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31表


 家に着き、扉を開けると、人の泣く声が聞こえた。


「!?」


 驚いて周囲を確認する。

 すると、明かりのついてない薄暗い廊下の真ん中にユウがいた。


「ユウ!?」


 靴を脱ぎ捨て、傍に駆け寄る。

 ユウは廊下に座り込んで、俯き、肩を震わせ、涙を流していた。

 

「ユウ!一体何が」

「……ぐすっ……真」


 声をかけるとユウが顔を上げた。

 その顔は悲しそうに、辛そうに歪められている。


 ……でも、なぜか、泣いているのにもかかわらず、その表情には強い意志が感じられた。

 目もこれまでの数日とは違い、そらされることはない。


「……真、その、ね」

「ユウ……?」


 震える手が僕の手を掴む。

 ユウの手は驚くほどに熱かった。


「……ぐすっ、真に、話したいことが、あるの」

「……話したいこと?」


 一度鼻をすすり、ユウがしっかりとした口調でそう言う。

 そして、少し長い話が始まった。




 ◆




「……僕は洗脳されてるのか……」

「…………うん」


 リビングにユウを連れて行き、話を聞く事しばし。ユウの話が終わる。

 そして聞き終わった後、僕の口から出たのはそんな言葉だった。


 ……洗脳、かあ。


 ユウの話は、ユウが僕にかけたという洗脳魔法に関するものだった。


 その話は、現状、僕も完全に理解できているとは言えない。

 でも僕の理解できた範囲でまとめると、どうやら、僕はユウに『親友』だと思い込むよう洗脳されているらしい。


 ……どうしよう。正直、突然すぎてよくわからない。

 洗脳魔法だなんて、いきなり言われても困る。


 なにせ、僕自身に実感は全くない。

 いや、ユウの話を聞く限りだと、違和感が持てなくなる効果もあるらしいけど。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「ユウ……」


 ……でも、実感は湧かないけれど、こうして謝っているユウを見ていたら、本気で言っている事はわかる。

 きっと、僕は本当にユウに洗脳されているんだろう。

 

 だから、とりあえず、僕がユウに洗脳されていることを前提に話すべきだ。


 ……真剣に考えよう。ユウは真面目に言っているんだから。


「それで、ユウは、その洗脳を解こうと思ってるんだよね?」

「……うん」


 今回説明したのも、ユウが洗脳を解くためだと言っていた。

 そのための準備として話しているのだと。


 確かに、突然洗脳が解けたら驚くだろう。予め教えてくれた方が助かると思う……多分。

 洗脳なんて、当然されるのは初めてだから、想像でしかないけれど。


「……あの、真」

「なに?」


 そんなことを考えていると、ユウがこちらを見ていた。

 

「こんなことをしておいて、図々しいとは思うけれど、お願いが、あるの」

「なんだい?」


 どんなお願いかはわからないけど、図々しいだなんて思わない。

 ユウは僕の大切な『親友』なんだし。


 ……あ、いや、ユウのいうことが正しいなら『親友』じゃあないのか?

 色々とこんがらがって、なにがなんだかよくわからない。


 ……でも、そうだな、『親友』が違うと言うのなら、大切だから、というのはどうだろうか。それなら間違いないだろうと思う。


 僕は、ユウのことが大切だから、図々しいとは思わないのだ。


「そのお願いっていうのは、その」

「うん」

「……わ、私を、嫌わないで欲しいの」

「え?」


 あまりに予想外な言葉に驚く。


 嫌わないで欲しい?

 何で僕がユウを嫌う事になっているんだろう。


 冗談かと思ってユウの顔を見ても、冗談を言っているようには見えない。

 それどころか今にも泣きそうな顔をしていて、困惑する。


「ふざけた事を言ってるのは、わかってる。でも何でもするから。何でも言う事を聞くから。 ……お願いします。私を、嫌いにならないでください」


 ユウが、震える声でそう言った。

 いや、声だけじゃない。手や足も震えている。

 もしかして、本気で僕に嫌われると思っているんだろうか。

 

 ……いやでも、考えてみたら、そうおかしい事でもないのかもしれない。


 小説や映画では、洗脳していることがバレたら、大抵の場合とんでもないことになる。

 嫌うどころか殺し合いになる事だって珍しくない。

 だから、ユウはきっとそういう理由で嫌わないでほしいと言っているんだろう。


 ユウを見ると、俯いて震えている。

 その姿からして、恐らく僕の想像は間違っていないように見えた。


「僕がユウを嫌いになることなんて無いよ」


 でも、たとえ小説や映画でどうなっていても、僕がユウを嫌う事なんてない。

 絶対にだ。


「……ありがとう」


 するとユウはお礼を言って、嬉しそうに、でも儚い表情で笑った。

 体の震えも全く収まってない。


 ……もしかして、信じてくれてない?

