私ニシン大好き!異論ある奴は地獄へ落ちろ!
相思相愛の二人を始末した日の夜の事だった。街道を進む旅商人を、指定の場所まで護衛せよとの命令を受けたのは。
正直、面食らったと言わざるを得ないだろう。そもそも私達の管轄ではないからだ。治安維持と警護はちゃんと管轄の連中がいるし、この時期は祭典を行うため国の騎士を格安で護衛として雇えた。人手不足とは聞いた覚えがない。私達の出る幕ではないのだ。
指揮官用の天幕の中、受け取るは命令と命令書だ。片方は耳で、もう片方は手で受け取る。
「指定の場所で開封しなさい。それまでは……分かっているね?」
「はい、心得ています」
渡される封書を両手で恭しく受け取ってみせると、上司であるジビラは、少し申し訳なさそうな顔をした。自分は帰投せよ、との命を受けているらしい。部下と出来る限り苦楽を共にする事を信仰の次に尊ぶ彼女にとって、この事態はかなり気が咎める状況らしい。
「明日の朝、我々が帰途に就くと同時に出立しなさい。撤収作業は……エレーナにでも任せなさい。あの子はこれで休暇だから」
作業を押し付けるのは、命令が下った時からそのつもりであると答える。すると彼女はくすくす笑った。
「休暇、羨ましいですね。街に新しい甘味の店が出来たと聞いたんですよ。行こうかと思っていたんですが……」
「そう、なら暫くはお預けになるわね。お詫びに何か御馳走、と言っても燻製くらいしかないけど。上の連中がほら、ね」
ああ、と頷く。上の連中。腐った神官どもの腐った遊びだ。お偉いさんの子息が言ったらしい。異教徒が死ぬところが見たいと。私達、騎士団が仕留める所が観たいと。
という事で、ぎりぎり泳がせておくか議論の対象であった一族は、見事地上から消えたという訳だ。とある伝手からの情報だ。知った時は思わず笑ってしまった。
そのお偉方の、豚息子のどんちゃん騒ぎで今回の作戦中に消費する予定だった糧食を、見事に食い尽くしという訳だ。ちなみにその豚は、作戦が終わる同時に、『思ったよりつまらなかった』と一言呟いてさっさと帰ったらしい。抹殺してやろうかと腕が震えた。
何故、私達の最高責任者は許可を出したのかさっぱり分からない。そもそも私達は豚息子が見世物に出来る程下っ端でもなければ、奴はお偉いといっても好き勝手出来るほどの家柄でもない。少なくともここに集う連中の後ろ盾達から考えるに。
「奴が異教徒認定された際の執行は、是非とも私達に一任して貰えるように、頼み込むつもりです。……それで、燻製とは何の燻製ですか?」
ジビラは実に簡潔に答えた。そして、私は大いに喜んだ。私の好物だったからだ。それが残っていて良かったと、本当に良かったと少し涙ぐんだ程だ。
「ニシン」
彼女はやや笑みながらそう言った。その直後、豚がこれが嫌いだからと残したそうだと。ゴミ呼ばわりしたと聞き、憤怒に支配されたのは、嫌な話だ。
「それじゃここでお別れね。行ってらっしゃい」
エレーナとジビラ隊長に見送られ、馬と私の二人、道を往く。林だとかを切り開き、人類の活動域を広げる際に自然発生したこの街道。今は亡き領主一族の努力により、安全を確保されたこの街道。普段はどんな風か知らないが、今は完全に封鎖されている為人っ子一人いない。
静かな旅立ちだった。しかし、その街道ももうすぐ封鎖は解かれ、人通りは戻るだろう。この静かな朝は、そう長くない。
暫しの間、まだ薄暗い朝の景観を、のんびりと楽しみつつ馬を走らせる。もっとも、馬に乗るのではなく、乗せられている、といった風体だ。
最近はめっきりと蒸し暑くなり、まるで汚泥の様に絡み付く空気も、朝の清涼さの前にすっかりと駆逐されているみたいだった。
うま味すら感じそうな、快い風が頬を撫でる。さわさわと草木のすれる音が美しい。ふうっと息をしてみれば、体内が綺麗に洗い流される様な錯覚すら覚える。私はこの時間が好きだ。
それでも楽しい時間は直ぐに終わる。これは古今東西共通の事象だと思う。領主一族が集っていた森の中の館。その森の切れ目で撤収作業に勤しむ封鎖担当の一般部隊。そう、今回の作戦は複数部隊の合同作戦だったのだが、彼らとすれ違う。その際に、生真面目そうな兵士から呼び止められた。
そして一応、と前置きされてから身分証明を求められた。少し面倒でもあったが、職務に忠実であろうとするその姿には好感を覚える。
だから私もにこやかに応対する。すると彼もにこやかに通してくれた。
職務ご苦労、と一言労うと、恐縮です。と返ってきた。そのまま、彼らと別れる。
ここまではまだ良い。
彼らと別れた地点。そこは街道との接続点だった。このまま太陽に背を向けて進めば、この領地の中心の町と合流できるだろう。国境付近の領主の収める土地と考えると、かなりどころか異常に小さい。いびつな領地だった。
この頃には日は登り、辺りは明るくなっていた。忌々しい暑さは急速に勢力を拡大し、地上の生物達に忌々しい不快感をばらまく、という仕事を生真面目に行うのだろう。これには好感を覚えない。むしろ殺意を覚える。
それでも私は進まなければならない。どんなに太陽を恨めしく思ったところで、天候は好きには出来ないからだ。
だからだろうか。太陽の代わりに竜を恨もうと思ったのは。
