赤い光景はお祝いのお肉みたいでした
その光景を見つけた時の私の衝撃を言葉にするのは困難だった。雷に打たれたように硬直した事は確かだ。視線は一転に定まらず、ただただ眼前に広がる光景を送り付けてくる眼球を持て余していた。
息をのむ同僚になにかうわ言の様に話しかける。自分でも何を言ったのかは知らないが、彼女は森の中に戻っていった。
赤い物。白い物。少し黒ずんだもの。押し潰されたもの。腐臭を放ち、焼けた肉の匂い。
きっとこの風景はこびり付いているのだろう。この赤い景色は私が初めて認識した物と同じだ。この光景は私の人生について回るに違いない。
それらは私に郷愁を覚えさせると同時に、大きな恐怖となりえる光景だった。何か吹き飛ばされたのか。ぽっかりと幾つもの大穴が空いている。空いてしまっている。在ってしまっている。傍らには巨大な足跡がある。
違うのは紋章だ。白地に赤い竜に被せるように描かれた黒い絵。翼と槍の交差したモノ。積み重ねられた黒い山の頂点から伸びた、悪意の塊。
それに吸い寄せられるように歩みを進める。赤くて黒い風景の中に、ゆっくりとのろのろと。湿って、ところどころ熱い地面を踏んで。散った臓物を踏みつけて。まるで幽鬼だ。実際、死者の中に混ざろうというのだからあながち間違いでもない。
破壊の中心に、黒い景色の中心に近寄るにつれて地面は泥になっていった。靴に絡みついて、まるで足を引っ張られるようでもあった。
先ほどまでこの円の地を走り抜けていた南風は、気が付けばその足を止めていた。
静かだった。本当に今は初夏なのだろうか。そんな疑問が頭をよぎる。活力に溢れ、騒がしい季節なのだろうか。私にはそうとは思えない。だとすれば何故、これらは動きを止めているのだろうか。なぜここはこんなにも荒涼としているのだろうか。
緑に溢れていたはずだ。森の中の開けた土地なのだから今でも生き生きとしている筈だ。数日の間の仮の宿として賑わっていた筈だ。なぜこんなことに。
「あだ、誰か、誰か……。お」
お、の後にどう続けようとしたのか私にはわからない。意識すれば何を叫ぼうとしたのか、転げ出る筈だった言葉はたちまち霧散し不快感だけが後に残る。
こんな時、どう行動すれば良いか誰も教えてくれなかった。効率よく力ない異教徒を始末する方法を教わっただけだ。
こんな死に方をした連中を見た時はどうすれば良いか誰か教えてくれ。これではまるで竜が食い散らかしたみたいじゃないか。竜は味方ではなかったのか。
喉の奥がひくひくと震える。意識の外から沸き上がった声が、必死で外へ飛び出ようとあがいている。けれどその声は、やはり意識という関門にせき止められ、意味をなさないただの断続的な音に変換される。
旗の下に辿り着く。虚ろな目達が地面から私の足を見つめていた。根元だ。旗の根元だ。そこには男達が居た。男の腕が有った。頭が有った。捩じ切られ、引き千切られ、いまだ新鮮な朱色の筋を首の中から力なく外に放り出した。戦士たちの成れの果て。
蠢き彼らの死肉を喰らう白。私達が掲げた白。うじが湧き、蠅がたかり、腐臭を放つ死体を積み上げる。
黒い山の頂点の男には見覚えが有った。幾度か共に仕事をした仲だ。と言っても彼は指揮官で、私は別部隊の隊員だった。彼は私を正面から、虚ろな、何も映さない眼で私の顔を見ていた。そんな彼の頭を串刺しにした槍。旗はその先端に翻っていた。肉片がこびり付いた、血で帝国の紋章は描かれていた。私達の国の略章の上に。
静かだった。まるでこの世界に一人とり残されたかと思うほどに。人を探しても映る影はない。私と一緒に来てくれた少女はどこに行ったのだろうか。あの几帳面な女の子は。こんなにも寂しいというのにどこにも居ない。
昔は待っていれば誰かが迎えに来てくれた。
「君らからすれば運が悪かったのさ。それだけだ」
