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7裏


 目の前に予想したとおりの光景があった。


 美味しい、と言ったかと思うと、真が次から次へとクッキーを手にとって口に入れていく。


 間抜けな顔でクッキーを頬張るその姿は先日想像したものと同じ……いや、もっと悪いか。想像の中の真はこんな速度でクッキーを食べてはいなかった。


 あっという間にクッキーが減っていく。

 まだコーヒーも出来ていないのに。


 ……ああ、そのジャムクッキーはそんなに適当に食べないで欲しい。

 あの様子じゃあクッキーの味とか全然わかってないと思う。

 それは初めて作ったから苦労したのだ。


 思わずそう文句を言いそうになって、止める。


 ……まあ、いいか。

 あそこまで夢中に食べられると悪い気はしない。


「どうぞ」


 コーヒーが入ったので真の前に置く。


 そこで落ち着いたのか、真は初めて手を止めた。

 少し恥ずかしそうにしながら居住まいをただし、コーヒーを口に運ぶ。


 いや、いまさら取り繕ったって遅いと思う。

 もう皿の上にあったクッキーは半分くらいしか残ってない。


 軽く苦笑しながら、真の向かいの席に座る。


 ……さて、私も少しは食べようかな。

 クッキーを一枚手に取った。


 うん、我ながらいい出来じゃないだろうか。

 真ががっついて食べるのも頷け……ないな。あれはちょっとおかしい。


「ふう」


 向かいの席で真が大きく息を吐く。

 見るとひどく満足そうな顔をしていた。


 満足してもらえたようで何よりだ。

 せっかく作ったのだから喜んでもらえる方が嬉しい。


 …………それに。


 少し、嫌なことを思い出して胸がちくりと痛む。

 

 これは罪悪感なんかじゃない。

 絶対に罪悪感じゃないけど……真が幸せそうにしていると、少しだけ痛みが和らぐような気がした。


「はあ……」


 最近おなじみになってしまったため息が漏れる。

 

 ……どうしようかなあ。


 洗脳とか、胸の痛みとか。

 どうすればいいのか分からない。


 一応、洗脳を解くことはできる。

 でもそれをすると私はここにはいられなくなるだろう。


 そうしたらその後はどうなるだろうか。

 頼れる人はいない。金もない。戸籍もない。

 間違いなく路頭に迷うことになる。


「はあ……」

 

 目の前の真の能天気な顔が羨ましい。

 私もこんな風に……いや、それはそれで嫌か。

 

 ……なんとなく手持ち無沙汰になって、手元のコーヒーに息を吹きかける。

 意味のない行動だ。もうとっくにコーヒーは適温になっているのに。


「はあ……」


 私は何度目かのため息をつく。

 ちょうどその時、真が私に話しかけてきた。


「ねえ、ユウ」

「ん?何?」


 意識的に笑顔を作り、返す。

 この一ヶ月何度も繰り返してきたこの行動がなんだか煩わしかった。


「ユウは何か欲しいものはない?」

「欲しいもの?」


 突然の言葉に驚く。

 以前にもされた質問だ。

 その時は断った記憶がある。


 そういえばあの時、この質問の意味がわからなくて悩んだんだった。

 それで、当時はこの世界に帰ってきたばかりでよくわからないから、なんて流したような気がする。

 あれから一ヶ月くらい経った。今でも意味はわかっていない。


 ……これは、もういっそ聞いてしまった方が早い気がする。


「……ねえ、一つ聞いていい?」

「ん?もちろんいいけど」


 軽く深呼吸をする。


「あの、なんで欲しいものを聞くの?」

 

 どんな答えが返ってくるのか全く想像できなくて緊張する。

 絶対ないとは思うけれど、万が一悪意のある言葉が返ってくると……困る。


 なぜか、理由はわからないけど、真が悪意を持っている姿を見るのは、ちょっと嫌だと思った。

 

「それは、まあ普段の家事のお礼だよ」


 だから、そんな答えが返ってきたときは呆然としてしまった。


「へ?」


 思わず間の抜けた声が漏れる。

 

 そしてその後も真の言葉は続いた。

 

 私が家事をやっているから助かっているということ。

 料理が美味しいから毎日楽しみなこと。

 パソコンを教えるのも実はちょっと楽しかったこと。


 そして……私が来てから毎日が楽しいということ。

 それまでよりもずっと楽しいのだと、真は言った。


 なんだそれ。

 あまりに予想外すぎる言葉でどう反応していいかわからない。


 私はしばらく呆然として――


「くふっ。くっふふふふ、くっふふふふふ!」


 ――気が付けば笑っていた。

 

 なんだそれ。なんだそれ。なんだそれ。

 よりにもよって私が来てから毎日が楽しいって?


 そんなの――洗脳関係ないじゃないか。


「ごめ、ごめんなさい、でも、くっふふふふふ!」


 私が施した洗脳は私を親友だと思うようになるだけだ。

 それ以外の感情、喜怒哀楽には干渉しない。


 つまり、真は単純にそれまでの生活よりも、私に洗脳され、搾取された日々が楽しかったと言っているのだ。


「くっふふふふふふ!」


 なんて馬鹿らしい。

 あの洗脳した罪悪感に悩んだ日々はなんだったというのか。

 洗脳されて楽しかった、なんて言う間の抜けた能天気な奴にそんなものを感じる必要なんてないじゃないか。


 ……あ、いや罪悪感じゃないけど。


「くふふ……ご、ごめんなさい。えっと欲しいものだったよね?

 ……うん、なにもないかな。私はここの生活に満足してるから」


 しばらくして、やっと息が落ち着いてきたので、真の問いに答える。


 しかし、本当に真は能天気だなあ。

 うん、本当に。


 でも、だからかな。

 そうやって真がずっと能天気に笑っていたから、私もそれにつられて……ほんのちょっとだけ、楽しかったかもしれない。


「わかった。でも何かあったらいつでも言って欲しい」

「うん。わかった」


 真の言葉にそう返す。


 その時にふと真の手元見る。コーヒーが少なくなっていた。

 

 ……せっかくだし新しいのを入れてあげようかな。まだクッキーは残っているし。


 さっきよりも少しだけ体が軽くなったことを感じながら私は立ち上がり、キッチンへと向かった。

 

 


これで一章は終了です。

今後について後ほど活動報告に書くので、気になる方は見てください。

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