6裏
人に質問されて、どんなときでもにこやかに返答する、というのは難しいことだと思う。
教師のように教えること自体が仕事なら、にこやかに返答するだろう。仕事だから。
でも仕事じゃなかったとしたら、きっとそれは誰にでもできることじゃない。
一回や二回なら誰でも出来るだろう。
でもそれが十回や二十回になったら?機嫌の悪いときだったら?聞かれた内容が一回教えたことだったらどうだろうか。
かくいう私だってそうだ。異世界にいた頃、軍で新兵に質問される事だってあった。
最初はもちろん私だって、軍の先輩として優しくしようとした。優しく返答しようとした。
私には質問に優しく答えてくれる先輩がいなかったからこそ、そう思った。
でも私はきっといい先輩ではなかっただろう。他と比べればマシだったかもしれないが、いい先輩だったとは決して言えない自覚がある。
機嫌の悪いときに質問されて怒鳴って返したことがある。
一度教えたことをもう一度聞かれて、その新兵を罵った事だってあった。
一度教えたくらいで覚えられることじゃないと、私自身わかっていたはずだったのに。
もちろん理由はあった。戦況が最悪だったとか、上司に嫌がらせされたとかだ。
……でも、それは怒鳴られた新兵には関係のないことでもあったのだと思う。
うん、私は、きっと悪い先輩だった。
まあ、その後すぐにあの後輩達も私を化け物扱いするようになったし罪悪感はないけれど。
……とにかく、何を言いたいのかというと最初に言ったことだ。
普通は、人に質問されてどんなときでもにこやかに返答する、なんてことはそうそう出来ない。出来るのはごく一部の場合だけだ。
具体的に挙げると私はそれは三通りの場合だと思う。
一つ目は指導役がとてつもなくいい人であること。
これは単純だ。説明する必要もない。
二つ目は指導役が質問した人に逆らえない立場であること。
これもまたそのままだ。説明する必要はない。
そして三つ目が……指導役が質問した人に対して強い好意を持っていた場合だ。
例えば母親が子供に質問されても怒らないことがこれになる。
大切だから、だから怒らないのだ。私はそう思う。
◆
「大丈夫。壊れてないよ。それはOKを押せば大丈夫」
真が笑顔で言った。
そんな真の言葉と表情に心から安心する。
壊れていたらどうしようかと思った。
私では直すことなんて出来るわけないし、金を持っていないので弁償も無理だ。
それにこのパソコンが真にとって大切なものだろうということは知っている。
そんなものを壊したらさすがに真だって怒るだろう。
当然だが怒られるのは嫌だ。
「そ、そう?よかったあ」
思わず、そんな声が漏れた。自分の締りのない緩んだ声に私自身驚く。
なんだ今の声は。
……二週間前、真が私を優しい目で見ていることに気付いたときから、私は少し変だ。
思わず気が抜けてしまうことが増えた。
この家に来たばかりの頃はそんなことはなかったのに。
よくないことだと思う。
私は真を騙してこの家に住み着いている存在だ。馴れ合っていいはずがない。
万が一にも洗脳が解けてしまわないよう、気を張っていなければならないはずだった。
……それなのに、わかっているのに、自分を抑えられない。
どうしたのだろう。自分の感情をコントロールする方法はちゃんと身につけたはずなのに。
「……はあ」
思わず、小さくため息が漏れる。
いつの間にか伏せていた顔を上げ、真を探すと、少しはなれた場所で何か考え込んでいた。
……洗脳、か。
……先程質問したとき、真は笑顔だった。笑顔で優しく教えてくれた。
思えば、この二週間、ずっとそうだった。
真は私が同じ日に十回も二十回も質問したときも、同じようなことを何度も質問したときもずっと笑っていた。仕事でもなんでもないのに。
私は、それはそう簡単にできることじゃないと思う。
なら、何故できたのかというと、きっとそれは真が私のことを『親友』だと思っているから……私のことを、大切だと思っているからだ。
……私にそう思うように、洗脳されているから、できたのだ。
「……う」
胸がズクリと痛む。
……違う。これは違う。
これは罪悪感なんかじゃない。絶対に罪悪感なんかじゃない。
私が、あの地獄を生き抜いた私が、こんなことで罪悪感を感じるなんてありえない。
真に、私に搾取される存在に、私がそんなものを感じるなんて。
良心なんて、そんなものとっくに捨てたんだから。
「……」
もう一度横目で真を見ると、いつもの間抜けな笑顔を浮かべて何か考え込んでいる。
こんな能天気な存在に、そんなものありえないのだ。
……そもそも。
そもそもだ、真は生意気だ。
真は私に搾取されている立場なのに。
本来、搾取される立場というのは辛いものなのだ。
息苦しくて仕方なくて、腹が立って仕方なくて、笑ってなんかいられない。
それなのに、真は私に搾取される立場の癖に。酷いことをされているはずなのに。
いっつも、間抜けで能天気な顔してるし。
いっつも、ヘラヘラ楽しそうな顔をしてるし。
……搾取されている存在の癖に。
……なんか、優しいし。
……なんか、やたらと褒めてくるし。
「……」
なぜか顔に血が集まってくる感覚がしたので軽く頭を振る。
そ、そうだ。パソコンをしないと。
さっきのポップアップは大丈夫だったんだから続きをしよう。
私はパソコンに向き直ってマウスを持った。
「ユウ、あのさ」
「え?なに?」
そんな、パソコンの椅子に座った丁度その時、真が私を呼んだ。
振り向くと、真はなぜかひどく驚いた顔をしている。
「どうしたの?」
「……い、いや、なんでもない」
「そう?」
慌てたように真はうつむき、台所の方へと歩いていった。
何だったのだろうか。
「……ん?」
再び前を向いてパソコンの画面を見ると、そこにはレシピが表示されていた。
どうやら真に呼ばれて後ろを向いたときに、間違って適当なファイルをクリックしてしまったようだ。
クッキー、ケーキ、ホットケーキ、シュークリーム。
いくつかのお菓子のレシピが並んでいる。
「……お菓子か」
そういえば、今回の指導のお礼をしてなかった。
何かしてもらったらお礼をするのは、人間関係を円滑にする上で重要なことだ。
例えお礼が大したものでなくても、お礼をしたという事実が重要だったりする。
私は金を持っていないので大したことはできない。
だからこの辺りを作って渡すのが丁度いい気がする。
……なんとなく、いつもの間抜けな顔をしてクッキーを頬張る真の姿が自然と想像できた。
うん、いいと思う。
近いうちにやろう。
私はさっそく、真に教えてもらった方法でレシピをプリンターで印刷することにした。




