皿を乗せて、俺も席に着く。
彼女は湯気の立つ黄金色のとろとろを、目をきらきらさせて眺める。
「おいしそう!」
「いただきますしよっか」
「うん!」
彼女は小さい手のひらを合わせる。
「いただきます」
「いただきます!」
「……あ、自分で食べれる?」
「むずいかも!」
「ちょっと待ってねー」
ずりずりと椅子を寄せる、匙を取った。掬い取り、彼女の口元へ。はむと動いてもぐもぐ咀嚼。
「おいしい!」
「でしょー?」
「でかした!」
「ありがたきしあわせ」
「もっと!」
「ゆっくり噛んで食べなー?」
彼女の口へ、一口ずつ運んでいった。
食べ終わった後、彼女の顔も蕩けるように幸せに。それを見て俺も満足。美味しく食べてくれる人が居るって、いいね。
満腹な彼女を見下ろして、ふと思いつく。
「そういえば、土は要らない?」
「つち?」
「君の足は、根っこみたいだけど。要るなら、まだ明るいうちに」
「これはなごり」
「名残なのか。じゃあ土は要らないんだねー」
「むしがいや」
「土の中の? 俺も虫は苦手だよ。こんな田舎だと、よく入り込んできて、その度に大慌て」
彼女はもぞもぞと数多の根を動かし、のそのそと動く、それを見下ろす。
「……あしほしい」
「君の足はずっと、そのままなの?」
「おくすりあれば」
「足が生える薬があるのか。蝶の蛹や脱皮みたいに変化するのかな。泡になって、消えちゃったりしない?」
「ならない」
「そりゃそうだ」
足が生える薬かー。彼女がこのままで送られてきた理由は何だろ。
「足が生えるお薬には、何か副作用はあるの?」
「しゅーかくがへる」
「なるほど」
調べると、足自体がどうこうではなく、運動量が増える事で果実に回す栄養が減る、つまり収穫が減るらしい。
「足、欲しい?」
「あしほしい」
「どうして?」
「……ひみつ」
まぁ、どうしても何も無いよね。無いモノは欲しい。
「そっか。じゃあ後で、職員の人に聞いてみるね? お薬貰えるかどうか」
「うん」
彼女は嬉しそうに頷いた。
「超高いですよ」
「……なるほど」
「いっぱい頑張ったら貰えるって」
「わかった!」
「……本当にいっぱいだよ? 俺の給料の……十か月分くらい」
「いっぱいがんばる!」
「……うん。いっぱい頑張ろっか」
「できた!」
寝る支度を整えていると、彼女が何やらこっちこっちと騒いでいる。
「どしたの?」
「みかん!」
彼女の手のひらには、こぶり、まんまるな、鮮やかなオレンジ色の蜜柑。
「……もう出来たの? 早いねぇ……」
「きゅーぞーで」
急造で。“日結果種”って言ってたっけ、毎日生るのか。髪に絡まる彼女の蔦には、見渡しても他に実はない。可愛い白い花が彼女を彩るのみ。今日は一個だけだね。
「たべて」
「いいの?」
「さいしょはあなた」
「いやー、悪いねー」
皮を剥くと、これまた鮮やかな橙、瑞々しいミカンの香りが広がる。一口頬張れば……甘い。甘いなぁ。
「おいしい?」
「うん……とっても」
手が止まらず、余さず平らげてしまった。彼女に分けても良かったと思い立ち……共食いになる? 分かんねぇ。まぁ俺にくれたのだし、俺が全部食べて良かったのだ。
「あなたはわたしのために。わたしはあなたのために。わたしたちは、みんなのために」
彼女は語り出す。一番喋ったんじゃないか今日。
「何かの、標語?」
「はかせのことば」
「博士?」
「よくわたしたちをみにきてた」
んー……俺が彼女に料理を作り、彼女は俺に果実を作る、そして俺たちは皆の為に果実を出荷する。安易に考えれば、そんなとこ。
残った蜜柑の皮を見つめる。
「君のこれは、俺が作ったオムライスから出来たわけだ」
なんだか……感慨深いね。
ただ一人、自己満足の為に磨いた料理の腕だ。それを、美味しく食べて貰える相手が居て、頑張った証が、こんなに分かりやすく、結果が帰ってくるなんて。おまけにお金も貰える。これはやる気が出てくるかもしれない。やるね果樹関の人。思惑に乗せられ思わず尽くしちゃいそうだ。
