19裏
異世界から帰ってきて、一番私の近くにいた人間が誰かといったら、それは間違いなく真だ。
この数ヶ月、私は真とずっと同じ家で暮らし、同じものを食べて生活してきた。
真は基本的に大学に行っているとき以外は家に居るので、自然と一緒にいる時間も長くなる。
その時間の分、沢山会話をしたし、一緒に過ごした時間はとても長い。
それに、私はこの世界に帰ってきてから真以外の人とほとんど関わりを持っていない。
五月のあの日、私は異世界から帰ってきて、その日のうちに真を洗脳し、家に住み着いた。
その後も最初の二ヶ月は食料品の買い物以外ほとんど家から出なかったし、この一ヶ月はたまに外出するようになったけど、それも基本的には真と一緒だ。
もちろん、近所の人と少し話したりする事くらいはあるし、マンションの同じ階に住んでいる人の顔と名前くらいは知っている。
でもそれはあくまでご近所付き合いであって、表面上だけのものだ。積極的に仲良くしている人はいない。
……うん、こうやって考えてみると、この数ヶ月の私の思い出はほとんどが真に関係があることだ。
逆に真と関わりのないことを思い出すほうが難しい。
つまるところ、私はそれだけの間、真と一緒にいて、真のことを見ていたのだろう。
だから、その結果として、私は真がどんな人間かを少しは知っている。
何を考えているのかわからないことも多いけど、根本的な人間性の部分についてはなんとなく理解できているつもりだ。
……だからこそ、今、私は真が少し変わったなあと思うのだ。
◆
「さ、行こう」
そう言うと、真は歩く速度を上げた。
なんとなくだけど、その行動からは強引にでも連れて行こうとする意思が感じられる。
そして、それが私にとっては意外だった。
「……真、少し変わったね」
「え?」
感じたことが思わず口に出る。
でもそれくらい意外だったのだ。真のこんな姿初めて見た。
「少し前の真なら、私が断ったら諦めてたと思う」
真は基本的に行動を周りの人に合わせようとする人間だ。
別に何も言わないわけじゃないけれど、意見がぶつかればいつもすぐに自分から引いていた。
だから実は、私と真はこれまでに喧嘩をしたことがない。
そもそも意見がぶつかる事がほとんど無いし、その内容も大した事じゃなかったけど、数少ないそれもこれまでは真がすぐに撤回していたからだ。
これまでの真は、良いように言えば優しい人で、悪いように言えば意思が弱い人だった。
その真が私を無理にでも連れて行こうとしている。
これは今までの真ではありえないことだった。
「それは……そうかもね」
真も自分自身そう思ったのか同意する。
そして何故か突然顔を歪めた。
「……その、こういうのだめかな」
真が不安そうな顔で言った。
その言葉に少し驚く。
「え?そんなこと無いよ
……うん、その方がいいと思う」
真が私に意見を言うことがだめだなんて、そんなことあるわけがない。
むしろ、だめだと言うのならこれまでがだめだったのだ。
こんなにそばにいるのに、自分の考えも言えないなんて寂しすぎると思う。
「……そうかな」
「うん。真はもっと自分の意見を言った方がいいよ」
よく考えてみると、もしかしたら真はこれまで私に遠慮していたのかもしれない。
いくらなんでも遠慮している期間が長すぎるんじゃないかと思うけど、それが無くなったというのなら歓迎するべきだろう。
そう思い、自然と顔が笑みの形になった。
…………ん?あれ?
その時、私の感覚に一台のトラックが引っ掛かった。
まだ微かに音が聞こえるくらいの距離だけど、後方に大型のトラックらしきものがそこそこの速度で走っている気配を感じる。
今こうしている間もこちらに近づいているようだった。
……この軌道ならかなり近くを通りそうだけど接触はしないかな。
異世界時代の癖でそれが自分にとって危険なものかどうかを判断する。
そしてどうやら問題は無さそうだという事がわかった。
それに、考えてみればトラックくらいの速度なら、直前で軌道が変わっても十分避けられる。
むしろ正面から跳ね飛ばされても無傷だ。
伊達に化け物呼ばわりはされてないのである。
……気にする必要はないかな。
それに、そんなものよりも今は真と話をしていたのだ。それと比べるとトラックの事なんてどうでもいいことでしかない。
私はトラックを意識から外した。
……そして、だからこそ次の瞬間起きた事が理解できなかった。
「あ、危ないな」
「え?え?」
気が付くと真に抱き寄せられていた。
なにが起こったかまったくわからない。
……いや違う。なにが起こったのかはわかっている。真が私の肩を掴み胸元に抱き寄せたのだ。
でも、何でそうなったのか全くわからなかった。
恐る恐る上を見ると、真が安堵の表情を浮かべて私を見ていた。
……近い。抱き合っているみたいだ。
いや、実際に抱きしめられているのか。
でもそんな、何で?
理由がわからない。いきなり抱きしめるなんて、まるで恋人同士みたいな――
「――ぁ」
そう考えた途端、出かける前に考えていた事がもう一度脳裏に蘇ってくる。
……そうだ、旅行で、カップルで、ボーイフレンドで。
とりとめもなく単語が頭の中を飛び交う。
真が変わった事に気をとられてせっかく忘れかけていたのに。
「……ぅ」
心臓がうるさくて、抱かれている肩がすごく熱い。
くらくらして目の前がゆがんだ気がした。
「ユウ、大丈夫?」
「え、えっと、うん。大丈夫」
真の言葉に何とか返す。
だめだ。頭が上手く働かない。
「ユウ、行こう」
「……う、うん」
真が離れたことで少しだけ頭がまともになった。
さっきのことを考えつつ、真の後を追う様に歩く。
……やっと、少しだけ何があったのかわかってきた。
真が私を抱きしめたのはトラックがちょうど通り過ぎたときだった。
さっきは危ないなとか、大丈夫かとか聞いてきたし、真は私をトラックから庇おうとしたのだと思う。
だからきっと、さっきの真に変な考えはなかったのだ。
「……はあ」
……でも、それはわかっているのに、頭が上手く働いてくれない。
もう手は離れているのに、いつまで経っても肩の辺りが熱くて仕方なかった。
その後、結局心臓が元に戻ったのは携帯ショップに着く頃だった。




