54 聞きたかった言葉
巫女姫の到着から間も無くして、次の馬車が到着した。
馬車は一台。知り合いの神官が乗っていた。
「レイモンド様。他の馬車は?」
「良かった。ここにいたか。アリエッティ。助けを求めようと先に私たちだけ急いだんだ。カービング伯爵が騎士を派遣してくれてありがたかった。歌姫たちは、城の馬車と騎士が送り届けてくれる。ただもう一台、馬車をお借りしたい。列から離れたものがいるようなんだ。」
「それは、領界過ぎてすぐに離れた姫でしょうか?それならば先ほど、騎士たちが迎えに行きました。ご安心を。領を超えても保護してもらうようお願いしています。」
そうか。とレイモンド様はやっと安心して息を吐いた。
「巡業の指揮はレイモンド様ではないのですか?誰が歌姫を返したのでしょう?」
一行の名簿で一番頼りになりそうな方だった。
他の方はお年を取り過ぎていたり、逆に若過ぎたり。
一番経験があって全体がわかるのがこの方だった。
筆頭の名前にはもちろんアリシア様になるが、実務は主に神官が担当する。
キリアム様は何回か巡業に参加はしていたけど、実務を引っ張っていた記憶はない。
「キックナーだ。その子は先頭列にいたんだ。巫女姫の次あたりの。馬車酔いをしているのを下ろしたらしい。先を急ぐと言ってな。」
キックナー卿⁈
神官でもないくせになんで歌姫に命令してるの⁈
しかも馬車酔いしてるのに置いていくなんて、人としてありえない!
「もうさんざんだ。こんな巡業ありえない。わたしは神官をやめたくなってきた。」
レイモンド様、本音が。本音がー!
よっぽど頭にきてるのね。わかります!
「わたしもです。」
苦笑して言うと、2人で笑いあった。
でもこの方が付いていたから、なんとかここまでたどり着いたのだろう。
オルセイン領までに離脱した歌姫は、レイモンド様が各領主にお願いして護衛を出してもらい旅費を持たせて送り返したとのこと。検問を通すために寄越したカービングの私兵たちがヨシュア様の意向も口添えしてくれて、かなり役に立ったらしい。
さんざんリチャード神官長様に手紙を出して、巡業をやめていいか聞いているのだが、カービングまでは行け、と返ってきたそう。だから他の予定はなるべく廃止して、なんとかここまできたとのこと。
そんなことして、大丈夫なの?
道中の神殿だってそれなりに準備してたでしょうに。祝福もろくにしない巡業なんて。
そう言うが神官長様も巫女姫様も納得済みとのこと。神官長様がそう言われるなら、神官も表立って反対できない。
いや、きっと反発はあるのだ。
言わないだけで。レイモンド様みたいに、神殿から離れてしまおうと思ってるだけ。
それにしても、随分アリシア様を甘やかすものだ。
「思ったより元気そうでよかったよ。てっきり神殿にいるものと。前の歌姫たちがそう言っていたから」
ひとしきり笑って、レイモンド様が言った。笑うと元気が出る。昔馴染みのレイモンド様が笑ってくれて、本当に嬉しい。
ああ、ロメリア様の結婚式での話、今頃、王都に伝わってるのね。
「以前より待遇はずっと良くなりました。ご心配をおかけして申し訳ありません。」
「そのようだ。あの巫女姫の婚約者と噂の方だから、どれだけ薄情なのか恐れていたが、なかなか気の利く御仁らしい。お前の助言を受け入れているあたり、賢くはあるな。」
まあ、ヨシュア様への評価も厳しいこと。
ということは、まだ、ヨシュア様から婚約の解消を申し入れたことは、社交界では広まってないのね。しかも、アリシア様のあの様子。
もう完全に三文小説の世界だわ。
やだやだ。関わりたくない。
そういうのは、無事、歌姫たちを王都に返してからにしてほしい。
わたしは慎み深いから年若い女の子たちの前でそんな戦い、したくありません。しかも素材的に圧倒的に不利じゃない。
ヨシュア様のことを信じたいけど、心の奥底では信じられないの。彼が自分の気持ちをはっきり告げてくれたのは、ほんの数日前。
それまではわたしのことなんて、都合のいい愛妾ぐらいしか思ってなかったんじゃないかしら?わたしがなかなか靡かないから痺れを切らしたんでしょう。
逃げる獲物は追いかけたくなる。
レッティモンさんの戯曲で、こんなセリフがあったわね。
だからってこのタイミングで、口説き落とそうなんてどういうつもり?わたしは醜聞の的にはなりたくありません。
もちろん、今みたいな公開処刑も、お断りです!
