55 カチーン!
椅子に腰を下ろして、足が重くて仕方ないことに気づいた。
「・・・おなか、すいた。」
すぐに、温かいお茶が差し出された。
「すぐにお持ちいたしますね。何度もお声をかけようと思ったのですが。申し訳ありません。」
ベルセマムが優しく言ってくれた。
あー。ベルセマム。癒されるわ。
ケビンって、本当に目が高いと思うの。存在そのものが柔らかそうで、ふわふわしていて、すごく和む。
今まで彼女の存在にどれだけ救われたか。
ベルセマムがすぐに軽食のバスケットを持ってきてくれた。
歌姫に用意してくれたのと、同じもの。
少し温めたバジルのパン。チーズとハム。にんじんのマリネ。
時間が空いても美味しく食べられるように、わざと挟まず用意してある。
後は砂糖をまぶした甘いパンと切った果物。野菜のピューレを使ったグラスに入ったプティング。
旅の間は塩辛い食べ物が多く、新鮮な野菜が取りにくいので、野菜が入った料理は喜ばれる。
「おいしそうー!」
一日働いたわたしでさえ、こんなに嬉しいのだ。歌姫たちはとても喜んでくれたとのこと。
おかわりはいくらでも。と他に何種類かのパンと小鉢に入った小料理を用意して、様子を見がてら侍女に持って行かせている。
やはり疲れが酷いらしく、みんなあまり手を出さず、すぐに横になりたがったようだ。気の張る晩餐や挨拶は省いて正解だった。
出来る限り出迎えに出たが、みんなひどいありさまだった。だが騎士の迎えには感動していて、馬で連れてこられた姫だけではなく、馬車から降りた姫も全員騎士にエスコートさせた。
石畳が濡れてたから滑ると危ないからね。
でも、カービングの騎士の鮮やかなエスコートに、女の子たちは頬が染まってた。
どんなにボロボロでも、それだけで可愛らしい。若さっていいわね。
普段は巫女姫ぐらいしかエスコートされないから初めての子も多く、ぎこちなく手を取って顔が真っ赤になっていて可愛らしかったわ。
わたしには気安くて冗談しか言わない騎士たちもまんざらではないのが、ちょっとおかしかった。
あとでからかってやろうっと。
もともと若い人たちがカービングを出てしまって少なくてお城も寂れていたから、若い人たちが集まる夜会や茶会はカービングでは機会がなかった。
今回、巡業の夜会のエスコートのためにヨシュア様が騎士も侍女も夜会の前準備をさせたお陰で、騎士たちはぎこちないながらもちゃんとした気遣いができる紳士だ。
カービング騎士たちの優雅なエスコートはヨシュア様の見本のおかげですからねー。
みんなの実力じゃないんだから!
チーズとハムとマリネを挟んで、パクと一口食べてレモネードで流し込む。
美味しい。涙出そう。
結局、巫女姫様の出迎えに出てから、今、やっと座れた。
次から次へとくる報告に判断を仰がれる。
そんなことまでわたしが判断できない、というものまでどんどんくるので、いつの間にか領宰と執事が横についていた。
ヨシュア様は、何してるのよー!
って、巫女姫様が離してくれないらしく。
それで?
ずっと付き合ってるっていうの?
城のことは何もせず?
歌姫の中には体調を崩しているものもいて、全員は辿りつけなかった。
こちらから侍女を派遣して、宿で面倒を見てもらっている。
それだというのに、巫女姫様は出てこないしキリアム様も、キックナー様も出てこない。
全く、何しに来たのよ。
明日のことを思いながら、二口目にかじりついた時、ヨシュア様の執務室につながる扉が開いた。
その部屋からノックもせずに入ってこれるのは一人しかいない。
もう〜。せっかく食べてたのに。
しかも、ノックぐらいしてください!
「なんだ、今頃、食べているのか。」
あら。お相手してただけなのに、随分お疲れだこと。声にいつもの覇気がないわ。
ベルセマムが、お忙しそうでお声がかけられなくて、とわたしの代わりに言い訳をしてくれた。
もぐもぐと咀嚼して、また流し込む。
なんだか、食べる気が無くなっちゃったわ。
食べるのが億劫。
「無理するな。アリエッティ。」
気遣わしげに言ってくれるけど、誰のせいですか!
