40 わたしはわたしで、いられるだろうか
音楽が終わって、お互い、礼をして返す。
初めての夜会。初めてのダンス。
こんな楽しく踊れるなんて思いもしなかった。
きっと、美しい思い出になる。
「ありがとうございます。」
こんな思い出をくれて。
部屋まで送ってくれるヨシュア様に、心からお礼を言った。
「こちらこそ、ありがとう。とても楽しい夜だった。」
コツコツ、と庭の石畳に足音が響く。
結局、わたしの部屋は離れのまま。
再三に渡って城の中に部屋を、とヨシュア様に言われている。
四六時中、ピアノや歌を奏でているわたしは、今まで音楽のなかったこの城の中では気を使う。
気兼ねなく歌えるから、と離れから動かないことに決めていた。
最初に、領宰と執事に言われたことが未だに引っかかっている。
ここは巫女姫様を迎えるために設えた城。巫女姫の歌が必要なのだ。と。
女神の音楽ではなく、巫女姫の音楽。
巫女姫がそれほどの影響力と尊敬を集めていることを、改めて感じた。
わたしには違和感のある考えだが、この土地の人々がそれを切望しているのならそれを頭から否定したりしない。
だって、それが彼らの心の支えなのだ。
柔軟さに欠けるその考えは、どこかで歪んでしまうことが過去が証明しているけど、それでも、巫女姫という光の頂点のみを切望することは人の業だろう。
唯一にしがみつきたいくらい、この土地は希望を失っていたのだ。そのことが悲しくて、彼らの盲目的な巫女姫信仰を真っ向から否定したくなかった。
わたしが城の中でピアノを弾かないのは、その象徴。
今でもわたしは大広間のピアノを弾いたことがない。
ここに迎えられる音の光は巫女姫のものでなければならない。
ヨシュア様の代わりにこの城を守っていた領宰と執事長は、わたしにそう言ったのだ。
あの時の非礼を、何度となく謝られているが、わたしは許す気は無い。
何も知らない民ならともかく、導く立場の彼らがろくに勉強もせず、思い込みだけで動いた結果を受け止めるべきだ。
だが、わたしの大事な妹である歌姫たちを粗雑に扱うことだけは我慢ならない。
神官長様から何度も、もう十分だから王都へ戻っておいでと言われているが、ここで巡業を放り出してしまえば、カービングの民のために何日もかけてやってくる歌姫たちが可哀想な目にあいそうで。
いくらヨシュア様が理解があると言っても限界がある。幸い、巡業の準備について、一切をわたしに従うようにとの命令が出ている。
女主人のいないこの城で、わたしが出来る限り采配を振るうことができる。
今夜も月が出ている。
去年はこの月を見て、思わず郷愁を感じて涙がこぼれた。今は、違う感情が心を揺らしてまた涙が溢れてしまいそうで。
離れの前で、ヨシュア様の足が止まった。
わたしは、す、とヨシュア様から腕を外す。
エスコートはここまで。
次の春の日の祭りが、彼からエスコートを受ける最後になるだろう。次の春で4回目の春の日。
5回目の春の始まりには巫女姫アリシア様が降嫁されているはずだ。
来年の春の日まで、わたしはわたしでいられるだろうか。
アリシア様が来られるその日まで、こうやって笑っていられるだろうか。
そう思いながら離れの階段に向かおうとした。
「アリエッティ。」
見たくないのに。
ヨシュア様がわたしを呼んだ。月の光の中に立つ彼は間違いなく、美しい。
「わたしに、祝福をくれないか。」
うなずいて祝福の歌を歌った。
静かな夜の庭の静寂を切り裂く、わたしの声。
低音が響くわたしの声を、わたしは好きじゃない。
アリシア様のように、天から降り注ぐ光のような柔らかく甘い高音に憧れた。純粋無垢な子供のような。
決して、わたしには手に入らない無垢さ。
きっと、アリシア様が選ばれたのは、その無垢な魂を評価されたのだろう。
「ヨシュア=ヴァン=カービング。」
姿勢を正して、彼の名を呼んだ。頭に浮かんだのは、中央神殿の儀式。
「あなたの・・・」
あなたの預かる女神の地に、安寧と光を届けよう。女神の民に幸福をもたらすなら、あなたは栄光の加護を受けるだろう。
神殿の長である神官長や巫女姫が、国王と領主に授ける特別な言祝ぎ。
ヨシュア様は知っているだろうか。
彼がカービングの民を導く光になりますように。心からそう願って言祝ぎをしたかった。
だが、わたしは言葉を変えた。
「あなたに女神の加護がありますように。健やかな日々でありますように。」
一般的な言祝ぎの文句。
わたしには言えない。巫女姫に選ばれなかったわたしには、そんな資格はない。
ヨシュア様が、わたしに近づき肩を掴んだ。大きな手のひらが温かい。
「わたしからも祝福を。あなたに女神の加護を。あなたの幸せがいつまでもここにありますように。」
そして、額にキスをした。
おやすみ、と小さく言って、彼は音楽が奏でられる城へと戻っていった。