65 さようなら、皆様!
城に入りアリシア様の居室である来賓客室のある棟に走った。
ヨシュア様も急ぎ帰ってきたようで、アリシア様の居間に揃っていた。
疲れたので帰る、と言ってアリシア様はキックナー卿を伴って帰ってきたそう。
ヨシュア様はキリアム様を連れて帰り、説得に当たるよう言っていたようだった。
「アリシア様、民が待っています。どうかお戻りください」
ここは下手にでよう。腹が立つけど、仕方ない。
それだというのに。
「いやよ。あなたの言うことを聞くなんて、もっといや。髪まで濡れちゃったのよ」
そんなくだらない理由で。わたしの中の何かが、カチリと音を立てた。
「私が説得に当たらなければいけないほどのことをしている、とご自覚できませんか。何をしに辺境まで来られたのです。今までたくさん犠牲を強いてここまできた。それはなんのためか、皆が知らないと思ってるのですか?」
もう、手加減しない。わたしに理で勝つと思ってるの⁈
今までの領主は甘かったかもしれないけど、ここの神殿を預かってるのは、このわたしよ?
あまり接点はなかったとはいえ、ロメリア様の随伴として数々の巡業中の無理難題を黒から白に返させてきたのは、見てきたはず。
殿方がおだてても動かないなら、あなたの立場を思い知らせてあげる。
「お戻りください。せめて、祝福をお与えになってお帰りください。祝福も授けられない巫女姫など、神殿のやることではありません」
「歌姫がいるじゃないの!」
「あなたは、その辺の歌姫ではありません。巫女姫がいるからこそ巡業と名を打ち、民が集まるのです。女神の化身と思うから」
「だって、だって疲れてるし」
「それがなんなのです。疲れなら一晩眠れば取れる。今日のこの時間は二度と帰ってこない。この時間だけのためにどれだけの人間が動いて、ここまできたと思うのですか?それに応えてこその巫女姫。女神の使徒。この時間に合わせたくないと言うのなら、巡業など行わなければいいのです」
きっと、キリアム様に向き直る。
「随分甘やかしたものですね、キリアム様。神殿の意義も理解しないのに、巫女姫を名乗らせるとは。かつては廃位された巫女姫もいるのですよ?歴史をご存知ないのですか?」
「・・・不敬な!」
「不敬?それは誰に対して?民の安寧を守るからこその統治者。その同じ敬愛を受ける巫女姫の地位。あなた方の振る舞いが安寧をもたらすのですか?祝福を授けることもできないのに?」
言い返すこともできず、わたしのことをギリギリと睨みつけた。
「お前は、神殿から追放してやる!」
「今のあなたは一神官。わたしを動かす権限はありません。爵位を慮り、口をつぐむ神官ばかりいるようですが、お忘れですか?私は伯爵家。神殿にはいってからは、あなたより年数の長い歌姫です」
神殿内部のことと、教義の解釈については古参の神官と対論するくらいは精通しているのだ。
「正直言って、こんなバカバカしい茶番を許す神殿になど、未練はありません。一神官のあなたに追放など言われる前に辞するつもりです。ですが、今はその時間ではない。アリシア様」
もう一度、アリシア様を向き直った。びく、と小さくなり、キリアム様の陰に隠れた。
「怖いわ」
ふん、と思わず鼻が鳴った。
舐めるなよ。
甘えることしか脳がない貴女ごときが頼る男たちが、このわたしを止められると思うの?
さあ、正面切って追い詰めてあげましょう。
「随分度胸のないこと。あなたは一度も教義の討論でも、楽曲の解釈でも、ご自分の意見は言われませんでしたものね。どうして巫女姫になれたか、不思議です。ですが、あなたはその地位を望み、その地位に就いた。知らないでは済ませられない。さあ、お立ちください」
この程度の口攻撃で怖いなど。
もっと地獄の底に突き落としてあげるわ。今日が終われば。
アリシア様が助けを求めるように、ヨシュア様を見た。
「巫女姫。私はカービング辺境伯として巫女姫巡業を願い出はしていないのですよ?あなた方の祝福はこのカービング辺境伯が跪いて乞うたものではない。それなのにあなたたちはこの地に来た。そのために私たちは出来る限りの準備をしたのだ。祝福はあなたの義務。どうぞお立ちください」
ヨシュア様が優しい声で口説くように言った。
はあ?
