魔王〈ムラマサ〉
その少女は暴力的なまでに美しかった。
風に靡く髪は差し込む夕日と相まって夜空のように煌めき、その双眸もまた吸い込まれるような純黒であった。ひと目でわかる、彼女はこの世界の存在ではない。窓から外を眺める様子はまるで絵画のようだ。
少女と対峙する少年は、そのあまりの美しさに絶句した。瞬きを忘れ、思考も、呼吸さえも放棄して、少年は少女の美しさに目を奪われる。
それでも、人間離れした美しさを持つ少女を人間と定義するならば、彼女は制服を着ている。それは奇しくも少年と同じ学校のブレザーであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
もうそろそろ桜の花も散り始めた五月の二日。少年ーー楠田士郎はいつものように、朝食の食パンにお気に入りのイチゴジャムを塗りながらニュース番組を見ていた。
普段はご飯中にテレビをつけたりはしないのだが、今日だけは理由があった。
『本日、五月二日は【関東大滅災】から六年、そしてーー【東京消滅】から三年です。この災害で亡くなった方に追悼の念を捧げるとともに、二度と【滅災】で亡くなる人がいなくなるようにーー』
と、そこで士郎はテレビの電源を切った。
【滅災】
二十年ほど前から起こるようになった現象で、なんの前触れもなく物が消滅し、さらに消滅する物体に制限はない。
本棚の本が一冊だけ消える時もあれば、高層ビルが丸ごと消滅することもある。勿論、人間が消えてなくなる例だってある。
その【滅災】が関東全域で大規模に起こったのが【関東大滅災】。
同時多発的に都心部、郊外を問わず民家、ビル、そして山や湖までもが一斉に消滅した。その犠牲者は数百万人にも登ると言われ、一時的に国の機能も停止するに至った。
士郎の住む神奈川県並風市も、その後すぐ神奈川県の北部に位置するいくつかの市を新たに統合されて作られた市だ。他にも庁舎などの政治拠点を失ったいくつかの市町村は丸ごと一つに合併された。
そしてそれから三年後、ようやく復興にひと段落がつこうかと言う時に起こった史上最悪の【滅災】が【東京消滅】だ。
【東京消滅】とは、その名の通り、東京という都市が消滅した。
建物や道路も残らず、そこにいた人間も余すことなく消え去ったのだ。
そこには一切何も残らず、今はただ巨大なクレーターが大口を開いているだけに過ぎない。
唯一、不幸中の幸いと呼べたことは、【関東大滅災】からの教訓で全国各地に政治拠点となる施設が作られていたおかげで、相当の動揺があったにも関わらず、迅速な対応が行えたことだろう。
士郎は食パンを齧りながら、時計へと目を向ける。
朝の九時五分。本来であれば学校には間に合わない時間だが、今日は【関東大滅災】から六年、及び【東京消滅】から三年の日だ。
五月二日は【滅災】に備えてどこの学校も休みになり、会社や個人経営の店も営業している場所はほんのひと握りしかない。
「お兄ちゃん、準備できたよ」
「よし、じゃあ行くか」
士郎は食パンを半ば強引に口内へ押し込んで、妹の楠田双葉と共に家を出た。
双葉は士郎より三つ歳下で今は中学二年生だ。肩辺りまである髪を後ろで一纏めにしている。一歩進むと共に揺れる髪も合わさって、快活そうな印象を受ける。
「誰もいないね」
「みんな【滅災】が怖いんだよ。どこにいようと同じなのに、自分の家にいれば安全だと思ってる」
「もう、なんでそういうこと言うかなー。どうせなら『二人だけの世界みたいだ』ぐらいのこと言えないの?」
「そうだな、悪い。双葉と一緒に歩けて嬉しいよ」
「私もだよ、おにーちゃん♡」
そんなありきたりな兄妹の会話をしている間に、二人は目的地へ着いた。
そこは楠田家から歩いて十五分程の場所にある集合墓地だ。ここには【関東大滅災】と【東京消滅】の被害にあった人間の名が刻まれている。勿論全員ではなく、あくまでここら一帯に住んでいた人間のものだけだ。そして、士郎と双葉の両親の名もしっかりと刻まれていた。
士郎と双葉の両親は運悪く【東京消滅】に巻き込まれた。
五月二日は二人の両親の結婚記念日で、その日は夫婦水入らずで楽しんでもらおうと思っていた士郎は、双葉と共に家で留守番をしていた。
夫婦は心配ながらも、せっかくの息子達の思いやりを喜んで受け取り、わざわざ東京にまで出向いた。
その日の夕方だった、テレビ番組が一斉に同じ事件を報じ始めたのは。ニュースの内容は今も士郎と双葉の脳裏に焼き付いている。
ヘリコプターからの空撮映像で見た光景を忘れられるはずがなかった。見たこともないような大穴がいきなり現れていたのだから。
そのニュースを見た士郎はすぐさま父親の携帯に電話をかけた。大丈夫、きっと生きている。もうすぐ夕飯の時間だから、家に向かっている途中のはずで、東京からはもう出ていたはずだと、そう思いながら受話器の向こうで通話が始まることを信じて。
三コール、四コール……普段の父親ならもうとっくに電話に出ているはずだが、一向にその気配はない。
しかし、コールがかかるということは少なくとも父親の携帯電話は【滅災】の被害を受けていないはずだ。そんな希望を胸に士郎はコールを続ける。
七コール、八コール目が鳴ろうかという時だ。やっと向こうと通じた、父親が通話ボタンを押したのだ。そう安堵した士郎だったが、その希望は打ち砕かれることとなった。
ーー結論から言うなら、電話に出たのは見知らぬ男性だった。話を聞くに、両親は【滅災】に巻き込まれてその男性の目の前で消え去ったらしい。
それは、その事実は、まだ子どもの士郎の心に立ち直れないほどのダメージを与えた。
両親の死に対する悲しさもあった、理不尽な災害に対する憤りもあった、なぜ自分の親だったのかという疑問もあった。その全てがごちゃ混ぜになり、感情が爆発しそうになった士郎にトドメを刺したのは、すぐ隣で士郎の手をぎゅっと握る妹の双葉だった。
或いは、この時に感情に任せて泣き叫び、喚き散らせればどれだけ良かっただろう。
しかし、士郎の心はたった一人残された家族である双葉を守ることを選択した。そのために感情を封印し、悲しみも、憤りも、疑問も、喉元まで上がっていた混沌とした何かすら強引に抑え込んだ。
士郎は通話先の男性に手早く礼を伝えるとすぐに電話を切り、まずは両親の両親、つまり祖父母宅へと電話をかけてことの次第を告げる。そこにさえ連絡していれば、親戚一同へと話はいくだろうし、自分と双葉のこともどうにかしてくれるだろうと踏んだからだ。
次に士郎がしたのは、双葉に全てを伝えることだった。双葉がどんな反応を見せるかは分からなかったが、例えどんな反応をされようと士郎はそれを受け止め、不安を取り除き安心を与える必要があった。
たった一人になった家族を守るために。
それからは毎年五月二日になると、この集合墓地へやって来て両親の墓参りをする。
とはいえ、墓参り自体は双葉の希望であって士郎としては、骨も何も埋まってない墓に参ることになんの意味があるのか、と考えている。あくまで双葉一人では心配だから着いてきているに過ぎない。
「お父さんお母さん、そっちはお変わりないですか、私とお兄ちゃんは元気です。私は中学二年生になりました。お兄ちゃんも無事に進級できて高校二年生です。最近はお兄ちゃんもちょっと笑うようになってきたし、さっきは冗談も言ってくれました」
「本人の目の前でそういうこと言うな」
「ごめんね、でもちゃんと報告しておかないと心配かけちゃうからーー」
それだけ士郎に断って、双葉はまた話し始める。この光景も見慣れたものとなった。
双葉は天国の両親に向かって近況報告をする。年に一度しかここには来ないのだから当然だが、積もる話があるのだろう、毎年このまま二時間は話し続ける。特に話すことの無い士郎は、双葉が話しているのを眺めるしかやることがない。去年も一昨年もそうだったし、きっと今年もそうなのだろうと少し離れた場所にある石段に腰掛ける。
目線の先には双葉が笑顔で墓石に話している。いつも元気に振る舞い、たまに我侭も言うが基本的には素直で優しいできた妹だ。
「ーー失礼、隣いいだろうか」
「え、はい。どうぞ……」
双葉の様子を見ていた士郎は、不意に誰かに話しかけられた。こんな日に外に出てくる人間なんてまともじゃないが、士郎に声をかけた女性もまた、何やら不思議な雰囲気だった。
年齢は二十代後半ぐらいだろうか、ぼさっとした髪に気怠げな表情、どこか虚ろな瞳の下には大きなクマができている。
首より上はそんな三徹明けのゲーマーみたいなのに、服装はスーツをピシッと着こなしており、バリバリのキャリアウーマンといった印象を受ける。
首だけすぐそこで取り替えたと言われたら思わず信じてしまいそうな人物が、士郎の隣に腰掛ける。
「彼女は君の知り合いかい?」
「……妹です」
「身内の方がお亡くなりに?」
「ええ、両親が」
「そうか、それはすまないことを訊ねた」
「大丈夫です、気にしてないので」
「君はご両親と話さないのか?」
「骨も埋まってない墓に、何を話せばいいんですか」
「ーー君は、随分とドライなんだな」
そこで初めて、スーツの女性は言葉に詰まった。士郎は気づかなかったが、女性の虚ろな瞳に光が灯ったのだ。
しかしそれもほんの一瞬のこと、すぐに元の虚ろな瞳に戻った女性は石段から立ち上がり、そのまま墓地から出ていこうとする。
「ではな、また会おう、少年」
「墓参りしないんですか」
「ああ、幸いなことに私の知人は誰一人巻き込まれなかったのでな」
「それは良かったですね」
「ーー私から、一つだけ忠告だ」
「?」
「そのままだと、いつか壊れるぞ」
スーツの女性はポケットから取り出したタバコに火をつけて歩き始め、すぐに士郎の視界から見えなくなる。
スーツの女性の後ろ姿が見えなくなったことを確認した士郎は双葉の方へと視線を戻す。そこには変わらず楽しそうに一人で話す妹の姿があった。スーツの女性には気づかなかったようだ。
「壊れる、かーー」
そんなことは分かっていた。或いは、もう既に壊れていた。
だが他に方法が無かったのだ。まだ幼い妹を不安にさせないため、頼れる兄であるためには士郎が泣いていてはいけないのだ、泣くことも、怒ることも、戸惑うことも許されない。そんな抑圧された精神状態を貫くために、士郎は心に蓋をした。
その結果、士郎は双葉と今の生活を維持している。自分の心と引き換えに。泣くことも、怒ることも、戸惑うことも、喜ぶことも、笑うことさえ犠牲にして生きている。
それでも最近はある程度感情を表に出すことも増えてきた。それもこれも、双葉が根気よく話し続けてくれているからだ。
「お兄ちゃん、お待たせー!」
「終わったか?」
「うん、いっぱい話してきたよ」
「じゃあ帰るか」
そうして士郎は双葉と共に家に戻り、あとは二人でゆっくりと休日を満喫する。
例年通りであれば、五月二日はこうやって過ごすはずだった。
しかし、今年はそうもいかなかったようで、もう日も暮れるかという時間に士郎の通う天前高校から楠田家に電話がかかってきた。
四月中が提出期限だったプリントを出し忘れていたらしい。担任は明日でも良いと言っていたが、楠田家から学校まで自転車で三十分もかからないため士郎は今から提出に行くことにした。
先生もこんな日にわざわざ学校まで来ているのだから、終わらせられるなら今日中に仕事を終えたいだろう。
電話を受けてすぐに家を出た士郎は、日が暮れ始めた頃にはプリントを提出し終えた。
職員室を出て駐輪場へ向かう途中、ふと昇降口から誰かが校舎内へ入って行くのが見えた。一体誰がこんな日にわざわざ学校に来るのだろうか。
自分のことを棚に上げてそんなことを考えてしまった士郎は、無意識のうちにその人物を追って校舎内へと戻っていた。
その人物は確かにそこにいるはずなのだが、どういうわけかその姿を捉えることができない。理由はわからないが、士郎がどれだけ急いで追いかけても角を曲がる瞬間を一目見ることしか叶わない。おかげで未だにその人物の性別すら分からない。
いよいよ士郎も諦めて帰ろうかと思い始めた時だった、その人物が階段や廊下の曲がり角ではなく、滅多に使われない空き教室の中へと消えていったのだ。
そのチャンスを逃さないために、気づけば士郎は地を蹴って走り出していた。
またどこかへ消えてしまう前にその人物に会わなければならない気がしていた。顔も分からない、性別も分からない、後ろ姿すらまともに見ていないのにその人物に会わなければいけないと、閉じたはずの心が騒ぎ立てていた。そしてその最大のチャンスが訪れたのだ。
士郎はその人物の入った教室へと飛び込むと、そこには一人の少女が佇んでいる。
ーーその少女は暴力的なまでに美しかった。
風に靡く髪は差し込む夕日と相まって夜空のように煌めき、その双眸もまた吸い込まれるような純黒であった。ひと目でわかる、彼女はこの世界の存在ではない。窓から外を眺める様子はまるで絵画のようだ。
少女と対峙する士郎は、そのあまりの美しさに絶句した。瞬きを忘れ、思考も、呼吸するさえも放棄して、少女の美しさに目を奪われる。
それでも、人間離れした美しさを持つ少女を人間と定義するならば、彼女は制服を着ている。それは奇しくも士郎と同じ学校のブレザーだった。
「綺麗、だ」
士郎の世界は瞬く間に色を持った。今までくすんだ色でしか見えなかった世界が、その少女を中心に美しい色が咲いた。
士郎は一歩、また一歩と彼女に近づく。その美しさに触れるためではない、彼女から広がる極彩色の世界をもっと間近で見るため、心を閉ざしてから初めて得た感動をもっと感じるために。
そしてーー士郎の右腕が宙を舞った。
「近づくな、人間風情が」
少女の純黒の瞳はまるでゴミクズでも見るように冷たく、無機質なものだった。
その手にはさっきまで無かった漆黒の日本刀が握られている。一体どこにそんな物を隠し持っていたのか、なぜ躊躇わずに人の腕を斬り飛ばせるのか、そしてどうして五メートル以上離れている士郎の腕に刃が届いたのか。色々な疑問が浮かぶが、士郎にとってそれは些細なことでしかなかった。
士郎が考えていたのは、目の前の少女が美しいということ。心に蓋をして毎日意味もなく、ただ生きていた自分の前に現れた女神のような美しさを持った少女のことだ。
片腕が無くなろうと死にはしない、不思議と痛みも感じない。それよりも目の前の少女の美しさを脳裏に焼き付けるべきだ。
「まだ動くか」
今度は左腕がその場に落ちた。だが士郎は止まらない。
右脚が無くなり倒れ込む。しかし左脚で床を蹴り前進する。
左脚の感覚も消え去った。それでも身を捩って少女へ向かう。
「貴様、自分がどういう状態か分かっているのか……?」
少女の声に初めて困惑の色が混じるが、既に士郎には聴こえていない。少女の美しさをもって自分の心をこじ開けるために、くすんだ世界に鮮やかな色を着けるために。もっと泣けるように、もっと怒れるように、そしてもっと笑えるようになるために。
「くだらん、死ね」
ざんっ
士郎の心臓の位置に、少女の日本刀が突き立てられる。
死という逃れられぬ運命が士郎を襲った。今まで少女のことしか考えていなかった脳に、記憶が溢れる。まだ赤ん坊だった頃のこと、双葉が産まれて兄となった時のこと、友人と一緒に遊んだこと、そして三年前、死んだ両親の代わりに双葉を護ると誓った日のことを思い出した。
「ま、だ……」
「ーーほう」
「まだ…………じね、ない……!」
「その意志の強さだけは賞賛しよう。しかし悪いが、貴様の都合など知らん」
