68 無理があります
王都について、カービングのタウンハウスに連れていかれた。
すぐに神官長のリチャード様と面会できるかと思っていたけど、3日たっても、神殿からは連絡がない。
ヨシュア様は忙しくされているようで、お食事も屋敷でされないまま、朝に少しだけわたしの様子を見に来るだけ。
タウンハウスに入って、ヨシュア様に連れていかれたのは、今まで泊まったことのある棟とは全く違う場所。
クラシックで瀟洒な雰囲気で統一されたこの部屋は。
専用の居室、衣装部屋に優美な浴槽が置かれた化粧室、ベランダに向かった広い出窓のある食事室、そして寝室。侍女の控え室まである。
ギル=ガンゼナ城に軟禁されていた時の部屋とほとんど同じ造り。並びに当主であるヨシュア様のお部屋もあると聞いた。
そして寝室にある二つの扉。
一つは専用居室に繋がっている。
もう一つは。
王宮にある王弟オスカー殿下の宮殿に何回かご招待された時に、妃殿下ティアベルゼ様の居室に入れてもらったことがある。専用の寝室と扉で繋がった部屋に夫婦専用の部屋があるのだ、と聞いた。
ヨシュア様、やっぱり無理だと思います。
貴族は爵位の名誉の正統性を守るために典礼局の審査がある。
私は持参金も食いつぶした名ばかりの伯爵令嬢。
こんな存在を国の統治者の一人である辺境伯の妻になんか、王宮が認めるはずがない。
それに。
わたしは、あなたを許してない。
わたしはわたしのために、あなたを許してはいけないの。
××××××××××
神官長との面談があると告げてきたのはヨシュア様だった。
リチャード様はわたしが一番尊敬している方。そんな方に引導を渡されるのかと思うと、怖くてたまらない。
だけど。
次にこの場に立つときは、全て終わっている。
そして新しい時間が始まる時だ。
わたしが作り上げたものを一旦全部捨てて、またわたしの居場所を作ればいい。今度こそ、2番手じゃなくて、わたしだけの居場所を。
そう思って見慣れた白亜の宮殿を見上げた。
リチャード様はとてもご機嫌で出迎えてくれた。
「おかえり。アリエッティ」
その優しい笑顔と懐かしい声に、思わず涙が出そうになった。
それをぐっと耐えて、精一杯綺麗に見えるように淑女の礼をした。
「巡業は失敗に終わりました」
ヨシュア様が短い挨拶の後に話し始めた。
「巫女姫はカービングでの祝福の儀式を放棄しました。そして、諌めにきたスミス神官に巫女姫の飾り短刀を向けた。私が彼女を庇っているのにもかかわらず、その刃を私たちに下ろしました」
リチャード神官長様は伏し目がちに、話を聞いていた。
「国王陛下からご連絡が来ていると思います。今回の巡業でなされた企み。宰相子息とゲドウォーク神官が企てた、歌姫を褒賞として寄付を賞金のように釣り上げた企みは、私たちカービングによって、暴露されました。アリシア巫女姫がその企みを知りつつ、歌姫たちを唆し、巡業に加えたこと。また、その寄付金を着服し、浪費していたことも自白させました」
やっぱり。リチャード様の表情を見て確信を得た。
「カービングにおいて法典と突き合わせ、罪を認めさせています。巫女姫とその一行は数日後王都につきます。今回の企みに加担したものは、王都につき次第、歌姫と引き離し、罪人として処罰されるでしょう。」
リチャード神官長は、静かに頷いて、頭を下げた。
「まずはお詫び申し上げる。カービング卿。神殿の者たちが大変な失礼を。そして、想像以上の成果をもたらしてくださったことに感謝を」
「・・・リチャード様」
この方は。
「どうして何も知らせてくれないのですか⁈またそうやって勝手に仕掛けて!」
やっぱり!やっぱり!
おかしいと思った!あのリチャード様が、こんな杜撰な巡業を許可するなんて。
辺境のわたしの耳まで届くくらいの神殿の腐敗を放置するなんて。
何か企んでると思っていた!
「だって、アリエッティに話すとすぐに動くだろう?」
う。そうだけど!その通りだけど!