何も分からずに泣きわめく私を迎えてくれた男はそう言った。今でも覚えてる。今は私……そうだ。彼女はどこだ。普段は頼りない癖に、肝心の時には頼りになるあの陽気な少女はどこにいる。
いつも一緒だった、これからも一緒のあの少女はどこにいるんだ。
その時、後ろで何かの音が聞こえた。振り向いてみると彼女が立っていた。四分の一の半端者。愛すべき私の相棒。存在しては、見えてはいけない私の分身。
彼女はやっぱり微笑んでそこに佇んでいる。
随分と懐かしいと思った。それもそうだろう。彼女と会うのは随分と久しぶりだ。彼女が消えてから数年が経っている。
「助けてくれ、助けて。皆死んでる。皆が」
彼女は私をいつも肯定してくれた。私が思い浮かばない解決策をいつも提示してくれた。今度も、と図々しい期待で彼女に助けを求める。自分で彼女を消したくせに。
しかし、彼女は少し困った顔をするだけだった。そして、わたしではどうしようもない、と返してきた。
「それならばどうすれば……」
そう問いかける。彼女の返答は単純明快だった。皆の所に戻れば、と。
その時、彼女が少し驚いた様に眼を見開いた。背中を突き破り、腹部へ何か強い衝撃を感じる。圧倒的な異物感。あってはならない感触が。今、腹部に。見ると赤い銀色が。お腹を。服が、破れて。広がって。熱い。
音が私の世界に帰ってきた。後ろから荒い呼吸音と、汗臭い匂いがする。お腹から突き出た物は前に進む。私を突き破って、前へ。
「は、はああはっははああは! ざまあみろ、教国人。ざまあみろ!」
帝国訛りの共通語。聞いたことはないが、どこか懐かしい声が喜ぶ。狂ったように歓声を上げる。
背中を蹴り飛ばされる。異物が、槍が抜ける際に私の筋肉をひっかいて、削り盗っていくのがなんとなく分かる。
「う……ううっ」
体が支えられずに地面に倒れこむ。顔が地面にこすれる。湿った泥の音。熱い。どこもかしこも熱い。
「よくも、よくも俺の仲間を! 化け物を! 死ね、死ね! まだだ。まだ死ぬな!」
何度も何度も背中を蹴りつけられる。その度に穴から血が溢れ出ていく。まるで噴水だ。その噴水をせき止めようと、穴を抑えるが無駄だった。血は止まってくれそうにない。
「うぎ、ぎぎ……」
這いずって何とか逃げようとするも、上手に動けない。私の体はここまで不器用だったのだろうか。脇に転がる死体が仲間が増えるのを嬉しそうに半分だけの顔で眺めているのに気が付く。
「に逃げるなよ。逃げるなよ! 皆は逃がしてくれなかった癖に!」
何の話だ。私は知らない。そう言いたいが、喉の奥から湧き出る鉄臭い水で、喋ることができない。息が苦しい。蒸し暑くて、どろどろの空気が肺に入ってこない。空気に溺れる。
脇腹を蹴られ仰向けになる。その時、私は初めて正面から帝国訛りの姿を見た。視界が霞んではっきりとは見えなかったけれど、敗残兵といった風体の男だとなんとなく分かる。
すると何故か相手の動きが止まった。
「えっ、なんで……帝国人が? 帝国の……子供?」
馬乗りになった相手が私の顔を覗き込む。青い瞳がよく見えた。私と同じな、青い瞳が。
助けて、見逃してほしい。私の物ならなんだってやる。何も知らないし、君たちを傷付けてなんかいない。お願いだ。勘弁してくれ。
――命乞いの言葉ならいくらでもある。けれどどれも声にならない。出るのはただの呼吸音だけ。空気を吸って吐いて、その繰り返し。
悲しい事に私の脳髄は恐怖にすっかりとやられてしまった様だった。弱い物苛めを繰り返してきた私が、ここで死ぬのか。
何かに縋る様に伸ばした手が、硬い物に触れた。体はまだ痛くはない。もう少しの間だけ、痛みを感じないでいてほしい。
「誘拐? でも、意味が…… 亡命? でもまさかそんな。……ああ、あの地方の」
相手はぶつぶつと呟いている。自分がしでかしたことについて思案しているみたいだ。
