31 ええ⁈まさか!
話がひとしきり終わると、集まっていた老獪な伯爵様たちは、ダンスや次の方のご挨拶にと動いていった。
ほ、と息を吐くと、ヨシュア様がするりと横に座る。
「疲れたかい?アリエッティ。」
ええ、疲れました。すごい圧力です。
小さくそう言うと、ヨシュア様は喉の奥で笑って、何故だか機嫌よく言った。
「そのワイン、気に入ったのかな?もう一杯もらってこよう。」
ありがとうございます。
ほんと、気の利く人。
彼のような完璧な人にワインをお代わりを取りに行かせたなんて知れたら、社交界で生きていけないわね。
よかった、この部屋がダンスホールから離れてて。
辺境伯たちが集まって話していたのは、ピアノのあるサロン。
行軍訓練の話をするのに、ピアノを披露して、そのまま話し込んでしまった。
今夜の会の主賓がほとんどここにいたことになるが、あまりの圧力で誰も咎めたりしない。
座りっぱなしだと、体がだるくなるので、ほぐすために立って、なんとなくピアノに触れた。
「スミス神官。」
声をかけてきたのは、先程いた辺境伯のお一人。
ちょうど、ヨシュア様のお父様くらいになるだろうお年頃の方だけど。
お名前、なんだったっけ。えっとー。
「ハイデル辺境領のラドクリフです。スミス神官。」
改めて名乗ってくれて、ありがとう。
うーん、ナイスミドル。わたしってこれくらいのお年の美形に弱いのよね。
「実はね、わたしはレッティモンのパトロンで。」
え。
ええー!!
わたしの顔が完全に引きつってた。
「あ。あの。その節は・・・・・・。」
いや、違う!こう言う時、なんて言えばいいの⁈
ハイデル卿は心から楽しそうに笑った。
「いやいや、こちらこそ。君のおかげで、今回は随分儲けさせてもらった。A=スミス嬢。」
バチ、と片目をつぶられた。
あああ、編曲のときの名前。
いつから知ってたんだろう⁈
「君のことは以前から、レッティモンに聞いていたんだけどね。まさか、本当にこんなに若いしっかりしたお嬢さんだとは。」
「はあ。」
冷や汗が止まらない。
なんと言うか、なんと言うか。
「【アスリーズの実】は見たかい?今度、隣国でも上映することになってね、今レッティモンが準備に行ってるんだ。」
【アスリーズの実】はわたしがカービング領に行く直前に引き受けた戯曲。
カービングに向かう途中、そして着いてから、カービングでの冷遇に耐えながら作った戯曲。
だが、まだその完成した劇は見ていない。
劇が上演されるようになってから、王都に滞在しても見られるほどの時間はなかった。
大した人気になっている、ということは噂で聞いているし、レッティモンさんからも知らせてもらって、特別報酬も受けた。
本当はこの夜会の時間にベルセマムたちと見に行く予定だったんだけど。
「観てないだって⁈なんてことだ!」
「私は王都を離れておりますので・・・」
「はあ、セシリア姫の言うことは本当だな。君が王都にいないことは、損失だ。」
ハイデル卿が頭を抱えた。
ああ、セシリアとも面識があるんですね。
当然か。
それにしても、大物を引っ張ってきたわね、レッティモンさん。
セシリアとも知り合いなんだから、今更だろうけど。
セシリアといい、ハイデル卿といい、この国を代表する貴族。
セシリアはパトロンではないけど、後ろ盾にはなっている。
そんな人たちを引っさげて外国まで公演に行くなんて。
音楽大国の我が国を売り込みに行ってるのは、レッティモンさんだ。
そして残念なことに、その分野は貴族様がありがたがる室内楽や賛美歌ではない。彼らが音楽として認めない、市井のリズムを取り入れた戯曲。
知られていないとはいえ、彼らの頭目に当たる大物貴族がその後押しをしている皮肉に、嗤ってしまう。
「新しい戯曲を考えてると、レッティモンから聞いたんだが、彼も忙しそうだし、セシリア姫は音楽はあなたでないと、推しているとか。楽しみにしているんだけどね。」
あー。そのことについては、再三、セシリアに文句を言っています。
「セシリア姫にも、申し上げたのですが、わたしにはあの曲は無理ですと。あまりにも才能がかけ離れます。姫が出来るだけ、作り込まれるべきです。」
「へえ。あなたにそこまで言わせるなんて、楽しみだな。だが、【アスリーズの実】はほとんどあなたが書いたのだろう?姫もレッティモンもそこを評価して、次もあなたに、と言ってるのだと思っていたが。」
そうだけど、そうだけど!
あの時はたまたまです。本当に、運良くです!
「あの劇中歌はセシリア姫が作曲したもの。わたしはそのイメージを膨らませただけなんです。」
アリシア様と引き離されるヨシュア様を、イメージして。
つ、と胸が痛んで、思わずスカートを掴んだ。
何?
なんだか胸が痛い。やっぱり今日は調子が悪いのかしら。
「劇中歌も大流行したけど、わたしは導入から流れる、背景曲が一番好きなんだ。もし、よければ、弾いてもらえないか?スミス神官。」
喜んで。パトロン様。
劇中歌とともに劇中で何回も使われる旋律。切ない恋心を表現した、ピアノを使った導入曲。久しぶりだが、指は覚えていてくれた。
背景曲に続いて、劇中歌。
ハイデル卿が、小さい声で歌っていた。
男の人の声で聞くのは初めて。
いい歌だわ。男性主人公の心情が溢れる。切ない。
弾き終わると、ヨシュア様がピアノにワインを置いてくれた。
「意外だ。アリエッティ。そんな曲も弾けるんだな。」
はい。自分で作ったので。
ああ、ヨシュア様が戻られた時には、完成してレッティモンさんに送り返してましたものね。
ハイデル卿が、くく、と堪えるように笑っていた。
別に隠してるわけじゃないんですけどね。話す必要を感じないだけです。
わたしの大事な収入源だし、観劇によく姿を現わすと噂のアリシア様の良いように使われるのを警戒もしてるので。
「さすが、演奏技術も素晴らしい!感動したよ!スミス神官の才能に乾杯!!」
ハイデル卿が讃えてくれると、乾杯!と斉唱してくれた。いつのまにかサロンには、人が増えていた。
やっぱり、この白ワイン美味しい!
「次回はもう少しゆっくり王都に滞在しておくれ。スミス神官。一緒に、レッティモンの劇を観に行こう。」
パトロン様と一緒なら、ロイヤル席で観られるわ!
「はい。ハイデル卿。ぜひ、お願いします!」
「新しい劇が楽しみだ!早く完成するといいね。」
あ、そう来る⁈
やっぱり狸だったわ。この人も。
もうー!無理だってばー!