31裏
真に説明していく。
私が真にしてしまったことを。
私が犯した罪を。
「……僕は洗脳されてるのか……」
「…………うん」
一通りの説明が終わった時、真は困惑していた。
当然だ。こんな事を突然説明されて理解できる人の方がおかしい。
そもそも、洗脳を解かない限り認識阻害がかかるので、理解できない点も多いだろう。
意味のないことだ。それはわかっている。
本当に真に説明したいのなら、さっさと洗脳を解除して、それから説明すれば良いだけだ。それをしない以上、ただ逃げているだけに過ぎない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ユウ……」
こうして謝っているのもそう。ただの時間稼ぎだ。
説明を始めてしまった以上、もう洗脳を解除しないわけにはいかない。
あと少ししたら洗脳を解除する必要があるだろう。
でも、少しだけ、ほんの少しでもいいから先に延ばしたかった。
たとえわけの分からない話をされて困惑していたとしても、今の真が私を見る視線は優しいものだ。
だから、私は、それを少しでも長く感じていたかった。
「それで、ユウは、その洗脳を解こうと思ってるんだよね?」
「……うん」
でも、その時間稼ぎも終わってしまった。
事情の説明も謝罪も終わって、後は洗脳を解くだけ。
その時が刻一刻と迫ってきていた。
「……あの、真、こんなことをしておいて、図々しいとは思うけれど、お願いが、あるの」
「なんだい?」
怖くて仕方なくて、それから逃げたくて、自然と口が動いていた。
「……そのお願いっていうのは、その……わ、私を、嫌わないで欲しいの」
「え?」
馬鹿馬鹿しいとは思う。
こんな事をお願いしても意味はない。
むしろ解除後の怒りを買うだけじゃないだろうか。
加害者が被害者にこんな事を頼むなんて、反省していないと思われてもおかしくない。
「ふざけた事を言ってるのは、わかってる。でも何でもするから。何でも言う事を聞くから。 ……お願いします。私を、嫌いにならないでください」
……それでも、言わずにはいられなかった。
真にすがり付かずにはいられなかった。
「……僕がユウを嫌いになることなんて無いよ」
「……ありがとう」
すると、真がそんな言葉を言ってくれる。
……真は本当に優しい。
もちろん、この言葉が洗脳されている真から出た言葉だと言うのはわかっている。
それでも、本当に嬉しかった。
ほんの少しだけ、勇気が湧いてくるくらいに。
……うん、こんな優しい真だから、私は好きになったんだ。
「…………じゃあ、今から……解くね」
覚悟を決めて、解除用の魔法を発動し、手を伸ばす。
この手が真の頭にたどり着いた時、洗脳魔法は消える事になる。
私と真の間にはほんの一メートルほどの距離しかない。
真に近づくため、立ち上がり、一歩前に踏み出した。
「……ぅ」
……そして、その時、“それ”が見えた。
「……ぅう……うううう」
私がさっき買ってきた、食材の入った袋がそこにあった。
本当なら、今頃は食卓に上がっていたはずのそれらが見える。
それを見ていると、少し前までは当たり前だった光景が脳裏に浮かんだ。
真と一緒に食卓を囲んで、二人で料理を食べている所。
真が美味しいと言ってくれて、私はそれを聞いて嬉しくなって。
真も私も笑っていて、楽しくて、幸せな、そんな光景。
「やだ……やっぱりやだよう、嫌われたく、ない」
「ユウ……」
気が付いたら、私は魔法を消して座り込んでいた。
さっきまであったほんの少しの勇気なんて、もう残ってない。
涙が次から次へと溢れてきて、あっという間に前が見えなくなった。
辛くて、すぐ傍にいる真に寄りかかりたくて、でも、今の私にそんなことが許されるはずもなくて。それが一層辛い。
どうすればいいんだろう。
どうしたらいい?