カービングからの申し出もないのに、よく、巡業なんかできたわね!
神殿は常に受け身のはず。
ほんっとうに、わたしはあなたたちに良い様に使われたのね。
「そんな、そんな言い方ってないわ。わたしはあなたのために・・・・・・」
とうとうアリシア様がさめざめと泣き始めた。
だから、なんだって言うの?
泣いたところで許されるなんて、子供でもないわ。
「今は泣く時間ではない。あなたは誰を待たせてるのか、わかってないんですか?あなたのために、とその口で言ったカービング卿が庇護する民なのですよ。立ち上がってください。あなたは女神の加護を体現するためにここに来たんでしょう? 責務を全うしなさい」
自分でも怖い、と感じるくらい、ビリビリとした声が出た。
ビュウ、と冷たい風が半分開いていた窓から勢いよく入ってきた。
アリシア様は、先ほどとは違う泣き顔で、わたしを見つめていた。
「立てないのであれば、立たせてあげましょうか?」
わたしが一歩前に出ると、アリシア様は、ひぃ、と椅子から転げ落ちた。
はあ、とヨシュア様が、ため息をついてわたしに向き合った。
「もういい、アリエッティ」
耳を疑った。
「これ以上は無駄だ。こんな巫女姫など加護は得られない」
「いいえ!巫女姫は巫女姫です!」
ここに来るまで、ここに至るまで、どれだけの人間の思いが犠牲になってきた?このわがままで無知な女のために。
わたしは許さない。
歌姫の栄光を傷つけることも、巫女姫の権威を地に落とすことも。
ここで祝福の儀式を無視してしまえば、形ばかりでも保てない。
「わたしがカービングの民のために望んだのは、この地に祝福をもたらす巫女姫だ。それ以外は害にしかならない。この女は今、我が民を慮る気持ちなんかかけらもないだろう。そんな気持ちのまま、民の前にたっても、加護などあり得ない」
違う!そうじゃない!
巫女姫は、その場で立つだけで加護をもたらすのだ。だからこそ守られる。あの場に巫女姫が立つことに、意味がある。
姿を見せることで人心が安心し、希望を見出せる。
だけど。
強く瞼を閉じた。
カービングは女神の祝福を忘れた土地。
だからこそ、本物の祝福をあげたかった。巫女姫になり得なかったわたしなんかより、ずっと美しくて、見るだけで幸せになれる巫女姫を見せてあげたかった。
美しい歌声を聴いてもらい、共に歌える喜びを一生の励ましにしてほしかった。
だけど、領主自らそれを、望まないなら。
「では、わたしの仕事はここにはありません」
何のための戦い?
わたし1人で叫んでも、誰もそれを望んでいないのなら、やらない方がマシ。
「お望みどおり、私が引きましょう。女神の意思を尊重しない国になどいたくない。さようなら、皆様。お好きになさるといい」
さっと踵を返し、部屋を出て行った。
アリエッティ!とヨシュア様が呼んで、わたしに手を伸ばしたのが、視界の端に見えたけど、全速力で、階段を駆け下りる。
降り切ったところで、ヨシュア様に捕まった。
「どこに行くんだ!」
「あなたには関係のないことです」
「あなたは、ここの神官だぞ!あなたまで民を見捨てるのか⁈」
「別の歌姫をお呼びなさいませ。わたしは神官をやめます!」
そう言って、着ていた祭礼用の服を脱ぎ捨てた。
こんなもの。こんな不快なもの、着ているだけで汚らわしい。わたしの歌姫を汚した神殿に連なるなど。
許さない!絶対に許さない!!
ゴロゴロゴロゴロ
外で雷鳴が聞こえ、急に城の中が暗くなった。