視界の奥には彼女の姿が映った。いつの間にか移動していたのだろう。私の真後ろから右の方へ。
その彼女が何事かを呟く。そうだろうな。私ならやれる。君はいつでも私を信じてくれている。
硬い物を握りしめる。強く強く、指よ砕けろとばかりに。
帝国訛りの呟きが止まった。私の顔へ彼の視線は定まっている。ひたすらに私を凝視している。
「まあいいや。やっちまったんだ。仕方ないさ」
渾身の力で腕を振るう。石で奴の側頭部を殴りつける。強化術は上手い事発動しているようだ。体が動く。器用に動いてくれる。
「うがっ!?」
私は幸運だ。相手が兜無しだったから。見事に私の一撃を食らった相手は、たまらずに横に倒れこむ。泥が跳ねて男の顔にかかる。。かかった肌が赤く染まる。赤い筋が頬を伝う。その隙に体を反転。這いずる様に抜け出し、立ち上がる。
足元がふらつき、血が足りないのを実感する。時間もない。
男は地面に倒れ、うめいているも眼は虚ろだ。立ち上がる様子はない。そんな男の頭を再度殴りつける。今度は両手でしっかりと。
先ほどの体勢の再現だ。立ち位置は逆で。後は好き放題できる。
視界が霞んできた。動いたせいで血が更に減った。必死に再生しているが、間に合いそうにない。大気中からの吸収能力は人並み以下なんだ。動けるだけで御の字というもの。
気絶させるという選択肢はありえない。私の仲間が来るのが早いか、こいつが先に目覚めて私を殺るのが早いかという賭けはご免被る。賭け金は替えが利く物が良い。
殴り殺すという選択肢もあり得ない。そんな体力も時間も腕力も残っていない。
だから私は見ている彼女のおすすめの方法で始末することにした。気が進まないが“やっちまったんだ。仕方ないさ”
石をほっぽりだし、腰辺りに手をやる。そこには当然のごとく、得物が差してある。それを、短剣を抜き、逆手に構える。首を切ったくらいでは相手によってはそう簡単に死なない。最期にひと暴れされると困ったことになる。そんな危険性は排除するに限る。
だから私はそのまま男の目に刃を突き立てる。
子供を抱く母親の様だとふと思う。左手で男の頭を抱える様に押さえつけているからだろうか。
男と私の視線が一直線になる。何が起きているの分からない。理不尽に呆然とするような、そんな眼だった。この男こそが私にとっての理不尽の一つなのに。
彼にはどんな風景が映っているのだろうか。気になるが体験はしたくない。ちなみに私には、無事な方の目に映る私の姿が見えた。死にゆく男の目に囚われた少女の姿だ。彼がもう二度とその少女を眼球に捉える事なきよう、祈ってやまない。
薄い何かが割れる感触と、柔らかい物へ一気に突き進む感触が、彼が最後に私に残した物だった。抵抗を失い、刃はまっすぐと突き進む。
一瞬男の体が硬直したかと思うと、すぐに弛緩した。顔に突き立てられた刃。それは目から変な液と一緒に零れ落ちる命を、必死に抑え込むべく蓋をしている様にも見えたし、贅沢な晩餐の肉料理を切り分けるべく突き立てられた物にも見えた。
ソース代わりの赤黒い液体と、ときたま混じる白い輝きがそう見させているのだろう。ならば周辺はくず肉か。調理にしくじった。
なんだ、案外簡単に壊れるじゃないか。そんな実感が心に生まれる。なんだ、煩雑な過程が無くても簡単に壊せるじゃないか、と。
そういえばゴーレムが殺ったのかもしれない。そんな考えが浮かび、安心したのだろう。体から力が抜ける。力が抜けて沈み込む。どこに沈み込むのだろうか。それは判らない。地の底だろうか。いやむしろ血の底か。地、と称するにはここは少し血を吸い過ぎた。
「アンナ! 大丈夫!? 何が……」
お疲れさま。迎えが来たよ。彼女のそんな言葉を聞きながら、私の意識は闇に沈んだ。
ここまで読んでくれた方々。申し訳ございません。終始こんな感じでストーリー進みます。
はい、嘘は言ってませんが騙す気満々であらすじ書きました