14 春の日の満月
侍女のベルセマムが取りに行く、というのを固辞して、部屋に取りに帰った。
一応、城内の離れ。
最初に案内された離れとは聞こえが良すぎる小屋が、わたしのカービングでの寝床。
はじめにピアノは置けないって断られて、怒って神殿に歩いて帰ってから4カ月は、城の外のエチュア神殿に住んでいた。
議会が閉会し、社交シーズンが終わったヨシュア様が王都から帰還して、わたしが神殿に住んでるのを知って慌てて迎えにきた。ちゃんと、ピアノも置いてくれた。
ヨシュア様は庭の離れが部屋として用意されたことを知らなかったらしく、城内に部屋を、と誘いを受けたが、奥方になられる巫女姫が入られていないのにわたしが城内には入れません。と執事長の言葉通りお断りしたら、ベルナールさんから平謝りされた。
ヨシュア様のお言葉を拡大して解釈してたようで。
歌姫を神殿から推薦されるってことは、通常、領主夫人として迎えることをベルナールさんは知っていて、それをヨシュア様がお断りになったと聞いているのに、神官として歌姫だった女が来た。
これはもう、既成事実を作ろうとしているのだと勘違いしたのだとか。
カービングに来るときについてきた護衛の近衛騎士から、領主の奥方を狙ってるらしいと言われ、最初にはっきりわかっていただくべきだと思ったと。
まあ、いろんな噂と誤解があって。
と言われてもすっかり悪意にさらされて、信用できるわけもないので、城内の部屋は断固拒否。
不便ながらも気ままな神殿の暮らしに慣れた頃だったので、そのまま5年暮らすつもりだったんだけど、さすがに女性が一人で暮らすには不用心。警護も大変なので、せめて敷地内でと言われて今の城の離れに引っ越した。
だが、城から一旦出た、庭の一角。
暗いので、ベルセマムが灯りを持ってついてきてくれた。着慣れないドレスの裾を汚さないように、持ち上げて歩く。
さ、と雲が切れ、月明かりが庭に差し込んだ。
綺麗。
見上げると、満月。
昼間は春の陽気とはいえ、まだ夜は冷える。光は冴え渡っていた。
ああ、春の日、なんだわ。
頭の奥で懐かしいパイプオルガンを聞いた気がした。
ふ、と郷愁に駆られて涙がつう、と落ちた。ああ、化粧が落ちちゃう。いけない。
「アリエッティ様?」
ベルセマムに気遣った声で呼ばれて、ハンカチを差し出された。
「ああ、ごめんね。なんでもないの。」
ハンカチは受け取らずに、手で押さえると涙は止まった。
春の日の祭りは神殿にとっても、大事な祭り。
歌姫の時は、中央の大神殿で、年に何回かしか使われないパイプオルガンで賛美歌を歌った。国王をはじめとする王族も参拝する、特別な祭り。
祈りは真夜中から始まり、春の日の朝日を浴びて終わる。
毎年、歌姫たちと賑やかに過ごした。
緊張しながらも慌ただしく、国王ご臨席とあって、みな着飾って興奮していた。春の日の前後に立つ市で珍しいお店を回り、貴族のお屋敷で開かれる茶会に、知り合いから誘われて出向いたりした。
あの時と同じ月。
楽しかった日々は終わったのだと、改めて思った。
みんなバラバラになって、わたしは今となっては気軽に友と会える場所にもいない。何人かの友とはもう一生、会えないかもしれない。
あの時、混乱したわたしはちゃんとお別れもできなかったけど、彼女たちはどうしているだろう。
寂しさを断ち切るように、急いでフルートを持ち出して、大広間に戻った。
フルートを組み立て、アンサンブルなので曲の組み立てを打ち合わせる。
主旋律をカミラ様。ヴァイオリン伴奏と、リズムをヨシュア様。わたしは、アレンジでリードしていく。
勘の良いヨシュア様なら、わたしの合図を見逃さないだろう。
曲はセレナーデ。
これで最後にしたいので、ゆっくりとしたテンポで。
楽譜を食い入るように見るカミラ様を、わたしは少し後ろから見ながら曲をリードしていく。
ヨシュア様に合図を出そうとするたびに、目があった。合図を取り漏らさないようにしているのだろう。ほんと完璧。
曲を覚えてないカミラ様のために、今回は短めに終えた。
だいぶ手加減した形になっちゃったけど、カミラ様は満足のよう。良かった。
みんなまだ踊り足りなそうだったけど、わたしは朝早くから疲れたので、退席させてもらった。
主賓の退席とあって、ヨシュア様が部屋まで送ってくれた。荷物もたくさんあったしね。
ヴァイオリン演奏のことを褒めちぎってくれて、なんだか今日一日で随分変わった。
音楽って偉大。
でも、いろいろあって疲れました。
ロメリア様ともっとお話ししたかったなぁ。