63 空気読んでください!
「さすがです。アリエッティ様。神官長様の覚えめでたい」
エラッド様が、耳元に口を寄せて囁いた。そして、胸に手を当てて大仰に頭を下げる。
わざとだわ。エラッド様。やめてください。恥ずかしい。
「このような姫が未だ、縁づいてないとは。まさに僥倖。やはりバストマ皇国にお越しください」
「そこまでですよ。エラッド様。スミス神官様にはザドキエル領が先に申し込みをしています」
おや、また新人?
今度は随分な美少年ね。
「コンラッド。お前は、招いていないはずだ」
ヨシュア様とわたしの間に滑り混むように入ってきた美少年に、ヨシュア様が不機嫌に言った。
あら、アリシア様。こういう方も好みなのね。なんてわかりやすい。確かに、3年前のヨシュア様もまだ美少年の面影がありました。今では、すっかり大人の男性ですけど。
アリシア様はキックナー卿とキリアム様のこの企みを知っていたのかしら。分からないわね、知っていたらただじゃ済まないわ。だっていずれ自分が嫁ぐつもりのところで、人の売買を許すのよ。奴隷もいないこの国で人の売買は重罪。
巫女姫がそれに加担するなんて醜聞どころじゃないわ。
「祖父の名代ですよ。兄2人に勝ち抜いてきたのです。わたしにもお声をかける権利はあるはずです」
あれ?ヨシュア様の知り合い?随分、親しげね。
まあ!並んでたつとナーガとはまた違う眼福だわ!
「リンド領の領宰、コンラッド=ドゥオ=リンドです。お見知りおきを。スミス神官様」
にっこり、笑うと発光する!ヨシュア様みたい。まぶしー!
世の中ってこんなに美形がたくさんいるのね。なんだか、自分がゴミみたいに思えてきたわ。
もう、疲れちゃった。帰ってもいいかしら。
ちら、とヨシュア様を見ると、氷みたいな目でコンラッド様を見ていた。この眼光に顔色変えないなんて、この方も若いのに相当、腹黒いんだわ。
「実は私は、王都でお会いしたことがあるのです。新年にザドキエル領のタウンハウスで」
ああ、あれ?いたっけ?リンド領の方なんか紹介されてないはず。
「私はザドキエル辺境伯の孫に当たりまして。本日は祖父の代わりに参りました。どうしてもあなたにお会いしたくて。」
リンド領はザドキエル辺境伯が統括する地域の中の一つ。今はザドキエル伯のお孫さんで、コンラッド様のお兄様が治められているとのこと。
「祖父はあなたを射止めたものこそ、次の辺境伯に相応しいと申しています。それに限らずどうしてももう一度お会いしたかったのです。あの時、見事に行進曲をピアノで弾かれた様子が忘れられなくて。エチュア神殿の任期の後は、ぜひ私のところへ来ていただきたい」
うーん。
わたしの好みを言わせてもらえば、男臭さが足りないのよね。
王都にいた時は彼のような美少年が好きだったけど、ここに留まってるうちになんだか騎士たちがかっこよく見えて。
もう線の細い女性的な感じじゃ、物足りないっていうか。
きっと年取ってきたのね。
このいたたまれない、雰囲気。
はあ、疲れちゃった。どうしよう。
「みなさん、何か誤解なされてるようですが」
ヨシュア様が張りのある声でみんなに言い始めた。
人の耳目を集める話し方。声の出しかた。よく訓練されているのよね。自分の美貌も、見せる表情でどう思われるかも。
ザドキエル辺境伯は、ヨシュア様と懇意で教育されていたっていうから、コンラッド様も見た目に騙されちゃダメね。
「彼女は我がカービング領エチュア神殿の神官ですよ。せっかくこの地にいただいた祝福です。カービングの民の信任も篤い彼女を、手放す気などございません」
「おや、それはずるい」
エラッド様が言い募った。
「カービングへは巫女姫様が降嫁されるとのこと。一つの地に2人も歌姫は贅沢すぎる。そうですよね。アリシア巫女姫」
そういうと、みんなの目がアリシア様の方に向いた。
そっとヨシュア様を盗み見ると、何の表情も伺えない目でアリシア様を見ていた。その視線から逃れるように、アリシア様はちょっとうつむき加減に言った。
「その、先のことは、わかりませんし」
ええ?
