47 きゃあああ!
ギル=ガンゼナ城に帰り着いた時は、すっかり涼しくなっていた。良かった。
あの不名誉な、話も忘れていてほしいです。
まただ。
久しぶりのピアノに、手が動かない。
旅のたびに腕が落ちていく。ほんと、やだ。
巫女姫巡業が終わったら特訓だ。
このままじゃ、神官をやめたあと、生計を立てる手段が一つ減る。
外国に行くのなら、演者になるのが一番手っ取り早いので、こんな腕じゃ心許ない。それにいまだに渡される編曲の仕事にも、差し障りがある。
もう一度。
わたしは鍵盤に手を置いた。
コンコンコン。
扉がノックされた。
こんな時間に?
「だあれ?ベル?ルシー?」
わたしの扉をノックするのは、二人しかいない。だが、二人のノックと違うのだ。二人は2回しか、叩かない。
外は既に夜半だ。
わたしは既に寝支度をして、侍女も部屋に返している。
昨日は少し遅く帰り着いたので、城の中の部屋に寝たが、今日からいつもの離れに戻ると言って侍女を返した。
久しぶりに遅くまで、ピアノが弾けると、集中していたのでかなり遅くなってるかもしれない。
外からの返事はない。
どうしよう。
ドアを開けるのが怖い。
こんなことは、初めてだった。
ここには、侍女の二人とお城からのおつかいぐらいしか来ない。しかもこんな夜に尋ねてくることはないのだ。
そろそろと立ち上がって、窓に向かった。はめ込みの窓は、跳ね上げ式になっていて、まだ暑さが残るので、半分開けてある。
そこから入ってきたらどうしよう。
そう思って、音を立てないよう、閉めに向かった。
窓を支えている、添え木に手が届いたその時。
「アリエッティ。」
「きゃああ!!」
ヨシュア様!驚かさないでください!
離れの建物は地面より一段、高く作られている。
ちょうど、跳ね上げだ部分にヨシュア様の顔があった。
「何をしているんだ、あなたは。」
ああ、びっくりした。
あなたこそ、なんなんですか!ノックした時に名乗ればいいのに!
「何って、わたしは今から寝ようと。」
ヨシュア様がまた、ため息をついた。
また、今度は何なの?最近、ため息ばかりつかれて。
「部屋に入れてくれ。話がしたい。」
「え?今からですか?」
「そうだ。とにかく服を着て扉を開けてくれ。」
そういうと、サクサクと足音をさせて、扉に向かっていった。
ええー?もう夜よ。こんな時間に女性の部屋に入るなんて。あなたが一番の不審者じゃない。
仕方なく、ガウンを羽織り、そっと扉を開けた。
ヨシュア様は従者に外で待つように、言いつけると素早く扉を閉めた。
また、怒られるのかしら。
やだわ。
どうせ、遅くまで練習してたことを咎められるのだ。
だけど、わざわざ、ヨシュア様がくることはなかったのに。
ここは女性の部屋よ?しかも、こんな夜分に部屋に入れろなんて、非常識だわ。
ヨシュア様は、厳しい顔をして何も言わず、ベッドの奥を見ている。
かなり怒ってるのは分かる。いつも小言がうるさいので、逆に無言だと、怖い。
美形が怒ると人格を突き落とされるように怖い。
「・・・あの、卿。ピアノがうるさかったですか?申し訳ございません。」
先に謝っておこう。明日からはちょっと暑いけど、窓を閉めて練習しよう。
「何故、そんな格好でここにいる?ここで寝るのは、禁じたはずだ。」
え?そこ?
「でも、涼しくなりましたから。」
「それでもここで 休んではいけない。侍女はどうした?」
「部屋に戻しました。」
「部屋?では、連れてきてくれ。一緒に城に行く。」
「ああ。侍女の部屋は城です。」
え?
やめて。そんな怖い顔で睨まないで!
勢いよくわたしを見たヨシュア様が、親の仇を見るような目で睨んできた。
「なんだと?」
やっとわたしと目があった。
だけど、今までで、一番怖い。顔に表情はなく、目だけに苛烈な怒りが見える。目には見えないけど、全身から燃えるような何かが発せられている。
あまりの覇気に奥歯が震えた。
覚えがあるこの感じ。ウィルヘルムがわたしに暴力を振るった時以来だ。
「何故、侍女が城にいる。」
「ここは、狭いですから。侍女の部屋はありません。毎日、通ってきてくれているのです。」
彼女たちまで怒りが及びそうで、思わずかばった。
「いつからだ?あなたはずっと一人で寝ているのか?」
「え?はい。最初から。」
なに?今更。
なんでそんなこと、怒られるの?
怖いわ。早く出て行って。