38 振らないで!振らないで!
オルセイン伯爵夫妻は相変わらずの面の厚さだった。
春の日の祭りの後の、お城の晩餐会を前に、わたしから祝福を授けてほしいと言い出した。
ヨシュア様は今日は疲れているので、と断っていたが、神殿は等しく祝福を授けるもの。と頑張って歌った。
ヨシュア様も一緒に歌ってくれて、その場にいる人、全員に言祝ぎをした。
去年までは祝福の歌もなかったのに。
まさか、オルセイン領では祝福の儀式もないとかじゃないでしょうね。
今夜は楽団が用意されていたので、そちらは平気だった。
オルセイン伯爵たちが言い出したのは、巫女姫巡業のこと。
聖歌隊に、娘のカミラ様を加えてほしいと。
聖歌隊は神殿の領域だが、他の地域を跨ぐとなると、わたしの一存では決められなくなる。
ヨシュア様を見ると深く考えているようで、感情の見えない目で、話を聞いていた。
基本、神殿は領に一つはある。領主はその神殿を保護する立場にある。
中央神殿は各領主の要請を受けて、巡業を行う。
今回は巫女姫巡業をきっかけにして、姿を消していたカービングの聖歌隊を復活させたが、篤信の厚い領では、聖歌隊は常時あり、人々に祝福を授けている。
そこに加わることに、資格はいらない。どんな身分でも等しく、祝福を授けることができる。
だが、その世話役は領主やそれに匹敵する者が行うことが普通のはず。
神殿に神官を置いている数の方が少ないのだ。
だから、基本、神殿に所属する聖歌隊は領民に限られる。
なぜ、そんなことを言い出したかというと、巫女姫の祝福の儀式にカミラ様も加わりたいからだ。
賛美歌の儀式の後に行われる、祝福を授ける儀式で、歌姫と一緒に聖歌隊も祝福を授ける。そこに加わりたいとのこと。
よく勘違いされていてるのだが、この儀式に加わることで、歌姫にスカウトされると思われていたりする。だから歌の訓練をされてない、領主の家族や有力者の家族が無理やりねじ込まれてくることがある。
祝福の儀式で声をかけられて、歌姫になれるなんて事実はないのだけれど。
そして、歌姫の選定を受けられるのは15才までの少女の話。とっくに15を超えたカミラ様が期待することじゃないわ。
歌姫と同じ舞台、とくに巫女姫と並んで立てる機会だから入り込みたいのだろう。
厚かましい。
全くもって厚かましい。
「よろしいでしょう?神官様。滅多にない機会なのですもの。わたくしたちも巫女姫様から直接、祝福を受けたいのです。」
オルセイン伯爵夫人が高圧的に言った。
きっと、この人、これが普通なんだろうな。別にわたしのことをバカにしてるわけでもなく。
なぜ、わたしに振る?そして、なぜ助けない?カービング卿。
あと、祝福の儀式に出たからって、必ず巫女姫から声をかけていただけるとは決まっていません。
「申し訳ありません。わたくしには判断できかねます。」
わざと困ったように答えて、ヨシュア様に委ねた。
めんどくさ。
こんな政治的な話、巻き込まないでほしい。疲れる。
目が合ったがわざとつん、として、ワイングラスを回した。
水と入れ替えられてる⁈
お代わりした時はたしかにワインだったのに!
嫌がらせ?嫌がらせですか⁈
チラッと横目で見ると、ヨシュア様が目を合わせずに、優雅に微笑んでいた。
「神殿からはこちらに巡業の詳しい旅程は、まだ知らされてないが、オルセイン領の神殿では、巫女姫巡業は行われない、ということですか?」
やっと、ヨシュア様が引き取ってくれた。
よしよし。だけど、ワインの恨みは忘れません。
「え、ええ。」
「巡業への儀式の要請は?」
「・・・そ、それは、してるわよね、ねえ?」
しどろもどろに夫人がオルセイン卿に水を向けた。
オルセイン卿もモゴモゴと、口ごもっている。
してないの?呆れた。
してないのに、カービングへの巡業に乗っかろうとしてるの⁈
自分たちだけ。
巫女姫来訪は名誉だけど、とても労力がいる仕事。
巫女姫と歌姫合わせて15人ほどの淑女とその倍の護衛と世話役の神官、下女など総勢50名は下らない。
しかも巫女姫は王に匹敵する身分。歌姫や神官、護衛の騎士も高位の貴族がたくさんいる。
要請した側が用意するのは、当たり前。
だけど、それだけの人数をもてなすのは、財力も知力も、領の体力がいる仕事。
だからこそいくら民が喜ぶからと言って、そんなに頻繁には招くことができない。
もちろん、神殿側も被災した地域にそんな負担をかけることはないから、そこは柔軟に対応するけど、今回はそんな慰労のための巡業ではないので、全て領側が負担することになる。
わたしは詳しいのです。無駄に歌姫歴が長いので。
「そうですか。本来なら辺境まで来るなら、途中の神殿にも寄りそうなものですが。ねえ、アリエッティ。」
また。
わたしに振らないで!
話させたいなら、ワインください!
「ええ。そういうことが多いですね。途中の宿泊場所となるなら。」
「オルセイン領でも宿泊の予定が必ずあるはず。それとも違う街道なのかな?」
わざとらしー。
ギル=ガンゼナまでの街道は一つじゃない!
