42 きな臭いわね
祝福を授けるため、オルセインの城に隣接する神殿に赴くと、意外な出会いがあった。
「アリエッティ様、覚えていらっしゃいますか?私の事。」
確か、中央神殿の入寮でお世話した子だわ。
この領の出身ではなかったはず。結婚したのかしら?
「私は、リリス=ハバネ=アンドレアと申します。嫁ぐ前はリリス=ドゥオ=ガルボでございます。昨年まで歌姫をしておりました。」
そうそう、リリス。
次の候補でも充分だと思っていたけど、婚約者がいたから候補を引き受けるかしら?と思っていたのよね。
やっぱり結婚したのね。
歌姫がちゃんといるってのに、何でわたしが呼ばれたの⁈って聞いたら、リリスは苦笑して、巫女姫への篤信が厚すぎて。と言った。
やっぱり理解できない。
きちんと修行した歌姫は領にいるのに、何で大事にしないんだろう。
しかも、聖歌隊で2軍になるのだとか。
もったいない!
「懐かしいわ。こんなところで歌姫と会えるなんて、嬉しい。」
「私も。エチュア神殿の神官様がいらっしゃると聞いて、夫を説得してここまで来たんですの。どうしても一目、アリエッティ様にお会いしたくて。」
あら、私がエチュアに来たこと、知ってたのね。
「はい。歌姫で知らないものはおりません。新年の祭りの天覧演奏も、それはもう有名で。私も見たかったです。」
見せてあげたいけど、次回は巫女姫巡業の秋になるだろう。
しかもギル=ガンゼナはその時、迎え入れた歌姫一行と、領地中から集まった人で溢れかえり、おそらく泊まるところが確保できない。
「今年の春の日の祭りでも、ギル=ガンゼナでは演奏したのよ。カービング卿もお気に入りのようだし、次の春の日もするのではないかしら。もし、良ければその時に。」
はい。とリリスは嬉しそうに答えた。
「ディーバは元気⁈」
リリスが歌姫をやめたのは今年の春の日を過ぎてから。
本当につい最近まで、歌姫だったのだ。
それならば、神殿の中の雰囲気も良く知っているだろう。
辞めてしまったのは、巫女姫候補に選ばれなかったから。
彼女は18なのだから、あと1年くらいは待てるはずなのだけど、婚約者がいたので歌姫を辞め、結婚したのだそう。
ちょうど良い年頃だし、候補に選ばれないならそういうことになるわよね。
「ディーバ様は、今は神殿に来られていません。」
「あら。どうしたの?もしかして、赤ちゃんできたのかしら?」
今回の新年は忙しくて、連絡も取れなかった。
そもそも、結婚した彼女にどうやったら会えるのか、よくわからない。
手紙ならいつも神殿に送っていたから。
リリスはディーバの妊娠は否定して、暗い顔をした。
ディーバは昨年の春の日の祭りの後から来なくなってしまったと。
歌唱の指導者を失ってしまって、歌姫同士で指導するしかないが、本来ならば采配を振るう巫女姫様が、指導に熱心ではなく、新しく入った歌姫に神官はかかりきりになり、歌唱の指導者を歌姫同士が持ち回るのだとか。
前代未聞だ。
歌姫の内部のことは、あまり外部に漏れない。
だから、中で異常が起こっていても分かりにくいのだが、今回は気づいてしまうだろう。
その方法では、絶対に歌唱力が落ちる。
指導者不足は、他の技術にもあり、器楽演奏は神官がいるため、まだ一定を保っているが、楽器の修理や調律は個人的に教えを請わなければ、見てくれる人がいない。
壊滅的なのは作曲だそうだ。
「アリエッティ様たちのように、熱心に作曲される方がおらず、巫女姫様も新しい曲を求められません。新しい巫女姫様の曲は、今回の1曲のみでしょう。」
巫女姫はその代に何曲かの、新曲を女神に捧げる。
巫女姫だけでなく、歌姫も作る。
先代の時は半年に一度、作曲の募集があり、選ばれた曲は巡業で披露された。
わたしが要望したカービングで歌われる花の歌は、神殿では歌われたことはなかったと思うので、合唱用に編曲し、新曲として捧げてもらえば、巡業で歌ってもらえるのではないかと思い、要望を出したのだが、これでは望みが薄い。
