22 緊張したー!
息が白い。
眼下に広がる広場の石畳にうっすらと霜が残っている。
歯の根が合わず、カチカチと歯が鳴るのは、寒さだけのせいではない。
緊張のせいだ。
わたしの背中には国王、王妃両陛下を始め、王族と名だたる高位貴族が並んでいる。
眼下の向こうには、カービングの領軍。
真新しい紺のケープ付きの礼服で揃え、楽器を抱えて姿勢良く立っている。
みな、緊張と寒さで歯を食いしばっているのだろう。
いつもより眼光鋭くわたしに注目していた。
第一指揮者のジャンと目があって軽く頷いた。
ジャンが大きく指揮棒を掲げると、ドラムが一斉に構えた。
うん。
カッコいい。惚れ惚れする。腕の高さも完璧。
ジャンの指揮棒が高く振られ、笛の合図でリードドラムの単調なロールが始まる。12回繰り返して列が一斉に動き出した。
広場中央まで進んで、わたしが片手をあげると、ジャンの笛でドラムロールが止まった。
動きが乱れない。精悍な顔もそのまま。
鍛えられた騎士たちの一糸乱れない動きに、会場の雰囲気が変わったのが分かる。
トランペットのアーサーに向かって合図をすると、荘厳なプロローグが始まった。
わたしは長い美しい指揮杖をわずかにふるだけ。
あとは第一指揮のジャンと第二指揮のレオポルドが隊列を動かす。
紺色の冬の軍服。
ケープの裾と立襟にはカービングに昔からある刺繍の柄と、カービングの紋が銀色の糸で縫い込まれている。
シルクハット風の帽子を目深に被った、鍛えられ軍人たち。
蒼穹によく映える白い手袋。
全てペヤン様のデザイン。
わたしも司祭服に合わせた立襟が着いた長い白いコート。
総指揮用の背丈ほどある指揮杖には、金色の飾りがついて、動かすたびにシャラシャラと鳴る。
風に長いコートがはためくと絵画のように美しい。
これはペヤン様がエチュア神殿に寄付してくれたものだ。わたしのためだけに仕立ててくれたもの。
この演出でカービングの領兵はしばらくモテモテだろう。
秋の巫女姫巡業は予定の1ヶ月前に急に延期になった。理由は他地域の被災の慰問。
よくあることだが心待ちにしていた領民は落胆していた。
そこに、もう一つの要請があった。
国王陛下のカービング領軍の行進演技の天覧。
春の日の祭り以来、ヨシュア様が領軍の訓練に加えていた。
それが噂になり、騎士出身の王妃様が興味を持たれたらしい。
国中の名だたる統治者が集まる、新年の祭りの次の日、余興として呼ばれたのだ。
巫女姫巡業のために演技を複雑にし、楽器も増やして練習していた領軍は天覧演技に、一気に士気が上がった。
何故だかすぐにロメリア様がエチュア神殿に来て、演出の協力を申し出てくれた。
ペヤン様の名前は出さずに、ヨシュア様に話しを通したんだけど、結局ヨシュア様にはバレてたみたい。
司祭服はペヤン様の名前で寄付されたしね。
春の日の祭りより倍の長さで編曲し直した、交響曲。管楽器を増やし、隊列の動きの派手さよりも、動きを揃えることに集中した結果、軍隊らしい精悍さが際立った。
音楽的にはまだまだだが、ここで求められているのは、軍隊としての規律性。
国境を守る辺境領兵の精鋭ぶりが、一目でわかる乱れぬ動き。士気の高さ。
短い演技の中にそれが現れるように、注意を払いながら演技を組み立てた。
ファンファーレが音高く響き、兵たちが叫んだ。
「我が国に栄光あれ!女神に感謝を!」
もちろん、古語。
ペヤン様にもこの演出は褒められた。センスの良い彼の方に褒められると気分が良い。
がしゃん!とわたしが長い指揮杖を打ち付けると、兵たちは一斉に方向転換をして、乱れぬ行進で舞台袖に下がっていった。
静寂していた会場に大きな拍手が起こる。
振り返り、両陛下と同列に席を設けられたヨシュア様、その横に並んだ巫女姫様と神官長様に向かって深く一礼した。
両陛下はとても喜んでいた。良かった。
アリシア様も一生懸命、ヨシュア様に向かって話しかけていた。
ヨシュア様は聴こえていないのか、わたしを見て目礼をした。わたしも目礼で返す。
指揮台から降りて控えの天幕に行くと、騎士たちから歓声が上がった。
ダメですよ、まだ陛下の御前です。という意味でそっと唇に指を当てる。
みんな気恥ずかしそうに、う、と口をつぐんたが、その端から笑いが漏れた。
式典の会場を出るまで演者は演じ切らないと。みんなを幻滅させてしまう。
あーだけど、疲れた。やっと歯の根が合う。
寒いし、緊張したー。
はーと息をついて、これからのことを思い返す。
この後、王宮の中で慰労食事会。
その前に天幕の中の楽器を外に運び出さなければ。
すでに楽器は片付けられているから、荷馬車に積むのを見届けないと。
食事会にヨシュア様も来賓も同席しないから気楽だけど、王宮内だからあちこち見て回らないように指揮官のゴードンから注意してもらわなければいけないなぁ。なんてことを考えながら、司祭服からゴソゴソと飴を取り出してパクリ、と食べた。
「う、くくく。また、飴。」
堪え切れないようにジャンが笑った。
みんなもクスクスと笑っている。
これは、神官長様からいただいた特別な飴なんですからね!星の形をした小さな飴。
む、としながらも袋をジャンに押し付けて、みんなで食べるように回してもらった。
甘いものは緊張と疲れを取るのよ。
王宮を出るまで気が抜けないから、ちょっとここで休憩ね。