51 お願い
ヨシュア様が下がらせていた侍女たちを呼んで、お茶を入れさせた。
いつもつけてくれる、甘いお菓子。
今日は雪のように細かい砂糖をまぶした、丸い焼き菓子。
わたしが王都にいるときに流行っていたものだけど、ヨシュア様が歌姫の侍女を育てるために王都で侍女教育を施して、作り方を覚えて帰ってきた子がこれを広めた。
大好きなのに、さすがに手が出ない。
落ち込みすぎて泣きたい気分。
それなのに、澄ました顔で一緒にお茶を飲まないでください。ヨシュア様。
今は一人になりたい気分なんです。
ヨシュア様の侍従が入ってきて何事か囁いた。わたしを見て、にこ、と笑う。
もうやだ。
今日は、疲れた。
「出かける。付き合ってくれ、アリエッティ。」
もう。ほんと強引なんだから。
ヨシュア様がわたしを連れて外出するのはいつものこと。
わたしはあなたの秘書官ではありませんよ。
だけど、今日は抵抗する気力もなくおとなしくついていった。
馬車に揺られて30分ほど。
カービングの鄙びた風景が森に変わると、馬車を下された。
ヨシュア様に手を引かれ少し歩くと、河原に出た。
「わあ。」
そろそろ宵闇が迫ろうとする、夕方。
そこにあったのは光の群舞。
羽虫が光輝きながら空を舞って、目の前の広い河原を埋め尽くす、小さな星のような光。とても幻想的な光景だった。
「去年、少し見ただろう。もう一度見たいと思っていた。・・・あなたと。」
クス、と思わず笑って、ヨシュア様を見た。
賛美歌を教えるために領内を回っていた昨年のこの時期。時々、同行してくれるヨシュア様と、偶然この光景を見つけた。
この地方には、秋の満月に自分の命と引き換えに結婚をする羽虫がいるのだとか。
その虫の羽根は灯りもないのに、自ら光る。
この宵闇が迫る時間、夏が終わり、秋が深まるこの数日だけ、綺麗な水辺に現れる光景。
わたしもヨシュア様もそんな話は知らなかった。2人とも王都で育ったから。
とても、近い場所にいて、王宮にも時々出入りできるくらいの2人。
どこかですれ違ったこともあっただろうに、どうして出会わなかったんだろうな。とヨシュア様が呟いた言葉に、ドキリ、とした。
多分、あの時には、もうわたしはこの方に惹かれていた。
生まれて初めて自分のことを大切に扱ってくれる殿方だったから。
いつも優しくしてもらうたびに、舞い上がらないように、驕り高ぶって、失敗しないように必死に頑張った。
この光景も。
去年、初めて見た自然の美しいあり方に、とても感動して離れ難いわたしを、ヨシュア様は暗くなるまで待っていてくれた。
だからもう一度、連れてきてくれたのだろう。
そんな乙女の夢のようなこと、考えつく人じゃないのに。
見た目と違って、腹黒くて現実的で、女の人を喜ばす甘い態度も、実は自分に引き込むための手段くらいしか思ってないくせに。
だけど、今のヨシュア様は本当にこの風景に感動しているように見える。
「本当に、綺麗。」
暗さが増していくなか、光はどんどん明るさを増していく。羽虫の羽は雌雄が違う光り方をするのだそう。
「あなたの嫌いな夏を乗り越えたから、この虫は輝くんだ。」
嫌いじゃないのよ。ただ、暑いだけです。
涼しい王都しか知らないわたしには、ここの暑さは堪えるんです。
泉に落ちてしまった件を、今でも度々注意される。
毎年、暑さで体調を崩していたことも、なぜ相談しなかった、と怒られた。
暑いのは辛いが、カービングの夏は嫌いじゃない。たくさんあるお祭りや、その度に出てくる変わった踊りも。
ヨシュア様が帰って来られるまで、オルセイン伯爵夫人の趣味で中止されていた地元の踊りも、わたしが面白がるので、ヨシュア様はどんどん復活させている。
わたしにはそれを記録して中央神殿に報告する仕事があるので、出来るだけ参加して、詳細に記録している。
この仕事をはじめの方は疑われて、監視していたのだ、と後でヨシュア様に知らされた。
そうよね。
辺境領の地位は国王に隷属するのではなく、補完の関係。独立不羈の気概がある土地。
知っていたのに勝手をしてごめんなさい。と謝ったら、神殿は権力とは別だから、疑いすぎだったと言われた。
若いのに賢い人。
政治的バランスも良く分かってる。ほんとに、惜しい人。
10年たったら、もう身悶えするくらい好みのタイプになるはずなのに。
「嫌いじゃありません。ただ暑いだけなんです。」
「いくら暑くても脱いだらダメだ。夏を楽しむ方法はいくらでもある。王都の女は慎みがないと思われるぞ。」
「もう。今日はちゃんと反省してます!」
ははは!とヨシュア様が楽しそうに笑った。
「アリエッティ。」
暗がりを案内するためにつないでいた手が、わたしの肩を抱き寄せた。
大きな手のひら。自ら騎士の訓練に入るので、手のひらは固い。
「巡業の夜会のエスコートは、わたしが。」
顔を上げると、ヨシュア様はあの離れの夜のように、熱を帯びた目でわたしを見ていた。
わたしは出来るだけ柔らかく見えるように、微笑んだ。
「あなたのお相手は巫女姫様です。」
主賓は巫女姫様。だからこれは外せない。それに、彼女はすぐ来る未来の花嫁。
「違う。あなただ。」
「カービングは巫女姫を望んだはずです。だから、わたしは神官なのでしょう?」