「それふぁんたぐれーぷ」
「これファンタグレープの分かよ」
道理で甘い訳だ。
「本当に、そこでいいの?」
「うん」
植木鉢をひっくり返し、そこにすっぽり、彼女は体操座りで嵌まった。植木鉢は彼女の肌色で満たされ、髪と蔦と花がそこに咲く。
月光に照らされ、彼女の淡白な表情が、眠そうな目が見える。
「おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
空っぽだった俺の部屋に、突如押し寄せた闖入者。悪くはない、悪くはないのだ……うん。誰かがすぐ傍に居るというこの感覚は、悪くない。
「明日からも、よろしくね」
「ん」
「バランス型ですね」
「はぁ、バランス型」
「色んなものを満遍なく食べさせてあげているでしょう。果実に回る栄養も均一になるんですよ」
彼女たちは基本、食べたいものしか食べようとしない。その嗜好が偏れば特化型と言う、栄養の偏った果実が出来るらしい。それはそれで需要は有るけれど、安定はバランス型。
「偏りもほとんど無い、良い感じですね」
「本当ですか?」
「えぇ、初心者が、一週目に作った果実としては」
「……平均的な市場から見れば?」
「まだまだです」
甘くないねぇ。
「しかし……だだ甘ですねぇ」
「どういう意味です?」
「果実の糖度が。随分と、甘やかされているようで」
……あはは。照れるね。
「いい傾向ですよ。何は無くとも甘い物は売れる」
「そーですか」
「彼女の方はどうです?」
「元気にすくすくと。今も、そこで日向ぼっこしてますし」
DIYで作ったカーテンの向こう、小さな彼女の小さな空間。植物のように動かない彼女の影がそこに映る。
「……それは良かった。彼女も彼女で、問題を抱えている子でしたから」
「それは……気づきませんでした」
「彼女は少し……言葉を話すのが苦手でした。他の子と比べて」
あー……最初はあんまり、喋らなかったっけ。
「それなに?」
と、視線を感じ取ったのだろうか、近くに寄って来た。
「この前の職員のおねーさんと話してるよ、ほら、ここに来た時に君と居た」
電話を彼女に向ける。
「おひさー」
「お、お久しぶりです」
「……」
「……」
髪をわしゃわしゃと撫でると、満足したかカーテンの向こうに戻っていった。
「まぁ、そんな感じで元気ですよ。のんびりしてますけど、彼女なりに」
「……この一週間で、打ち解けられましたね」
「初日からあんな感じでしたよ?」
「そうですか。それは、貴方に預けて正解でした」
「えぇ、俺にとっても。今となっては可愛い相棒ですよ」
自分の事を話されてると分かっているのか、ちらちらと影が揺れる。
「あなたの方はどうでしょう」
「お陰さまで」
「はい、チーズ」
「ちーず」
分かってるのかいないのか、ぼーっと彼女は写真に写る。
「なにそれ」
「いつもの日記だよー。今日も可愛く写ってるぜー」
「なる」
後になって色々見返せるように。俺も真面目だなー。
ネットに載せれば教えたがりさんから意見も貰える、どう繋がっていいか分からない同志とも簡単に繋がれる、特に先人たちの意見は貴重だ、取り扱いは千差万別とはいえ。「人類とフルーツ少女との相違点リスト」は、彼女たちを知るのにはとても役に立った、まさか少女に筋力で負けているとは。彼女がタンスを持ち上げて腰を抜かしてお尻を打つ前に知りたかった。
そして“育成士”の助言の締めはだいたい同じ、「大事に美味しく育てなさい」。
まぁ掲載のほとんどは彼女か料理か彼女が美味しそうに物を食べる姿の写真だけ、閲覧者のほとんどはを彼女を見に来た一般人。まぁなんにせよ俺も彼女の可愛さが世界に伝わりハッピー。多彩な料理につられたフルーツ少女志望一般人類兄貴は帰ってください。
「かまって」
「あいあい、もうちょっとで終わるよー」
エンターキーを押して更新、シャットダウン、終了!