「いつも言っていただろう?そのうち、分かると。君は聡すぎる。知ってしまったら、カービング卿に泣きついてでも巡業を止めていただろう。」
「そ、そんなことは。だって、歌姫たちが、あんなに疲れて・・・」
「今回の巡業に参加したものは、ゲドウォークの口車に乗ったものだ。それ相応の報いとも言える」
ピシャリと撥ね付けられた。
そうだった。
だってリチャード様だもの。
この嫋やかで優美な雰囲気に呑まれがちだけど、この方は亡き前国王陛下に直々に指名されて神官長の座に就いた手練れの方。
嫋やかな雰囲気とは裏腹に、リチャード様のやり方は静かな毒と評されるくらい、それとわからないうちに足をすくわれている、恐ろしいもの。
キリアム様の罪は、女衒のように歌姫を売ったことだ。
人の売買を禁止しているこの国で、最も清らかな乙女を外国に売った。
ただの紹介ではない。巡業に連れていかれ、夜会で出会わせ、相手が気に入れば、もしかしてその場で帰ってくることもなかったかもしれない。
だけど、リチャード様、厳しいわ。
だって神殿の紹介って言われたら、信用してしまうもの。
そこは、本人がキリアム様やキックナー卿の人となりを見抜いてなんとかしなさいってことなの?
まあ、声をかけられた歌姫たちが、実家に相談しないわけがないし、それぞれの貴族家がこの企みを見抜けないのが悪いってことなのかしら。
そうやって各貴族家の国への忠誠心と、神殿への帰依を測ったのね。
本来なら貴族はそれぞれの領民を守る立場。
自分の娘を軽々に他国に売り渡すような家が、その領民を慈しむはずがない。歌姫という権威を利用して政略婚に使う家も後を絶たないし。
それにしてもここまで大掛かりなことをする必要があったの?
カービング卿、とリチャード様が向き直った。
「アリエッティをここまで無事に連れて帰ってきてくださったことに、心から感謝する。この子はわたしの大事な歌姫。いずれ、跡を継がせようと思っていた」
え?
跡を継ぐ?なんのこと?
「大変な苦労をさせたね。アリー。いつでも帰ってきていいと言っていたのに」
「アリシアが巫女姫になって直ぐにカービングへの巡業を、と言い出した時、君は決してそんな企みを許さないだろうと思った。ここで神官として残したら、すぐに企みに気づいてアリシアを完膚なきまでに叩きのめすのが、目に見えるようだった。この企みが摘みあげられるようになるまで、ここから離れてもらう必要があったんだ。だから、巡業が本格的になってから帰っておいでと何回も言っただろう?」
「そ、それは。あれって⁈そういう意味だったんですか⁈」
「そういう意味も何も。そうはっきり手紙に書いたじゃないか」
「だって、巡業があるのに・・・・・・。同情されていたのかと思ってました」
「同情したよ。神殿の権威が通じない、加護のない土地だと聞いていたが、あそこまで冷遇されると思ってなかったから、私も肝が冷えた。本当に帰って来てくれて良かったよ。いつ外国に逃げられるか、ヒヤヒヤしていたんだ」
どこまで知ってたんですか?リチャード様。
隣に座るヨシュア様の雰囲気が固く、冷たく変わった。
痛いところよね。
馬車で半月もかかる辺境の様子を、王都の神官長様がご存知なんて思わなかったでしょうし。
わたしは詳しくは報告してない。
でも、リチャード様なら独自の情報網をもって観察していらしたに違いない。
チラリと目をあげると、リチャード様が優しく微笑んでくれた。
「お帰り。アリエッティ。しばらくゆっくりするといい」
うう、なんて優しい。でも懐柔されてる感がすごい。
「でも、わたしは神官を辞めようと・・・・・・」
「それはダメだよ。君の力はここでこそ輝く。神官を辞めてどこに行こうと?この国にいる限り、君は神殿と離れられないよ」
「・・・・・・外国に。ロメリア様のところへ」
ヨシュア様が息を飲んでこちらを見たのが分かった。
ごめんなさい。
これがわたしの答え。
これほどの愛情に応えることができない。まるで裏切ったような後ろめたさに、体が震える。
だけど。