ここから逃げ出したい。
もう嫌だ、助けて欲しい。
そんな考えがとりとめも泣く浮かんでくる。
頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。
……そして、真が口を開いたのはそんな時のことだった。
「その、ユウ」
「……真?」
真の声はゆっくりと私に語りかけるようだった。
そんな声に思わず気を引かれる。
「僕達、色々な所に行ったよね。デパートに行ったり、旅行に行ったり」
「……う、ん」
真に言われて、思い出す。
ほんの数ヶ月前なのに、今はもうずっと昔のことのように思えた。
ただ幸せだった、今の私にはあまりに遠い思い出だ。
「デパートに行った時はさ、僕が緊張して、ユウに迷惑をかけて」
……そんなこともあった。
真が突然すごい汗をかいて、何かに怯えているような顔をしていた。
あれは、緊張していたのか。初めて知った。
「でも、ユウが僕にお茶を飲ませてくれたおかげで、落ち着く事ができた。
……あの時さ、本当に嬉しかったんだ」
……確か、あの時、戦場の新兵にそっくりだとか思ったんだった。
当時の私のずれた思考を思い出して、少し恥ずかしい。
「ありがとう、ユウ。僕はあれで、人と、ユウと一緒に出かけるのが怖くなくなった。これからも一緒に出かけたいと思ったんだ」
「……真」
そう言った真の言葉は、本当に嬉しそうに聞こえた。
自分で言うのもなんだけれど、私への感謝が伝わってくるようだ。
俯いているから見えなかったけど、真の笑顔が簡単に想像できる。
「それとさ、スマホを買いに行った事もあったよね」
「……あったね」
真の言葉に返事をする。
いつのまにか、涙は止まっていた。
「僕がユウにスマホを買おうとしてさ、店に連れて行った」
旅行の準備をしている時だ。
はぐれたら大変だから、スマホがあったほうがいいと真が言って、買いに行った。
「それで、ユウは僕に変わったね、って言って、それを良い事だ、とも言ってくれた」
真が私を引っ張るのは初めてだったから驚いた。
でも、真の私への遠慮がなくなったみたいで嬉しかった。
「ユウが認めてくれたから、意見を言ってもいいと思えたし、あれでユウと話すのがもっと楽しくなった」
あの日から、真はたまに意見を言ってくれるようになった。
その日の献立とか、見る映画とかだ。
たまに意見がぶつかって、お互いを説得しようとするのが楽しかった。
「……ユウ、僕はさ、ユウと一緒にいられて、本当に幸せなんだ」
「……うん」
私も同じだ。
真が隣にいてくれるだけで嬉しくて、笑ってくれるだけで幸せだと思う。
「一人でいるのは寂しかったから。だから、一緒に居たい」
「……うん」
この家に来て、私は人の暖かさを知った。
独りぼっちになるなんて、もう耐えられない。
「それに、これから先も色々あるよ。
クリスマスだってあるし、年が開けたらお正月だ。その後にはバレンタインデーもある。
……実はさ、初めてチョコをもらえるかなって期待してたんだ」
「……うん」
真と一緒にクリスマスケーキを食べたい。初詣に行きたい。
バレンタインデーのチョコだって、頑張って作る。
「でもさ、もしユウがいなかったらそういうのは全部なくなるんだ
……それは、嫌だよ」
…………温かい。胸の奥が締め付けられるように、ぎゅっとする。
真の言葉の一つ一つが優しくて、私を肯定してくれているようで、それまで感じていた恐怖が消えていく。
「だから、僕はユウのことが大切なんだ。他のどんなものよりも大切だと思ってる」
「……ぐすっ」
嬉しくて、涙が次から次へと溢れて来る。
それまでの痛くて苦しい涙が流されていくようだった。
「……真、ありが、とう」
「お礼を言われるような事じゃないよ」
そんなことはない。
こんなに嬉しいのに、こんなに幸せなのに、これがお礼を言われるような事じゃなかったら、私はこれから何にお礼を言えばいいんだろう。
その証拠に、これまでよりもずっとずっと、私は真のことが好きになった。
「私も、真のこと、大好きだよ。他の、どんなものよりも」
「……」
私がそう言うと、真の目が一瞬虚ろになった。
洗脳が発動した気配がする。
うん、やっぱり洗脳は解除しないといけない。
そうしないと、真に私の気持ちが伝えられないのだから。
「じゃあ、これから、洗脳を解くね?」
解除用の魔法を発動する。
先程と同じように両手が白く光る。でも、今の私の中にさっきのような不安はない。
私は怯えながら洗脳を解除するのではなく、幸せになるために、解除するのだ。
私の手が真に触れる。
部屋の中を一瞬白い光が包んで、洗脳魔法は解除された。