ヨシュア様がわたしと目を合わせて、目元だけで笑った。
言わせた!言わせましたね、あなた!
「おや、それは、私たちも巫女姫を手に入れるチャンスがあるということ」
ローレン様がいつのまにか、アリシア様の横に立ち、恭しく礼をした。
「巫女姫アリシア様。ぜひ、私と踊っていただけますか?」
稀に見る美声。アリシア様も頬が赤くなってる。
ほんとはあなた、誰でもいいの?
なんか、ちょろい女。
ローレン様がアリシア様とダンスの輪に入っていくと、また、飲み物が回ってきた。
今度はウィスキーの水割りと、似た色合いのカクテル。おそらく同じものを使っているのだろう。
コンラッド様がカクテルを取ってわたしに渡そうとしたのを、ヨシュア様が止めた。そして、水割りのグラスを渡す。
「甘いものよりは、こちらだろう?」
あらどうも。その通りです。
これ、独特の香りね。華やかだけど、飲みやすいわ。どこの品かしら?
「こちらは、ゴーンの特産になるのです」
盆を運んだ給仕の横に、新たな招待客。
「こんばんは。みなさま。私は隣国、ゴール公館を預かります、ラーベでございます。エラッド様はお久しぶりでございます」
2人が握手を交わす。とても懇意な様子。
ゴールの公館はカービングの中にある。
「私どもの屋敷には、春の日の祭りなどはガイネ港のペヤン様ご夫妻もお泊りになっていたのですよ」
あー。そういうこと。道理で好きにカービングに入ってこれると思った。
ガイネ港やマドバセナは半島に並んだ海上交易都市。
同盟を結んで一つの国のようなまとまりを見せているけど、実際には一つの国じゃない。
盟主が不在で、今はまだ各都市ごとの力が強い。この国とどこの都市も正式な国交を結んでいないので、入国するときはたくさんの身元を証明する書類が必要になる。
だけどゴールなら小さいながらも、王国。そこから裏書きをとれば、簡単に入ってこられる。
ゴールはカービングと国境を接しているので、公館はギル=ガンゼナにある。そして公館がある国との交渉権は、公館をもつ辺境領が持つのだ。カービングはゴール、そしてその向こうに広がるガイネを含む海上交易都市群との交渉権を他の領より優位に持っている。
荒廃している今はそれを活かせてるとは言い難いけど、ギル=ガンゼナはその昔、交易地として賑わっていた。
「ローズはゴールの街でロメリア様ともお会いしているのです」
「まあ、良かった。ちゃんと連絡取れていたのですね」
「ペヤンご夫妻は我が国に別荘をお持ちですので、あまり必要のないお手紙はそこに保管されたりするのですよ。例えば、神殿からなど」
ラーベ様がキックナー卿を見ながら言った。
キックナー卿の顔のひどいこと。
まるで食い殺しそうだわ。だけど、恐ろしさはヨシュア様の方が上ね。
わたしまだ、凝視できるもの。
「今回は、ペヤン夫人のご了承を経て、こちらへお持ちしています。すでに領宰殿にはお渡ししました」
ふーん。随分、カービングに隷従するのね。まるでヨシュア様が主のようだわ。
「・・・アリー、君は神殿の味方のはずだ。こんなことは言いたくないが、わたしは次代の神官長だぞ。これから先の歌姫の動向はわたしが采配するんだ」
キリアム様が真っ青になりながら、わたしに言った。
リチャード神官長様は、キリアム様の動きもアリシア様の奔放さも容認している。なぜそれが許されるのか全く分からないが、キリアム様がここまで自信をもっていうのだ。きっと彼は次代の神官長なのだろう。
だがこんなことが表沙汰になっても神官長になれるという自信はどこから来るんだろう。
自分が罪を犯しているという自覚はないのだろうか。
それとも、リチャード様が黙認しているから大丈夫だということなのだろうか。
「カービング卿、君はアリシアと婚約をしているはずだ。いくら女手がないからと言って、この娘を女主人のように振る舞わせるとは。まさか、色仕掛けでもしかけられたか」
はあ、とヨシュア様がため息をついた。
「全く、頭が痛くなるくらいの下衆だな」
わ!急に引き寄せないでください!グラスが溢れる!