少女は士郎から刀を引き抜くと、その爪先で這い蹲る士郎の顎を思い切り蹴り上げた。
両手足を斬り落とされた士郎の体はとっくに致死量の血を流しながら壁際にまで飛ぶ。その衝撃で、気合いだけで繋いでいた士郎の意識はとうとう断絶した。
結局、今年は例年のような【滅災】が起こることはなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ーーぱちり。
ふと気がついた士郎は、自分の見上げる天井に見覚えがないことに気付いた。自宅でもなければ、学校の保健室でもない。どこかの病院にでも運ばれたのだろうと、案外呑気なものである。
「やあ、起きたかね」
「あんた、あの時の……」
士郎の顔を覗き込むように話しかけてきたのは、墓地で士郎に絡んできたスーツの女性だった。相変わらず不健康そうな顔だ。
しかしなぜ彼女が自分の傍らにいるのか、士郎には理解できなかった。というかそもそも、ここがどこなのかすら分かっていない。
「言っただろう?また会おう、って」
「名前、聞いてもいいですか」
「ああ、すまない。名乗るのが遅れたね。私のことは如月と呼んでくれ、楠田士郎君」
「如月さん……ここはどこですか」
如月と名乗ったスーツの女性に、士郎は訊ねる。こんな訳の分からない状況で、相手が自分の名を知っているということは、ここがどこかも知っているはずだと士郎は考えた。
最初は病院かと思ったが、どうやら違うらしい。自宅の周辺にある大きな病院には何度か行ったことはあるが、そこよりもはるかに進歩した見たこともない機械が士郎のベッドを囲んでいた。
そもそもの話、両手足を斬り落とされ心臓を串刺しにされた人間が五体満足で生きている時点でおかしい。
「答えてください。ここはどこで、如月さんは何者なんですか」
「ーーその前に、一つだけ聞かせてほしい。楠田士郎君、君はまたあの少女に会いたいか?」
士郎は力強く頷いた。迷う素振りすら見せなかった。
「即答か、いいだろう。ここは対魔王制圧組織『ブレイヴ』の保有する空中艦『デュランダル』のメディカルルームだ。そして私はこの艦の副艦長、ということになっている」
「対魔王、制圧組織……?」
「名前の通り、魔王に対抗するための組織だよ。君も目の前で見たはずだが」
「え、じゃあーー」
「そうだ、君の両手両足を切断し心臓に刃を突き立てた彼女が魔王、私たちは便宜上〈ムラマサ〉と呼んでいる」
「〈ムラマサ〉?」
「君も身をもって知っているだろう、あのおかしな刀を」
確かに士郎は知っていた。彼女の持つ刀の切れ味も、それが距離を無視するということも。まさしく妖刀だ、〈ムラマサ〉という名もあながち間違いではない。
「彼女は、人間なんですか?」
「彼女の体を直接調べてみないことには何とも言えないな。というか、君がそれを聞くのかい?」
「どういうことですか」
「私たちからすれば、君も人間かどうか怪しいということだよ」
「え?」
「君は自分の体がどうなっていたか分かっているか?」
そんなこと士郎は知っている。最初に右手を斬り飛ばされ、次に左手を斬り落とされた。そして右脚がいつの間にか消えていて、左脚の感覚も失った。最後には心臓に刀を突き立てられた。
これらに比べれば最後に顎を蹴り抜かれたことなんて些事だろう。しかし、そんな状態からでも今みたいに元通りになっているのだから、最新の医療技術は随分と進んでいるようだ。
「自覚はないようだな。では教えよう、君のおかしな体について」
「おかしいって、俺が?」
「そうだとも。なんせ『デュランダル』が君を救出したのは、君が心臓を突かれて一時間も経ってからなのだから」
「……………………え?」
士郎の時間が停止する。今、如月がなんと言ったかを反芻して、その上で士郎は理解できなかった。いくらなんでもそれは死ぬだろうと、士郎は如月の言葉が信じられなかった。そして、一つの結論を導き出した。
それは、如月が『嘘をついている』ということ。何らかの目的があってそれに士郎を利用するために、士郎は不死身の存在だと思い込ませようとしている。そうに違いない。
「初めは魔王の力、魔力の残滓が奇跡的に君の命を繋いでいたかと考えたが、検査の結果では君から魔力が全く検知されなかった。数値で言えばゼロだ」
「つまり、理由は分からないってことですか」
「いや、そういう訳じゃない。君は魔王と接触していながら魔力の残滓すら残っていない、このことがまずありえなくてね。あの狭い教室の中で、さらに全身へ攻撃を受けたのなら、たかが一時間で消えるような魔力しか残らないなんてことはないはずなんだ」
「それは、どういうーー」
「これは仮説だがーー君の体には魔力を相殺、もしくは消化できるような力が存在していると私たちは考えた」
「魔力を相殺……」
「仮に光の力、『光力』とでも呼ぼうか。その光力が作用した結果、君は手足を失い心臓を貫かれても生きながらえることができたのではないか」
如月の言葉は未だに信じられなかった。しかし、こんな理不尽で意味不明な憶測でも信憑性を感じてしまうほどに、士郎の体に起こった事態は異常すぎるのだ。
それにもし今の話が本当なら、士郎はそれを利用して〈ムラマサ〉ともう一度会って話すことができるかもしれない。
「まあ、その辺りはもう少し研究を進めないことにはなんとも言えないさ。それより、君は一度家に帰った方がいい、妹さんが心配しているぞ」
「え……そう言えば、今って何日の何時ですか!?」
如月に言われ、士郎はハッとする。完全に双葉のことを忘れていた。なんの連絡もせず学校へ向かったまま帰ってこないのでは心配をかける。まして五月の二日という、六年前と三年前に大きな【滅災】の起きた日だ。
士郎の問いに如月は左腕に着けた腕時計に目をやる。
「今は五月三日の十五時だが、安心したまえ。妹さんにもちゃんと説明してあるし、学校にも体調不良と連絡しておいたよ」
「あの、双葉……妹になんて説明したんですか?」
「君の電話に妹さんから電話がかかってきたのでね、ひとまず『こんにちはー!アタシ士郎君の彼女なんですけどぉ、今日は士郎君ウチにお泊まりするから明日まで帰りませんー!』と言って電話を切った」
「とんでもねえことしてんな!?」
その部分だけまるで別人のような可愛らしい声と、想像もできないほどキャピキャピしたオーラを放ちながら如月は告げた。
もう少しまともな言い訳は考えられなかったのかと、士郎は肩を落とした。まさか双葉も兄が両親の命日に、存在も知らなかった彼女の家でよろしくやってるとは思いもしなかっただろう。
士郎も自分が生死の狭間を彷徨っている間に、中学生の妹を一人放ったらかして遊ぶクズ野郎になっているとは予想もしていなかった。
「さっさと家に帰してください!」
「そう慌てないでくれ、すぐに地上へ届けるよ」
メディカルルームを出て士郎が案内されたのは、漫画やゲームでよく見るような『THE・転送マシン』といった機械の前だ。この中に入れば地上に戻ることができる。
転送場所は屋外でないといけないことと、周囲に人のいないことが条件らしい。屋根などを透過して転送することは不可能なのと、もし人に見られれば突然人間が出現したように見えるから、ということからだ。
それを使って士郎は自宅の前へと転送され戻ってきた。一日ぶりだというのに、酷く懐かしいような気がしたのは、それだけ士郎のした経験が心に刻まれたからだろう。
士郎は凄惨な体験もしたが、それ以上に自分の世界に変化をもたらす存在と出会えたことが大きいと思っていた。
モノクロだった世界に色を着けた存在、〈ムラマサ〉と呼ばれる美しい彼女にもう一度会って、今度は言葉を交わすのだと士郎は心に決めていた。
そんな決意を胸に、士郎は自宅のドアを開く。
「た、ただいまー……」
「おかえり、お兄ちゃん」
「あ、双葉……あのーー」
「お話があります」
「はい……」
居間で士郎と双葉は向かい合って座り、楠田家家族会議、もとい裁判が始まる。被告人は士郎で裁判官が双葉だ。いつも明るい双葉が黙って座る姿は違和感しか感じない、というか正直ちょっと怖い。
「さてお兄ちゃん、昨日何してたか詳しく教えてくれる?」
「昨日か……昨日はその……」
士郎は言葉に詰まる。
それもそのはずだ。言えるわけがない。魔王と呼ばれる美少女に全身バラバラにされて心臓を刺されたのに妙な組織に助けられて一命を取り留めたなんて、教えたところで信じてもらえないだろう。
「言えないようなことしてたの?」
「えっと……まあ、言えないというか……言っても信じてもらえないというか……」
「ふーん、そうなんだ。ま、お兄ちゃんが言いたくないなら別にいいけど……」
と、やけに素直に双葉は引き下がった。普段は士郎に女の影がちらつこうもんなら、徹底的にそれを聞き出して相手の素性をハッキリさせようとするくせに、今回は随分と物わかりがいい。
「あのね、お兄ちゃん。私すっごく心配したんだよ、二時間経っても三時間経っても帰ってこないし、電話の一本もしてくれない。もしかしたらお兄ちゃんも、お父さんとお母さんみたいに消えちゃったんじゃないかって……そう思ったら怖くて電話もできなかった。でも、いつまで待ってもお兄ちゃんは帰ってこないから、私、本当に、お兄ちゃんが……いなぐ、なっちゃっだがもっでぇ……」
徐々に双葉の声が嗚咽混じりになる。
双葉の気持ちは士郎にもよく分かる。三年前に同じ経験をしたのだ。父親の携帯にかけて、その死を赤の他人から聞かされ言葉で言い表せない感情が芽生えたことを、今でも確かに覚えている。
そのことを知っている双葉は、士郎の携帯を鳴らすだけでも怖かったのだろう。もし繋がらなくても、たまたま電話に出られないだけかもしれないし、電波の届かない場所にいるのかもしれない。【滅災】に巻き込まれる確率なんてそう高いものじゃないが、それでも三年前の今日、両親を失った双葉にとっては恐怖でしかなかったはずだ。
それでも勇気を振り絞って士郎に電話をかけた。無事であると信じて。
それなのに電話に出たのは士郎の彼女を名乗る女で、しかも今日は泊まるから帰らないなどと抜かした。あまりに予想外すぎて双葉が一瞬フリーズしている間に電話は切られ、以降いくらかけても繋がらなかったのだ。
「ごめん、怖かったよな。兄ちゃんが悪かった、双葉のこともっと気にかけるべきだったよ」
「ごべんでずんだらげいざづはいらないのぉー!」
「心配かけたな。大丈夫、兄ちゃんはここにいるよ。双葉を置いていなくなったりしない」
涙と鼻水まみれの、およそ女の子とは思えないようなくしゃくしゃの顔で、何を言っているのかもわからないまま双葉は士郎の胸をポカポカと叩く。彼女なりに怒りやら何やらの感情をぶつけているのだろう。
士郎はそれに抵抗せず、むしろ受け入れるように双葉のことを抱きしめて言葉をかけ続ける。双葉が癇癪を起こした時は、昔からそうやってひたすら双葉の体力が無くなるのを待ったのだ。
そうして待つこと三十分、士郎はまだ少し不機嫌な双葉と並んでソファに腰掛けていた。
テレビをつけても【滅災】の追悼番組ばかりで面白みがないが、二人きりの空間で無言が続くよりはまだマシだろう。
士郎はそんな風に考えていたのだが、そんなものは意に介さず双葉がテレビを消した。
「…………ねぇ、お兄ちゃん」
「どした?」
「危ないこと、してないよね?」
「ーーああ、してないよ。急にどうした?」
「ううん、なんでもない。シャワー浴びてくるね」
ソファから立ち上がった双葉は風呂場へ早歩きで去っていく。その姿が見えなくなり、しばらくしてシャワーの音が聴こえてきたところで士郎は大きな溜め息をついた。
双葉が気づいているのか分からないが、これ以上心配をかけるわけにいかない士郎は嘘をついた。危ないことをした結果死にかけたし、そんなことがあったのにもう一度〈ムラマサ〉に会おうとしている。
双葉の気持ちは分かるし、申し訳ないとも思っているが、士郎にとって彼女との再会は自分を取り戻すために必要なことなのだ。
士郎が決意を固めると同時に、ポケットの中でスマホが震えた。メールを受信したらしい。差出人欄に「如月」と記され件名は無し、本文には短く「明日の十六時、天前高校屋上で待つ」とそれだけ書かれている。
一瞬、果たし状かと思った士郎だが、おそらく〈ムラマサ〉関連のことだろう。
一体いつの間に士郎のアドレスを知ったのだろうか。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日、授業を終えた士郎は屋上にやって来ていた。そこには既に如月の姿がある。今日も今日とて不健康そうな顔だ。
「やあ、来たね」
「どうも」
「では早速で悪いが、場所を変えようか」
如月が指を鳴らすと、士郎と如月の体が光に包まれた。光に眩んだ士郎が次に目を開くと、そこは昨日使った転送マシンのある部屋だった。どうやら屋上にいた士郎と如月は『デュランダル』に回収されたらしい。改めて『ブレイヴ』の技術の高さには驚かされる。
「すげえなぁ……」
「ついてきたまえ、艦長がお呼びだよ」
呆ける士郎を余所に如月はカツカツとヒールを鳴らして歩き始める。その後ろ姿だけ見ると一流企業に勤めるキャリアウーマンとしか思えない。如月の経歴が少し気になり始めた士郎だった。
士郎が案内されたのは応接室だった。如月は艦長を呼びに行くということで、士郎は今目の前にいる突然現れた半裸の男と二人きりの状況だ。
如月が部屋から出て数秒の出来事だった。ソファに座らされた士郎の向かい側に、突然半裸の男が降ってきたのだ。おそらく天井に仕掛けでもしていたのだろう。
歳は二十代後半から三十代前半ぐらい。髪は肩より少し下まである綺麗なブロンドヘアだ、染めてるようには見えないので地毛なのだろう。見た感じ身長も高く、容姿は整っている、そこらのアイドルやイケメン俳優と比べても遜色ないレベルだ。
ーーだが半裸である。
具体的には下はカジュアルなジーパンを履いているのだが、上半身には何も着ていない。程よい量の筋肉がついているせいで、それすらも画になるのが腹立たしい。
そんな半裸の変態イケメンを目の前に、士郎は何も言わないことにした。変態は士郎の目をじっと見つめている気がするが、士郎は目を合わせないようにあさっての方向に目をやる。如月が戻ってくるまで耐えればいいのだと、そう信じていた。
「ーー艦長、こちらにいらしたんですか」
「やあ、如月くん。無駄足を踏ませてすまないね。彼と二人きりで話をしたかったんだが……」
そんな風に、応接室に戻ってきた如月と目の前の変態が会話をし始めた。しかも如月はこの変態のことをあろうことか艦長と呼んだのだ。これには士郎も言葉を失った。元から話すつもりはなかったが。
しかしこの艦長と呼ばれた変態は、やれやれと肩を竦めながらこんなことを言う。
「どうも僕は嫌われてしまったらしい。さっきから一言も口を利いてくれないんだよ」
「おや、そうなんですか。私といる時はそれなりに話してくれるのですが……」
「ふむ……やはり綺麗な女性の方が良いか。僕も接しやすいようにと脱いでみたのだが」
「それで半裸だったんですか、一体何事かと思いましたよ」
「普段は服着てるのかよ!」
「当たり前だろう。僕は紳士ではあるが、変態ではないんだよ」
「なんで如月さん入ってすぐ反応しなかったんですか!上官がいきなり半裸でいたら疑問に思うでしょ!?」
「疑問は持ったが、それほど重要度が高いと判断しなかっただけだよ」