「わたしも鞍をお借りしていいか?歌姫たちを迎えに行く。」
雨はまだ、小ぶりだが、降り続いていた。
「レイモンド様はお城にお残りください。こちらの迎え入れにご助言がいただきたいです。」
今から順に歌姫が到着する。どんな状態で辿り着くかわからない。それに、この先の祭祀や祝福の儀式の打ち合わせもしたい。
迎え入れる方はこちらも初めてのことで、読めないことが多いのだ。
「そうか。では、そうしよう。」
「湯殿もお食事もいつでもお取り出来るようにしてあります。次の馬車が到着するまでお休みください。」
ナーガから親愛の礼を受けた後、すぐにメイドと料理に関わる使用人に集まってもらった。
歌姫たちが、今から順に到着すること。1日早い到着になるが悪く思わないでほしい。彼女たちはとても疲れているのだ。
料理長に向かってわたしは言った。
「あなたの娘さんのような若いお嬢さんばかりです。ここまで1ヶ月以上、慣れない旅をしてやっとの思いで、この城に来られます。」
彼の娘は15歳だったはず。今回は初めて侍女の役についていたはず。
「旅の間、毎回違う宿に泊まり、長い馬車の揺れに耐えています。ここも家ではないので、緊張して過ごしているでしょうが、それでも少しでもくつろいでほしいのです。彼女たちは女神の使徒。喜びの歌が、この地に祝福をもたらします。」
そう言うと、一同の目が何か気づいたように変わった。そうなんです。だから、歌姫は丁重に扱われる。でも勘違いしないで。その祝福はあなたたちを励ます、という祝福なのです。
「今日はまとめて到着するわけではないので、晩餐の席はありません。そのかわり、お部屋でお食事ができるよう、軽食を用意してあげてください。簡単なもので構いません。疲れる旅の後は早く横になりたいものです。お腹が満たされるものを、少しずつ取れるような形で。それぞれが好きな時間で取れるように。手間をかけさせて申し訳ありません。」
そして、侍女長には、常に湯殿が使えるようにしてあげたい、とお願いした。
恐らく月のものがある姫も何人かいるだろうから、個室をすぐに使えるように。
入浴は出来るだけ、メイドが手助けしてあげること。
静かで清潔な環境を保つよう、気をつけてあげること。
必要以上の世話はいらない。その代わり、煩わせることがないよう、必要なものは歌姫が欲しい分だけ与えること。
具体的には、タオルやリネン。部屋で飲めるようなお茶やお湯。櫛や石鹸などの化粧品は、階段の踊り場や廊下など、目につくところに置いておけば充分なのだ。
いちいち侍女やメイドを呼ぶのは、遠慮してしまう。
「名前こそ、男爵、子爵の名前ですが、実は継嗣の爵位ということがよくあります。10年たったら公爵夫人いうことも、歌姫ならばよくある話です。今の王太子妃様も、もと歌姫。決して、巫女姫よりも格下の扱いを見せないでください。」
これもよくあること。
現巫女姫であるアリシア様だが、歌姫を引退した後は彼女よりもっと高位のご婦人になることもあるのだ。
セシリアがいい例。
アリシア様とセシリアの今の関係はわからないが、あの振る舞いのまま夜会でぶつかっていたら、巫女姫を引退した後、アリシア様はさぞや悔しい思いをすることになるだろう。
社交界の世界はとても、繊細で苛烈なものなのだ。
執事長と、侍女長には折を見てこの話をしてある。
×××××
「ありがとう。アリエッティ。お前がいてくれて、本当に良かった。」
ギル=ガンゼナ城が歌姫のために準備していることを話すと、レイモンド様は心底安心したように息を吐いた。
その言葉が、欲しかったの。
レイモンド様の言葉が嬉しくて、心が震えた。
誰かの役に立ちたかった。
それしかわたしが、ここにいる意味があるように思えなかったから。
いろんなことに2番手だったけど、誰かに必要とされることは、順位がつけられない。
それが、かつてのわたしを支えた歌姫のためになるのなら、これ以上嬉しいことはなかった。