“フルーツ少女育成士交流会へのお誘い”。
散々迷ったけれど……うん。物は試しだから。行く事に決めた。彼女の為にも、なるかもだし。
「ダメだよ、もっとじっとさせてないと。収穫量が減っちゃうよ」
「人化はまだ進めていらっしゃらないの? それではその子が可哀そう……私が費用を、お出ししましょうか?」
「なんでもかんでも雑多に食わせりゃいいってもんじゃない、ちゃんとその子の事、見てやってるか? その気じゃダメだぞ?」
「まぁでもうちの子の方が可愛いけどな」
「……はぁ」
「げんき?」
「今日は疲れたなぁ、うん。まぁ、為にはなった……かなぁ、色々と」
床に突っ伏していると、彼女がのそのそとやってくる。いつも俺が彼女にやっているように、俺の頭を撫でてくれる。
「……えへへ、ありがとう。慰めてくれるの?」
「とくにいみはない」
「意味もなく正解を引き当てるとは、流石うちの子だ」
伏せたまま、眩し気に少女を見上げる。
「ナンバーワンよりオンリーワンだ」
「……?」
「誰が何と言おうと、君は俺の一番さ」
「ん」
勢いを付けて起き上がる、電気を付けた。
「遅くなったけど、ご飯にしよっか。君はもう食べた?」
「まだ」
「先に食べてても良かったのに。俺を待っててくれてたの? 嬉しいねー」
「れんじわかんなかった」
「あはは、だと思った。待ってて、すぐに準備するね」
立ち上がり、キッチンに向かうと、掴まれた俺の腕を振り返れば、彼女が言う。
「あなたは、わたしのいちばん」
「……うん」
わしゃわしゃと頭を撫で、明日も頑張ろうと思った。
「収穫量、少なくなりましたね」
「……はい」
「何か、思い当たる事でも?」
「……結構、好きに遊ばせてる感じで」
「なるほど。まぁ、糖度は変わってないというか凝縮された感じなので、特に心配はしていなかったですけど」
売り上げは……前週と比べると下がっている。
「このままじゃ……いつまで経っても、薬は……」
「どうされました?」
「あぁいえ、何でも。何でも……ないです」
「そうですか。ご不安な事があればいつでもご連絡ください。それでは、良きパートナーライフを」
ツー、ツーと、電話の音が空回る。
そちらを見れば彼女が居る。フルーツ少女は、余った栄養を果実に回す。
考え事をしていると、彼女は人の視線に敏感だ、じっと、眩しい方からカーテンの向こうなんて見えやしないだろうに、影が振り向き俺と目が合う。カーテンを押しのけ俺の元に来る。
「おわったならあそぼ」
「こら、日向ぼっこ中はこっち来ちゃダメだって言ったでしょー?」
「おそとであそべばいっせきにちょう」
「外に行くなら服は……あー、いや。うん」
しゃがみ、彼女と視線を合わせる。
「今日から……しばらく部屋の中で遊ぼっか」
「へやのなかがいい?」
「……あー。いや……しばらく遊べない……かも」
「え? あそべ……ない?」
彼女がくいと首を傾げる。
「……うん。ごめんね」
「いたしかたなし」
「……代わりに、美味しい料理いっぱい作るよ。何食べたい? 今日は好きなだけ食べていいよ?」
「いつもすきなものすきなだけたべてるが」
「今日はもっと……ううん、今日からはもっと食べていい」
「しゅっけつだいさーびす?」
「君の為なら痛くないね」
「ちはまずい」
「え、食べた事あるの?」
俺はあげてないぞ、まだどの動物の血も。
「いりょうようこたいせんべつしけんで」
「医療用個体選別試験……あぁそうか、血液から作れば血液の栄養分に適したフルーツも作れるんだ。便利だねぇ」
「わたしはちがうが」
「君も便利……便利はちょっと違うかな。んー……重要? ありがたい」
「あがめて、どうぞ」
「あはは、お供え物は奮発するね。ちょっと買い出し行ってくるよ」
「ゆけ」
「行ってきまーす」
「おなかいっぱい」
「まだ食べれる?」