「それより、楠田士郎くん。やっと話してくれたね。初めまして、僕は皇恭弥、この『デュランダル』の艦長を任されている。気軽にスーちゃんとか恭ちゃんって呼んでくれ」
「とりあえず服着てもらっていいですか、皇さん」
あだ名で呼ばれずに少し悲しそうな顔をした皇だったが、この変態と必要以上に親密になるのは危険だと士郎は直感で理解した。
皇は服を着るついでに、ジーパンからおそらく『ブレイヴ』の制服と思われるものに着替えた。女性もいるのにその場でパンイチになるのはどうかと思った士郎だったが、いちいち指摘していたら埒が明かない気がしたので、大人しく無言で待つことにした。
着替え終わった皇は、再び士郎の向かいに座る。そしてその後ろに如月が控えるように立っていた。こう見るとやはり艦長と副艦長というだけはあり、様になっている。
「さて、早速だが楠田士郎くん。君は魔王に会ってどう思った?」
「…………綺麗だと思いました。今まで白黒だった俺の世界が、輝いたような気がしたんです。彼女を一目見ただけで、目を奪われて……」
それは紛うことなき士郎の本音だった。
彼女の人間離れした美しさを前に、士郎は痛みを感じることさえ忘れて、ただその姿に魅入られていた。
「そして、殺されかけーーいや、一度殺されたわけだが。それでも君はもう一度魔王に会いたいと思っているか?」
「会いたいです。彼女に会えば、俺は自分を取り戻せる気がする」
「ならば僕たちは君を歓迎しよう!士郎くん、君は今日から『デュランダル』の一員だ。共に魔王と世界を守ろう!」
「……魔王"と"?というか世界?」
「ふふふ、困惑しているね。そんな君も大丈夫、今からちゃんと説明するよ」
やけに楽しそうに皇は話し始めた。このままだと皇のテンションに呑まれてしまいそうだった士郎は如月に助け舟を求めようとするが、肝心の副艦長さんは立ったまま眠っているようで役に立たなかった。
そんな如月に気づく様子のない皇は、いつの間にやら机の上に白と黒の二種類の紙を用意していた。
「いいかい士郎くん。まず魔王という存在だが、そもそもこちらの世界の存在ではないんだ。僕たちのいる世界がこっちの白い紙だとして、魔王はこっちの黒い紙の世界、『ブレイヴ』では魔界と呼んでいる世界に存在している。普段は二つの世界が交わることはないのだけど、稀に二つが衝突して、一部分だけが繋がることがある。そして世界というのは衝突したその場所は統合を始めてしまうものでね」
皇は机に置いた二枚の紙の端部分だけを、輪っか状にしたセロテープをいくつか貼って重ねた。
「この時点で問題は無い。しかし、この二つはお互い元に戻ろうと徐々に離れていきーーやがてまた二つの世界は完全に分離する」
ビリビリと音を立てて、二枚の紙が剥がれた。白い紙には破れた黒い紙の切れ端が、黒い紙には破れた白い紙の切れ端が疎らにくっついたままだ。
「この世界と世界が離れた時に起こるのがー
ー」
「【滅災】……?」
「そう、世間を騒がせる【滅災】は説明不可能な超常現象ではなく、世界と世界が離れる瞬間に、向こうに引っ張られて消えているだけに過ぎないんだよ。とはいえ、分類的には天災だから理由が分かっても対策を立てられない。その【滅災】が起きるのはこっちだけでなく魔界でも同じだ。そして魔界にも【滅災】が起こった場合、それに巻き込まれた魔王がこちらの世界に現れることもある。ここまでが魔王がこっちの世界に現れる原理だけど、OK?」
士郎は頷く。皇の説明は分かりやすかった。要は世界がくっついたり離れたりすると、お互いに相手の世界の一部を人や建物ごと持って帰ってしまうということだ。
そこまで考えて、士郎はふと疑問に思った。
「【滅災】の理屈は分かりましたけど、それなら魔界のものもこっちの世界に現れるんじゃないんですか?【滅災】が起き始めてからそういうの聞いたことないですけど……」
「いい質問だ、士郎くん。確かに【滅災】は魔界でも起こっている。だが魔界には【滅災】で目に見えてこちらに来るようなものが存在しないんだ」
「存在しない?」
「魔界には何もないんだよ。膨大な量の魔力の中に、魔王が漂っているだけで。だから向こうで【滅災】が起きてもこっちの世界には何も現れないんだ、魔王を除いては」
「じゃあ、こっちから【滅災】で魔界へ消えた人や物はどうなってるんですか。魔界でまた【滅災】に巻き込まれたら戻ってこれたりとか……」
「残念だが、それはない。魔力は魔王の力そのものと言える、そんなものが充満した世界では鉄筋コンクリートだろうと人間だろうと一瞬で崩壊する」
「そう、ですか……」
もしかしたらと期待した士郎だったが、その希望はあっさりと砕かれた。もし【滅災】に巻き込まれても生きているなら士郎の両親も生きているかもしれないと、そう思ったがそんなにうまい話はないらしい。
「では次は魔王という存在についてだ。正直に言うと、まだその正体についてはハッキリしていない。あれが人体と同じ構成なのか、それとも形が似ているだけの全く別の生物なのかすら分からない」
「じゃあ今のところ分かってるのってーー」
「魔王はデタラメな力を持っている、ということぐらいかな」
「それ魔王についてほとんど分かってないのでは?」
「恥ずかしながら、そういうことになるな。しかし、魔王の力そのものである魔力についての研究は、ある程度進んでいるよ」
「あー、そういえば俺の中の光力……でしたっけ?あれって何ですか」
士郎の体に眠るという光力。如月の見解では魔力を相殺し、さらに本来なら死んでいた士郎の命を繋いだりもした。この力については如月も初めて見たようだったし、たった一日でどこまで研究が進むのかも士郎には分からないが、一応聞いてみた。
「一日二日で全貌が明らかになるということはないが、今のところ判明している光力の作用について教えておこう。まず光力の特徴だが、大きく分けて三つあった」
「三つ?」
「一つずつ説明していくよ。まず一つ目、光力はその持ち主に強大な力を与える。まだ君に実感はないと思うが、使いこなすことができれば魔王に対抗し得る武器になるかもしれない」
「戦うってことですか?彼女と」
魔王の異常さを身をもって痛感した士郎からすれば、論外だった。いくら光力にそんな力があっても彼女とは勝負にならない。
言い方は悪いが、正真正銘の化物のような強さなのだ。
「やむを得ない状況にならない限りは大丈夫だよ。僕たち『デュランダル』はもちろん『ブレイヴ』としても、魔王と刃を交えるのは望んでいない。魔王もまた、保護すべき対象だからね」
「そういえばさっきも言ってましたね。魔王と世界を守るって」
「そうだね、それも後でちゃんと説明するよ。でもその前に光力についてだ、次は光力の再生力について。士郎くん、君は両手足を失い心臓を貫かれたわけだが……」
一体どういう理屈で士郎は助かったのだろう。本来なら死んで然るべきなのだが、幸運なことに五体満足で目を覚ましたのだ。
「具体なことは分からなかった。これに関しては君自身に怪我をしてもらうしか確かめようがないが、そこまでしてもらおうとも思っていない」
「研究のために怪我してくれって言われたら断りますよ」
「そんなことは言わないから安心してくれたまえ。さて、じゃあ最後の特徴だ。これは本当の本当に魔王に対する切り札になる、如月くん」
どこか飄々としていた皇の表情が引き締まる。数秒前とは雰囲気が変わり別人のようだ。この人が艦長というのは間違いないらしいと、半裸でいたことを差し引いてもそう思わせられる程だった。
ふと気づけば皇の後ろに控えていた如月も目を覚ましている。こちらも気怠そうな表情から打って変わって敏腕秘書のようなオーラを感じる。
「楠田士郎君……いや、君も同じ『デュランダル』の仲間だ。士郎と呼ばせて貰っても?」
「あ、はい。どうぞ」
「では士郎、光力が魔力を相殺できるかもしれないと言ったことは覚えているかい?」
「はい、確か俺の体から魔力が一切検知されなかったんですよね?」
「そう。検知されなかった。でもね、魔力が無くなったわけじゃなかったんだよ」
「どういうことですか」
「魔力は確かに残っていたんだ。しかし検知することはできなかった。それは何故だと思う?」
「……光力が、原因なんですよね?」
「そうだ。答えを言うと、光力が魔力を内部に隠してしまったんだ。だから検知することができなかった」
「…………つまり?」
「光力が魔力を包み込んで封印しているような状態だ。その状態の魔力は不活性化され保存される。安全な魔力貯蔵庫だと思ってくれ」
「なる、ほど……?」
なんとなく理解はした士郎だったが、いまいちピンと来ない。魔力を不活性化させて保存できるのはいいが、果たしてそれが魔王に対する切り札になるのだろうか。
魔力を封印できたとしても、あの理不尽極まりない暴虐を無効化できないことを士郎は身をもって知っている。まさか〈ムラマサ〉の魔力が尽きるまで、ゾンビアタックし続けるつもりなのだろうか。
いくらなんでもそれでは士郎の身がもたない。〈ムラマサ〉の魔力より先に士郎の精神力が底をつくだろう。
と、そんな士郎の考えを表情から読み取った如月は、柔和な笑みを浮かべる。
「安心してくれ。君と魔王の根比べ勝負に持ち込むつもりは無いよ」
「……ですよね」
「君が狙うのは魔王の魔力の中で大多数を占める〈眷属〉と呼ばれるものだ」
「〈眷属〉?」
「魔王の主となる武装のことを私たちはそう呼んでいる。君も見ただろう、どこからともなく召喚されたあの刀を」
「あれが〈眷属〉……」
確かにあの刀をどこから取り出したのか士郎はずっと疑問に思っていたが、まさかそんな代物だったとは。召喚ということは、本当にどこからともなく顕れるということなのだろう。
「〈眷属〉を封印することができれば、魔王の戦闘力は著しく低下する。そうなってしまえば魔王も少し人間離れしたか弱い女の子というわけだ」
「か弱い女の子……」
「そうだ。それならいくら魔王といえど、こちらの世界で生活しても問題ないだろう?」
「それが『ブレイヴ』の目的ですか?」
「そうだとも」
士郎の問いに答えたのは皇だった。
「魔王と呼ばれる存在は確かに脅威だ。たった一人で世界を滅ぼすこともできるだろう。だがこちらも相当の戦力を投入すれば魔王に対抗できるかもしれない。しかしそれで魔王を討てたとして、戦場となった場所もただでは済まないだろう。もちろん死傷者だって出る。だから僕たちは考えた、魔王も世界も両方救う手立てはないかと!」
「そこに都合よく俺が現れたってことですか」
「そう、言い方は悪いがその通りだよ。そしてこれも都合のいいことに、君はもう一度〈ムラマサ〉と会いたがっていた」
「一つだけ訊いてもいいですか。〈眷属〉が封印された魔王はどうなるんですか」
「こちらで戸籍と住居を用意し、生活のサポートをするつもりだよ。魔王が望むのであれば学校に通ってもらっても構わないと考えている。最終的には普通の人間と同じように、社会に適合してもらいたい。これは我々『デュランダル』だけではなく『ブレイヴ』という組織全体の方針だ」
皇の目は嘘を言っていないようだ。士郎は安心した。もし魔王が研究のために様々な実験に付き合わされるようなら、この話はなかったことにしてやろうと思っていたからだ。
確かに〈ムラマサ〉は言葉で言い表せないほど綺麗だった。もう一度会えばきっと士郎は失った何かを取り戻すことができるだろう。
しかし、そのために彼女を不幸にすることはあってはならないと思っている。昨日はあまりの美しさに目を奪われて不躾な態度をとってしまった気がしなくもないが、次はもっとちゃんと彼女と対話しなくては。
「ーー分かりました。俺も協力します」
「ありがとう。では早速で悪いが、三日後に〈ムラマサ〉と接触してもらう。そのための作戦は明日の放課後にでも伝えるから、今日は帰ってもらって構わないよ。何か聞きたいことがあれば答えるけど、どうかな?」
「えっと、三日後にもう接触って……」
「早急なのは分かっているよ、でも魔王を無力化するのは早いに越したことはないのでね。我々『ブレイヴ』以外にも魔王を狙っている組織もないわけじゃない。流石に向こうは士郎くんのようなジョーカーがいるとは考えにくいし、そんなに早く行動に移せないとは思うけど、念の為にね」
「なるほど……そういうことなら分かりました。俺も誰かに邪魔をされるのは嫌ですし」
「ありがとう。そう言ってくれると僕たちも助かるよ。ーー如月くん、士郎くんを地上まで送ってあげてくれ」
「はい。それじゃあ行こうか、士郎」
「あ、はい。それじゃ、失礼します」
「ああ、また明日ね」
如月に連れられ士郎は応接室を後にする。最初に半裸で現れた時はどうなるかと思ったが、皇は想像以上にまともな人っぽかった。
最初に半裸だったのも士郎を緊張させないためだったし、ちょっと方向がズレているだけで根は真面目で気さくな人物なのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、不意に如月がその足を止めて、士郎の方を振り返る。
「……如月さん?」
「士郎、君はなんというか、落ち着いているな」
「そうですか?実は死ぬほど緊張してるかも知れませんよ」
「そういうところだよ。怖いとは感じないのかい?」
「そういう気持ちも少しはあります……でもそれ以上に、俺は彼女に会って話をしたいんです」
「ーーそうか。何が君をそこまでさせるのか、と訊くのは野暮だろうな。だが無理はしないでくれ」
「大丈夫ですよ、俺死なないみたいなんで」
冗談めかして士郎は言った。如月の返答はなかったので、どういう思いだったのかは分からない。
実際問題、士郎という切り札を失うのは『デュランダル』にとってかなりの痛手になる。
しかし、その切り札が不死身だという。それはつまり、倫理的な問題さえ無視すれば最適解をひたすら当てはめるだけでいいのだ。
その結果、士郎という人間がどうなるかは想像に難くない。
「さあ、今日は帰ってゆっくり休みたまえ。明日も今日と同じ時間に屋上で待っているよ」
「分かりました。それじゃあまた明日」
「ああ、また明日」
短い挨拶を交わし、転送マシンへ入る士郎。次に目を開くとそこは楠田家の玄関前だ。やはり『デュランダル』の技術は凄まじい。ともすれば今も上空に『デュランダル』が飛んでいると考えると、なんだか不思議な気持ちだ。
光学迷彩で艦を隠しているとはいえ、かなりの大きさがあるはずだ。どこか一箇所ぐらい綻びがありそうなものだがーー。
「あれ?お兄ちゃん、もう帰ってたんだ。遅くなるかもって言ってなかった?」
「双葉、おかえり。思ったより用事が早く終わったんだ」
士郎はちょうど同じタイミングで帰ってきた双葉と一緒に家に入った。
士郎が転送された直後に双葉が帰ってきたのだが、その瞬間を見られていないか少し不安な士郎だった。
その日の晩、夕食を終えた士郎と双葉が二人並んでソファでテレビを見ていた時のことだ。唐突に双葉がこんな話を始めた。
「そういえばお兄ちゃん、最近噂になってる女子高生のこと知ってる?」
「なんだそれ、都市伝説か?」
「一応目撃証言とかもいくつかあるみたいなんだけど、どれも信憑性に欠けるというか……お兄ちゃんと同じ天前高校の制服を着た黒髪ですっごい美人な女子高生らしいんだけど、なんか刀とか持ってるみたいで……」
士郎と同じ天前高校の制服を着ている、黒髪で刀を持った美少女?