「この難攻不落な姫を口説き落とすために私がどれだけ苦労してるかなんて、君たちには想像もつかないんだろうな」
ぎゃー!!
そういうの、やめてって言ってるのに!
言ってないけど。ちゃんとは言ってないけど!!
そういうこと、巫女姫一行の前でしそうだから、ヨシュア様の近くに寄るの、避けてたのに!
空気、読まないの⁈
「まさか、本当にアリエッティのことを好いているとでも言うのか?君はアリシアの婚約者じゃないか!」
「正式な婚約はかわしてませんよ。神殿への願い出も取り下げています。ゲドウォーク卿」
「だが、アリシアは納得していない!一度は交わした婚約を破棄するとは、なんと失礼な!」
「正式な婚約ではないと言ってるでしょう。お互いの気持ちのあるところで交わされる約束を他人にとやかく言われたくないですね」
「なんと不誠実な!」
えー?あなたたちがそれ、言うの?
ほかの人はともかく、キックナー卿には言われたくないわ。
「巫女姫は国王と並び立つ存在だぞ。そんな不敬が許されるはずない!約束は実行してもらおう」
キリアム様が不遜な態度で言った。
キリアム様。あなたが対峙してるのは、辺境伯ですよ?
キックナー卿といいキリアム様といい、どうしてそんなに尊大な態度でいられるの?ここはギル=ガンゼナ城。ヨシュア様の機嫌を損ねて斬られても、誰も文句は言えないのですよ。
「私が望んだのはこの地に祝福を授ける巫女姫。神殿に願い出たのは、歌姫の中の歌姫、本物の巫女姫です。アリエッティはこの地に改めて祝福を授けてくれた。私たちの巫女姫」
それは違うと思う。
巫女姫は巫女姫よ。わたしではなかった。
いくら、ヨシュア様がそう言っても変えられないのよ。
苦い気持ちを飲み込むように、グラスに口をつけた。
「また。水のように飲んではいけない」
ヨシュア様に、グラスを取り上げられてしまった。
まだ残ってたのに!
残念な子を見るような目はやめてください。かっこいいこと言ってたくせに。
「不敬な!アリシアがまるで本物ではないような言い方ではないか!」
「わたしは 辺境伯ですよ、キックナー卿。そして王都で育ったんです。王族と同じ教育を受けてね」
「・・・だから、なんだ!」
「明日の祭礼がうまく終わることを心から願ってるってことですよ」
どういうこと?
やっぱりアリシア様は巫女姫として歌ってはいけないの?でも。でも彼女は巫女姫だ。この世界で巫女姫を名乗れるのは彼女だけ。そしてカービングは彼女を待ち望んでいる。
「ところで、カービング卿にお返事をされたのですか?スミス神官様」
コンラッド様がわたしを覗き込むように聞いてきた。
急に背中を下の方に、引っ張られた。
膝が、がく、と落ちる。
何するの⁈ヨシュア様でしょ!
「おや、アリエッティが酔ってしまったようだ。宴もたけなわだが、そろそろ部屋に帰ったほうがいいね。他の歌姫もお開きにしましょう」
え?酔ってないわ?
まあ、いいわ。疲れちゃったし。
アリシア様が巫女姫の資格を失っていても、犯罪に加担していても、明日の祭礼は成功してもらわなければ。そうでないとわたしの道化も浮かばれない。