21裏
ゆっくり、ゆっくりと廊下を歩く。
「……」
普段の半分くらいの歩幅で、倍ぐらいの時間をかけて、一歩足を前に出した。
次の一歩もまた同じくらいに。そのさらに次もだ。
普段の四倍の時間をかけて、ゆっくりと歩いていく。
横を他の旅行客や仲居さんたちが当然のように通り越していった。
「……」
ふと、何故自分はこんな事をしているんだろうと疑問に思った。
こんな事をしても意味はない。
時間稼ぎをしたところで結局は部屋についてしまう事に変わりはないのだから。
この旅館はこの辺りでも大き目の旅館だけど、それでも大浴場から客室に移動するのに一時間も二時間もかかったりはしない。
いくらゆっくり歩いたって十分もしないうちに客室に着くだろう。
……自分でも無駄な行動だという事はわかっている。
それでも、少しでもいいから時間が欲しかった。
混乱している頭を落ち着けることが出来るだけの時間が。
「……ふう」
軽く、息を吐く。体にこもった熱を吐き出すように。
その程度じゃ意味はないことは知っているけれど。
……先程大浴場で聞こえてきた事が忘れられない。
大浴場には私よりも少し年上に見えるくらいの女性二人組がいた。
断片的に聞こえてきた話では、どうやらその女性はお互いの彼氏を含めた四人組で、ダブルデートのような形で温泉旅行に来ているらしい。
借りている客室も、私たちと同じで、客室に露天風呂がついているものだと言っていた。
その、二人の話していたことがどうしても耳から離れなかった。
「…………ついちゃった」
今日泊まる部屋の前に立つ。
時間稼ぎは終わってしまった。
扉を開けるのを躊躇する。
でも開けないわけにはいかなかった。
意を決して扉を開けた。
「……真?」
「ユウ、こっちのベランダだよ」
真に声をかけると部屋の奥から返事が返ってきた。
真はベランダにいるようだ。
……あの、彼女達が話をしていたベランダに。
「……何してるの?」
「まだ夕飯まで時間があるから涼んでるんだ」
近づいて声をかけると、真はいつもの調子でそう答えた。
あまりにいつもの様子と同じで、少し困惑する。
「……そうなんだ。じゃあ私もそうしようかな」
真の考えがちょっとわからなくて、顔が見たくなった。
ベランダに下り、真の隣に腰を下ろす。
視界の端に“あれ”が映った。
「……その、いいところ、だね」
「そうだね」
黙っているのが辛くて声をかける。
真はやっぱりいつもと同じ調子だ。
なんだか不公平な気がして、少しむっとした。
なんでこんなに普通にしていられるんだ。
私はこんなに“あれ”が……露天風呂が気になっているのに。
さっき大浴場で聞いたことが頭の中で響く。
あの女性達が言っていたことが。
『男女で露天風呂つきの部屋に泊まって混浴しないなんてありえないでしょ』
『絶対男も意識してるよね』
……あの二人は確かにそう言っていた。
だからこんなに私は困っているのに。
……もしかして、真はその、そういうことを考えてないんだろうか。
あの二人が言っていたことが間違いだった?
「……ねえ、あそこにあるのは露天風呂、なんだよね?」
「うん」
真が何を考えているのか知りたくて声をかける。
いったいどういうつもりなんだろう。
「……真はあの露天風呂、その、入るの?」
「そのつもりだよ」
真もやっぱりあの露天風呂のことは意識しているらしい。
「夕飯を食べて少し落ち着いたら入ろうと思ってるんだ」
「そ、そうなんだ」
……でも、意識はしているようだけど、何と言うか、そういう雰囲気はない。
やっぱり勘違いなのかもしれない。
きっとあの二人の言っていたことが間違っていたのだ。
私は大きな安堵と少しのそれ以外の感情を感じつつ胸をなでおろした。
「ユウもせっかくだし入るといいよ。きっと気持ちが良い」
……だから、その言葉が聞こえたとき、頭が混乱でいっぱいになった。
私も?やっぱり真はそのつもりだった?
「わ、私も?」
「……?……うん」
聞き返すと真は当たり前のような顔をしている。
「どうしたの?」
「どうしたのって、何で真はそんなに、その……」
だから、何で真はそんなに平然としているのか。
思わず叫びそうになる。
真にとって混浴なんてそんなになんでもない事なのだろうか。
私は顔が熱くて仕方がないというのに。
真の顔を見ると、普通の顔だ。赤くなってなんかいない。
むしろ私がなんでこんなに困惑しているのかわからないと言わんばかりの顔をしている。
どうなっているのか、どうすればいいのか。
……え?これって私も入らないと駄目なの?
でもそんなのって……。
頭が中がぐるぐると回って冷静に考えられない。
……そして、そんな私に真が声をかけたのは混乱が頂点に達そうとしているときの事だった。
「じゃあ、この露天風呂にどっちが先に入るか決めようか。ユウは先と後どっちが良い?」
………………は?
「…………え?どっちが先に?」
「うん」
真が頷いた。
「どうする?」
「……」
これは、あれか。あれなんだろうか。
つまるところ、全て私の勘違いだったという事なんだろうか。
「……」
顔が熱くてどうしようもない。
無性に目の前のベランダから飛び降りたくなってきた。
ただじっとしているのが耐えられなくて衝動的に真の顔に手を伸ばす。
「……ゆふ?」
私につねられながら話す真はいつもの能天気な顔だ。
……普段なら安心するその顔が、今は妙に憎たらしかった。
「ほうひはの?」
「……しらない」
叫びたい気持ちを抑えてそう返す。
本当に恥ずかしくて仕方がない。
私はそれからしばらくの間、真の顔を見ることが出来なかった。
ジャンルをローファンタジーから恋愛に変更することにしました。