おそらく〈ムラマサ〉だ。彼女の姿を見た人たちの間で噂となっているのだろう。いくらなんでも日本刀を携えた女子高生が歩いていれば、嫌でも目に付く。しかもあの刀はただの刀ではなく〈眷属〉と呼ばれる魔王の力そのものみたいな存在だ。一般人から見ても「何かが違う」ということが分かるのだろう。
「その女子高生って、どの辺で見た人が多いか分かるか?」
「えーっと……確か前まではお兄ちゃんの学校の周辺が多かったんだけど、昨日と今日はショッピングモールで見かけた人がいたみたいだよ。何か心当たりあるの?」
「いや、そんなに可愛いなら会いに行ってみようかなって」
そんな適当なことを言いながら士郎は考える。
士郎が〈ムラマサ〉と会ったのが一昨日のことだ。恐らく士郎を殺したことで警察などの目が増えることを嫌ったのだろう。〈ムラマサ〉はなぜか天前高校の制服を着ているが、生徒ではないのだ。そんな人物が見つかれば真っ先に怪しまれる。
だから行動範囲を、学校から自転車で二十分ほどかかるショッピングモールの方に移したのだろう。警察などの捜査範囲から考えれば些細な距離ではあるが、本人の気持ちの問題なのかもしれない。
しかしそもそも、士郎は死んでいないのだからそれも杞憂というものだ。
とりあえずこのことは『デュランダル』で行われる作戦会議の時に共有しておくべきだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
授業を終えた士郎は『デュランダル』へ向かうべく、屋上へと足を向けていた。昨晩、双葉から聞いた目撃情報を伝えることもそうだが、何より士郎にヘマは許されない。
表には出ていないが、実際士郎は今までの人生で味わったことの無いほど緊張していた。
具体的には、山のように積まれたプリントを運ぶ、目の前の小柄な女子生徒に気が付かない程に。
「ーーきゃっ!?」
「うわっ!」
ばささっ、と女子生徒の運んでいたプリントが廊下に散らばり、驚いた女子生徒はそのまますっ転んでしまった。
「きゅぅ〜〜……」
「悪い、ちょっと考え事してて見えなかった。怪我してないか?」
不思議な呻き声をあげる女子生徒に手を貸して立たせた士郎は、散らばったプリントを拾いながら訊ねる。
女子生徒は自分の全身を見回し、最後に首から下げた翡翠色の指輪のようなアクセサリを確認してから笑顔で答えた。少し緑がかったショートヘアと、翠石のような瞳がどこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
制服のリボンの色が士郎とは違って赤色なので、どうやら一年生らしい。ちなみに士郎は二年で青色、三年生は緑色だ。
「はい!怪我は無いみたいです!先輩の方こそ怪我とかしてないですか?」
「うん、俺は大丈夫だ。それよりこれ、全部一人で運ぶのか?」
「そうですね、職員室まで」
散らばったプリントを全部集めると、相当な量になった。これだけ積まれていると、この小柄な女子生徒では前も見えそうにない。職員室へ行くには階段を降りる必要もあるし、前が見えなくては流石に危ないだろう。
少し考えてから、如月との約束の時間まで余裕があったので、士郎は女子生徒を手伝うことにした。
「これも何かの縁だ、俺も手伝うよ」
「いいんですか!やったー」
目をキラキラと輝かせて、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。第一印象では神秘的と感じたが、話してみると全然そんなことなかった。
「私、水無月茉莉っていいます。茉莉ちゃんって呼んでください!」
「俺は楠田士郎。よろしく、茉莉ちゃん」
「よろしくお願いします、士郎先輩」
距離感がやけに近い茉莉に、近所の飼い犬の姿が重なってしまった。士郎がたまーに遊んであげる時と反応が完全に一致しているのだ。可愛らしいが女の子としてよりは、どちらかと言えば妹のような可愛さに近い。
「じゃあさっさと、お使い終わらせるか」
「いえーい!」
やたらとテンションの高い茉莉と共に、士郎は職員室へ向かう。途中差し掛かった階段では、ご機嫌な茉莉が足を滑らせかけるという小さなハプニングはあったが、無事に職員室へプリントを運ぶことができた。
その過程で分かったことは、茉莉は底抜けに明るくテンションが高いということだ。おかげで士郎は、茉莉と会う前まで死ぬほど緊張していたことすら忘れている。
「いやー助かりました、士郎先輩ありがとうございます!」
「いいよ、これぐらい。俺も不注意でぶつかっちゃったし、何より茉莉ちゃん一人だと階段とか危なかったしな」
「優しいなぁ……そうだ、お礼と言ってはなんですが……これどうぞ!」
茉莉はポケットから翡翠色の指輪を取り出して、士郎へと渡した。その指輪は茉莉が首から下げているアクセサリと瓜二つのものだ。
「無くさないでくださいよ?そのお守りはきっと先輩を、ありとあらゆる災難から守ってくれますから!今日、私が先輩と出会ったみたいに!」
「それは効き目がありそうだな。ありがとう、大切にするよ」
「そうですよ、肌身離さず我が子のように大切にしてあげてくださいね!それじゃあ私はこのへんで、さよならー!」
指輪を渡して満足したのか、茉莉は一瞬で士郎の目の前から姿を消した。茉莉から貰った翡翠色の指輪を試しに付けてみようとしてみたが、士郎と茉莉では指のサイズが違いすぎて小指にすら入らない。
仕方がないので指輪はポケットにしまって、士郎は屋上へと向かう。時間にはまだ少し余裕があったが、如月はまた早めに着いているだろうし問題ないだろう。
「やあ、今日も早かったね」
「如月さんこそ、まだ十五分前ですよ」
「人を待たせるのは嫌いでね。それじゃあ少し早いが向かうとしよう」
士郎がこくりと頷くとその全身が光に包まれ、次の瞬間にはもう見慣れた『デュランダル』の転送室だ。この景色には慣れたが、やはり瞬間移動する感覚は不思議なものがある。
「ところで如月さん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
「なんだい?あまりプライベートな質問には答えられないが」
「そういうのじゃないです」
「冗談だよ、それで聞きたいこととは?」
士郎の聞きたいこと、それは今回の作戦において大前提となることだ。これを聞いておかないことにはそもそも作戦を実行に移すこともできないだろう。それほどに大切なことを、士郎は昨日の皇との会話で訊ね損ねた。というかその場の勢いだけで話が進んだので聞きそびれたと言うべきか。
何はどうあれ、士郎がこの作戦の大前提となる情報を知らないというのは『デュランダル』にとってもマイナスである。ならば作戦会議が始まる前に前提となる情報の共有ぐらいはしておくべきだ。
「ーー〈眷属〉の封印ってどうすればいいんですか?」
「ーーーー」
「如月さん?」
「ーーすまない、そういえばそれを伝え忘れていた。完全に私のミスだ」
「いや、俺がちゃんと確認しなかったのもありますから」
「そう言ってくれるとありがたいよ。それじゃあ、会議の前に簡単に説明しておこう。君がどのようにして魔王の持つ〈眷属〉を封印するのか、それはーー」
「それは……?」
「魔王と仲良くなってもらう」
「……はい?」
「魔王と仲良くなってもらう」
「聞こえなかったわけじゃないです、理解できなかっただけで」
〈眷属〉の封印に魔王と仲良くなる必要があるのか。意味というか、意図が分からない。
士郎はてっきり魔王をどこかにおびき出して封印するものだと思っていた。その囮として士郎が抜擢されているのだと。
しかし、蓋を開けてみれば魔王と仲良くなるだなんて、予想外もいいところだ。おかげさまで士郎の緊張は完全に消え去った。
「〈眷属〉とはそもそも魔王の力の一部であるから、封印するにはそれを譲ってもらうか、魔王から奪い取るしかないんだ」
「奪い取る方が可能性高くないですか、それ……」
「魔王は〈眷属〉を召喚することができる。例えば〈眷属〉が君の手元にあったとしてもね。そして〈眷属〉の封印はそれほど短時間で終わらせられるようなものじゃない」
「〈眷属〉の召喚すらできないぐらい弱らせたりって……」
如月は首を横に振る。そんなことは〈ムラマサ〉の力を身をもって体験した士郎が一番よく分かっていた。少し聞いてみただけだ。
しかしそうなると、本当に士郎と〈ムラマサ〉が仲良くなるしかないらしい。どれだけ好感度を上げれば〈眷属〉を封印させてくれるほどになるのだろうか。
「幸いにも士郎、君の容姿は一般人のそれよりは整っているから安心するといい。あとは〈ムラマサ〉を口説き落とすだけだ」
「それが一番難しいですよね……?」
「安心したまえ、我々『デュランダル』も無策で君を危険に晒すことはないさ。全力でサポートさせてもらうから、士郎は士郎のやりたいようにすればいい」
「殺されないように頑張りますね……」
「大丈夫、殺されても死なないからーーさあ着いたよ。ここが艦橋だが、入る前にもう一つ話しておくことがある」
「なんですか?」
「君のことについてだが、今日の会議で初めて知る人間もいる。これは私と艦長が、君の力が本当に魔王に対抗し得るか判明するまで『デュランダル』搭乗員に伏せていたからなのだが……もしかするとそのせいで、心無い言葉を吐く輩がいるかもしれない」
「大丈夫ですよ、何を言われたって俺のやることは変わらないでしょ?」
「ーーそうだな、もし何か言われても君が気にする必要はない」
「ええ、それに『デュランダル』の艦長と副艦長が俺の味方してくれるんなら、少なくともこの艦の中じゃ怖いものなしですよ」
士郎は自信満々に艦橋へと足を踏み入れる。そこでまず目に入ったのは巨大なモニターだ。学校のプールをそのままくっつけたんじゃないかと、一瞬そう思った程には大きい。そのモニターには様々な映像が分割して映されていて、中には天前高校や楠田家のものもあった。おそらくこれで地上を観測しているのだろう。
次に士郎が驚いたのは、その搭乗員の少なさだ。モニターとは別に無数の機械が連結されたような機器があり、おそらくこれで『デュランダル』の状態をリアルタイムでチェックしているのだろうが、その前にはたった二人しか座っていない。他にもいくつか席は用意されているが、どれもが空席だった。つまり、たった二人で『デュランダル』を飛ばしているということなのだろう。
「どうかしたかい、士郎」
「いえ、なんでもないです」
よく墜ちずに飛んでるなと思ったが、それを口にするような真似はしない。きっとこれが普通なのだろう。彼らはとてつもなく優秀なのだ、きっと。
「それより如月さん。作戦会議はいつから?」
「あと五分もすれば艦長がやってくる。それまでモニターで街の様子でも見ているといい」
言われた通りに、士郎はいくつもの映像が映し出されるモニターへ目を向ける。
やはり気になるのは自宅の映された画面だ。ちょうど双葉が帰ってきたようで、玄関から家の中へ入っていく様子が見てとれた。
次に士郎が選んだのは、学校の屋上を映した画面だ。つい数分前まで士郎と如月がそこにいたのだが、今は誰の姿も見えない。
他の映像も見てみるが、どれも普段と変わらない穏やかな街の様子を映すだけで面白みに欠ける。
そういえば、と士郎は昨晩双葉から聞いた話を思い出した。天前高校の制服を着た刀を持った女子生徒が、ショッピングモールに出現するという噂だ。
「…………いないか」
もしかしたらと思ったが、話はそう簡単に行かないらしい。士郎が小さくため息をつくとほぼ同時に、皇が艦橋へとやってくる。
今日は上からじゃなくちゃんと扉から入ってきた。
「すまない、少し遅れたね。如月くん、もう全員揃っているか?」
「いえ、いろはがまだです」
「そうか……待っていても仕方ないな、始めるとしよう。彼女も気が向けば顔ぐらい出してくれるだろう」
「そうですね。ーーではこれから〈ムラマサ〉攻略の作戦会議を始める。全員集まってくれ」
如月が声をかけると、『デュランダル』を操縦していたであろう二人が立ち上がって士郎たちの方へとやってくる。手を離しても大丈夫なのだろうか。
その間に、士郎たちの目の前には床がせり上がって大きな机ができあがった。その様子に目を丸くした士郎だったが、直後にさらに驚くことになった。
机の周りにいきなり人の影のようなものがいくつか現れたのだ。立体ではあるのだが、のっぺりとして正直言うと不気味でしかない。
士郎のそんな様子を見かねたのか、『デュランダル』の搭乗員の一人、短髪でガタイのいい男が耳打ちをする。
「あれはここにいない人が会議に参加するための立体映像だ。コスト削減のためにあんな姿になってるだけだよ」
「そうなんですね……」
そんな理由で立体映像が影人間のようになっているとは思いもしなかった士郎は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ーーさて、まずは『デュランダル』搭乗員諸君に、正式に彼を紹介するところから始めたい。士郎くん、こっちへ」
皇に言われるがまま、士郎はその隣へ移動する。影のような立体映像でも、誰かに見られているということはわかった。それが決して好意的な視線でないということも。
「彼は楠田士郎くん。我々『デュランダル』。ひいては『ブレイヴ』、そして魔王にとっても救世主になるかもしれない子だ」
紹介に与った士郎は立体映像に向かって、軽く首を前に出して挨拶をする。その横で如月が士郎の光力について説明を始めた。
魔王の力を無力化し、一般人同然にまですることが理論上可能であることを説明する。士郎が聞いた時よりも詳しく、それでいてわかり易く解説されたそれに反論の余地がないことは、素人の士郎からしても明らかだった。
立体映像の向こうにいる人間も、どこか不満はあるような雰囲気だったが、如月の完璧な理論には隙がなかった。
しかし、それはあくまで光力が魔力を封印できる。という点についてだけだ。
一応は満場一致という形で会議が進行しようとしたその時、士郎の向かいにいた生身の人間、先程耳打ちで立体映像のことを教えてくれた短髪でガタイのいい男が口を開いた。
「その光力というので〈眷属〉を封印して、魔王を無力化することが可能なのはわかりました。でもその後はどうなるんですか?魔王を魔王たらしめる〈眷属〉程の力を封印して、彼の体は大丈夫なんですか?いくら魔力を封印できたとしても、その後に彼が暴走でもするようなことになれば振り出しです」
「ふむ……佐久間、確かに君の意見も一理ある。正直に言うと〈眷属〉を封印した後に、その魔力によって士郎が暴走する可能性はゼロではない。しかし限りなくゼロに近いんだ。ーーなぜだかわかるかい?」
如月は佐久間と呼ばれたガタイのいい男ではなく、士郎に向かって訊ねる。如月が訊ねたということは、士郎はその答えを知っているということだろう。
封印した〈眷属〉の魔力で暴走する可能性が限りなくゼロに近い理由。もう少しでわかりそうなのだが、あと一つピースが足りない。士郎がそんな表情をしていると、如月から助け舟が出された。
「ではヒントだ。どうも魔王の〈眷属〉というのはただの魔力の塊ではなく、少なからず意思を持つらしい。漫画なんかで『持ち主の想いに応える』武器があったりするだろう?あれみたいなものだ」
「ーー〈眷属〉の封印の方法、ですか?」
「正解だ。今回の作戦における〈眷属〉の封印が予定通り成功すれば、暴走の可能性はゼロと呼んでも良い」
予定通り成功すれば。これが士郎にとって一番の難関になるのだが、今更そんなことを言ってもどうにもならない。
そのための作戦会議なのだから、今は成功するビジョンが見えなくとも、この会議が終わる頃にはそんな不安も解消されているはずだ。きっと……。
「今回の作戦では〈眷属〉を封印するために、士郎には魔王と対話をしてもらうことになっている。話し合いをし、合意のうえで〈眷属〉を封印させてもらう。これならば〈眷属〉が封印されてから暴走することもない。魔王相手にどこまで話ができるのか、そこから始めなくてはならない作戦だが、正面切って魔王と戦闘を行うよりよっぽど安全で成功率の高い作戦だと考えているよ。これで満足かな、佐久間」
「ーー楠田君はこの作戦のことをどう思っている?」
「俺は、そうですね……不安が無いって言えば嘘になります。魔王の理不尽さは知ってますし、本当に話ができるのかも怪しい……でも俺思うんです、魔王だって別に好んでこの世界に来たわけじゃないんだろうって。【滅災】に巻き込まれて、いきなり見知らぬ世界に放り出されて、きっと不安なんです。俺はそんな彼女を救いたい。その不安を取り除くためならーー〈眷属〉の封印だけじゃなく、魔王を人間として受け入れることが目的なら、話し合うのが一番効果的だと思います」
「ーーそうか、君がそう思っているなら問題ない。ありがとう。すみません、会議を中断させてしまって」
「問題ないよ、佐久間くんの不安も最もだし、士郎くんの意思確認にもなったしね。さて、では諸君。今のことを踏まえた上で魔王〈ムラマサ〉の攻略を進めたいと思う。まずは〈ムラマサ〉の行動範囲についてだ、佐久間くん、小野くん」
皇に名を呼ばれて動いたのは佐久間と、その隣にいた髪が長く背の低い女性だ。
二人は机の上にこの街の地図を広げ、複数箇所に丸印を付けながら説明する。
「〈ムラマサ〉が目撃されたのは楠田君の通う天前高校と、そこから少し歩いた商店街、そしてここ数日はショッピングモールでも目撃者がいます。おそらく楠田君の件が原因で怪しまれることを嫌ったのかと」
「ということは、今はショッピングモールを中心に活動しているということか」
「そうなります。それと、いつも決まって夕暮れ頃に現れます。それまでどこに隠れているのかはわかりませんが……」
「ーーあっ」
佐久間の言葉を聞いて、士郎は教室で〈ムラマサ〉と遭遇した時のことを思い出した。それを言おうか迷っていると、佐久間が話を止めて士郎の方を見た。
「楠田君、何か気になることがあるなら言ってくれ。〈ムラマサ〉と直に接触した君しか気づいていないことがあるかもしれない」
「あ、はい……その、俺の勘違いかもしれないんですけど……俺が初めて〈ムラマサ〉と出会った日に、夕日を眺めてた気がします」
「夕日を?」
「はい。教室の窓から夕日の方を真っ直ぐ見てました」
「夕日、夕日か……悪くないかもしれない」
そう呟いたのは如月だ。夕日というワードで何か思いついたのだろうか。
「〈ムラマサ〉の好きなものを知ることができたのは大きい。彼女の行動パターンを読み取る材料にもなるし、何より作戦の成功率に関わってくるが……問題はどうやって〈ムラマサ〉と士郎を接触させるかだな」
「普通に行くのは駄目なんですか?」
「士郎、君は〈ムラマサ〉に一度殺されたことを忘れてないかい?そんな相手がいきなりやって来ては不審がられるだろう」
如月の言い分は最もだ。
自分の手で殺したはずの人間がいきなり目の前に現れたら、怖がるにせよ驚くにせよまともに会話なんてできないだろう。
ならばどうやって〈ムラマサ〉と士郎が接触するのか。士郎が一度殺された事実がひっくり返ることはなく、それがひっくり返らなければどうやったってまともに〈ムラマサ〉と接触することはできないだろう。
「ーーめちゃくちゃ難しくないですか?」
「最初の接触と〈眷属〉封印を持ちかけるところがこの作戦の山場だ。この二点さえ解決できれば作戦は成功したものと考えていいだろう」
だからといって、死者がいきなり目の前に現れることを不審がらせない方法なんてあるのだろうか。いっそ幽霊のフリをして出てみるのも良いかもしれない。
「一種の賭けですけど、光力のことも〈眷属〉を封印するってことも全部正直に話すっていうのは……」
「それも手の一つだよ。だが〈ムラマサ〉が我々の目的を知って賛同するかは未知数だ。断られるリスクの方が大きいだろう。それにそれだと士郎くんが危険に晒されることになる」
そう言ったのは皇だ。士郎も既に『デュランダル』の一員とされた今、艦長として仲間が傷つくのは避けたいのだろう。
しかし士郎は引き下がらなかった。確かに皇の言う通り、正直に話しても〈ムラマサ〉の同意が得られるかはわからない。だがそもそも、話してみないことにはごく僅かな可能性にかけることもできない。それを実行するには、士郎が少し覚悟を決めて体を張ればいいだけなのだ。
「心配してくれるのはありがたいです……でもやらせてください!確かに危険な目にあうかもしれないですし、もしかしたらまた殺されるかもしれないですけど、それでも俺は彼女にもう一度会いたいんです」
「……士郎くん、君の覚悟はよくわかった」
「じゃあーー」
「だが駄目だ。例え本人の了承があっても、僕は艦長として、仲間の身を危険に晒す作戦を許可することはできない。仮に許可することがあったとすれば、他にもう打つ手が無くそれを実行しなければ我々の全員が命を落とす時だけだ。ーーまだ会議は始まったばかりなんだ、そう結論を急ぐことは無いよ。できる限り安全な方法を探そう」
「あ、あのぅ……」
士郎も皇の言葉に一応は納得し、何か別の手段を考えようとした時だ。おずおずといった様子で、佐久間の隣にいる髪が長く背の低い女性が手を挙げる。確か小野と呼ばれていた女性だ。
「その……〈ムラマサ〉なんですけど……ここ数日の目撃情報の中で、幾度か一般人と接触しているらしくて……そ、それで……その時に、警官からの職務質問や、酔っ払いに絡まれたこともあるようなんですが……い、一度も一般人相手に……危害を加えていないみたい……です」
「それは本当かい、小野くん?」
「は、はい……こちらを見ていただければ……」
小野は『デュランダル』のモニターに映像を流し始めた。場所は〈ムラマサ〉の出没するというショッピングモールだ。
『デュランダル』の監視していた映像とはまた別のようで、おそらくショッピングモールに元から供えられていた監視カメラの映像だろう。
そこには二人組の警官と話す〈ムラマサ〉の姿があった。〈眷属〉である刀を出しっぱなしにしていたところを見つかったらしいが、どうも揉めているようには見えない。それどころか警官からは笑顔が見て取れた。そして何事も無かったかのように警官はその場を離れる。
「つ、次にこちらを……」
次に映ったのは先ほどと同じ場所で酔っ払いらしきオッサンに絡まれる〈ムラマサ〉の姿だ。声が聴こえないのでわからないが、オッサンは相当ご立腹らしい。さっきから〈ムラマサ〉に対して怒鳴り散らしているのが、音声抜きでも伝わってくる。
しかし〈ムラマサ〉は微動だにせず、ただただオッサンが怒鳴り終えるのを待っている。そしてオッサンがひとしきり怒鳴り終えて落ち着くと、そこでやっと〈ムラマサ〉は口を開いた。もちろん士郎たちには何を言っているのか聴こえてくることはないが、オッサンの顔色がどんどん青くなっていくので〈ムラマサ〉が有利なのだろう。確かにこれでは口喧嘩とは呼べない。
そうこうしているうちに、オッサンは泣きながら走り去っていった。少し可哀想にも見えてくる。
「ーーなるほど。無差別に人間に危害を加えることは無さそうか……如月くんはどう思う?」
「そうですね……ひとまず人通りの多い場所であれば、出会ってすぐ斬られることはないかと。映像を見る限りだと会話もできそうなので、一般人を装った監視員を常に何人か配置しておけば問題ないかと思います」
「ふむ……まだ少し懸念は残るが、多少の危険は容認せざるを得ないか。わかった、士郎くんには〈ムラマサ〉と直接会って理解を得てもらう。その際に話す内容はある程度こちらで決めさせてもらうが構わないかい?」
「はい、ありがとうございます」
ああそれと、と如月が人差し指を立てる。
「一応士郎には対魔力用の防具を着けてもらうことになる。流石に〈眷属〉による攻撃は防げないだろうが、無いよりはマシだろう」
「最も、こちらが危険だと判断したらすぐに『デュランダル』で回収するよ。その間に一撃貰わないように気をつけてほしい」
「一発二発貰ったぐらいじゃ死なないですよ。めちゃくちゃ痛いですけど」
士郎は場を和ませようと軽口を叩いてみたが、如月も皇も少しばかり顔を曇らせた。
どうも士郎が不死性をネタに扱うのはあまり気持ちの良いものではないらしい。以後は自重することにした。
「……ひとまず〈ムラマサ〉と接触することについての問題点は、これでクリアだ。あとはーー」
ジリリリリリッ!!
