30 真っ平ごめんだ!
馬車から降りると、ヨシュア様がそっと腰を引き寄せて囁いた。
「なるべく近くに。足を痛めていることにしておこう。」
ああ、そういう断り方があるのね。
ヨシュア様の宣言通り、ダンスのお誘いは全てヨシュア様がお断りしてくれた。
招いてくださったのはカービング領に隣接する、南西地域のザドキエル辺境伯。ヨシュア様とは孫と祖父くらいお歳の違う老練の方。
他にも辺境領の方はほとんど集まられていた。その中でもヨシュア様は異例の若さ。
私兵を許され、国境を管理するだけあって、どの方々も武人然としていて、一筋縄ではいかないのが見てわかる。
その中であっても、ヨシュア様は気後れすることのない堂々した様子。
王都ではこの老獪たちに可愛がられて過ごしたとのこと。腹黒くもなるわね。
やっぱり行進曲は披露させられた。練習しておいて良かった。
行進演技の話をするのかと思っていたが、話は思わぬ方向に。
辺境に歌姫出身の神官が寄越されるのは、最近ではとても珍しくなった。歌姫が引退後、神官となること自体、数のないものだが、中央を離れて、領主夫人ではなく神殿神官のまま辺境まで来たこと。それ自体、異例ではないか。と。
ちょっと顔が引きつっちゃった。
だけど、そんな話から歌姫が外国に嫁ぐことが多いと話が広がった。
少し前からそんなことはあった。
女神信仰が広がるとともに、歌姫が外国の貴族に嫁ぐことは増えた。
正直、淑女教育の最高峰と言われる歌姫は、外国の貴族からも人気なのだ。
ロメリア様がいい例。失望の元巫女姫を熱心に口説き落としたのは、隣国の大商人ペヤン様。
ロメリア様に傅いたわたしたち巫女姫候補の歌姫たちは、多くが外国にいると聞いている。
そして、現役の歌姫も次々と外国の貴族に嫁ぐ噂があるとのこと。
「それほどの数の外国の貴族が我が国で歌姫をどうやって射留めるのか。我が辺境領にさえ歌姫を縁付かせるのは難しいのに。」
「よほど外国の貴族が魅力的だということかな。」
わたしにそんな話振られてもなー。と思いながら、少し微笑んで首を傾げた。
「私は社交界には出ておりませんので、どのような出会いがあるかわかりかねます。」
「だが、あの行進曲はバストマ皇国のものだとか。巫女姫巡業で外国にも行くのだから、そこで見初められるのだろうか。」
そんな簡単に見初められるなら、わたしはここにはおりません。
「外国へは滅多に参りません。私は10年神殿におりましたが、その間、外国への巡業は二回しかありませんでした。」
「では、どこで出会うのであろうな。外国へ行くくらいなら、自領に戻るか、あなたのように国内で奉仕をしていただきたいと皆、望んでいるだろうに。」
「そう。歌姫が領に来ていただくのは名誉。それをみすみす国外に出してしまうのは惜しい。もしかして、女神信仰を広めるためにわざと国外に出しているのでは?」
うーん・・・。ここは発言したほうがいいのだろうか。
わたしは新人神官なので、あまり深いことは言いたくないのだけど。
「何かご存知で?スミス神官。」
やっぱり、この手の老獪たちは逃してくれないか。
長い間、国境という難しい土地を治めてきた領主たちの、狡猾で圧力のある視線が私に集まっていた。
「神殿が女神信仰を広めるために、積極的に国外に出ることはありません。少なくとも、現神官長のアギネルズ様はそのようなお考えはないと思われます。」
これは確信を持って言える。
昨晩、神官長様とお話ししたばかりだ。
「国内においても、神殿は要請を受けて巡業を行います。それは国外も同じです。ですが、わざわざ遠く、危険も伴う国外へうら若い女子を大勢連れて行く必要はないと、神殿は考えてます。」
「女神信仰を広める必要はないと?」
女神信仰はこの国の基本。
この言い方だと、国の根幹を疑うことになる。
「女神は人々が歌い、喜ぶ姿を見たいとこの世界をお作りになり祝福をくださいます。私たち神殿のものはその意思を継ぐ者。ですが、それは賛美歌を広める、ということではないというのが、アギネルズ様のお考えです。そして私もそれに賛同する者です。そのように教育を受けてまいりました。音楽は人々の喜びの発露。人の心に寄り添って、励ますものなら、形はどのようなものでも女神の祝福を受けた音楽、というのが現在の神殿の考えです。」
アギネルズ神官長様は長く神官長を務めていらっしゃる方。
現在の教義の解釈は彼が基本だが、それが貴族社会の常識と離れているのも、現況。だが、神官長様はそれを強く教化しようとはしていない。
いずれ自分から崩れる。と言われた。
人間の自然な感情の発露表現である音楽を、一つの型に閉じ込めるのは理にかなわない。そういうものは崩れる。
音楽を一つの型に嵌めようとするのは、傲慢な考えを持つ一部の人々で、そういう人たちはいずれ自分の首を締めることになる。
だから、神殿の務めは人々に歌い、楽しむことを忘れさせないことだ。
楽器や賛美歌の形は、一つの手法に過ぎない。どんな形でもいいのだ。歌を楽しむ心さえ伝われば。
「ですので、この国の中央神殿が、歌姫を派遣する必要はないと思われます。その土地土地で、民が喜んで歌う、というだけの簡単な教義。歌姫は女神の代わりとして、歌う民を励ますだけの役割ですから。」
「なるほど、だから音楽が賑わう土地には、巫女姫巡業はないのか。」
