果実、移ろいやすく
「タマキちゃんって、絶対Sでしょ」
問われ、一旦は持ち上げたビールジョッキをテーブルへ置いて、私は相手へ視線を向けた。
その男。顔は面長で、目は細く眉も不自然に細い。
また無造作を意識したような髪型は、恐らくそれを見た者の多くがドラゴンフルーツを連想することだろう。食べたことはないが、以前スーパーで見かけたのはたしかあんな感じだった筈だ。
案外甘みがあって美味しいと聞く。
しかしそれも最近になってからという話。
というのも、ドラゴンフルーツは多くの果物とは異なり追熟をすることがないらしい。
品質を保つために未熟な状態で出荷されることから、かつては甘くて美味しいドラゴンフルーツが市場に出回ることは多くなかったというのだ。
だが近年では物流の効率化が進み――、
「ごめん、困らせちゃった?」
私ははっとして、もう一度相手の顔をしっかりと見た。
口角を僅かに上げ、どこか困ったようにこちらの顔色を窺っている。
そうであった。
今はとある居酒屋で開かれた出会いを目的としたお酒の席、即ち『街コン』というものの最中であり、私達はお互いの素性を探るために質問を投げかけ合っていたところであったのだ。
テーブルでは十二名の男女がそれぞれ向かい合い、温度差はあれど言葉を交わし、笑ったり、笑わなかったりしている。
そして向かいに座るこの男は、先程どのようなことを私に問うたのであったか。
「すみません。つい、ドラゴンフルーツのことを。あれって、中国語じゃ『火龍果』っていうんですって」
「へー。で、タマキちゃんはSなの?」
そうそう、私はSであるか否かを、この人は知りたがっていたのだ。
「私、そう見えますか」
「なんとなくさ、相手が苦しんでいるのを見て喜ぶとまではいかないけど、平気な顔してそうだなって」
「どうなのでしょうか」
私は考える。
そもそもSとはなんだろう。
少なくともこの人は、私の容姿から何かしらの攻めっ気を感じたことは確かなのだ。
私って、そんなに攻撃的に見えるかしら。
目だろうか。目尻が少し上がっていて、もしかしたらそれが威圧的な印象を与えてしまったのかもしれない。
しかしこの人とは出会ってまだ10分も経過していないというのに、なんとも踏み込んだ質問ではないか。
とは言え、聞かれてしまった以上はこちらも答える必要があるのだろう。
まず私という人間は、もしも何かの間違いでこの人を苦しめなくてはいけない状況に立たされたとして、それを楽しむことはなくとも、果たして平気な顔をしていられるのだろうか。
例えばこの人を適当な柱に縛り付けて、硬い未熟なドラゴンフルーツを次々と投げつけることを強制されたとする。
できれば顔面は避けてあげたいけれど、もともと球技は得意ではないから誤って目や鼻にぶつけてしまうかもしれない。
きっとこの人はとても痛がり、涙を流すだろう。
でも私はカゴいっぱいのドラゴンフルーツをこの人にぶつけ続けなくてはならない。
やがてこの人の身体に血が滲んできて、顔が無残に腫れ上がった時、なおも私は手に持ったドラゴンフルーツを平気な顔で投げつけることが出来るだろうか?
出来ない。罪悪感に押しつぶされ、その場に泣き崩れてしまうに決まっている。
そして床にはいくつもの赤い果実が転がる中、「ごめんなさい、こうするしかなかったの」と謝り続けるに違いない。
それは社会通念上、明らかにSたる姿とは呼べない筈だ。
では、その逆ならどうか。
考えるまでもない。
私は痛めつけられることが好きではないし、痛みを快感だと思ったこともない。
従ってMという訳でもないのだ。
というかMを自称する人って、単なる欲しがりの我儘だったりするのよね。
「俺ってかなり、『ド』が付くMだったりするんだよね」
「……そうでしたか。私は、良く分かりません」
「照れちゃった?」
「お互いが幸せなのが、いちばん良いのかも」
「ああ、まったりとね」
「え……? まあ、そう、ですね……」
まったりで思い出したのだが、ドラゴンフルーツの果肉には白いものと赤いものがあり、赤いもののほうがほんの少しだけねっとりとしているらしいのだ。
しかしどちらにしても果肉は瑞々しく、食感はサクっとしている、らしい。
そして意外にも栄養があり、特にカリウム、マグネシウム、葉酸の含有量が多いのだそう。
これは私としても恥ずべきことなのだが、これほどドラゴンフルーツという果物の長所を理解しておきながら一度として口にしたことが無いのは、ひとえに彼の形状が放つグロテスクさに起因していると言う他ない。
トゲトゲツヤツヤしたあの感じが妙に生々しくて、なんとなく手に取ることを躊躇ってしまうのだ。
仮にこの人にぶつけるにしても、まずはそれを掴み取ることに覚悟を要するかもしれない。
「でもやっぱり、タマキちゃんはSだと思うなあ」