 何故かはわからないけど、ユウは僕に必ず嫌われるものだと思い込んでいるように見える。


「…………じゃあ、今から……解くね」


 ゆっくりとユウの手が僕の頭に伸びる。

 その手は白い光に包まれていて、その手が僕の頭に触れた時、洗脳が解けるのだろうと何となく理解できた。


「……ぅ」


 でも、僕の頭に触れる直前、その手が止まる。

 手の光も消えて、震えているユウの手だけが残った。 


「……ぅう……うううう」

 

 すぐ近く、お互いの体温が感じられそうな距離で、ポロポロとユウが涙を流している。

 伸ばされていた手が力なく落ちて、僕の肩に当たった。


「やだ……やっぱりやだよう、嫌われたく、ない」

「ユウ……」


 やっぱり、ユウは僕に嫌われると思い込んでいるようだ。

 こうして泣くほどに、ユウから嫌われたくないと思われていることは、少し嬉しく思う。


 でも、ユウが悲しんでいる姿を見るのは、辛い。 

 どうにかしたかった。


 そもそも、僕がユウを嫌う事なんてありえないのだ。

 ユウは僕にとって何よりも大切な存在なのだから。

 

 ……どうすれば、それをユウに信じてもらえるんだろうか。

 

「……」

 

 さっき、ただ嫌いにならないことを伝えるだけだと駄目だった。

 だから、もっとわかりやすい言葉で、ユウに伝える方法はないか、考える。 


「その、ユウ」

「……真?」


 でも、よく考えて見ると、嫌いにならないことを証明するなんて、悪魔の証明に近い気がする。とても難しそうだ。少なくとも、僕には出来そうにない。


 だから、逆に、僕がどれだけユウのことを大切に思っているのかを話す事にした。


「僕達、色々な所に行ったよね。デパートに行ったり、旅行に行ったり」

「……う、ん」


 一つ一つ、思い出していく。

 ユウとの思いでは全てが大切で、幸せなものだった。


「デパートに行った時はさ、僕が緊張して、ユウに迷惑をかけて」


 人と一緒に外出したことがなかった僕は、何を話せばいいのかもわからなくなっていた。

 あのままだと、自己嫌悪で逃げ出していたかもしれない。

 

「でも、ユウが僕にお茶を飲ませてくれたおかげで、落ち着く事ができた。

 ……あの時さ、本当に嬉しかったんだ」


 きっと、あの時傍にいてくれたのがユウじゃなかったら、混乱したままだっただろう。

 そして、僕は人と出かけることを諦めていたかもしれない。

 

「ありがとう、ユウ。僕はあれで、人と、ユウと一緒に出かけるのが怖くなくなった。これからも一緒に出かけたいと思ったんだ」

「……真」


 僕がこうして、外に遊びに行こうなんて思うのはユウのおかげだ。

 だから、ユウに本当に感謝している。


「それとさ、スマホを買いに行った事もあったよね」

「……あったね」


 ユウが相槌を打ってくれる。

 気が付くと、ユウは俯いているけれど、震えが止まっていた。

 

「僕がユウにスマホを買おうとしてさ、店に連れて行った」


 初めて、僕の意見を押し通した時の話だ。

 難色を示すユウの手を引っ張って店に向かった。


「それで、ユウは僕に変わったね、って言って、それを良い事だ、とも言ってくれた」


 ユウがもっと意見を言った方が良いと言ってくれたのが嬉しかった。

 あれがなかったら、僕はもっと口数が少なくなっていたかもしれない。


「ユウが認めてくれたから、意見を言ってもいいと思えたし、あれでユウと話すのがもっと楽しくなった」


 ユウと出会って、人と話すことが楽しいと、家族以外では初めて思えた。

 だから、ユウともっと話しをしたいと思う。


「……ユウ、僕はさ、ユウと一緒にいられて、本当に幸せなんだ」

「……うん」


 この半年、一日一日が楽しかったのはユウのおかげだ。

 今はもう、ユウに会うまでの僕が、何を楽しいと思って生きていたのか、全く思い出せない。


「一人でいるのは寂しかったから。だから、一緒に居たい」

「……うん」


 もう一人でご飯を食べるのは嫌だ。

 どんなに高級な料理でも、一人で食べると美味しくない。


「それに、これから先も色々あるよ。

 クリスマスだってあるし、年が開けたらお正月だ。その後にはバレンタインデーもある。

 ……実はさ、初めてチョコをもらえるかなって期待してたんだ」

「……うん」


 恥ずかしながら、これまでにチョコをもらった事はない。

 だから義理でもいいからユウにもらえたらなあ、なんて思っていた。


「でもさ、もしユウがいなかったらそういうのは全部なくなるんだ

 ……それは、嫌だよ」


 これまでも楽しかったけど、きっとこれからも楽しいものにしていけると思う。

 でも、それはユウがいてこそだ。

 

「だから、僕はユウのことが大切なんだ。他のどんなものよりも大切だと思ってる」

「……ぐすっ」


 僕はこれからもずっと、ユウと一緒にいたい。

 嫌いになることなんてありえない。


 どうか、それをユウに信じてもらいたいと思う。

 

「……真」


 ユウが俯いていた顔を上げていた。

 両目から涙を流しているけれど、その顔は笑っている。


「……ありが、とう」

「お礼を言われるような事じゃないよ」


 むしろ、お礼を言うのは僕のほうだ。

 僕の傍にいてくれて、ありがとうと言わないといけない。


「私も、真のこと、大好きだよ。他の、どんなものよりも」

「……」

 

 ユウのその言葉について考えようとして……何かに邪魔される。

 なんだろう、何かおかしい。


 ユウはそんな風に固まった僕を見て少し寂しそうに笑った。


「じゃあ、これから、洗脳を解くね?」


 ユウの両手が白く光る。

 そして固まってしまった僕の頭に近づき、そこで僕の意識は途絶えた。



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