喧しい警報音が士郎たち全員の鼓膜を叩いた。その中で一番早く動いたのは、意外なことに小野だった。彼女はコンソールのもとへ走り、素早い手つきで何かを打ち込む。
しばらくすると警報音は止まり、巨大モニターには二つの映像が流される。
一つはショッピングモールの映像。そこには一般人に紛れて歩く〈ムラマサ〉の姿がある。
そしてもう一つはーー
「人……いや、ロボット……?」
人間の体なのに、手足だけがやたらとメカメカしい。機械を装着しているとかではなく、本当に腕が何かを発射できるようなブラスターになっていたり、足からは実際にエネルギーを噴射して空を飛んでいる。
そんな機械とも人間とも取れるような物体が十名ほどで隊列を組んでいる。
「艦長、これは……」
「『デモニア』のドール部隊。予想より早いな……、士郎くん!」
「は、はい!」
「作戦変更だ。君には今すぐ〈ムラマサ〉と接触してもらう。突然のことで心許ないと思うが、我々もできる限りのサポートはする。奴らについては地上へ着くまでの間に如月くんに聞いてくれ。如月くん、頼んだよ」
「了解しました。では行こうか、士郎。初任務だ」
早足で艦橋を後にする如月を追って士郎も廊下へ出る。
「如月さん、あのロボットみたいなのって……」
「あれは『デモニア』のドール部隊、高性能AIを搭載したアンドロイドだよ。見た目は限りなく人間に近く、AIのおかげで人間のような会話や受け答えも可能で、擬似的とはいえ感情もあるらしい。体が機械でできていることを除けば、人間と呼んで差し支えない代物だ」
「その『デモニア』っていうのはなんですか?」
「『デモニア』は『ブレイヴ』の敵対組織と考えてもらって構わない。奴らの目的は、魔王の力をもって世界を統治すること、らしい。私たちが魔王を人間にしようとするのに対して、『デモニア』は魔王を魔王としてこの世界に君臨させるつもりなのだろう」
「つまりあのドールっていうのは〈ムラマサ〉を捕まえるために?勝てるんですか、ドールは魔王に」
「どうだろうね、一応の勝算はあるから出撃してきたのだろうが……向こうも〈ムラマサ〉の強さを知らないだろうから今回は無理だろう。だがAIが学習を続ければいつかはドールが魔王を倒す日が来るかもしれない」
「その前に俺が〈眷属〉を封印すればいいんですね」
「その通りだが、今回はそこまで焦って〈眷属〉の封印まで持っていかなくていい。最低ラインとしては〈ムラマサ〉に興味を持ってもらうことだ。君には悪いが、我々の誰一人としてたった一度の接触で〈眷属〉の封印ができるとは考えていない。次にまた会う約束ができれば万々歳ぐらいに思ってもらっていい」
「それはまた気が楽ですね」
士郎は苦笑しながら転送マシンへ足を踏み入れる。
「では士郎、これより〈ムラマサ〉攻略作戦を開始する。目的は魔王〈ムラマサ〉の〈眷属〉の封印だが、さっきも言った通り今回はまだそこまでしなくていい。まずは向こうに興味を持ってもらい、可能であればまた会う約束でもしてくれ」
「はい、それじゃあ行ってきます」
士郎の視界が一瞬ホワイトアウトし、次の瞬間には景色が変わる。
「ーーよし、行くか」
士郎は一目散に駆け出した。〈ムラマサ〉がいたのはショッピングモールの屋上に作られたカフェの一席だ。
ドール部隊とやらが到着する前に〈ムラマサ〉と接触することが、まず士郎のやるべきことだろう。
エレベーターに乗り込み、そこで呼吸を整える。不思議と緊張は無くなっていて、代わりにあるのは心地好い高揚感だ。二階、三階、四階……上へ上へと進む度に胸の高鳴りは抑え難いものに変わっていく。
そして、最上階に着いて鉄の扉がゆっくりと開いた。
さて、士郎の視界には既に件の少女は収まっている。あの日と同じように綺麗な黒髪は夕日を反射し夜空のように煌めく。
〈ムラマサ〉ーー士郎がこれから〈眷属〉を封印しなくてはならない魔王。今は帯刀していないが、その力は未知数だ。唯一言えることは彼女は士郎がどう足掻こうと覆すことのできない力を持っているということ。
しかし士郎は恐れることなく歩を進め、〈ムラマサ〉の座るテーブルのすぐ側で立ち止まった。流石に〈ムラマサ〉も士郎に気づき、訝しげな視線を向ける。
「……私に何か用か」
「俺の顔に見覚えはないか?」
どうも〈ムラマサ〉は士郎のことをすっかり忘れているらしい。そうでなければ死人が目の前に現れたら、もっとリアクションがあってもいいはずだ。
「見覚えはある……が、初対面だ。貴様と同じ顔の人間は先日殺した」
「もし生きてるとしたら?」
「馬鹿馬鹿しい。私は心臓を貫いた、それで死なない人間がいるか」
「そうだな、でも俺は生きてるよ。手足もちゃんとくっついてる」
両手をヒラヒラと動かしてみせた士郎は、〈ムラマサ〉の向かいに腰掛ける。
「同席を許可した覚えはないが?」
「悪いな、俺はコーヒーを飲みに来たんじゃなくて君と話をしに来たんだ。魔王様」
「私を魔王と知っての狼藉か……もう一度死にたいのか?」
「ッーー!!」
〈ムラマサ〉の殺気が士郎の全身を叩いた。蛇に睨まれた蛙なんて生易しいものではない。例え天地がひっくり返ってもどうすることもできない、絶対的な死のイメージが士郎を襲う。
本気だ。目の前の魔王は本気で士郎を殺そうとしている。周囲の人間などに構うことなく士郎を殺し、その後は目撃者も始末するのかもしれない。
「失せろ」
「……い、嫌だと言ったら?」
「ーー〈斬殺鬼〉」
〈ムラマサ〉の手に漆黒の日本刀が現れる。
〈斬殺鬼〉と呼ばれたそれは、そのまま士郎の首筋にあてられた。少しでも動けば士郎の首が宙を舞うことだろう。
「キャンサー……それが〈眷属〉の名前か?」
「〈眷属〉のことも知っているのか……貴様も『デモニア』とやらの使いか。目的はなんだ、まさか貴様一人で私を屈服させるつもりではないよな?」
どうやら〈ムラマサ〉は既に『デモニア』と接触していたらしい。口振りからして一戦交えたようだが、〈ムラマサ〉が無事ということは難なく撃退したのだろう。
「俺は『デモニア』じゃない。それに一人で魔王に対抗できるなんて思ってない」
「……なら何が目的だ?」
「ーー君を人間にする。魔王の力である〈眷属〉を封印して、少し魔力のある程度の人間に」
「〈眷属〉を封印すると聞かされて、はい分かりました、なんて言うと思うか?」
「そう簡単にいかないのはわかってる。でもとりあえず、俺の話だけでも聞いてくれないかな?」
ーー沈黙。
それが一分か十分か、もしくはそれ以上なのかはわからない。ただ確かな沈黙がその場を制する。今の発言で〈ムラマサ〉の機嫌を損ねてしまえば、瞬く間に士郎の首は飛ぶことになるだろう。
そんな緊張のせいか、周囲の人もまるでいなくなったような感覚に陥る。まるでここには士郎と〈ムラマサ〉の二人しかいないような、そんな気がしてきた。
しばらくすると〈ムラマサ〉は〈斬殺鬼〉を下ろし、コーヒーを口に含んだ。いつの間にやら痛いほどの殺気も抑えられている。それでもまだ、ド素人でも感じることができるレベルではあるが。
「……いいだろう、話ぐらいは聞いてやる」
「本当か!」
「二度も私に向かってきた、その度胸に免じてだ。あくまで聞いてやるだけだがな」
「ありがとう、それでも嬉しいよ」
士郎は〈ムラマサ〉に全てを話した。光力を用いて〈眷属〉を封印すること、封印した後の魔王は『ブレイヴ』が責任をもってサポートすること。それだけでなく光力によって士郎が生き永らえたことも伝え、更には自分の両親が【滅災】によって命を落としたこと、そして妹と二人で暮らしていることまで話した。
正直後半は完全にプライベートなことだったが、〈ムラマサ〉は何も言わずに最後まで聞いた。
士郎としても、話さなくていいことまで話してしまった自覚はあるので〈ムラマサ〉の顔色を伺うが、彼女は顎に手を当てて何かを思案しているようだ。
これはもう暫くかかるだろうと判断した士郎は、〈ムラマサ〉から視線を外し日の沈む方へ向けた。日が完全に沈むまではまだかかりそうだ。どうせならこのまま〈ムラマサ〉と一緒に夕日を眺めていたいと、呑気にもそんなことを考えていた時だ。夕日の中に黒い点のようなものが幾つか見えた。
どんどん大きくなる黒点はやがて、人のような形を取り始め、そこで士郎は初めて気づいた。〈ムラマサ〉に会えるという喜びやら何やらで完全に失念していた。士郎がどうしたものかと混乱しているうちに、その姿がハッキリと目視で確認できるほどの距離まで接近している。
間違えようがない、人間の胴に機械の手足を着けたような姿。
「『デモニア』のドール部隊……!」
〈ムラマサ〉の方を見るが、よっぽど集中しているのかドール部隊にはまだ気づいていないようだ。
士郎はそれを知らせようとするが、〈ムラマサ〉はありえない速度で士郎の鼻先に〈斬殺鬼〉を突きつけた。
「見てわからないか?考え中だ、邪魔をするな」
ここから一言でも発しようものなら、漆黒の刀が士郎の頭蓋骨を易々と貫いて頭部を貫通するだろう。そう直感した。
しかしドール部隊はそんな事情も知らなければ、一般人が近くに居るから待ってくれるなんてこともなく、先頭の一機が右腕に装着したブラスターを構えた。
青白い光が収束し球体になる。それは徐々に巨大化していき、直径が五十センチ程になったところで停止した。おそらくあれでフルチャージなのだろう。
〈ムラマサ〉に知らせたい士郎だが、声を出せば殺される。なので士郎は諦めたように椅子に座り直し、その時を待つ。
士郎が大人しくなったことで〈ムラマサ〉も〈斬殺鬼〉を引っ込めた。さっさと考え事が終わってくれればそれが一番なのだが、どうもそう簡単にはいかないらしい。
ドールのブラスターから青白い光球が放たれた。速い、が距離があったおかげか〈ムラマサ〉に被弾するまで数秒の猶予があった。
ほんの数秒だったが、ドール部隊の存在に気づいていた士郎にとってそれは十分過ぎる時間だ。
士郎は勢いよく立ち上がって、〈ムラマサ〉と光球の間に飛び込む。反射的に〈ムラマサ〉が振るった〈斬殺鬼〉の刃が脇腹を掠めたが、致命傷にはならない。
〈ムラマサ〉も自分ではなく隣の空間に士郎が飛び込むとは思いもしなかったから〈斬殺鬼〉は掠めた程度で済んだ。もし〈斬殺鬼〉が士郎に致命傷を与えていたならーー光球が直撃して胴体に風穴の空いた士郎は確実に死ぬだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ーーはっ!」
士郎が目を覚ましたのは『デュランダル』のメディカルルームだ。以前と同じベッドで、同じように寝かされていた。
傍らにはこちらも同じく如月が椅子に座って士郎の様子を見ていた。
「おはよう、よく眠れたかい?」
「え、あ……はい。じゃなくて!」
「まあ落ち着きたまえ。士郎の聞きたいことはわかっている。今から一つずつ教えてあげるよ。まずは、そうだな……」
どこから始めようか、と如月は顎に手を当てる。きっと如月は順序だててわかりやすく説明してくれるのだろう。
だが士郎にとって重要なことはただ一つだけだった。なんならそれ以外のことは聞かなくてもいいほどだ。
「彼女はーー〈ムラマサ〉は無事なんですか!?」
「そうだね、君にとってはそれが一番大切なことだった。ーー安心していい、士郎が庇ったおかげで彼女は無傷だった。それと彼女のことは〈ムラマサ〉ではなく斬華と呼んであげるといい」
「きるか?なんですか、それ」
「彼女の名前だ、自分でそう名乗った」
「彼女と話したんですか?」
「……瀕死の士郎を回収する時に少しね。その時に言っていたよ。次に会う時は魔王ではなく名前で呼んで欲しいそうだ」
「それってどういう……というか次に会う時ってーー!」
「そう。イレギュラーはあったが、とりあえず当初の作戦通りに進んでいるよ。まさか君がまた死にかけるとは思ってもいなかったがね」
「それに関してはすみません、俺もあんなことになると思ってなかったです」
「まあ無事だったから良しとしよう。いや、無事ではなかったのか……?」
「一応ピンピンしてるんで、無事ってことでいいですよ……それより、今何時ですか?あんまり遅くなると妹に怒られるんですけど」
「もうすぐ夜の八時だ。あれだけの怪我をしていながら三時間で目を覚ますとは……流石と言うべきかな」
「もう少し寝ていた方が良かったですか?」
「まさか。早く目が覚めてくれて良かったよ、これで私も仕事に戻れるのでね」
少し皮肉を言ったつもりの士郎だったが、如月の方が何枚か上手だったらしい。
しかしまだ夜の八時なら、もう少しだけ帰るのが遅くなっても問題は無さそうだ。
「如月さん、少しお願いがあるんですけど」
「ん、私も仕事が残っている。手短に頼むよ」
「はい、そんなにかからないと思うんで大丈夫です」
士郎は『デュランダル』から地上へ転送された。場所はいつも通り楠田家の前ーーではなく、夕方に訪れたショッピングモールだ。
士郎が如月に頼んだのは、帰る前にショッピングモールへ寄りたいという内容だった。仕事を理由に断ることもできただろうが、そこは如月の優しさだろう。士郎一人では目的地の設定方法がわからないので、如月に頼むしかなかったのだ。
そうまでして士郎がここを訪れた理由は、言うまでもなく〈ムラマサ〉改め斬華に会うためだ。
正直なところ、士郎のテンションは今最高に上がっていた。如月の手前、平静を装っていが斬華の名前を聞いたばかりか、向こうにもまた自分と会う意思があると分かったことによって、士郎は居ても立ってもいられなくなった。あのまま帰宅しても、興奮で寝付けなくなり深夜にこっそり家を抜け出していただろう。
「さて、とーー」
士郎は迷いなく足を踏み出した。
斬華がまだショッピングモールにいるかどうかは不明であり、いたとしてもどこで何をしているかなんて分かるはずもない。
しかし、士郎は躊躇うことなくエレベーターに乗り込んで最上階のボタンを押す。
ショッピングモールの閉店時間は午後九時なのだが、最上階のカフェはそれよりも早い七時に閉店する。だが一部の席だけは景色を眺めるために、カフェの閉店後も開放されている。実際に流星群の見られる日や、七夕の日にはそれなりの人数が集まったりもする。
なので、今日のような何も無い日に人がいることは珍しい。
士郎が最上階へ着くと、昼間と同じ席に座る斬華の姿があった。その髪は月の光を受けて煌々と輝く。夕陽を反射している時よりもさらに眩しく感じた。
ただ夜空を眺めるだけの姿がここまで画になることがあるだろうか。
「……どうした、こっちへ来ないのか?」
あまりの美しさに立ち惚けていた士郎に対し、意外にも斬華の方から声をかけてきた。しかも近くに来るよう促している。少なくとも敵だとは思われていないようだ。というかむしろ、好意的な印象を持たれているのではないだろうか。どちらにせよ二人の関係が進展したことに変わりはない。
士郎は促されるまま斬華の向かい側の椅子に腰掛けた。
「…………」
「…………」
「…………あ、あの」
「なんだ?」
「いや、大したことじゃないんだけど……そんなにジロジロ見られると照れるというか、恥ずかしいというか……」
「それはすまない、不躾だった」
斬華は士郎から目線を外し、また夜空を見上げる。
「ーー私の名前は聞いたか?」
「確か……斬華だっけ」
「貴様は特別にそう呼ぶことを許そう」
「ありがとう、じゃあ俺の事も士郎って呼んでくれないか?」
「いいだろう。では士郎、最初に貴様に忠告しておくぞ」
斬華は士郎へと視線を戻し、真剣な面持ちで口を開いた。
「士郎のことは信頼しよう。命を賭して私を守ってくれたのだからな、私もそこまで恩知らずではない。だが、貴様の属する組織とやらのことは一切信用していない。士郎も少しは疑って行動すべきだ」
