30裏
因果応報とは、こういうことを言うんだろうか。
薄暗い部屋の中、ひざを抱えてぼうっとする。
何かをしているわけじゃない。何もしたくないだけだ。
ただ、何もせず、何も考えずにいたかった。
「……」
洗脳が、真の認識を『好きな人』から『親友』に塗り替えていた。
その事を、十日前のあの日、私は知った。
半年前のあの日、『赤の他人』だった私を『親友』に仕立て上げた洗脳魔法が、そんな、思いもしなかった結果を生み出していた事を。
それはつまり、洗脳をとかないと、私は真の好きな人にはなれないということだ。
洗脳がある限り、真が私に好意を抱いてくれても、それが『親友』で塗りつぶされてしまう。
「……」
でも、洗脳を解くわけにもいかなかった。
だって、洗脳をといたら真に嫌われてしまうかもしれない。
いくら真が優しくても、洗脳なんてふざけた魔法、許されるはずがないのだから。
「……どうすればいいんだろう」
洗脳を解いても、解かなくても駄目。
どちらを選んでも、待っているのは地獄だ。八方塞とはきっとこういうことを言うんだろう。
かつて、私が悪意を持って真にかけた洗脳魔法。それが今、私を苦しめていた。
「……どうすればいいの?」
呟いても返事が帰ってくるはずがない。
意味もなく消えていくだけだ。
「……っ」
少し身じろぎすると、眩暈が私を襲った。
ふらふらする。きっと、寝不足のせいだ。
あれから十日。その間、私は一睡もすることが出来ていない。
この体が頑丈じゃなかったら、とっくに倒れていただろうと思う。
「……もうやだ。逃げたい……」
逃げる場所なんてあるわけがないのに、泣き言が口から出る。
それとも、現実から逃避して、このまま何もせずに過ごすとでも言うのだろうか。
今、こうしてひざを抱えているように。
……それもいいかもしれない。
現実逃避して、このまま何も見なかったことにして、目を逸らして『親友』を続けるのだ。
愛してもらえない事を忘れて、これまでと同じ、そして、これからもずっと変わらない幸せに浸って生きていく。
そうすれば、ずっと一緒にいることだけは出来るだろう。
「……ふふ」
思わず漏れた笑いが、その幸せを想ってのことなのか、それとも無様な私を嘲笑ってのものなのか、今の私にはわからなかった。
「……あ、時間が」
ふと時計を見ると、もう夕方が近かった。
私が意味もなく蹲っている間も、容赦なく時間は過ぎていく。
「……買い物、行かないと」
夕飯の買い物をしないと、料理が作れない。
真にこれ以上迷惑をかけないためにも、買い物に行く必要があった。
「……っう」
襲ってくるめまいに耐えながら立ち上がり、出かける準備をする。
そして壁に手をつきながら玄関へと向かった。
◆
「こんなものかな……」
それから、近所の商店街に向かい、買い物を終わらせた。
疲労のせいか、かつてないほどに重く感じる買い物袋を持って家へと向かう。
「……あれ?真?」
その途中、真の姿が目に映った。
学校帰りなのだろう。鞄を持った真が少し前を歩いていた。
どうやら真は私に気が付いていないようだ。
振り返ってもらおうと、声をかけようとする。
すると、声をかける直前に真は角を曲がって脇道へ入った。
上手く動かない足を前に出して、真を追いかける。
角を曲がると、ちょうど真は交差点にある店に入るところだった。
「ここは……ケーキ屋?」
確か、以前一度来たことがある。
それに、最近真が買ってきてくれるお菓子がここの店のものだったはずだ。
「…………くっふふふ」
真はきっと私のために買いに来てくれたんだろう。
嬉しくてつい笑い声が出た。
真と話がしたくなってきて、店に近づく。
一歩一歩近づくと、段々扉の窓ガラス越しに店内の様子が見えるようになった。
「…………………………え?」
そして、店まで後数メートルまで近づいた時、私の目に映ったのは真が若い女と談笑している姿だった。
ガラスの向こうで、真が楽しそうに笑ったりしながら話をしているのが見える。
「…………」
なにが起こっているのか理解できなくて、声をかけることも忘れてただ呆然とする。
ただ、目の前の光景を見ていることしか出来なかった。
しばらくして、真が店から出てこようとする。
とっさにその場を逃げ出して路地裏に入った。
真が私に気付かず、目の前を通り過ぎていく。
私はただそれを見送る事しかできなかった。
◆
それから、気が付くと私は家にいた。
うっすらとだけれど、裏道をふらつきながら走って帰ってきた記憶がある。
どうやらまともに走る気力もなく、普通の人よりも遅いくらいの速度で走って帰ってきたようだ。
頭の隅の冷静な部分が、やけくそになって全力で走らなくてよかったと言っている。
「……」
足から力が抜けて、リビングの入り口に座り込んだ。
目の前の窓から入ってくる夕日が眩しく思う。
「あれ、は……」
足が止まると、さっきまで見ていたものが頭の中に蘇ってくる。
あの、真と女が談笑していた光景が。
あの時、二人は仲がよさそうに話していた。
真は笑っていたし、あの女も笑顔を見せていたのを覚えている。
……あの女は若く見えた。
見た感じ、二十台だと思う。少なくとも三十台には見えなかった。
……そう、真と付き合っていてもおかしくない位の年だ。
「……うっ」
吐き気が襲ってきて、トイレに駆け込む。
朝も昼もほとんど何も食べていないので、胃液だけが出てきた。
洗面所で口を洗い、廊下に出る。
そこで足を滑らせて廊下に倒れこんだ。
「……う、うう」
起き上がる気力も湧いてこない。
十一月の廊下はただただ冷たかった。
「……う、あ、ああ、うあああああぁああああ」
涙が溢れて来る。
堪えていたけれど、一度出てくると、次から次へと溢れてきて止まらなかった。
「あああぁあ、ひっく、ぅぅううううう」
わかっていた。
私は本当はわかっていたんだ。
『親友』じゃあいつまでも一緒にいることなんて出来ないって。
現実から逃げて、今ある幸せだけを見ていても、いつかは破綻するとわかっていた。
だって、『親友』は恋人じゃない。
普通は一緒に住む事もしないし、死ぬまでずっと一緒にいるなんてありえないのだから。
このままだと、真はきっといつか私以外の人と恋人になるだろう。
そしていつかは結婚する事になる。
その時、真の隣に私の居場所はない。
当然だ。私は『親友』なのだから。
「……いや、だ……ひっく、いやだ」
さっきの女はきっとまだ恋人じゃないのだろう。
ずっと一緒にいるのだ。流石にそうだったらわかる。
でも、いつ恋人になってもおかしくないのだ。
これから先、時間をかけて仲良くなっていけばいい。
あの女は、私と違って恋人になることが出来るのだから。
「そんなの、やだ。……ぐすっ、やだよう」
好きなのに。こんなに好きなのに、愛してもらえない。
他でもない、私がした洗脳のせいで。
「なんで、ひっく、……なんでえ」
何で私はあんなことをしてしまったのか。
後悔してもし足りない。
もし洗脳しなかったら、真と暮らすことはなかっただろう。
それでも、それがわかっていても後悔せずにはいられなかった。
「……ぐすっ、うう」
どうしたら、ずっと傍にいられるのか。
どうしたら、真に愛してもらえるのか。
……それは、分かりきった話だった。
方法は、一つしかない。
「…………ひっく、洗脳を、解く」
嫌われるかもしれない。
すぐに家から追い出されてしまうかもしれない。
……でも、私が真の隣にいたいと思うのなら、それしかなかった。