わたしは頷いた。
よく、どこかの領には素晴らしい楽隊ができたから、巫女姫の巡業を、という要請があるらしいが、そこは後回しにされがちだ。
冷たい、と非難されることもあるが、そのような土地は大体、巫女姫も選出されやすいので、凱旋巡業の機会がある。
「だが、賛美歌が歌えないのであれば、女神信仰とは、言えないのでは?」
「この国の言葉で作られた賛美歌を押し付けることは、本意ではない、と考えられています。そもそも、昔と今でも言葉が違う。この国の中でも、地方地方で言葉が少しずつ違うのです。女神は自分を讃える歌を聞きたかったのではなく、民が喜ぶ姿を見たかったのだから、彼らが楽しく歌う歌を聞きたい。ですので、巫女姫巡業の際には、必ずその土地の、昔から伝わる歌を加えるようにします。女神がその土地の民とともに歌い、喜ぶために。」
そうか、と、最長老の辺境伯が、至極、納得したように頷いた。
「女神は寛容で、お優しい方。この信仰が広まったのは、簡単で、寛容な教義だったからでしょう。人は裁きたがりますが、この国の女神は裁かれた罪人さえ、お救いになりますから。」
人は恨み、貶め、時には二度と返ってこない命さえも簡単に奪う。それは許されないことだ。
人が生きている限り、絶対に許してはならない、人としての法。
女神の教義で考えると、人を苦しめ、喜びと歌を奪い去ることは何にも勝る罪、と考えられ、慣習法によって裁かれる。
だけど、どうしてもそうならざる得ないこともある。
状況が人を追いやることもある。
その苦しい選択をした時に、女神だけは許してくれる。
歌を歌うという単純な方法で、自分と女神だけはこの世で生きていくことを、赦す。
それは罪を悔いる歌だったり、追悼の歌だったり。
声に出さなくても、心で歌えば良い、と、神殿は罪人に指導するのだ。
そうやって、誰にも言えない贖罪を女神に告白し、生きていく糧を心にもらうのが、女神の賛美歌なのだ。
「よく分かった。ありがとう。スミス神官。わたしは、女神の意思を忘れかけていたようだ。そうだ、だから歌姫や神官は少ない。指導が必要だと思っていないからだ。」
最長老の辺境伯が頷くと、ほかの辺境伯も納得してくれたようだった。
はあー良かった。分かってくれる人たちで。
これだけ言っても、わからない貴族主義の貴族は多いのだ。
統治者である貴族が、一番神殿の薫陶を受けるはずなのに。
そうでなければ、この国の貴族は発展しなかったはずなのに。
権力は統治者に、権威は神殿に。
そうやって、お互いを尊重しあったからこそ、人々が安定したのだと習った。
そういうのは貴族の常識のはず。
それなのに、今は神殿は音楽を指導するものだと勘違いしている。
神殿は音楽を指導などしない。民が望み、歌いたい音楽だけをともに楽しむだけだ。
歌がなくなってしまった悲しい土地には、その種を蒔きにいくだけだ。
それを育てるのは、そこにいる民であり、彼らの指導者である領主たちだ。
現実的にいうと、神殿は土地から何ももらわない。
寄付というものはあるが、歌を育てるために一定のものを直接取り立てることをしない。
過去、そういった時代もあったが、王や領主との関係を悪化させ、国を分裂させた。その弊害を学ぶため、歌姫や神官は歴史を学ぶのだ。
「だがわからぬな。なぜ、歌姫は国外へ出てしまう?何がそうさせる?」
それはわたしにもわからない。
偶然だと思っていたが、王都の神殿に篭り音楽に明け暮れる若い女子が、外国の貴族や有力者と知り合う機会などそうそうない。
「あなたも、外国へ嫁ぎたいと思うか?神官殿。」
最長老の辺境伯にそう聞かれて、すこし迷った。
「正直、外国には興味はあります。この国では聞けない音楽が溢れていますので。」
ロメリア様の結婚式。
初めて男性だけの唱歌隊を見た。女性にはない深みのある力強い音に衝撃を受けた。
そしてテンポの速いヴァイオリンのダンス曲。
この国の室内楽ではない、情熱的な調べ。
そういうものは創作への刺激になるのだ。
戯曲を作る時、そういうエッセンスを入れることで雰囲気が膨らむ。
「これはこれは。」
ホッホッと長老が笑った。ヨシュア様が苦い顔でわたしを睨む。
いいじゃない、正直な感想です。
「だが、あなたを国外に出すのは惜しい。エチュアのお勤めが終われば、ぜひ我が領土へお迎えしたい。我が領は古来よりの土地。古語を理解されるあなたには、魅力的だと思われる。もちろん、巫女姫にも劣らぬ待遇でお迎えしますよ。」
いや、そういうのはもういいです。一回、騙されてますので。
あれでしょ、長老様引退したら、掌返しに会うパターンでしょ?
正直、神官は辞めたいです。
貴族に振り回されるのも、勘弁してください。
「拐かさないでください、ザドキエル卿。彼女はやっと来てくれた我が領の神官です。簡単には手放しません。わたしが領民に恨まれます。」
ヨシュア様が、きっぱりとした口調で長老様を牽制した。ははは、と老獪どもが笑う。
よく言う。数年後には追い出すくせに。
面白くない気分が誤魔化せなくて、喉の乾きを取るふりして、ワインをゴクゴクと飲んだ。
お、これ、美味しい。
飲んだ後の鼻から抜ける匂いが、いい。
だけど、こんなもので誤魔化されないんだから。
贅沢なご飯は食べられなくても、貴族様のお遊びに付き合うなんて真っ平だ。