29 恨むのならご自分の恋人を。
ヨシュア様が髪留めを侍女から受け取り、自分のポケットに収めたのを見た。
あとで返してくださいね!わたしにとっては、高価なものなんだから!
「・・・大丈夫だよ、アリエッティ。今夜はダンスはしないよ。」
馬車の中でも陰鬱な気分で、ぼんやりしていると、ヨシュア様が優しい声で話しかけてきた。
「え、ああ。・・・。」
ダンス。
やばい、忘れてた。
ピアノだけじゃなくて、ダンスも練習すればよかった。
ああでも、相手がいないとわたしには無理。
「ダンスはお嫌いなのですか?神官様。」
行進演技の紺の軍服を着たナーガが聞いてきたので、素直に頷く。
「とても、苦手。」
「もしかして、習ったことがない? 」
「いいえ。歌姫はダンスを習うの。だけど、練習しかしたことないのよ。相手も歌姫同士だし。正式な場所で男性と踊ったことはないの。本番は並んで踊るんじゃないでしょ?」
ホールを縦横無尽に踊る夜会用の踊り方は練習ではほとんどしない。
いつもぶつかって、リズムを崩していた。ロメリア様やアリシア様は、とても上手だったなぁ。
「いつでも練習のお相手をしましたのに。」
ナーガがにっこりと笑った。
ヨシュア様のように光輝くってことはないが、彼も美男子だ。
ヨシュア様より、鍛えられた体躯は軍服がよく似合う。
がっしりとした胸回りの割には腰は引き締まっていて、精悍、という感じがぴったりだ。王都の貴族にはあまりない少し粗野な感じも、実は男の人らしくて素敵。
巡業が延びたので、賛美歌を広めるために領内を回った。領民に緊張感を抱かせないために、最低限の侍従で回るつもりだったんだけど、ヨシュア様が度々同行するから、その度に護衛は増えていって。
ナーガとレオポルドはよく護衛官として、その旅に付いてきていた。だからわたしとも気安い。
ここにこうやっているってことは、彼らはヨシュア様の側近として正式に取り立てられたってことなんだろう。
そうか、ナーガとレオポルドも同じタウンハウスに泊まっていたから、練習をお願いすれば良かった。
だけど、着替えるまでほんとにバタバタしていて、思いつかなかったっていうのが本当のところ。
ピアノの練習は思いついたけど、ダンスは思いつかなかったのよね。
昨日も神官長様に呼ばれていたし、今日も朝からオスカー殿下に呼ばれていた。
セシリアにも誘いを受けていたから、オスカー殿下のところに来てもらったけど。
夜には夜会があるのだと伝えたら、オスカー殿下の妃のティアベルゼ様が美容に詳しい侍女を呼んできて。
オスカー殿下は不機嫌になったけど、奥方様には勝てないのね。今日でよくわかりました。
肌、磨かなきゃって言われて、オスカー殿下は追い出されて、昼間から夜会用に髪も巻かれて。ついでに化粧もしてもらった。
ティアベルゼ様ご愛用の高級化粧品。
ものっすごく、いい匂い。
さすがの技で長時間でも崩れないって太鼓判を押されている。
名前も知らない貴族の方からたくさんのお茶会や夜会の招待状が来ていたけど、明日には発つので、ヨシュア様に報告してお断りすることにした。
ヨシュア様も忙しいらしく、お会い出来たのは、昨日の昼以来、今が初めて。
わたし宛の招待状なので、わたしがお返事を書かないといけないのだけど、まだ書ききれていないから、夜会から早く戻れたら書いてしまわないと。
「今夜は俺と踊ってください。ぶつからないように、リードいたします。」
うーん。ナーガなら足踏んでも我慢してくれるかな。
「今夜のエスコートは、わたしだ。ナーガ。彼女は今夜はダンスをしない。」
「失礼いたしました。」
ヨシュア様が冷たく言い切った。
騎士には厳しいのよね。ほんと。
使用人にはそこまで厳しいとは思わないのだけど。
斜め向い、ヨシュア様の隣に座るレオポルドが、ニヤリとわたしを見て笑った。
違うってば。これがヨシュア様の平常運転なのよ。
これじゃ、女性を勘違いさせるわよねぇ。
アリシア様も気が気じゃないでしょうよ。
ああ、わたしって完全に当て馬。
お願いです。恨むならご自分の恋人の言動を恨んでください。
あーあ。
せっかくだから一回くらい、夜会でダンスを踊れば良かった。
せっかく習ったのにもう二度と機会はないかも。
ナーガだったら緊張しないし、もしかしてロマンスが生まれるかもしれなかったじゃない?
・・・ないわね。
それにウィルヘルムのこともあったし、ヨシュア様の目の届くところじゃ、そういうのはやめとこう。
ああ、ほんとに嫁ぎ遅れちゃったわ。
なんだか、気分があげられない。
そっと息を吐いた。