あなたがアリシア様のお部屋に篭りきりで、イチャイチャしてるからでしょ!
・・・イチャイチャ、してたのかしら。
はあ。
思わず出たため息に、ヨシュア様がそっと手を伸ばしてきた。
無意識にその指先を避けた。
ほかの女を、触った手で。
なんて、分不相応な悋気だけどつい止められなくて。
疲れてるからよ。でも顔には出てないはず。
知られたくないもの。こんなみっともない心。
ヨシュア様も、小さく息をついた。
「・・・あなたが采配してくれて助かったと領宰たちが言っていた。本当にありがとう。歌姫たちは城に満足してくれているだろうか?」
「はい。騎士たちの迎えに感動しておりました。温かい湯殿や、お料理にも。ひどくお疲れのようですので、早く休んでもらっています。明日の祈りの時間には出てもらわないといけませんが。」
本来なら午前中に祈りの儀式をするが、全員の疲れが酷いので、昼過ぎから行うようレイモンド様と調整した。
祈りの儀式は一日一回行われる、神殿の祭礼。これは一年中、巡業中も欠かされることのない、巫女姫の儀式。
「ああ、わたしも参加しよう。」
忙しいのに。アリシア様にお願いされたのかしら。
明後日の晩餐会のために、明日は外国からの招待客の面会がたくさん入っているはず。
まだ、歌姫も全員、到着していないし、歌姫たちは練習もしたいだろう。
練習のための部屋を、体調不良者のための看護の部屋にしたり、個室の湯殿にしたりしたので、明日は練習室のことを考えなければいけない。
今日はまだ集めていない、大量の洗濯物のことも。
曇天が続いているので、どうやって乾かそう。
そんなことをいくつか、ヨシュア様に相談していると、いつのまにか領宰や執事長までが入ってきて、報告会が始まった。
列から離れて行方不明になっていた歌姫と下女は、領界で留められていて、騎士がちゃんと保護できたらしい。
良かった。
そのまま、宿で待機してもらうことにして、明日、こちらから侍女を向けることになった。
「食べながら話すといい。」
わたしの食事が止まっていることに気づいて、ヨシュア様が言った。
もういらない。食欲がわかない。
下げてもらうようにベルセマムに言うのを、ヨシュア様が止めた。
「ダメだ。食べなさい。」
カチーンな、上から目線。
いつものことですが、わたくし年上なんです。
爵位は確かに下ですが。
「あまり、食べたくないのです。」
「手ずから食べさせられたいのか?」
小さな声で言うと、そんなふうに言われた。
公開処刑、禁止!
ヨシュア様が、一杯だけだからな、と言ってワインを持って来させた。
ああ、飲みたい。だけど、今飲んだら寝ちゃいそう。
この後、歌姫の一人とお話しする約束をしてるのに。
巫女姫候補の中で、一番年長の歌姫。
わたしとも面識があって、馬車から降りてわたしを見て泣き出した。
巫女姫候補ということもあって、歌姫を束ねる立場。よほど辛かったのだろう。
明日からのためにちゃんと話を聞いてあげなければ、気分が安定しないままでは、また帰りの道中がきついだろう。
ワインを餌に、ヨシュア様に見守られながら、なんとかサンドイッチを飲み込んだ。
全部食べないとくれないって言うし。一緒に食べるから美味しいのに。
ほかのものは食べられない。もう、ワインいらない。というと、やっと、飲ませてもらえた。
こういうの、嫌いなんですけど。
わたしだって、お酒は楽しく飲みたいです。
「ベルセマム。自分の主人にちゃんと休憩を取らせるんだ。もし言うことを聞かないようであれば、わたしを呼びなさい。」
いろいろ突っ込みどころがあるセリフを言い渡されて、執務室から追い出された。
早く寝なさいって言われても、約束があるので眠れません。
もう言わなかったけどね。
言ったら、何としても邪魔してくるんでしょ。
子ども扱いしないでください!わたしは、仕事をしてるんです!