「……ありがとう。でも斬華が心配するようなことはないと思う。まだ会って数日だけど良い人ばかりだよ」
はぁ、と大きなため息をついて、斬華は頭を抱えながら首を振った。士郎の発言に呆れ果てたのが一目瞭然だ。
士郎としても今回の一件は『デュランダル』と士郎の目的が、たまたま一致していたことは理解している。
だがそれを差し引いてもやはり、『デュランダル』で出会った人達が自分を騙そうとしているとは思えなかっただけだ。
「お人好しがすぎるな……では例を挙げよう。さっき士郎が私を庇って死にかけただろう、あの攻撃は『デュランダル』とやらで防げなかったのか?いや、仮に防げなかったとしても貴様に報せるぐらいの猶予はあったのではないか?」
「それを言い出したら、そもそも俺が斬華を庇って信用を得るところまでがこっちの作戦かもしれないだろ?」
「貴様はそんなことしないだろう?」
「そっちも大概お人好しだな」
「…………そのようだな」
斬華が意外そうな顔をする。自覚はなかったらしい。
実際のところ、出撃前にドール部隊が来ていることは知らされていたし、その接近も気づいてはいたのだ。だがそれを教えようとしたのを斬華に止められたから、仕方なく士郎は自分の体を盾にした。
『デュランダル』にはそもそもドール部隊の攻撃を止められるような兵装があるのかすら士郎は知らない。
「さて、雑談はこれぐらいにするか。本題に入ろう」
「え、本題?」
本題とは何のことやら、士郎は完全にその場の勢いだけで斬華に会いに来たので彼女の言う「本題」が何を指すのか理解できていない。強いて言うなら、今斬華と会話できている時点で士郎にとっての目的は既に果たされている。
だがどうも、斬華の方はそう思っていないらしい。
「とぼける必要は無い、私たちの仲だ。士郎の目的はわかっている。〈眷属〉の封印についてだろう。まさかただ話すためだけに来たわけじゃあるまい」
「ははは……まさかー」
「…………」
「…………」
沈黙。
二人は黙ったまま、時間だけが過ぎていく。
どれだけの間かはわからないが、二人の間には虚無の時間が流れていた。
先に痺れを切らしたのは士郎の方だ。斬華は目を見開いたまま微動だにしない。まるで石像のようだ。
「……なんかごめん」
「…………」
「目を覚ましたらさ、如月さんが斬華の名前を教えてくれて。次に会う時はって話も聞かされてさ、それでテンション上がってここに来たからさ……」
「ーーではあれか、貴様は〈眷属〉の封印のためではなく、純粋に私に会うためだけにここに来たということか?」
「まあ……そういうことに」
「何故だ?」
「……え?」
「どうしてそこまで私に会いたがる?私は貴様を一度殺しているんだぞ。恨まれこそすれ、好かれる理由などーー」
「一目惚れ、ってやつだよ。初めて斬華を見た時にさ、今までモノクロだった世界に色が着いたんだ。【滅災】に巻き込まれて両親が死んでから、何も感じなかった俺の心に突き刺さったんだよ。斬華を一目見たあの日、俺は死にかけたけど目を覚まして如月さんに、もう一度君と会いたいかって聞かれてすぐに頷いた。次はちゃんと話してみたいと思ってたけど、さっきは邪魔が入ってほとんど話せなかっただろ。だから俺は今こうして斬華と話せてるだけですごく嬉しいし、斬華と話すためだけにここに来てる」
「ーー終わりか?」
「あ、うん……」
「よし、では腕を出せ」
「……こうか?」
「少し痛むぞ」
俯いていて表情の読めない斬華は、目にも止まらぬ速さで士郎の出した腕の薄皮を〈斬殺鬼〉で斬った。うっすらと出血するが、傷痕が残るほどでもない。今の士郎ならこの程度の傷は一瞬で治癒するだろう。
それよりも、唐突に〈眷属〉を向けた斬華の方はというと、やはり俯いたままだった。
先程との違いと言えば、なにやら小刻みに震えているところぐらいだろうか。
「く、くく……」
「き、斬華……?」
「ははははははは!!」
斬華の笑い声が、閉店間際のショッピングモールに響き渡った。どうやら震えていたのは笑いを堪えていたかららしい。
一体なぜ笑われているのか士郎にはわからない。というか腕を斬られた理由もわからない。
「はぁ……はぁ……すまない。あまりに愉快で笑いが止まらなかった」
「何がそこまで面白かったんだ?」
「どこかのお人好しが、真正面から愛の告白をしてくるものだからな。あまりに真っ直ぐすぎたからつい笑ってしまった。いや本当にすまない」
「笑われるのは心外だけど、まあ楽しんでくれてるならいいよ。それより俺はなんで斬られたんだ?」
「ああ、それはだな。私は〈斬殺鬼〉で斬った者の考えていることが何となく解るんだ。だからさっきの士郎の言ったことが本心なのかを確かめるために斬らせてもらった」
「本心からだったろ?」
「馬鹿正直に思ったことをほぼそのまま口にしていたな。本当に私に会うことだけが目的だとは思わなかったよ」
「一応〈眷属〉の封印もできたらいいな、ぐらいには考えてるけど」
「だが私が嫌だと言えば引き下がるのだろう?」
「そうだな、斬華が嫌がることはしたくない」
「面白いやつだな、士郎は」
士郎と斬華の距離感がある程度縮まったところで、士郎はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで斬華はこっちの世界に来てどれぐらい経つんだ?」
「士郎と会う数日前に来たばかりだったからな、一週間かそこらだろう」
思っていたより最近だった。
「意外と最近だな……その間はどこで生活してたんだ?」
「昼間は街中を歩き回っていたな。夜になれば人目のないビルの屋上なんかで朝を待つ。寒い時期でなくて助かった。暑さと寒さだけは魔王であってもどうにもならないからな」
「ご飯は?」
「食事はしなかったな。魔王は腹は減らないし、それが原因で倒れることも無い。食べれば体内で魔力になるからエネルギーの補給としては最適だし、味も感じるから精神衛生的にも良いが、人間と違って食わねば死ぬという訳ではない」
「風呂は?」
「全身を薄い魔力で覆っている。汚れが付くことは無い。というかそもそもだ、この世界の通貨を持っていないから何も出来ないんだよ。私が魔王でなかったらとっくに野垂れ死んでる」
「昼間コーヒー飲んでなかった?」
「なぜだか知らないが、コーヒーを奢ってくれる物好きな女がいるんだ」
なんだそれは。と士郎はツッコミそうになったが、おそらく本当に物好きな女なのだろうと納得(言い聞かせ)して詳細を聞くことはやめておいた。
「そ、そうか……ちなみにもうすぐここも閉店時間になるけど、その後はどうするつもりなんだ?」
「いつも通りだ、人目のない場所を見つけて朝を待つ」
別にそれで死ぬわけじゃないなら良いのだろう。
飯も食わず、風呂にも入らず、人目のない場所で朝を待つ。およそ人間らしくない、どこか機械じみた生活を送る斬華に、士郎は複雑な感情を抱いていた。
余計なお世話かもしれない、斬華が今の生活を心の底から気に入ってるかもしれない。
そんな心配をしながら、されども士郎は斬華に提案した。
「もし斬華さえ良ければだけど、俺の家に来ないか?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「何者だ、貴様」
「こっちの台詞なんだけど」
「なんで二人とも喧嘩腰なの?」
浮浪者のような生活を送っていた斬華を自宅へ招いた士郎は、双葉に斬華のことを紹介しようしたのだが、玄関先で初対面のはずの二人の間にはバチバチと火花が散っていた。
「お兄ちゃん、この人誰?」
「お兄ちゃんーーということは士郎の妹か。それは失敬、私は斬華。一晩だけ世話になる」
「……え、なに?家出少女拾ってきたの、お兄ちゃん」
違う、と言いたい士郎だが、あながち間違いでもないので否定できなかった。
「……えっと、斬華さんだっけ?何が目的か知らないけど兄に余計なことしないでください。見ての通りウチは両親もいないからお金もないんです。さっさと次の相手を探した方がお互いのためだよ」
「おい双葉ーー!」
士郎の制止も聞かず、双葉は自室へと戻って行った。扉がぶっ壊れるんじゃないかと心配になるような勢いで閉められた。普段の双葉からは想像もできない態度だ。相当怒っているらしい。
「……悪い、斬華。いつもはもっと礼儀正しい子なんだけど……」
「気にするな、兄に素性の知れない女が近づいているのが心配なのだろう。健気な妹じゃないか」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「しかし、あの様子だと私は出ていった方がよさそうだな」
「いやいやいや、大丈夫だって。双葉のやつもさすがに無理矢理追い出したりはしないだろうし」
「馬鹿者。妹はたった一人の家族なのだろう?なら何を置いても優先すべきだ。ーーほら、見てみろ」
斬華の指差す方を見ると、双葉が自室の扉を半開きにして顔を覗かせていた。監視のつもりだろうか。
「本当に普段はあんな感じじゃないんだけどな……」
「私が魔王であることを感じとっているのかもしれないぞ?」
「魔王相手に第一声から喧嘩腰になれるのか、俺の妹は。冗談でもすげえよ」
「将来有望じゃないか」
くつくつと笑った斬華は双葉に向かって小さく手を振ってみせた。
それを双葉は見開いた目で睨みつける。
「相当嫌われているみたいだし、私はそろそろ行くよ」
「悪かったな、せっかくここまで来てもらったのに」
「ふっ、ではまたな」
斬華は優しく微笑むとそのまま楠田家をあとにして、夜の町へと消えていった。
それと同時に、今にも泣きそうな双葉が部屋から出てくる。
どうしたものかと士郎が声をかけようとしたが、それよりも早く双葉は士郎に抱きついてその胸に顔を埋める。そこでようやく士郎は気付いた。双葉の体が小刻みに震えていることに。
「双葉、どうしたんだ?」
「…………ぁ、ぉ……」
「大丈夫か?顔色悪いぞ」
「だい、じょーーうッ……ゔぇ、ッ……おぇっ、げほっげほっ!」
「双葉!?」
ビチャビチャと、その場にへたりこんだ双葉の口から出た吐瀉物が酸っぱい匂いと共に広がる。唯一の救いは夕飯を食べる前で吐瀉物の大半が胃液であることか。
「ごべん、なざい……」
「気にするな。ほら、口元拭いて」
士郎はティッシュを双葉に渡しながら背中をさする。全身がひくひくと痙攣しているような感じだ。
「大丈夫か?体調悪いならちゃんと教えてくれないとーー」
「ちが、うの……」
「違わないから。ほら、落ち着いたら顔洗ってこい。こっちは俺がやっとく。それとも洗面所まで手を貸した方がいいか?」
「……だいじょーぶ」
「うん、じゃあ行ってこい。辛かったらすぐ呼べよ」
「ありがと……」
双葉の足取りがしっかりしていることを確認してから、士郎は吐瀉物の処理に取り掛かる。
とはいえほぼ胃液で、量もそれほど多くなかったのでそこまで時間はかからなかった。
時間にすれば十五分程度だ。士郎の片付けが終わるとほぼ同時に、双葉も洗面所から出てきた。顔色はかなりマシになっていたが、それでもまだ少し青白い。士郎は休ませるためにとりあえずソファに座らせた。
「大丈夫か?」
「うん、だいぶマシになったよ……もう大丈夫、だと思う」
「そっか、でも今日はもう休んどけ」
「…………」
「双葉?まだどこかーー」
「ううん、大丈夫だよ。その、休む前に……もうちょっとだけ、お兄ちゃんと一緒にいたくて……」
「ーーえ?」
「だめ……?」
「駄目じゃない、けど……珍しいな、中学に上がってから言ってこなかったのに」
双葉が小学生の頃はよくこうやっておねだりされたものだったが、ここ最近はめっきり減っていた。今日のように体調を崩しても言うことはなかったので成長したんだな、と士郎は勝手に思って少し寂しさも感じていた。
そんな士郎を余所に、双葉は士郎に寄りかかり、ゆっくりと口を開く。
「ーーさっきの人……怖かった」
「そうか?」
「うん……よくわからないけど、すごく危ない感じがして……」
「それはまた随分曖昧だな……危ない感じって」
「言ってもわからないだろうけど、そういう雰囲気みたいなのがあって……」
「俺は全然そんなの感じなかったけどな」
「それは多分ーーお兄ちゃんも同じだからだよ。この前、彼女さんのところから帰ってきた日からだけど」
「え?」
そんな日あったか?と一瞬考えたが、士郎が初めて斬華と会った翌日のことだ。如月が勝手に士郎の彼女を騙って双葉に電話していた。
しかし、斬華と同じ雰囲気のようなものを士郎から感じるというのはどういうことだろうか。
「ーーお兄ちゃん、本当に……本当に危ないことはしてないんだよね?私、お兄ちゃんまでいなくなるなんて嫌だよ」
「…………大丈夫、そんなことしてないし、双葉を置いていなくなったりしないよ」
「ありがとう……」
そう言うと双葉は士郎に寄りかかったまますやすやと寝息をたて始めた。斬華と会ってよっぽど疲れたのだろう。
双葉を置いていなくならない。士郎は心の底から本当にそう思っていた。しかしだ、斬華と初めて会った日はそれすらも忘れて殺されかけた。実際、光力なんて馬鹿げた力が無ければ士郎はあの場所で死んでいたのだ。最後の最後に双葉のことを思い出したが、殺されていればそこまでだった。人は死んでしまえばそこでお終いなのだ、そこに個人の感情が関与する余地はない。
そんなことを考えながら士郎は、双葉をベッドまで運んで部屋を出た。
「…………うそつき」
暗闇の中で、双葉がそう呟いたのは誰にも聞こえない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ーーということがあったんだけど、どう思う?」
翌日、学校を終えてショッピングモールへ向かった士郎は、昨日と同じ席でコーヒーを飲む斬華に訊ねていた。昨晩の双葉の反応はどう考えても尋常ではない。斬華なら何かわかるかもと思ったのだが。
「……詳しいことはわからないが、私を見てそういう反応をしたということは、魔力を感じ取ったんじゃないか?」
『それはどうだろうね』
意見したのは士郎のスマホの向こう側にいる如月だ。双葉のことが心配だった士郎は、斬華だけでなく如月にも電話で参加してもらうことにしていた。
斬華も最初は嫌々だったが、斬華だけでなく如月の意見も聞きたいと士郎が懇願したので、渋々同席を許可していた。
『妹さんが魔力を感じ取れるのなら、士郎に反応するはずがない』
「光力とやらの力か。確かに士郎からは魔力を微塵も感じないがーーそれがなんだと言うんだ?」
『ーーどういうことかな、魔王様?』
「確かに士郎の中にある魔力は眠っている状態だ。ほんの僅かなエネルギーすら放出していないだろう。しかし、それが眠っていたとしても、エネルギーを放出していないとしてもだ。魔力がそこに"在る"ことに変わりはない。妹にはそれが見えているのだろう」
『…………なるほど。私たちが観測しているのはあくまでその場の出力だけというわけか。妹さんにはもっと深い部分、潜在的なものまで見えているのだろう』
「そんなこと可能なんですか、双葉はただの人間ですよ」
『事実は小説よりも奇なり、だよ。実際に魔力を感じ取れるならそれは可能だ。一応、『デュランダル』で詳しい検査をすることもできるが……』
「やめておけ、士郎」
異を唱えたのは、意外なことに斬華だった。
『そうだな、私もあまりおすすめはしないよ』
「どうしてですか?」
「考えてもみろ、『デュランダル』とやらは特殊な機関なのだろう。検査のためとはいえ、一般人をそのまま通すとは思えん。情報漏洩させないために、何をされるかわかったものではない」
『そこまで物騒なことはしないが、『デュランダル』に無関係の人間を乗せるのは好ましくないのでね。魔王のことなど色々と説明しなくてはならない。当然そうなれば士郎のしていることもバレることになるが』