「まだ?」
「無理ならいいよ、うん。君の意思が第一」
「しょくじのこすはぶしのはじ」
「……ふふ、いつから武士になった。いっぱい食べれてえらい」
「わたしえらい」
「うん、えらい」
「きょうもあそべない?」
「うん、ごめんね」
「きょうもあそべない?」
「今日も……無理だね」
「きょうもあそべない?」
「……ごめんね」
「“結果”はどうでした?」
「前週に比べて、また随分増えましたね」
「報酬は、お金の方は」
「はい、ここ最近で一番の売り上げです。額は——」
……あぁ、良かった。これならどうにか、近いうちに――
「ただ……その」
と、電話中、日向ぼっこ中だというのに彼女が寄って来る、俺の服を掴んでぐいぐいと体を揺さぶる。
「どしたの?」
「……はい?」
「あぁいえ、こっちの話で。彼女がちょっと。少し時間いいですか?」
電話を置いて、彼女に向き合う。
「どしたの?」
「あそんで」
「今は電話中だから……あぁ、いや。今日も……ね」
「なんで」
髪をわしゃわしゃと撫でる。
「日向ぼっこ、大事だからしないと。ほら、今電話中だから」
彼女は俯き、のそのそと仕切られた空間の中へ入っていく、やがて影の輪郭だけが見える。
「すいません。それで、なんです?」
「その……あまり伝えづらい事、なのですが……」
「えっと?」
「糖度が著しく下がっています」
とうどがいちじるしくさがっています。とうどがいちじるしくさがっています……糖度が著しく下がっています。つまり……俺が甘やかすのを止めたという事だ。
「売り上げには」
「……この程度なら、大差は」
「なら……いいです」
「……いえ、その。落ち着いて聞いてください。彼女の“結果”の糖度が一定値以下を示し、その状況が改善されないと判断されると……彼女は、回収される事になります」
……そっか。まぁ……そう、だよね。こんなやり方続かないよね、やっぱり……。
「……その方が……彼女も幸せかも……しれません」
「……何があったんです? 相談ならいくらでも」
ぷつっと、電話を切った。どうしようもない空白だけが残った。
後に、しくしくと聞こえだした泣き声は……俺のものでは無い! 慌ててカーテンを押しのけ彼女に駆け寄る。
「ど、どしたの? 何か――」
彼女に押し倒された、人の膂力では抗えず、強く頭を打つ、痛みに呻いていると彼女がのそのそと俺の上に……重い。
「やだ……やだぁ……」
……まぁ、電話は聞こえてたか。部屋一つだし。
「ごめんね……俺、君のパートナーには向いてないみたい……なんだ」
「やだ……やだ……」
「俺……お金無いからさ……どうにか、稼ごうと思ったんだけど……やっぱり、そんなやり方続かないみたいでさ、君にばっかり嫌なこと押し付けてさ、だから……俺じゃ買ってあげられないんだ、君に……足の生える、お薬を」
情けなさに、涙がぽろぽろと零れてくる。
「……いらない」
「本当はさ、そんな高くないんだよ。背伸びしたら買えるくらいの値段なんだ、普通の人なら。でもさ、俺だから……買えないんだ……」
「いらない、あしいらない……!」
「それだけじゃない、この先ずっと君に不自由を強いる事になる、だってお金が無いんだ、食材だって安物ばかり、上手に工夫凝らしてレパートリー増やして、でもそれにだって限界があってさ……! それなのに、その上足が無い……足が無いのも俺のせいでっ……!」
「いらない、いらないもん!」
「……ね、だから。俺の所に君は居ない方が、君は幸せに――」
ぱしんと、頬を張られた。鋭く音は響いた。
「そんなものほしいなんていってない! おかねがないのいやだっていってない! わたしいった……!」
彼女の顔を見れば、涙でぐちゃぐちゃだ。いつも無表情、初めて崩れたのを見た。……久しぶりに、彼女の顔を見た。