この頃には、時たま人を見るようになっていた。すれ違う人々は皆が皆、私を認めると恭しく頭を垂れる。街の住人ではない事が、服装や態度から窺える。
私はそれへ鷹揚に頷き返しながら、内心でせせら笑う。お前らが頭を垂れているのは、お前らが殺してやりたいと憎んでいる帝国人の娘だぞ、と。
私の最古の記憶は、瓦礫の隙間から見た燃える村だった。ちらりと大地を這う竜を見た。そいつは何かを貪っていた。
幼いながらも本能で分かったのだろう。騒げば死ぬと。だから私は静かに押し黙り、訳も分からぬ恐怖と戦い続けていた。
全てが終わり辺りが静けさに包まれた時になって、ようやく這い出ようと決意した。
しかし悲しいかな。図体は小さくも非力な幼女であった私は、自力で這い出ることが出来なかった。
恐怖と痛みと暑さ。そして空腹と寂しさで延々泣いていると、なにか物音が聴こえた。助けを求めれば、前線に視察へ来ていたお偉い教国の、今の私の所属している国だが、そこの枢機卿だった。
そんな立場の奴が前線に出るんじゃない、とも思うが、本人がそんな性格なのだから仕方がない。
私はそいつに拾われ、ここへ放り込まれた。悪趣味の極みだろう。異教徒の娘である私に、異教徒狩りをさせるのだから。
感謝は無い。そもそも奴等が攻めてこなければこんな事にはならなかった。命を助けられたのは感謝に値するが、その後の対応が悪かった。
確かに恵まれた立場であると思う。国の最高権力者の一人が後ろ楯で、なおかつ頼めば大抵の物は手に入る。
それでも、奴の視線は、奴の私を見る目は、それだけで感謝の心が消え失せる。
異教徒を殺して殺して殺しまくる私に、奴は会うたびに聞く。
「自分はどんな風に観られてると思う?」
私は毎回答える。
「人間として観られてるのではないかと思う」
そう答えると、奴は
「私はどんな風に見られてると思う」
と決まって聞いてきた。
「人間」
この答えを聞くたびに、奴は毎回満足そうに頷くものだ。完全に会うたびに行う儀式となっていた。
奴の視線。それは観察する眼だ。私の一挙一動を興味深く、まるで子供がそこら辺の虫を、地面にしゃがみこんで眺めている様な眼だった。
そして奴は、私に何かを望んでいるのだろう。反応から察するに今のところ、私はその役目を果たしていると思う。
気が付けば、眼前の山々が私の視界を占める割合は大きくなっていた。私の目的地はあの麓だ。護衛対象についての事は良く知らない。中立を維持している、と言えば聞こえは良いが、実際は攻めても不利益の方が大きいと判断され、捨て置かれている小国から来る、としか教えられていないのだ。これに関しては、特段珍しい事ではない。山脈に囲まれ、行き来が難しいと言っても不可能ではないその国は、帝国側と教国側、両方の商人が集結する場所となっている。直接行き来するよりも、間に一つ挟んだ方が楽だからだ。
だからそこから商人が来る、というのは珍しくもなんともなかった。
太陽はすっかり上がりきり、一番高い場所で誇らしげにぎらぎらと輝いていた。ちょっくらあそこまで登って行って、水をぶっ掛けてやりたい気もするが、そんな事は不可能だ。
適当な木陰を探し、昼の小休憩でも取ろうかと考える。しかし、湯だった頭では中々考えが纏まらなかった。今日で何度目になるだろうか。腰から水筒を取り出し、くいっと呷る。すっかり軽くなってしまったと、少し物悲しくなり、水場はどこにあるだろうかと探してみる。
地図を広げると、この近くに水場があるらしかった。小休憩はそこにしようと決めた。わき道に逸れ、小さな林に入り込む。旅人が良く利用するらしく、獣道とは言えない程度の道が出来ていた。
水の匂いと音。そして木々の間から見えるきらきらと光る何か。湧き水だった。地面から湧き出た水は池を形成し、少し離れた所にある穴に再び潜り込んでいる。川が近くにないのに水場がある。それの理由がこれだった。
馬を木に繋ぎ休ませる。なぜか少し嫌がる素振りを見せたので、仕方なく水場から少し離れた位置だ。
手袋を脱ぎ、水に手を入れる。地面から湧き出たからであろうか。予想以上に冷たかった。綺麗な水だ。掬って一口飲んでみる。冷たいけど不味かった。やっぱり茶葉が欲しくなる。
しかし、贅沢は言っていられない。水筒に満杯になるまで詰めて蓋をする。顔を洗い、布で拭く。少しさっぱりしたと、なんとなく上機嫌になる。
馬が視界に入る場所を選び、そこに生えていた木に背中を預ける。ふと地面を見ると、動物除けの草が花を咲かせていた。
色々詰めた袋から糧食を取り出す。干した果物と干し肉、ちっぽけなチーズ。そしてがちがちになるまで硬く焼き上げたパンと呼ぶにはおこがましい代物。これが全てだ。酒の一つでもあればまだ良かったが、酒に弱く、飲酒はするなと厳命されていた。茶葉を要求すれば、のんびり淹れる暇があると思うか、と言われ、黙るしかなかった。実に残念だ。
それでも空腹は何よりの調味料と言ったもので、私の脳と胃はこれを魅力的な代物と捉えたらしい。早く食わせろとひっきりなしにせっついてきた。
だから私は取り出したカップに水を注ぎ、そこにパンを突っ込んだ。楽しい昼食の始まりだ。
これにて在庫は終了でございます。次の更新は今の連載が終わったらです。