「じゃあ駄目ですね。双葉に心配はかけられない」
双葉に士郎のしていることを知られてはいけない。どういう事情であっても、士郎は双葉に嘘をついて行動している。もしそれがバレれば冗談抜きで家から出してもらえなくなりそうだ。
『正確な検査はできないが、妹さんが本当に魔力を感じ取っているのかを簡単に確かめることはできるがね』
「ほう……」
「どうやるんですか?」
『本当に簡単なことだよ。ーー士郎が〈眷属〉を封印すればいい』
「ーーなるほどな」
『そうすれば魔王様からは膨大な魔力は消え去り、士郎の魔力量は増加する。そうなれば妹さんの反応も変わるだろう。それを見て判断すれば良い』
確かにそうすれば双葉の反応を見て、本当に魔力を感じ取れているのかを判断することができる。わざわざ『デュランダル』の中で検査をするより手軽に確かめることができる。
ーーだが、そこには大きな問題が存在している。
「残念ながらーー」
「その方法は使えないですね」
士郎の言葉に斬華は目を丸くし、如月もスマホの向こう側で言葉を無くした。
それもそうだ。本来なら〈眷属〉の封印をしなくてはならないはずの士郎がそれを真っ向から否定したのだから。
『ーー参考までに理由を聞かせてもらってもいいかな、士郎』
「斬華が納得しないからです」
「そうか?士郎が私に泣きつけば、もしかすれば封印させてやったかもしれないぞ」
「それはない、断言できるよ。確かにここ数日で斬華と仲良くなれたとは思うけど、斬華は双葉の命と〈眷属〉なら迷わず〈眷属〉の方を取るだろ?もちろん斬華が許してくれるなら、今すぐにでもその方法を試したいけどそんなことのために〈眷属〉を封印させてくれはしないだろうし」
「という話だが?如月とやら」
『ーーまあ、我々の目的はあくまで魔王との「和解」だ。〈眷属〉の封印が最終目標なのは変わらないが、今は士郎の考え方に賛同するよ』
「なら良い、口ごたえしようものならこの場で士郎の首を撥ねていたところだ」
「え」
「冗談だ」
急に物騒なことを言い出した斬華は、士郎の反応を見て楽しそうな顔をする。
完全に士郎をからかって遊んでいる顔だ。
「しかし実際、妹に悪影響はないのか?魔力を感じ取れるだけで済んでいれば良いが」
『どうだろうね。魔力を感知できる人間は少なからずいるだろうが、それでもなんとなく嫌な感じがするだとかそういうレベルなんだ。光力で不活性状態の魔力まで感じ取れるのは何か別のものに起因している可能性がある』
「特に変わった様子はなかったですけど……」
『そうか。何か気になることがあれば、どんな些細なことでもいいから教えてくれ。前例が無いものだから完全に手探りになるが、こちらでも状況の把握はしておきたい』
「わかりました。ありがとうございます」
『では私は仕事に戻るよ、何かあればまた連絡してくれ』
如月との通話が切れた。もしかして忙しかったりしたのだろうか。だとしたらわざわざ自分のために時間を割いてもらったことを、士郎は少し申し訳なく感じた。
「士郎、どうかしたか?」
「いや、如月さん忙しかったのかなって……」
「なんだそんなことか。それなら気にすることはないだろう」
斬華はコーヒーを一口含んでから言う。
「士郎はどうか知らないが、如月も含め『デュランダル』の連中にとって〈眷属〉の封印以上に重要なことなどないだろう。むしろこちらに時間を割けないことの方が手痛いんじゃないか」
「責任重大だなぁ……俺は斬華と一緒にいられればそれでいいんだけど」
「仕方ないさ、魔王という存在は人間にとって脅威すぎる。その気になれば今すぐこの場の人間を皆殺しにもできるし、『デュランダル』を真っ二つにすることだってできる。実際にするかどうかは関係ない、気まぐれでもそれを実行できてしまう力を持っている。それが事実で問題なんだよ」
「それなら俺が〈眷属〉を封印しても同じじゃないか?一応不死身なわけだし、魔王よりよっぽどタチが悪いと思うんだけど」
「ーー理由は色々あるのだろうが、とりあえず大きなものは二つだろうな。士郎が〈眷属〉を持っても問題ない理由が一つ、そして私が〈眷属〉を持っていてはいけない理由が一つだ」
斬華は人差し指と中指を立ててわかりやすく示す。
まず一つ目、と中指を畳んで説明を開始する。
「〈眷属〉はただの武装じゃない。少なからず意思も存在しているし、心を通わすことも可能だ。仮に士郎が封印したとしても、〈斬殺鬼〉が主として認めるかどうかはわからない。それに〈眷属〉は召喚するだけでも魔力を消費する、更にそれを維持するなら膨大な量の魔力が無ければ不可能だ。それこそ魔王レベルでなければな。これが士郎が〈眷属〉を持っても問題ない理由」
「ーーもう一つは?」
「私が〈眷属〉を持っていてはいけない理由だな。こっちは簡単だーー私が人間ではないからだ」
「……どういうことだ?」
「言葉の通りだ。私は人間じゃないーーと、少なくとも魔王の捕獲や無力化を考えている連中はそう思っているはずだ。実際にそれは間違いじゃないしな」
「いや、でも斬華はどこからどう見ても……」
「外見だけだ。普通の人間は〈眷属〉なんてものを召喚できないし、食事を摂らなければ死ぬだろう。だが魔王は違う、人間とは根本で異なっているんだよ」
「それでも人間みたいに生きることだって、できないわけじゃないだろ」
「そうだな。だが、私が死ぬまで人間のフリをして生きられると断言できるか?急に人間に斬りかからないと保証できるか?」
「それは……」
士郎は言い澱んだ。「絶対にない」と、そう言ってやりたかったが、そこまで無責任なことを口に出すことはできない。現に士郎は一度、斬華に殺されている。たった一度とはいえ、躊躇なく人間を殺した斬華の真意はまだ掴めない。
「そういうことだ。『デュランダル』の連中がいくら魔王を人間扱いしようと、心のどこかで危険な存在と思っていることは変わらない。『デモニア』に至っては、魔王のことを兵器としか見ていないようだしな」
「っ……でも俺は、俺は斬華のことを信じたいよ……」
「ーー私はな、人間の命なんて何とも思っていなかった」
「え?」
「私は魔王だ、人間とは違う。いずれ淘汰されるべき存在だが、それまでは自分の好きなように生きようと決めている。何者にも邪魔はさせないし、邪魔する者がいれば誰であろうと容赦はしない。ーーそう思っていたんだ」
斬華は拳を握り歯を食いしばる。それはあまりに純粋な怒りの感情だ。一体何があったのか、それを思い出すだけでここまで憤慨するような体験をしたのか。
抑えきれない魔力が漏れ出ているのを、士郎はビリビリと肌で感じている。
「『デモニア』の機械兵は士郎も知っているな?」
「え、ああ……ドール部隊のことか?」
「人形、か。あながち間違いではないな。ではもう一つの方は知っているか?機械ではなく生身の人間の兵士だ」
「生身の人間?」
「生身とは言っても、ドールと同じように手足は機械化されている。素体に人間を使ったドールみたいなものだ。私が士郎と出会った次の日に接触してきたのがそいつらだった」
「ーー殺したのか……?」
「ああ……それがあいつらの願いだったからな」
「それってどういう……」
「頼まれたんだよ。殺してくれ、もう誰も傷つけたくない、とな。どうやら意思とは関係なく、身体が勝手にインプットされた命令に従うらしい」
「でもなんでそんなこと……」
『デモニア』の意図がわからない。わざわざ人間をドールにする必要があるのだろうか。
今回のように、標的に内部の情報を漏らすようなデメリットも考えられないような人間が『デモニア』のトップを務めているのか?
「さあな。どんな理由であれ、気持ちの良いものではなかった。人間の命なんて何とも思っていなかったが、それでもほんの少しだけ堪えたよ。殺してくれと頼むくせに、死にたくないと心の中では思っていたのが〈斬殺鬼〉で斬る度に伝わってくるんだ……私は人間ではないし、士郎を一切の躊躇いなく殺した。そんな私でさえ、本当にあいつらを殺してもいいのか迷ったんだ……」
「斬華……」
斬華の表情が曇る。それは魔王という存在の価値観を揺るがすような体験だったのだろう。
本来ならば、人間の命を奪うことを何とも思うはずのない魔王が躊躇った。
斬った人間の考えていることが分かるという〈斬殺鬼〉の特性も関わってのことだろうが、それでも士郎の時とは訳が違う。
本心から死にたいと思う人間なんて、そういないだろう。しかしだ、斬華に接触してきたドールは「殺してくれ」と口にした。心の中では死にたくないと思っていたのにだ。
どのような経験をすればそこまで思い詰めることになるのだろうか、士郎には思い図ることもできないが、それが尋常ではないことだけは理解できる。
そしてそれを実行させた『デモニア』という組織に酷い憤りを感じていた。おそらく斬華も士郎と同じ感情のはずだ。
「正直、斬華の行動が正しかったのか、俺にはわからない。君は悪くないって肯定したいけど、そんな無責任なことは言えない。でも今の話で俺は一つだけ決めたよ」
「ーー決めた?」
「ああ、斬華ーー君を『デモニア』には絶対に渡さない。俺が君を守る」
「私を守る……?何の力もないただの人間が?」
「確かに何の力も持っていない。でも俺は魔王を魔王でなくすことができる。だから俺に〈眷属〉を封印させてくれ」
「気持ちはありがたい。が、ありがた迷惑というやつだ。前にも言っただろう、『デュランダル』という組織が信用できないうちは〈眷属〉を封印させるつもりは無い」
「でもそれじゃまた……!」
「構わないさ、要は相手が人間だと思わなければいいだけだ。それかもういっそのこと、心を閉ざしてしまうのもいいかもな」
「駄目だッ!!」
士郎が吼えた。
突然のことに斬華は目を見開き、周囲の人間も何事かと士郎の方を見る。そして士郎自身も、自分がこんなに大声で怒鳴ったことに驚いていた。
「……悪い。でも心を閉ざすなんて言わないでくれ、あれは斬華が思っているようなものじゃない。そんな都合良く嫌なことだけ無関心になれたりしないんだ。楽しいことも嬉しいことも、自分が何が好きで何が嫌いなのかすら分からなくなる。体は生きてても心が死ぬんだよ、だから……」
「ーー貴様が言うと説得力が違うな」
だが、と斬華は言葉を続ける。
「私はそれだけの覚悟をしているということだ。〈眷属〉を封印させるぐらいなら、そちらの方が万倍マシだ。私の答えが変わることは無い」
「…………」
そこまで言われてしまうと士郎に返せる言葉は無かった。斬華を守りたいという気持ちも、心を閉ざしてほしくないという気持ちも本心だ。
しかし、そのための解決作が現状〈眷属〉の封印以外に見つけられない。そして斬華が相応の覚悟を決めている以上、士郎がいくら説得しても無意味だろう。或いは士郎も覚悟を決めて何か代償を支払えば可能性が生まれるかもしれないが、如何せん士郎の行動はほぼ全てが彼の感情に起因している。
斬華を守りたいと思うのも、心を閉ざしてほしくないと思うことも、結局は彼女に対する好意から来るものなのだ。その好意は時に強力な武器になることもあるだろう。だが今この状況では何の役にも立たない。
斬華を納得させられるだけの理論を展開することが士郎には不可能なのだ。斬華に対する好意が大元にある限り、どう足掻こうと感情抜きで語ることはできない。
「そう暗い顔をするな、私のためを思って言っていることは分かっている。その気持ちだけで十分だ」
「っ…………」
「さて、ではそろそろ行くか」
コーヒーを飲み切った斬華は徐ろに立ち上がると、士郎の手を引いてショッピングモールから出た。
どこへ向かうのかと士郎が尋ねても、適当に濁して教えてくれない。観念した士郎は大人しく斬華に手を引かれるまま歩き、おそらく目的地だと思われる楠田家の前まで帰ってきた。
「えっと……どういうこと?」
「士郎はそこで見ていてくれ、もちろん見つからないようにな」
そう言うと斬華は楠田家のインターホンを押した。そうすると当然、双葉が出てくる訳だが……。
「はい、どちらさーーな、何の用?」
「…………」
双葉が出てくるなり、斬華は一言も発さずにその顔を見つめる。顎に手を当て何か思案しているようだが、その様子を見守る士郎は気が気ではなかった。
万が一双葉の身に危機が迫るようなら、士郎はこの身を呈してでも守るつもりだ。斬華のことを信用していないわけではないが、それでも士郎は直ぐに動けるよう準備している。
「お兄ちゃんに用があるなら、まだ帰ってきてないよ」
「いや、用があるのは貴様の方だ。妹」
「わたし……?」
双葉は「訳がわからない」という表情で斬華を見る。その顔は疑問と同じぐらいの恐怖も含んでいた。
それもそのはずで士郎は勘違いしていたが、昨夜の双葉は体調が悪かったわけではなく、単純に斬華と対峙した緊張とストレスから嘔吐してしまったのだ。
それほどの相手が今度は自分に会うために押しかけてくるだなんて、恐怖以外の何物でもない。
「妹、貴様見えているな。いつからだ」
「な……なんのこと?」
「とぼけるな、見えていなければそんな反応をするか。それに、貴様が本当に魔力を感じ取ることができたのなら、私が来たことなんか扉を開く前にわかるだろう」
「ーーお兄ちゃんですらとっくに忘れてるのに……」
「だろうな、士郎が知っていれば私もわざわざ確かめに来なかった。とは言っても、今貴様が出てくるまで私も予想していなかった訳だが」
そんなことはどうでもいい、と斬華は双葉との距離を詰める。
「大方、士郎に要らぬ心配をかけたくないと言ったところだろうが、もう遅い。昨日の一件で士郎も勘づいている、大人しく私の質問に答えろ」
「それを聞いてどうするの」
「質問をしているのは私だ」
有無を言わせぬ威圧感を放って、斬華は更に詰め寄る。双葉の背はいつの間にか閉じたドアとくっついていて、もうこれ以上逃げられる場所もない。
「答えろ。一体いつから魔力を見ることができた?原因に心当たりはあるか?」
「…………その魔力っていうのが何かはわからないけど、変なものが見えるのは物心ついた時からで、原因の方の心当たりはないよ」
「となると生まれつきか……しかしそうか、士郎もそうだが貴様も相当だな」
「どういう意味」
「いや、気にしなくていい。私の勝手な感想だ。それより貴様ーー双葉、だったか?」
「なに?」
「私は貴様のことが気に入った」
「は?」
「双葉のことが気に入った」
「聞こえなかった訳じゃなくて、意味がわからないだけだから」
「言葉の通りだ。額面通りに受け取れ」
斬華は優しく微笑みかけるが、双葉にはそれすら恐怖を感じる。
双葉の目に映る斬華はただの人間ではなく、正真正銘の化物なのだ。姿形だけは人間だが、漏れ出す雰囲気のようなものがあまりに刺々しい。斬華の手にかかれば人間を一人や二人始末することなど容易いのだろうと、本能が悟ってしまった。
どうして兄はこんな化物と平気な顔で話していたのだろうか、双葉は不思議で仕方がなかったのと同時に、やはり自分は普通の人間とは違った何かがあるのだと確信したのだ。
「そう怯えるなーーというのも無理な話か。ふむ……これならどうだ?」
斬華は徐ろに〈斬殺鬼〉を召喚すると、あろうことかそれを天高く放り投げた。
双葉は口をあんぐりと開けて空を見上げるが、いつまで経っても投げられた刀が落ちてくる気配がないので斬華に視線を戻すと、どういう訳か彼女から溢れていた恐ろしい雰囲気が目に見えて減っていた。
それでもまだ異常だが、さっきまでと比べればまともに話ができる程度には抑えられている。
「どうだ、少しはマシになったか?」
「なった……けど、なんで?」
「さっき投げた刀は私の魔力の大半を担っていてな。あれと離れてしまえば私の魔力なんてたかが知れているんだ」
「さっきから言ってるその魔力ってなんなの?」
「魔王の持つエネルギーのことだ」
