7 初めてのことは不手際がつきまとうのです!
カービング領に帰り着いた頃には、ちょっとだけ春を感じた。王都より南にあるけど、山脈の中程にある城は、やっぱり寒い。
おちつくー。
しずかー。
手の中のカフェオレの温かさを感じながら、静けさを堪能した。
開け放たれた窓から見える風景は、枯れた森。未だ雪の気配を感じる、冷たい森。
だけど、嫌いじゃない。
けっこう、好き。
「お寒くありませんか?アリエッティ様。」
柔らかい声で気遣ってくれたのは、侍女のベルセマム。
ふっくらとした可愛い子。
ピアノが上手で、重宝してる。
歌もうまい。あと5年早ければ、歌姫の選定に出せただろう。
歌姫の選定は15歳まで。神殿機能が廃れているここでは、才能があってもそれを整えてやる環境は壊滅していた。
一年前のカービング領は、思った以上に、荒廃していた。度重なる地震と天候不良で、交易の要所が被災し、それを復興できずにいた。人は少しずつ、ここの地を離れ、それは峻厳な山脈を持つこの土地をさらに荒廃させている。
現領主のヨシュア様は、ずっと幼い頃に天災に巻き込まれ、ご両親をなくし、王都で育った。
その間、この地は親戚であり、隣接する領のオルセイン伯爵家の預かりになったが、あまり領地経営がうまくいかない。
カービング辺境領はその名の通り、隣国との国境を守る領地。
特別に私軍を認められている。
だが、ご親戚の伯爵は軍務の心得がなく、この軍隊と交易経済をうまく扱えなかったらしい。
手をこまねいていたオルセイン伯爵は、ヨシュア様が成人すると同時に、すぐに権限を渡そうとしたが、王都育ちの少年が抱えられるものでは、当然なく。
ヨシュア様は、軍隊を率いるお立場になるため、近衛で騎士の訓練を受け、王族のご親戚から直々に領地経営を学んでいたそう。
というのは、ここのお城の執事、ベルナールさんからの情報。
で?
別にね、知らなくてもいいでんですけど。そんなこと。ま、話のタネなんですかね。
多分、最初に手酷く扱った贖罪のつもりなんでしょうね。最近、城の人たちが妙に優しくて、怖い。
さて、そろそろ準備しなくちゃ。
今日は、神殿に集めた有志の楽隊の練習。
本番は3か月後。春のお祭りで領民に披露だ。
カービング辺境領は荒廃していた。それは人心にも及ぶ。貧しさや退屈は人の希望を奪う。
土地を肥やし、領民を安定させるのは、領主の仕事だが、彼らに生きる喜びを伝え、心を安定させるのが神殿の仕事だ。
荒廃した土地の人々は、歌を忘れていた。祭りは精彩を欠き、笑い声が少なかった。
ここでは高度な音楽理論を用いた音楽は無意味だ。だったら、もっと単純で、派手なもの。
わたしは打楽器による行進曲を選んだ。
獣がいるので、なめして太鼓はできる。森があるので、木琴はできる。あとは横笛。
楽器を揃えるのに1年かかった。
神殿に馬で向かう。こちらに来てから、乗馬を覚えた。あんまり上手じゃないけど、早いし、ほんと便利。護衛も少なくて済む。
既に30人が集まっていた。
いつもより多い。
それに軍の人たちが多い。暇なのね。
「神官様、おかえりなさい。ラッパ、持ってきました。」
あ、そうだった。軍隊にラッパあったら貸してって言ってたんだった!
ラッパは軍隊の人に任せるので、と、言ってウォーミングアップ。
練習時間は1時間。それ以上は彼らの集中力がもたない。
ドンドン、と二回足をふみ鳴らし、3拍目に手を鳴らす。簡単な3拍子。
大きな声で整列させなくても、これが始まると自然に輪になってくる。
次第に人が集まり、拍子が揃い、力強く地面を踏み鳴らす。まるで山の眠りを打ち消すように。
みんなの目から恥ずかしさがなくなり、これから始まることへの期待が高まった時、わたしが声を上げる。
雄叫びを轟かせろ!勝利の朝日が昇る!立ち上がれ!立ち上がれ!私たちは負けない!
唱歌用の発声を無視した叫びのような唄で鼓舞すると、判唱が返ってくる。
勝つのは俺だ、勝つのは俺だ!
単調な三拍子と、勇ましい歌詞だけの歌。
これはどこかの国の建国を戯曲にした劇中歌。
歌を忘れてしまったカービングの領民たちに大声で歌わせるには、ぴったりの曲。
ほら、みんなの顔が、途端に勇ましくなった。
歌い終わると見物していた、隣にいたおじさんが、楽しげに手を叩いていた。
「これこの辺で流行ってるなあ!くる道中、ずっと酒場で歌ってたよ!カッコいい歌だよな!すごい!すごいよ!嬢ちゃん、やるなぁ!」
おじさんは行商人かな?今から国境を越えるのだろう。
「流行ってた?」
「そうさ。王都から来たけどな、街道のどの宿でも、みんなして歌ってたさ。こんなところまで、流行ってるんだな。だけど、今までで一番かっこいいぜ!あんたが教えたのかい?」
「気に入ってもらえたのなら良かった。じゃ、もう一曲。」
次は4拍子。8拍子目を16拍子に変える。これは3拍子よりも難しい。だけど、なんとかついていけるだろう。拍子が揃ったところで、唄を入れる。
これは求愛の歌。女と男の掛け合いの歌。
唄が終わると少しずつテンポ早くする。
最高潮に盛り上がったところで、わたしが高く手を上げて鳴らすと、ピタッと歌が終わった。
よし!みんな、よく覚えた!
こうやってリズムを体で覚えさせる。
歌姫の最初はみんなこうやってリズムを覚える。
とても単純な手法なので、地方へ巡業にいって子供たち相手に遊ばせるときにも、よくやった。そう、遊びの延長なのだ。
「へえ〜!これもすごいな!なんだか踊りたくなるぜ!」
「そう。これ、踊りなのよ。ロンバルドの。」
「ああ!道理で!お嬢ちゃん、すげーじゃねえか!何者だ?」
「控えろ!この方はエチュア神殿の神官様だぞ!」
護衛のケビンが、おじさんとの間に入ってきた。
「神官?こんな嬢ちゃんが?なんでこんな辺境に。そうか、あんたがあれを広めたんだな!」
そうなんです。この前の王都帰還の道中で、広めました。
だって宿でご飯食べてたら、何か歌ってくれって言われるから。
みんなは歌姫の賛美歌を期待してるんだけど、そればっかり歌ってたら疲れるし。伴奏もないから、誤魔化せないし。
だから、みんなで歌えるように教えたら、酒場で流行ったらしく。
私たちが通り過ぎるよりも、ずっと早い速度で広まってて、行く先々で歌わされちゃった。
楽しかったけどね。
楽しすぎて、夜遅くまで引き止められちゃたり、先触れも出してないのに町の人が出迎えにきて、神殿で演奏させられたりして、到着が3日遅れたら、ヨシュア様が迎えにきてしまった。すみません。
予定では、王都の滞在も5日間と余裕をもってたはずなんだけど、ほとんど挨拶にいけないから、もういっかー今回は。なんて、思ってたら、舞踏会で、ディーバに怒られて。
結局、ヨシュア様にお願いして、滞在を伸ばしてもらって歌姫の指導をしました。
次の日には帰ったけどね。
帰ったら帰ったで、オスカー殿下とレッティモンさんに怒られた。わざわざ手紙で。
初めてのことは何かと不手際が付きまとうのです。
誰か教えてー!