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28 やばい!

「これは、やばい。」


ピアノを弾く指が動かない。


思えば20日以上も鍵盤を触っていなかった。最近では歌姫の時のように練習もしていないから、普段の練習不足が祟っている。


持っている楽譜の中で一番難しいエチュードを出して、なるべく正確に弾いていく。

だんだんと指先の力が入れやすくなったところで、行進曲に変えた。


すでに1時間過ぎている。


交響曲仕立ての行進曲は力がいる。


おそらく夜会で披露することになるだろうと、ふと思い立って、着替えを早くしてもらったが。

予想以上に動かない指に焦った。


もっと練習しておけば良かった。


時間を見つけて、ピアノを触らせてもらえばよかった。タウンハウスの執事の今までの冷たい対応に、ピアノを弾かせてほしいと言い出すのを躊躇していた。


後悔して唇を噛む。だけどここで諦めたくない。


しばらく集中して、やっと低音が納得いくまで叩けるようになったが、高音の右手の小指が動かない。


悔しい思いで鍵盤にもう一度手を置いた時、声がかかった。


振り返ると、ヨシュア様と、騎士のナーガとレオポルドが待っていた。


二人は共にカービング領の麾下の子爵位。


騎士を代表して夜会に参加する。ついでに、社交界に顔を売っておく。


南東地域の統括として、カービング辺境伯があるので、こういうところで部下の顔を広めるのも、大事な社交だ。


既に時間がきていたのか。


「そろそろ、行こうか。」

「・・・はい。」

「緊張してる?」


ヨシュア様が苦笑して聞いた。


「いえ。曲がうまく弾けなくて。」


え?とヨシュア様が驚いた顔をした。


「あれだけ弾けたら十分だと思うよ。・・・良かった。浮かない顔をしてたから。寒くなかったかい?」


ヨシュア様がそう言って、ちら、と執事を見た。


こわ。その顔、めっちゃ怖い!


なんだか、今更冷えてきたわ。


執事さんが真っ青な顔して、申し訳ありませんと頭を下げた。


そういえば、このサロン、火が入ってなかったわ。


所々でこういう嫌がらせ、まだあるのよね。

本当にだいぶマシになったんだけど。

けれど今回は、ピアノに夢中になりすぎて、気づいてなかった。


「ああ、いえ。弾いている間は夢中で、寒くなかったです。」


そう。とヨシュア様は小さく息を吐いて、二人の騎士に先に行くように言った。


この方も苦労するわね、と見えないように苦笑した。


カービングは正直、ヨシュア様の統制が全く取れていない。

上意下達ができない中、最初に彼が手を入れたのが領軍だったのは、当然だったかもしれない。

だって、他国と境界を接しているのだから、周りが不穏な動きをし始めた時に、動かすのは軍だ。そこが頼りにならないと、安心して暮らせない。


わたしも最近になって知ったことだが、ヨシュア様が家督を継いで、正式に領に帰還して、初めにやったことは、隣国ゴールが国を挙げて行っていたダイヤモンド鉱山の盗掘を軍事力で止めたことだそうだ。


カービングの領兵は頼りにならないので、王軍を借りて、ゴールとの国境付近から移民を追い返した。

国境付近を治めていた貴族たちは、あろうことかゴール側と結託して、もともとその土地に住んでいた人たちを追い出し、ゴールが連れてきた奴隷まがいの人たちを使って、ダイヤモンドを他国に流していた。


ヨシュア様の代理で治めていたオルセイン卿は、信じられないことにゴールの一貴族の夫人を愛人にして、ギル=ガンゼナ城に住まわせていたようだ。


不潔過ぎて、お子様なわたしにはちょっと理解できない。

まさか、自分が住んでいるあのギル=ガンゼナ城が、そんな愛憎渦巻くサスペンスの舞台だったとは。


闇が深い。


でも、テーマ的な旋律が思いついて、ちょっと夢中になってしまった。あの話を聞いて作曲してしまう自分が病的で怖い。


侍女がわたしに上着をかけようとするのをヨシュア様が少し止めた。


出してきたのは、高価そうなネックレスと髪留め。輝きからして本物だろう。


「…カービング産のダイヤモンドと、トパーズだ。その髪留めは、ガラスだろう?カービングを代表していくのに、そんな模造品をつけさせるわけにはいかない。」


これだから嫌だ、夜会は。


夜会の格が高ければ高いほど、集まる人たちの格も高くなり、装いも華美になる。


必要なこととはいえ、自分の実力以上に飾り立てられた感が拭えない。


どれだけ飾り立てられても、心が浮きたたない。

だって、全て借り物。


エチュア神官として贈られたものは、巫女姫様のための地ならし役としての功績。

そもそも、エチュア神殿の神官が仮の居場所なのだから、わたしには全てが偽物にしか感じない。


せめて自分の力で手に入れた恥ずかしくないものが、あればいいのに。


そう思うと、外された髪留めが惜しくなった。


権威を保つための豪華な宝石より、わたしが作り出した音楽を心から楽しんでくれた心優しい報酬。


わたしの小さな手は、自分が納得いくものしか受け取れない。


だめね。

ピアノの腕が落ちてる事実に、プライドが傷ついて意固地になってるわ。今から社交場という戦場に出向くのだから、ここは切り替えてちゃんと振舞わなきゃ。

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