私ははっとする。
そしてもう一度、彼との会話に意識を傾けるのであった。
「Sって一般的に、どんな時にそうなのでしょう」
「分かった。気付いてないんだ。無自覚でそれって最高じゃん。結構相性いいのかもね、俺達」
「相性ですか……。すみません、お名前は、なんと言いましたか」
「やだなぁ、俺もタマキっていうんだって、さっき話したじゃん」
この人もタマキ。
そうか、名前が一緒だって、確かに話した。
でもこの人は姓がタマキで、私は名がタマキだ。
「万が一結婚したら、タマキタマキになっちゃいますね、私」
「え、結婚とか。なんか急に恥ずかしくなってきたんだけど」
彼は本当に恥ずかしそうに、ドラゴンフルーツみたいな頭を掻いた。
しかしそれ以上に、私は自分が恥ずかしかったのだ。
まさかこの人がここまで結婚を意識していたなんて思わなかったから。
私に『街コン』に関する知識が乏しかったことは、明らかな落ち度であったと糾弾されても仕方のないことであると承知しているが、それでもこの場というのは必ずしも婚約者を求めにやって来た者ばかりではないという認識も、間違いではない筈であった。
いや、そもそもが間違いであったか。
『私ももう27歳。せめて男友達の一人でも』と、こういった集まりに参加した私は、実はとんでもなく低俗で卑しい人間なのではなかろうか。
なんて奴だろう、私って。
彼の純粋な気持ちにも気付かず、サボテン科ヒモサボテン属のあの果物の事ばかり考えて。
あろうことか「この人は欲しがりの我儘なのかもしれない」と邪推してしまう始末。
気が付けば、己の心はこんなにも薄汚れてしまっていたなんて。
嗚呼、私はこの人の気持ちに答えることなど出来ない。答えてはいけない。
だって私は――。
『ここで席替えとなります』
運営のアナウンスが入り、男性参加者たちは一斉に立ち上がる。
今宵のルールとして、彼らは時間が来たら席を一つ隣へ移らなくてはいけなかった。
「ねえ、あとでライン教えてよ」
「私にはそんな資格、ありません」
耐えきれず、私は彼から目を逸らしてしまった。
そしてそのまま泣いてしまいたかった。
だが涙なんて、そのほとんどがエゴでしかないのだ。
次に目の前へ来た男性にとっては、困惑の種にしかならない。
そこで私は生まれて初めて、自らを鼓舞するためだけに酒を一気飲みした。
「お、良い飲みっぷり。やけ酒かな?」
新たにやって来たその人は言い、しなやかな前髪をかき上げて爽やかに笑ってみせた。
白い歯が眩しく、将棋の駒みたいな鼻が印象的だ。
紺のジャケットは非の打ち所もなく綺麗に手入れがされており、もしかしたら今日のためにクリーニングへ出したのかもしれない。
「いえ、ちょっと」
「緊張してる? 可愛いね」
「一つだけ、断っておきたいことがあるんです」
「なになに? なんか怖いなぁ」
彼は笑顔を崩すことなく、私の話に耳を傾ける。
そこには優しさだけが前面に押し出されていた。
この人も、きっと純粋な気持ちでこの場に臨んでいるのだろう。
だから私は、伝えなくてはならない。
これ以上、誰かを裏切る訳にはいかないから。
「実は私、不純な動機でここへ来たんです」
「……へぇー」
目を細めた彼は、心なしか軽蔑するような視線をこちらへ向ける。
いや、そう感じてしまうことこそ私の精神が低俗である証左。
恐らく私は今まで、事あるごとにこうして他人を疑ってきたに違いない。
そうでなくとも私みたいな人間は、そもそも軽蔑されてしかるべきなのだ。
だが彼は、なんということだろう、私の手を握りこう言うのであった。
「僕、そういうのも全然嫌いじゃないよ」
むしろ嬉しい、とまで付け加え、良く磨かれた歯を光らせる。
気が付けば私は、彼のその手を軽く握り返していた。
まさか我々は今、恋愛をしているのだろうか。
「この後、二人だけでどこかへ行こうか」
「……ええ。でも何処へ……」
私はもう、彼から目を離すことが出来なくなっていた。
理由は彼ほどの人格者が私を受け入れてくれたからであるのは言うまでもなく、それに加えて一つ。
ただ一つだけ、気になって仕方がなかったのだ。
彼のトレードマークである白い歯。そこから少し横へ目線をずらすと、口の端あたりに大きめのホクロがくっついているのが見える。
楕円形のそれは黒々として、まるである物を模して形作られたかのようだ。
そう、熱帯果実の一つであるサワーソップ、その種子に酷似しているのである。
果肉は白く、イチゴやパイナップルなど幾つかの果物を合わせたようなフルーティーな味とクリーミーな食感が特徴であると聞いたことがある。
私があれを初めて見たのは、いつだったか――。
お読み頂きありがとうございます。
ブランクとは恐ろしい。
あとで言い訳させてください。