「斬華、さんも魔王なの?」
「そうだ、双葉なら見ればわかるだろう」
斬華の言う通り、双葉は一目見たときから斬華が人間ではないことを見抜いていた。
無論それは今でも変わらないが、魔力を抑えた斬華に対して双葉はほんの少しだけ強気に出ることができた。
「それで、その魔王が私のことを知ってどうするの」
「ーー初めは体質の確認を済ませたら帰ろうと思っていたのだがな。存外、話すのが楽しくなってきてしまった、もう少しだけ付き合ってもらってもいいか?」
「……まあ、少しだけなら」
双葉は渋々承諾した。
本来ならこんな得体の知れない化物はさっさと追い返してしまいたいが、士郎とどういう関係でどんな目的があって近づいたのかを妹として確かめなくてはならない。
斬華としては、一番近くにいる家族から士郎という人間のことを詳しく聞いてみたいという目的があった。
こうして二人は楠田家の玄関先で士郎の話を始め、当の本人である士郎は電柱の影からその光景を一時間近く眺める羽目になった。もちろん会話の内容は聞こえていない。
ところが、会話の中で双葉も所々笑みを浮かべるようになり、士郎はあまりに暇すぎて欠伸をし始めた時だ。
突如として現れた黒服の集団が楠田家の前に並んだ。その数は六人、いずれも無表情で斬華の方を見ている。
「なんだ、貴様ら。ここに何か用か?」
「用があるのはお前だ、〈ムラマサ〉」
「ーーッ!」
黒服の腕が一瞬のうちに変形した。三人は銃に、そして三人は光でできた剣を構えて斬華に向かって突進する。
それが『デモニア』のドール部隊だと瞬時に理解した斬華はすぐさま〈斬殺鬼〉を呼び戻し、迫り来る三人を腕を斬り落としてからまとめて蹴り飛ばした。
しかし、その後方で銃を構えた三人は既に充填を完了している。いつの間にか散開し真正面と左右から狙われれば、いくら斬華でもまとめて倒すことはできない。二人ならなんとかなるだろうが、あと一人は間に合わないだろう。
しかし斬華は迷わず自分の正面ではなく、左右にいる二人を胴から真っ二つにした。
残された一人は顔色一つ変えずに光弾を発射し、斬華に命中ーーすることはなかった。
間一髪、発射の瞬間に士郎の拳が横っ面に炸裂し、狙いが宙空へとズレたのだ。
その隙を見逃す魔王ではない。斬華は即座に〈斬殺鬼〉を振るい、ドールを縦に割った。
「双葉!」
「お兄、ちゃん?」
何が起きたかわからないという顔の双葉に駆け寄った士郎は、その両肩を勢いよく掴んだ。
「大丈夫か、怪我してないか!?」
「へ……?あ、うん……大丈夫だよ」
「本当か?本当に大丈夫なんだな?ちょっとでも痛いところとか無いか?」
「もう、大丈夫だって。石ころ一つだって当たってないよ」
「そうか……良かったぁ……」
へなへなとその場に座り込んだ士郎を見て、斬華と双葉は呆れたようにため息をついて口を開く。
『過保護すぎる……』
「え?」
「ん?」
綺麗にハモった。
二人は顔を見合わせて、そして小さく吹き出した。
「なんだよ、笑うことないだろ。妹の心配して何が悪い」
「ごめんお兄ちゃん、でもそうじゃなくて……ぷっ」
「そうだぞ士郎、くくっ、別に貴様が可笑しいわけじゃない」
どうやらさっきハモったのがツボに入ってしまったらしい。二人はしばらく笑いを堪えるためかプルプルと震えてから、ようやくまともに話せるようになるまで五分程かかった。
その間に士郎は如月にメールで今起きたことを報告すると、直ぐに後始末に向かうと返事が来た。
斬華のことは知られたが、士郎が〈眷属〉を封印しようとしていることは、双葉はまだ知らない。『デュランダル』のことが知られないように先に双葉だけでも家の中へ入れてしまいたい。
「とりあえず家に入るか」
双葉にそう促した士郎の背後で、人間が立ち上がる音がした。
「目ヒョウ、補ソク。〈ムラマサ〉確保セヨ」
立ち上がったのは初めに斬りかかった三人だ。片腕を失い、斬華の蹴りを食らったせいか言語野に若干のバグでも発生したのだろう。話し方が少しおかしくなっている。
しかしそれは作戦行動に何の支障もきたさないらしい。
三人とも片腕を失っているので油断していた。まさかもう片方の腕も変形する可能性を失念していた斬華は、突然放たれた光弾を、一瞬のチャージもなく放たれ本来なら魔王にダメージを与えることなどできないそれを、〈斬殺鬼〉の腹で受け止めてしまった。
もし被弾覚悟でドールを仕留めるために〈斬殺鬼〉を振るっていれば、既に片がついていただろう。だができなかった。何故か、答えは簡単だ。
光弾で狙われたのは斬華ではなく、その隣にいた双葉だったのだから。
自分か士郎が狙われていれば、構わずドールを屠りにいっただろう。しかし双葉は駄目だ。彼女はこの場で唯一、ただの人間なのだから、もし被弾すれば死にはしないだろうが、相応の怪我はするだろう。
それを斬華は許さなかった。それ故に、致命的な隙を晒すことになったとしてもだ。
光弾を放ったドールは一人、残った二人はまたしても光剣を振るう。
二人同時に〈斬殺鬼〉を斬り上げて宙へ吹っ飛ばし、そしてそのまま光剣を振り下ろすーーが、斬華は地面を転がり間一髪それを回避する。
しかしドール達は即座に追撃を仕掛け、斬華に〈眷属〉を召喚する隙を与えない。そうこうしているうちに、とうとう斬華は壁際にまで追いやられてしまった。
もし相手が人間だったら、こういう時に最期の言葉なんかを聞いてくれたかもしれない。しかし機械仕掛けのドールはそんな情なんて持ち合わせていない。直前までと同じリズム、〈眷属〉の召喚すらさせてもらえないペースで斬華にとどめを刺すべく、二本の光剣が断頭台のギロチンのように振り下ろされる。
ざんっ、と線が二本。視界を横切った。
正確には一本の線が中心部で途切れて二本に見えている。
「斬華ッ!」
魔王の名を叫ぶ。人間とは文字通りスケールの違う異界の主の名を呼ぶ。
そこに込められたのはたった一つ、揺るぎない信頼であった。
「ーー〈千斬万別〉」
魔王が応える。
途端、少年の手にあった漆黒の刀が魔王の手中に還り、一閃。
両腕を失った目の前のドールを二人まとめて細切れにし、更に後ろに控えた一人も首を落とす。
この間、僅か一秒。
士郎と双葉は何が起きたのか理解できず、固まってしまっていた。そこへ斬華は苦笑しながら声をかける。
「双葉はわかるが士郎、貴様までそんな顔をするか?今のは流石の私もかなり焦った、というか死を覚悟したぞ。士郎ーーありがとう」
「お、おう……」
「ーーお兄ちゃん、鼻の下伸びてる」
「しかし意外だった。まさか〈斬殺鬼〉が私以外の者を認めるとはな」
「〈斬殺鬼〉も斬華を助けたかったんだ。そのために俺なんかに力を貸してくれた」
そう士郎は断言できる。
ドールに吹っ飛ばされた〈斬殺鬼〉は士郎の目の前に落下し、そして士郎は斬華を助けるために〈斬殺鬼〉を手に取った。
その時に、何か意思のようなものが流れ込んできたのだ。力の使い方と、斬華を助けたいという強い想いーー〈斬殺鬼〉の意思が士郎に魔王の力の一端を与えた。
主を救うために、ただの人間に振るわれることを良しとしたのだ。
そのおかげで士郎は光剣が斬華へ届く前にドールを破壊した。
その後は斬華が何やら凄い技を放った気がしたが、こちらに関して士郎はよくわかっていない。一瞬のうちにドールが木っ端微塵になったようにしか見えなかった。
しかし双葉の目には恐ろしいものが映っていた。ただでさえ化物と見紛う斬華の魔力がその一瞬だけ爆発的に拡散し、ドールを包み込んだかと思えば次の瞬間には収縮した。
そして魔力の中から出てきたドールは粉々に砕けていた。一体何が起こったのか理解はできないが、これが魔王の真の力なのだろう。
「まあ、何はともあれ一件落着だ」
「そうだな、『デモニア』もここまでやればしばらくは手出ししてこないだろう」
「それじゃあお兄ちゃん、斬華さん。この人……機械?について詳しく説明してくれる?」
「そうだな。とりあえず家に入ろうか」
もうすぐ『デュランダル』の人間がドールの残骸の処理にやってくるはずだ。魔王のことを双葉に知られてしまったのは痛いが、まだ問題ではない。
魔王の無力化のために〈眷属〉を封印しようとしていることがバレてしまうのが一番まずい。そのためには『デュランダル』という組織のことは隠しておかなくてはならない。
こんなことがあって今更だが、危険なことはしていないという体裁だけは崩す訳にはいかないのだ。
「ああ、そうだ。士郎、これ持っていてくれ」
「ん……え?」
斬華はまるで「ちょっと靴紐結ぶから」ぐらいの感覚で〈斬殺鬼〉を士郎に渡した。
士郎も流れで受け取ってしまったが、数秒遅れて斬華の方を二度見する。
「私が持っていては双葉が怯えるだろう。それに士郎のことは〈斬殺鬼〉も気に入ったらしいのでな」
「でも俺が持っていたらーー」
「つべこべ言わずに預かっていろ。私が頼んでいるんだ、断る理由はないはずだろう」
「それはそうだけど……」
士郎に〈眷属〉を預けるということは、封印されてもいいということだ。
そのことはちゃんとショッピングモールのカフェで斬華にも説明してある。まさかとは思うが〈眷属〉の封印方法について斬華は忘れてしまったのか。いずれにせよ、完全に封印してしまう前に斬華にもう一度確認しなければならない。
そんな風にかなり困惑しながら、とりあえず家へと入る。刀を持ったままいつまでも外にいると通報されかねない。
「はいストップ!」
と、家に入ってすぐ、双葉は玄関で斬華に静止をかけた。まさかあれだけあって、まだ家に入れないなんて言うのだろうか。などと士郎がハラハラしているとーー
「斬華さん、さっき地面転がってたよね?汚いからこのままお風呂に直行して」
「いや、私は体を魔力で覆っているからーー」
「問答無用!」
「あ、ちょ!」
双葉は強引に斬華の手を引いて風呂場へ連れ去ってしまった。最後の慌てた様子の斬華はかなりレアだったかもしれない。
ではない。〈眷属〉の封印にどれだけ時間がかかるかわからないが、斬華が風呂から出てくるのとどちらが早いか。
今手にしているだけでも、〈斬殺鬼〉から魔力を吸い上げているのが実感できている。このペースなら勝負は五分五分といったところだろうか。
「ーー〈斬殺鬼〉。お前はこのまま封印されていいのか?」
返事はない。さっきのように〈斬殺鬼〉の想いが流れてくることも無ければ、何かを感じ取ることもできない。
だがーーほんの少し、士郎本人でも気のせいかと勘違いしてしまいそうな程だけ、魔力の吸収量が増えた。というよりも、〈斬殺鬼〉の方から士郎へ魔力を送ってきている。
〈眷属〉が自らの魔力を送り出すということは、つまりそういうことだ。
「ありがとう。お前の分も斬華のことは俺が守るよ」
その言葉を待っていたかのように、〈斬殺鬼〉と名付けられた漆黒の刀は光の粒子となって消滅した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
〈斬殺鬼〉の封印から一週間後。
士郎は〈眷属〉の封印で体調の変化が見られないかを検査するため、『デュランダル』のメディカルルームを訪れていた。
思えば『デュランダル』で初めて目を覚ました場所もここだった。そう考えると少し感慨深いものがある。その後もことある事に、ここの医療機器にはお世話になっている士郎だった。
現に今日の検査にもメディカルルームで行われている。
担当しているのはもちろん『デュランダル』副艦長でもある如月だ。
相も変わらず気怠げな表情で目の下に大きなクマがあり不健康そうなのに、服装だけはしっかりとしている。今日はいつものスーツではなく白衣姿だ。
「よし、とりあえずはこんなものかな。結果が出るまで少し時間がかかるから、適当に艦内で時間を潰していてくれ。そうだな……十五分後に戻ってきてくれればいい」
「分かりました、それじゃ十五分後に」
士郎はメディカルルームを後にして、『デュランダル』内を散策する。
普段は如月や佐久間、たまに皇と一緒で艦橋と艦長室、メディカルルームを行き来するぐらいしかできないので、こうやって一人で艦内を歩き回ることは意外と初めてだったりする。
「ここは……休憩室。んで、こっちが娯楽室か。結構色んな部屋があるんだな」
正直、『デュランダル』の乗組員が娯楽室に集まって遊んでいる様子は想像できないが、こんな部屋があるということは使われることもあるということだろう。全く想像はできないが。
なんてできもしない想像をしながら歩いていると、士郎は行き止まりまで来てしまった。
おそらく『デュランダル』の端、こんな場所にある部屋は一体何なのだろうか。
ほかの部屋のように名前の書いたプレートがある訳でもない。空き部屋か、もしくは物置部屋だろう。
「…………よし」
予想はつくが、それはそれとして実際にこの目で確かめねば気が済まない。士郎は好奇心に負けて謎の部屋へ足を踏み入れようと、扉の前に立ち、自動ドアが開く。
「…………あ」
「…………え」
空き部屋だと思っていた部屋から人が出てきた。士郎と同じくらいの年の少女だ。身長も士郎よりは低いが斬華よりはある。女子にしては高い方だろう。髪は黒いボブカットだが、前髪の一部が白いメッシュのようになっている。
と、ここまでなら高身長イケメン系の女子っぽいのだが、残念なことに髪は所々寝癖なのか跳ねていて、眼鏡の奥の瞳にはうっすらとクマができているのが伺える。如月ほど不健康そうな印象は受けないので、おそらく寝不足なのだろう。
そして一番の問題が服装だ。最早服と呼んでもいいのか怪しいが、上半身はタンクトップ一枚で、たわわに実った果実の先端部からノーブラなのも丸わかりだ。下半身にいたってはショーツ一枚でズボンやスカートすら履いていない。
少女の後ろに見える部屋は、ゴミが散乱していて、明かりもおそらくパソコンと思われるものの画面が明るく光るのみで、なんというかーー。
「ニート……?」
「誰がニートだボケェ!」
突如、少女の手に白銀の指揮棒が現れた。
少女がそれを振るうと、部屋の中にあったゴミ類(カップ麺やお菓子の袋)が次から次に士郎へ飛んでくる。
「ーーっだらァ!」
「ぐほぇ!?」
そしてとどめの一発、十冊ほど紐で括られた週刊誌が士郎を三メートル近くぶっ飛ばした。
「つぅ……」
腰をさすりながら士郎が立ち上がると、少女の姿は消えていた。部屋に戻ったのだろう。
わけのわからないことだらけだが、士郎が特に不審に思ったことが一つ。それは少女が白銀の指揮棒を手にした時、光力で封印されているはずの〈斬殺鬼〉が反応したのだ。
それが何を指すのか、それは士郎にもわからない。帰ったら斬華に聞いてみるとして、後で如月にも報告だけしておこう。
「ーーまた派手にやられたものだね、士郎くん」
「皇さん、どうしてこんなとこに?」
「たまたま通りかかっただけだよ。それより彼女のことだけどーー」
「誰なんですか、あの子。なんかよく分からない力でゴミ投げられたし……」
「彼女は皐月いろは。あの部屋で生活している『魔王』だよ」
「あそこで生活してーーえ?」
耳を疑った。今、皇の口から出た言葉を士郎は確かに聞き取った。聞き取ったうえで理解ができていない。
「皐月いろはは魔王だ。君が封印した〈ムラマサ〉と同じくね」
「……魔王って二人いたんですか……?」
「あれ、言ってなかったかい?ーー魔王の数は確認できているだけで七人、〈ムラマサ〉は封印したからあと六人だね」
皇の言葉のせいか、飛んできたゴミの当たりどころが悪かったのか、あるいは貧血か、理由はともあれ士郎はその場でぶっ倒れた。
そして三十分後にメディカルルームで目を覚ましてもう一度現実を目の当たりにすることになるのだった。
1年ほど前から完全に自己満足で書いていたものです。一応続きも書いていけたらなぁとは思ってますが……。