「そ、そうだね。どこでお泊りになるか、聞いてなかったな。」
ヨシュア様の口ぶりでは、大方の旅程が出てるわよ。絶対、どこで泊まるか知ってるんだわ。
当然よね、南東地域の統括してるんだから、途中で事故でもあれば出て行かざるを得ないもの。
はあ、しかし。オルセイン伯爵の無責任を通り越しての無能さ。
もう、わたしには無理。
こんな人がいたから、カービングはあんなに荒れたのね。わたしが来た時は、ほんと上から下まで頼りにならなかったものね。
あの愛憎サスペンスの話を聞いてしまっているから、存在自体が気持ち悪い。
あの愛人の話、オルセイン伯爵夫人は知ってるのかしら?
知っててこんなふうに、ギル=ガンゼナ城に一家揃って出てこれるとしたら、どんな精神構造をしてるのか、ちょっと、いや、かなり理解できない。
絶対、わたしに話、振らないでよね!ヨシュア様!
「では、そこから調べましょう。中央神殿に問い合わせればすぐに教えてくれますよ。護衛に着くのは近衛が基本ですから、王宮の神殿担当にも。」
ヨシュア様がにっこり笑って言った。
「こちらへの来訪は半年後。今からなら、オルセイン領の神殿へも予定が組めるかもしれません。せっかくの巡業ですから、領民も祝福を受けたいでしょう。」
うわ、釘さした。
オルセイン伯爵夫人が、口をパクパクさせてるわ。なに?なに?なにが言いたいの?
「だ、だけど、本当に私たちがお願いするだけでいいのかしら?」
うん?なにが言いたいの?
神殿は賄賂なんか貰わないわよ。
それに道中が一緒だから、時間を空けてもらうだけでしょ。
「もちろんです。叔母様。他でもないオルセイン領の領主が願うのですから、意味があるのです。カービングからも要請の願書以外、出していません。そうでしょう?叔父様。」
えー?それはどうかな。
今回の巡業は、要請以外の力が働いてるはず。
オルセイン伯爵夫人の言葉が物語ってるでしょ。
ん?
今の感じだと、要請の願書はヨシュア様が書いたわけじゃないってこと?だとしたら、なおさら…
いつのまにか料理はデザート。
ペース、早くない?みんなまだ食べ終わってないみたいよ。
わたしは食べ終わってるけど。
このデザート、好きなのよね。ちょっと癖のある、木の実のリキュールを使ったババロア。
みんながヨシュア様とオルセイン伯爵夫妻との会話を興味深そうに聞いてるのを見ながら、食事を堪能。
デザートの前に口直しに、またグラスを持ってワインのつもりで持って、水だっていうことに気づいて。
チッ。
心の中で舌打ちして、口をつけずにそのままグラスを戻す。
子爵のレオポルドと目が合った。一瞬、目を見開いて、ニヤァと笑った。
あなたのご主人、性格悪いんですけど!
「でも、でも、わたしも賛美歌をちゃんと歌えるようになりたいのです。巫女姫様がいらっしゃるなら、なおさら!」
カミラ様が突然、大きな声で言った。
練習すれば?
楽譜は読めるし、発声の練習も教師を雇えばいいじゃない。
そもそも、伯爵のご令嬢は神殿の保護者たる地位。そういうことにお金を注ぎ込む立場のはず。
そういうことは、社交シーズンに王都でやることよ?そのために、議会開会中は国中から人が集まっているじゃないの。
「ああ、そういうことでしたか。確かに我が領の神官は、素晴らしい指導者ですが。彼女の卓越した指導力がなければ、我が領では楽譜も読めないものが多かったですからね。」
振らないで!振らないで!絶対、振らないで!
ババロアが美味しくなくなる!
「そうなの!エチュア神殿があれほど素晴らしく、復活したんですもの!私たちにも教えてもらいたいわ!」
オルセイン伯爵夫人が大きな声で言った。
あなた、嫌味が通じないのね。あなたの偏った趣味のせいで、楽譜も読めない領民が多いってことなのよ。
「では、こうしましょう。オルセイン領の神殿から人を寄越してもらえれば、エチュア神殿の聖歌隊で、一緒に練習してもらいましょう。」
「はい!わたくしが参ります。」
カミラ様が元気よく名乗りを上げた。
「せっかく我が優秀な神官が育てた聖歌隊で練習するのです。あなただけではもったいない。他に何人か一緒に来てください。」
めんどくさいです。
第一、最近、聖歌隊の練習を見ていません。
行軍演技と一緒で頼りになる人材が育ってきたので、わたしの出番は減らしてきている。
いつまでも腰掛けのわたしに頼っていたら、自立できないもの。
あ、もしかして、分かって言ってる?
「でも、もし、巫女姫の巡業がオルセイン領でなければ⁈その時は、せっかく練習したものが無駄になってしまうわ!」
オルセイン伯爵夫人が叫んだ。
「無駄にはならないでしょう。歌は民を励ますもの。巫女姫に捧げるためだけに練習するのではないのだ、とこちらの神官殿もいつも言っておられる。」
にこ、と、ヨシュア様が微笑みかけた。
わかりましたよ!引き取ればいいんでしょ!
もう食べ終わったし!
「私は女神が民と一緒になって楽しみたいという意思を伝えるために、賛美歌を教えています。それだけの簡単なことしかできません。それでもよければ。」
わたしは精一杯、謙虚に言った。
「ふん。よろしくてよ。巫女姫様と同じ歌を歌いたいのです。神官様は、巫女姫様と同じ歌を歌えるのでしょう。」
ええ、まぁ。同期ですので。
だけど楽譜どおりです。
けど、なんでそんな上から?
巫女姫様、巫女姫様って、巫女姫は歌姫の中から選ばれて、百人の歌姫を代表する存在。
巫女姫以外の歌姫たちを軽く見ていたら、次代の巫女姫に失礼なことをやりかねない。
この人たちのやりたいことが、理解できないなぁ。