良くない知らせにちょっとがっかりした。これだけは歌ってほしかったのに。
ディーバが神殿を去ったことによって、中央神殿にアリシア様と巫女姫を競った元歌姫は居なくなった。
なぜ、これほど人がいなくなったのだろう。
リリスが気になることを言い出しだ。
巫女姫の候補として神殿に残る殆どが、巫女姫選定後、外国へ嫁ぐことになっている、と。
「私も打診されました。ですが、婚約者がおりましたので、お断りしました。アリシア巫女姫選定後、すぐのことです。」
それから2年を過ぎても候補にはなれなかった。もしかして、とリリスは思ったのだそうだ。
「婚約者を捨ててでも外国へ行くと約束したものだけが、巫女姫候補になれたのではないか、と。私よりもずっと年若の、選定に選ばれない年の子も、声がかかっております。私たちにはセシリア様のような高位の方はいらっしゃいませんので、どのような方までか、わかりませんが下位伯爵まではほとんど似たような。平民はおりません。」
そして、昨今、歌姫として選出されるものには平民はいないとのこと。
「実は、私の妹も歌姫に憧れて、今年選定を受けようとしているのです。私は必死に止めておりますが、本人は受けるだけでも受けたいと。しかし、選出され、神殿に入ってしまえば、私たちとはあまり会えません。その間に、話を持ちかけられ外国へ行くことに了承してもらうのではないかと、心配で。両親にはそれとなく話しておりますが、アリエッティ様ほど勘良く考えてはいないのです。当然ですが・・・」
わたしが思いついたのは、神殿が歌姫を使って、独自に外交をしているのではないかということ。
アリシア様の巡業の予定に、外国があるのだそうだ。国内で大きな巡業は今回が初めてだというのに。
外国からの寄付が増え続けているのは、わたしがいた時からそうだった。寄付に対する見返りはないが、それを歌姫を花嫁として出すことにしておけば。
淑女教育の最高峰と言われる歌姫の人気は、国外でも高い。
優雅で、美しい音楽を奏でる歌姫は引く手数多だが、結婚は歌姫が了承すれば、の話。
嫌がっているものを縁付かせることはしない。
だから、歌姫を欲しがる地方領主たちは必死に口説き落とすのだ。それも、伝手を得ず出会うチャンスは夜会ぐらいしかない。
神殿へ紹介をお願いするのは、あくまで紹介のみ、だ。
そこから先はお互いの気持ちのあるところが、成立する。ここは普通の婚姻となんら変わりはない。
その気持ちが純粋な恋愛感情なのか、お互いの身分と家柄を考慮してなのかは、それぞれの問題だ。
だが、そこは神殿の介入するところではない。神殿は令嬢を預かる立場として、紹介しているだけだ。
一応親代わりとして、若い女子を預かる立場から、双方の身元をしっかり見ている。その辺りは、夜会での出会いや年若の友人同士の紹介よりもよほどしっかりしているはず。
だから、神殿の紹介は信頼があるのだ。
これは神殿の本来の仕事ではない。成り立ち上、避けられない仕組みではあると思うけど。
「わたしのところにも、歌姫選出の打診が来ているわ。」
巫女姫巡業後、私はその作業に入るつもりだったが、こんなきな臭話しを聞いて、推薦することはできない。
「神官長様に、お手紙を出します。」
リリスがホッとした顔をした。
「ありがとうございます。私はここの世話役でもありませんので、どうしようかと悩んでおりました。わたくしはここに嫁いできた身。実家はこの隣の領なのです。ですので、余計、口を出しにくく。」
「そうね。でも、南東地域統括のエチュア神殿なら出せるかもしれないわ。それにわたしは中央からの派遣になっているもの。」
神殿の格はその領の実力を反映することが多い。カービング領は今はともかく昔から王国の要として重要な立ち位置だったので、エチュア神殿は王国の中でも古く格式のある神殿だ。
「はい。それと、もう一つ、気になる噂が。アリエッティ様に関わることです。」
その時、私たちに近づく足音がした。