一度は望まれたと思った。慣習通りに。
だけど、破棄されたのだ。
カービングはヨシュア様は巫女姫を妻にと望んだから。
巫女姫をこの地に連れてきてこそ達成する悲願。
わたしはその地均しに使われただけに過ぎない。
わたしとあなたの中の関係が変わっても、すでに国中に知られている巫女姫との約束。
「巫女姫を妻にという願いなら、正式に取り下げた。」
ヨシュア様がわたしを見て言った。
何ですって⁈
血の気が音を立てて引いた。
そんなことできるはずがない。だって。
「わたしはあなたしか、いらない。」
「ダメ。ダメです!」
アリシア様はそれを了承したのだろうか?そんなはずはない。
先日、カービング伯爵の妻にと公言されたばかりだ。
まただ。
また、歌姫をめぐる醜聞が繰り広げられるのだ。
「ダメです!やめてください!あなたは巫女姫を望んだのです!これ以上、巫女姫を、歌姫を汚さないでください!」
わたしがあなたに応えてしまえば、わたしたちが誇りに思っていた歌姫の権威に、また傷がついてしまう。
「わたしが望んだのは、カービングに祝福をもたらす巫女姫だ。それはあなただ。」
「・・・ちがう。」
違う。わたしは巫女姫じゃない。
わたしは選ばれなかった。
「いいや。カービングの民はあなたがいたからこそ、祝福を思い出した。女神の恩寵を感じたのは、あなたが思い出させたからだ。アリシア嬢ではない。あなたがこの地を愛して、この地の民に祝福を授けたから。」
だけど、だけど、わたしは巫女姫ではない。
たまたま、だ。
たまたま、わたしが来たのだ。
わたしがやったことは歌姫なら誰でもできる。民と土地の安寧を祈る歌姫なら。
祝福を授けたのは、あなた。
この地の光。
あなたが好き。
カービングのこの地が好き。
わたしがこの地に生まれていたら、ここに残れる理由もあっただろう。だけど、わたしはここの生まれではない。
いずれは去る存在。
だから、神殿は心置きなくわたしをここに寄越せているのだ。
それをわたしは心得ている。
わたしは色恋に疎い。
色気もない。
まさか、美貌と名高い巫女姫の恋人が心変わりをするような相手とは、ゆめゆめ思わなかったのだろう。
ヨシュア様に応えたら、わたしが誇りに思ってきた歌姫が壊れてしまう。
二代に渡って、傷つけられる巫女姫の権威。
戯曲じゃあるまいし、1人の殿方を巡って、国から姫と呼ばれる存在が繰り広げる醜聞。
わたしが目指して、誇りをもって務めた歌姫は、そんなものじゃない。
「アリエッティ。」
ヨシュア様がわたしの手に指を絡ませた。振りほどけない、熱。この人は強い。簡単には諦めてくれない。
「わたしの妻に・・・」
「ダメ!ダメ‼︎」
思わず、ヨシュア様に抱きついた。
「お願い!言わないでください!今は、今はやめて。」
心が引き裂かれそうになって、わたしはヨシュア様の胸の中で叫んだ。
「ここまで、頑張ってきたの。神官として、頑張ってきた。わたしだって。わたしだって・・・。」
あなたが好き。ずっとそばにいたい。あなたの役に立ちたい。
言葉にできない気持ちが伝わって、ヨシュア様が、は、と息を飲んだ。きつく抱きしめられて、強く胸を押して、離れた。
「ダメ!今はダメなんです!」
「なぜだ⁈アリエッティ!わたしは!」
「最後まで、神官でいさせてください!わたし、わたし、どうすればいいの?アリシア様にどう言えばいいの?これ以上、巫女姫の権威を傷つけたくない‼︎」
ヨシュア様が悔しそうに目を瞑る。
「わたしの誇りなの。歌姫だったことが。それを支えに、ここまで頑張ってきた。お願い、今はダメ。わたしを最後まで神官でいさせてください。」
この巡業が終わるまでは、歌姫たちを醜聞に晒すことはしないで。
彼女たちは、純粋に民に祝福を授けるためにくるのだ。いやらしい恋の鞘当てを見せられるためにくるのではない。
愛妾の居座る城に本妻が乗り込んできた。そんな女のいやらしい戦いを見せられるために、頑張っているわけではないのだ。
お願い。今は言わないで。
そう言って、もう一度、ヨシュア様の胸に飛び込んだ。
「卑怯だ。こんなこと。」
抱きしめてこない。ヨシュア様が耐えているのがわかる。
わたしを抱きしめてしまえば、もう彼は抑えられないのだろう。
だけど、彼の体温を感じたかった。こうしている一瞬だけは、わたしの想いが言葉にせずに、伝わると感じる。
あなたが好き。
あなたが好き。
だけど、今は耐えて。
わたしを、わたしが誇りにしていた歌姫でいさせて。
ヨシュア様の背中に手を回し、ぎゅ、と抱きしめて、身体を放す。
ヨシュア様を見上げると、辛そうに目を眇めてわたしを見ていた。
「巡業が終わるまでだ。必ず、わたしの妻になってくれ。」
すっかり暗闇となった中で、わたしは目を瞑った。
返事はできない。
とても怖かった。
わたしの一言で、彼に返す仕草一つで、今までの全てが変わってしまう。
この恋心は確かで、求婚に応えることは最上の結果なのに。
アリシア巫女姫の資質は危うい。
それはこの巡業で誰の目にも明らかになった。だからこそこのタイミングでの求婚なんだろう。
だけど。
応えられない。
巫女姫に成り代わり、ヨシュア様の妻に成り代わる。そんな覚悟は、わたしにはない。
だって、わたしは。