「わたし、あなたがいちばんだっていった……!」
ぼとぼとと、服の上に落ちた水滴が染みを作っていく。
「ほかになにもいらない……!」
「……でも!」
「いらない!」
ぎゅううと、彼女が俺の服をかき寄せて掴む。俺の力じゃ……振りほどけないくらいに、強く、強く。決して離れないように。
「……なんで、俺なんかの事、そんなに……」
胸を叩かれた。
「あなたこそ、わたしなんかのためにつくしてくれた……」
「……君は“なんか”じゃない、人類に貢献する、重要な」
「あなたは! わたしにつくしてくれた!」
「……でも」
「ひていしないで!」
ぎゅううと、細い肩、細い腕で、精一杯俺にしがみ付く。
「あなたとわたしを、ひていしないで……」
そこで泣き疲れたのか、彼女は眠そうに、瞳を閉じていった。
彼女が起きるまで、俺は彼女の頭を撫で続けた。優しく、ゆっくりと、起こさないように、もう二度と、不安なんて覚えさせないように。
「また……両極端な“結果”になりましたね」
「どうなったんです?」
「個数こそ変わりませんが、可食部が飛躍的に縮小しました。水分ほとんど無くてほぼ種です。これ蜜柑ですか?」
「そこはどうでも良くて。糖度はどうでした?」
「天元突破ですよ。どんだけ甘やかしたんですか」
あはは。
「先週は全然構ってあげられなかったから、今週はと、張り切っちゃって。いっぱい遊んじゃって、もう果実に回す栄養は無い感じで」
「ま、彼女には良い事ですよ。安心しました。警告は取り下げておきます」
「食糧貯蔵の観点から見ると、残念な結果になりましたが。……売り上げも散々でしょう?」
「その事なんですが」
「……なんでしょ」
溜められると嫌な予感する。まぁ言うて最悪はゼロだし、マイナスにはならない……よね? 固唾を飲んで耳を傾ける。
「“専門買手”が付きましたよ、今回の。安定した品質を保てるなら次回からも是非、との事です」
「……え?」
“専門買手”……貯蔵や市場でのばら売りではなく、俺のとこで出荷した物を全部まとめて買ってくれる人。
「栄養こそありませんでしたが、逆に言えばカロリーの無い甘味料、それも特別に甘い。見つけた方は大喜びでした、これは罪悪感が無い、売れると」
「……甘すぎじゃ、なかったですか?」
「飴玉のように舐めてる姿を想像してます? 削って使うんじゃないんですか? 多分」
「蜜柑を?」
「これもう蜜柑じゃないですよ。甘いなんかです」
「はぁ」
「という訳で、今回過去一の売り上げです。おめでとうございます。これからへの期待を込めてと色を付けて下さって。初心者初月の週売り上げなら、記録作ったんじゃないんですかね、この額」
「薬は、買えます?」
「まだです。しかしもうちょっとですよ」
「はぁ……良かったぁ……」
ずりずりと背中を壁に付け地面に座り込む。
「なんだ……現実なんて、意外と甘いじゃないですか」
「きょうもおそと!」
「あはは、待ってー」
彼女は部屋をぺたぺたと駆けていく。小さな靴を履いて、彼女が玄関を開けると、青空、古びた鉄の柵、土地代の安さに任せた広い公園が向こうに見える。
「休みの日くらいのんびりさせてよー」
「あまえるな」
「……ふふ、君が言う? 待った待った、まだ靴が」
彼女に揺さぶられながらどうにか履き終える。揺れる髪と絡まった枝、そこに生えた可愛らしい白い花が見える。
「じゃ、行こっか」
「うん!」
小さな手のひらに引っ張られ、俺は歩き出す。
《データ》
・育成士:花舞 雪
・種族:蜜柑/日結果種/第三ステージ
・育成期間:九週間
・食事傾向:庶民料理(育成士の手料理)
・好物:オムライス、ピーマンの甘味噌焼き
・結果系統:栄養極貧/糖度極甘
*備考:育成士との関係良好。“結果”は“専門買手”付き。事前に両者に精神状態の不安があったものの、現在は解決したものと思われる。