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旅館の廊下を歩き、今晩泊まる部屋へと歩く。
「……ここだったか」
扉の鍵を開け中に入る。
すると畳特有の匂いがした。懐かしいような、少し落ち着くような、そんな匂いだ。
スリッパを脱ぎ、部屋に上がる。
ふと、窓を見ると、外はもう日が沈んでいるようだった。
「……今日は楽しかったな」
あれから、夕方になるまで温泉街を散策した。
足湯に入ったり、買い食いをしたり、土産物屋でユウと二人同じ柄の湯飲みを買ったりもした。
今は旅館に戻り、夕飯の前に一度旅館の大浴場に入ってきたところだ。
いくつもの種類の温泉があるのが売りで、一通り入って回るだけで十分に楽しめた。
「……良いお湯だった」
窓に近づき、少し開ける。
すると、外から風が入って来た。涼しくて気持ち良い。
先程大浴場の露天風呂に入ったときに気付いたのだけれど、まだ八月なのに、この辺りは自然が多いせいかあまり暑くない。
窓を完全に開け、ベランダに出る。
この部屋のベランダは個室の露天風呂があることもあり、広くて清潔だ。
隅に置いてある椅子に腰掛けた。
ベランダの向こうには森が広がっていて空気が美味しく感じる。
遠くからは虫の声がして、風情があるなあ、と思った。
「……ん?」
部屋の方から扉の開く音がする。
どうやらユウが大浴場から戻ってきたようだ。
「……真?」
「ユウ、こっちのベランダだよ」
ユウが僕を探しているようだったので声をかける。
すぐにこちらに近づいてきた。
「何してるの?」
「まだ夕飯まで時間があるから涼んでるんだ」
予定の時間まで後三十分位だ。
涼むにはちょうどいいくらいの時間だろう。
「……そうなんだ。じゃあ私もそうしようかな」
ユウもベランダに下りてきて僕の隣に座った。
「……その、いいところ、だね」
「そうだね」
何故か少しつかえ気味なユウの声に同意する。
本当にそう思う。辺りは静かだし、本当にリラックスできる。
この旅館は写真で見て選んだだけだったけど、ここにして良かった。
「……ねえ、あそこにあるのは露天風呂、なんだよね?」
「うん」
ユウが指を差した先にある、ベランダの中央の大きな枡状のもの。
それがこの部屋の個室露天風呂だ。
「……真はあの露天風呂、その、入るの?」
「そのつもりだよ」
ベランダの隅にある露天風呂はこの旅館の最大の見所だ。
それぞれの客室に一つずつあって、全て源泉掛け流しらしい。
この自然の中で、周りの目を気にせずゆっくり入れたら最高だな、と思う。
「夕飯を食べて少し落ち着いたら入ろうと思ってるんだ」
「そ、そうなんだ」
後は明日の朝にも入ってみたいかもしれない。
朝風呂はきっと気持ちがいいだろう。
「ユウもせっかくだし入るといいよ。きっと気持ちが良い」
温泉街をまわるのも楽しいけど、色々な温泉に一日に何度も入るというのも温泉旅行の楽しみの一つだ。
ユウも色々と入ってみたらいいと思う。
「え!?わ、私も?」
「……?……うん」
何故か、ユウがひどく驚いた声を出した。
少し驚いてそちらを見ると、ユウの顔や首筋が赤くなっている。
……これは温泉に入っていたからなのだろうか?それとも何かあった?
「どうしたの?」
「どうしたのって、何で真はそんなに、その……」
ユウは何をそんなに慌てているんだろうか。
よくわからなかった。
……まあ、最近はたまにあることか。
最近のユウは、たまにこうして突然慌てていることがある。
そういえば今日の朝、家を出るときもそうだったか。
そしてこういう時、これまでは別の話をしていれば自然と落ち着いていた。
「じゃあ、この露天風呂にどっちが先に入るか決めようか。ユウは先と後どっちが良い?」
なので、適当な話をユウに振る事にした。
そうやって話していたらユウも落ち着くだろう。
「……え?どっちが先に?」
「うん」
すると、予想していたようにユウが慌てるのを止めた。
今回は落ち着くのが早かったなあ。
「どうする?」
「……」
ユウの顔が目の前でどんどん赤くなっていく。さっきまでも赤かったけど、それよりさらに。
そして突然僕の顔に手を伸ばした。
「……ゆふ?」
ユウの手が僕の頬をつねった。
痛くはないけど引っ張られて上手く喋れない。
「ほうひはの?」
「……しらない」
ユウが僕から手を離し、そっぽを向く。
頬が少し膨れていた。
……どうしたんだろうか?
本当によくわからなかった。




