34 言わなきゃよかった
まぼろし?
わたし、悩みすぎて病気になっちゃったの⁈
「ケビンが伸びてた。またゲームをしたのかい?」
現実らしい。怒ってないから余計嘘っぽいけど。
「あなたも飲んだんだろう?全く。本当にお転婆な。」
「・・・・・・お転婆とは違うと思いますが。」
「じゃあ、じゃじゃ馬?」
ヨシュア様がクスクス笑った。
じゃじゃ馬でもない。ただ酒に強いだけだ。
「飲み過ぎないように、言っておいただろう?」
優しい声がくすぐったい。まともに顔が見れなくて頭を下げた。
「おかえりなさいまし。カービング卿。」
「・・・ああ。ただいま。」
コツ、とヨシュア様の足音が近づいて、わたしが腰掛けていたベンチに座った。
「・・・どうして、ここに?」
城に帰って来ているだろうとは思っていた。春の日の祭りの準備で忙しいはず。
「あなたがここにいると聞いて迎えに来た。ケビンには飲ませないように言っておいたが、多分飲んでるだろうと思ってね。案の定。」
また、クク、と笑う。
「わたしは平気なのですけど。ケビンには申し訳ないことをしました。」
「あなたが酒に強いのは十分分かってるが、万一ということがある。あんな荒っぽい酒場で、淑女が飲むものじゃないよ。前も言ったが。」
はい、前回もそのお小言をいただきました。
でも、楽しかったんですもの。
それに、このあたりで食堂はあそこしかないんだから。
「せめて、わたしと一緒の時にしてくれ。アリエッティ。」
覗き込むようにそう言われて、約束もできず、じーと見返した。
「さっきの歌。」
ヨシュア様がふと、表情を変えた。
ああ、聞こえていたのね。
「ハイデル卿の前でも、弾いていたね。好きなのか?」
「・・・ええ。」
ゾクゾクするくらい、ヨシュア様はいい声。
王都以来だから、3ヶ月ぶりのその声に唇を注視してしまう。
今頃、酔いが回ってきたのかしら。理性がぐらつく。
「歌詞が。もちろん旋律も好きですが。男の人はこんな風に思うのかと。」
手遊びにもう一度、弦を鳴らした。
「・・・誰か、王都に想う人がいるのか?」
そう聞かれて驚いて顔を上げると、ヨシュア様が目を逸らさず、わたしを見ていた。
「いいえ。わたしにはそんな人はいません。」
なんで、王都なの?
そう、とヨシュア様は目を逸らした。
月に照らされた横顔。高い鼻梁、鋭い印象の目から鼻にかけてのシルエット。
見惚れるくらい美しい。
「あんまり切なく歌っていたから、誰かを思ってるのかと。わたしもその歌は好きだよ。」
アリシア様と観に行ったから。
それも噂で知っている。
セシリアが教えてくれた。
「ありがとうございます。」
そう言うと、ヨシュア様が不思議そうな顔をした。驚かせたくて少しいたずらを仕掛ける。
「これは、わたしが作ったんです。」
え⁈とヨシュア様の目が見開いた。大成功。
「正確にはこの歌は友人が。ですが、これがメインテーマの劇の劇中音楽はわたしが。」
「劇の音楽を、あなたが⁈」
そう。
あんまり言う気はなかったけど、わたしの大事な収入源。
楽しんでくれたのなら嬉しい。
「ちょうど、こちらへ来る最中でした。馬車の中で作りました。卿のことをイメージして。」
「わたし⁈」
驚いたでしょ?
ふふふ、と笑いが漏れた。
「アリシア様と引き離される卿は、こんなふうに思っているのではないかと。」
ヨシュア様が息を飲んで、く、と口を引き締めた。
あ、怒られるかもしれない。
その前兆の表情。
ごめんなさい。
調子に乗りました。嫌よね、勝手に詮索されちゃ。
「申し訳ありません。勝手に想像して。」
いや。とヨシュア様が呟いたけど、やっぱり怒ってるよね。声が、固い。
失敗したわ。
だけど、後悔はしてない。
ずっと胸に引っかかってた。
あなたをモデルにしましたと言いたかった。
もっとうまいタイミングで話せたら喜んでくれたかもしれない。
アリシア様と結婚した後とか。
その頃はもう、伝えられないけど。
二人が結ばれてしまえば、わたしは姿を現さない。
もう二度と、噂も聞けない場所に逃げてしまいたい。
「・・・アリエッティ。」
呼ばれて顔を上げると、目を覗き込まれた。
ヨシュア様、なんだろう、何が伝えたいの?
わたしの中を探るような目で見る。
「わたしと彼女は、そんな関係ではないよ。」
ん?
ええ?
「あの。では。すみません?」
え?
勝手にわたしの妄想で、恋人にしちゃったってこと?いや、噂では本当に。
だけど、本人が言うんだから。
顔から火を吹くってこんなこと。
ふふ、とヨシュア様が耐え切れないように笑った。
「アリエッティ、真っ赤だ。」
「・・・すみません!」
うわー!うわー!
言わなきゃ良かった!
後悔ー!!取り消してー!
ごめんなさいー!
ヨシュア様がとうとう声を上げて、笑い始めた。
だって!あんなに噂になって、わたしがカービングに嫁ぐって話もなしになったし。
お城の人もみんなそう言ってる!
そうよ、タウンハウスの人や、城の使用人もみんなそう思ってる。
ヨシュア様が俯くわたしの頭を撫でた。
きっとつむじが真っ赤だ。だって、頭が熱いの、自分でわかる。
「巫女姫をカービングに迎えることは、ここの悲願だった。」
そっと顔を上げると、ヨシュア様が優しく見ていた。
「だが、こんなに素晴らしい歌姫が来てくれた。巫女姫ではなくてもいいのだということを、ここの民はもう分かっている。あなたが言うように、神殿は巫女姫を連れてくるのではなく民を勇気付ける音楽を運んでくる。」
わたしが先日の夜会で話した神殿の考え。
小難しい話しだから、こんな小娘が言うことではない。そんなふうに思われるのではないかと思っていた。
神官長様とはよくこんな問答をするが、ほかの歌姫がこんなことを話しているのを、聞いたことがない。
我ながら可愛げがないと分かっているから、本当は話したくなかった。
ヨシュア様が理解してくれたことが意外だし、嬉しい。
「・・・・・・できれば、あなたにはずっとここにいてほしい。カービングの女神となって、これから先も民を励ましてほしい。」
神官として。言外にそう聞こえた気がした。
わたしは曖昧に微笑んで、目を逸らした。
カービングの女神なんて、なれない。
そんなこと、分かってるくせに。ひどい人。
ああ、だけど。
悔しいけれど、わたしはこの人が好きだ。
彼は全てを話してない。それなのに、全てを手に入れようとしている。
なんて卑怯で、不誠実なんだろう。
そんな不誠実な人を好きになったのは、わたしだ。
そんな人を好きになってしまった、自分が悔しい。