56 止めてー!
翌日、朝から動き回るべく身支度をして部屋を出ると、キックナー卿に会った。
ええ?こんなとこで⁈
ここは主寝室もある城主の私殿となるエリア。
もともと、わたしは来賓客室にあてがわれていたが、巫女姫様が入られるので移動している。
離れでもいいんですけど、なんて口が裂けても言えない雰囲気になっちゃったから仕方ない。
もちろん、ヨシュア様の寝室につながる奥方用の部屋じゃないですよ。
同じ階にはなるけど。
ご家族用になるのかしら?
階下は泊まり込みの騎士や執事たちの部屋になっていて、同じ階にはさせられないから仕方なくってことで。
ギル=ガンゼナ城は広いけど、30人の歌姫と神官、それに高位貴族になる王宮近衛騎士を泊めたら、もういっぱい。
爵位の低い神官の何人かは城の外の宿で泊まってもらっている。
それでも、ずっと詰めているこちらの使用人の部屋に、今だけ雇いの使用人を泊めさせたりしていっぱいいっぱいなのだ。
高位の貴族とはいえこんなところに入ったら城主に怒られるわよ?
扉を出て階下に向かおうと階段を降りたところにキックナー卿がいた。
さすがにここ以上の、立ち入りは衛兵に止められているよう。
「スミス神官!」
何度も面会をさせろと申し込んだが断れたそう。
知りません。わたしは聞いてません。
仕方なくここまで来てやったのだ、と曰われても。それよりあなた、この棟に許可なくいることだけで、城主に大変な不敬だということがわからないですか?
「ロメリアが来ないとはどういうことだ⁈」
朝からぶっちぎれですね。
よほど悔しくて眠れなかったのか、隈ができてますよ。
「お手紙でお知らせしたのですが、入れ違いになったようですね。ペヤン夫人はご懐妊なされているので、移動は無理なのです。」
「はあ⁈なんだと?子ができた⁈」
何で朝っぱらからそんなこと大声で言うのかしら。こんな公の場所で。
ほら、騒ぎを聞いてレオポルドが出てきちゃったじゃない。
彼は昨日、不夜番のはずよ。
「そんな、そんなはずはない。」
力なくキックナー卿が呟いて、き、とわたしを睨みつけた。
「何故だ⁈どうして子など出来るんだ!スミス神官!」
え?それをわたしの口から説明しろと?
どれだけ恥知らずなんですか、この方。
朝ですよ?しかもわたし未婚の女ですよ?
医者でも何でもない、ただの嫁ぎ遅れです。
「説明しろ!」
「説明、と言われましても。ペヤン夫人はご結婚なされたので。」
「ロメリアは俺に惚れていたんだ!あいつめ!何故ロメリアを抱いた⁈ロメリアも何故、あんな奴に抱かれたんだ!」
ええー⁈
紹介したの、あなただって聞きましたけどー?
しかも、だ、抱いたって、あなた。
ちょっとー。この人、止めてー!
なんて説明したらいいの?だれか教えて!
「あの、キックナー卿、ここは城主の居住区になりますので、ここでは」
「うるさい!アリシアの言うように女主人のような顔でいやがって!お前がロメリアと親しいというから、わざわざお前を選んだんだ!さっさとロメリアを呼んで来い!!」
キックナー卿がわたしに詰め寄ったところで、レオポルドがわたしの前に立った。
大きな身体に威圧されて、キックナー卿が怯む。
レオポルドは大男だけど動きが俊敏。
ヘラヘラ笑っているようで、ちゃんと力で制圧する術を心得ている。
気安くて優しいくまさんみたいだから普段は気を抜いちゃうけど、こんな風に威圧するときにはものすごく怖い。山が動いたみたい、と感じたことがあった。
「お部屋にお帰りを。キックナー卿。神官様がおっしゃる通り、ここは我が主人の居住区。立ち入ることは許されません。」
静かだけど、はっきりとレオポルドが言った。
「おれはただ、スミス神官と話を。」
「我が主人を通してご面会ください。神官様の居室に入ることは何人たりとも許されていません。たとえ神殿に連なる方でも。」
「では、来い!スミス神官!」
「神官様にご命令出来る方はこの城にはおられないはず。神官様は神官長様からのご厚意で、カービングがお預かりしているご令嬢です。先程のお話ならば我が主人も心得ている話。我が主人にお問い合わせください。」
キックナー卿は悔しそうにわたしとレオポルドを睨みつけて、背を向けた。歩き出した後ろ姿にレオポルドが呼んだ
「キックナー卿。」
キックナー卿の足が止まった。
「カービングでは女性に対する不敬や狼藉は最も重い罪に値します。宝を生む宝石ですから。さらにこの城でそのようなことがあった場合は、主人自ら切り捨てることを厭いません。私たち騎士もそのようなことがあった場合、斬って制圧しても咎に問われません。」
あらーそんなに、カービングは厳しかったの?じゃあ昨日の歌姫の仕打ちなんか、カービングの法で裁かれたら、間違いなく罪になるのね。
「ご承知おきを。」
レオポルドが今まで聞いたことのないくらい、低い声で言った。
怖いー。