第2話 激痛、そして洞窟
逃げ場を塞がれて為す術無く光に呑まれた瞬間、足場が消えた。否、これは浮遊感に近いものだ。
「どうなってる……慶、居ないのか!」
両手で眼を塞いでいても瞼の裏に光が差し込む空間で声を張り上げ親友の安否を確認するが返答は無く、代わりに耳に入ってくるのは狂ってしまいそうなほどの大音量の甲高い音だけで、それを防ぐ為に両手を塞がっている。
「頭痛ぇ……うおおっ!」
その状況にさらに追い討ちをかけるように下方から激しい強風が吹き荒れ、錐揉み回転状態にされる。
空気抵抗を抑える為に脚を畳むが、今度は頭が激しく揺さぶられるような感覚に陥り、おまけに脳に電気を流されたかのような激痛が走る。
「ぐぉ……まず、意識飛ぶ……ああ」
まるで拷問を受けているかのような苦痛に襲われながらも必死に堪えようとしたがその努力も虚しく、俺の意識は眩しすぎる光から暗闇へと落ちていった。
***
「お……成……だ!」
「な……と……さか、……までの……呼び出せるとは」
薄っすらとした俺の意識を覚まさせたのは、数十人の騒めきの音だった。
意識がはっきりしてから一拍置くと目を覚ます前の事を思い出す。
いつものように教室に入ったら謎の光に呑まれた後、謎の空間で謎の苦痛を味合わされて意識を失ったのだった。
このような状況に冒されたならばまずは、と冷たい床から本能的に跳ね起きて周囲を観察する。
辺りは薄暗く、湿気を含んでいる。光源となっているのはパチパチと音を鳴らして燃える複数の篝火のみ。おそらく洞窟か何かの中だろう。
自分の周囲には先ほどまで教室に居たクラスメイト達が寝転がっているが、俺が目覚めたのをきっかけにしたのか、次々と起き始めた。
俺達の寝転がっていた床はちょうど教室の面積と同じぐらいの広さの石畳みの祭壇のような場所で、さらにその周囲にはまるで魔法使いの着るような黒づくめのローブを纏った奴らと西洋甲冑らしき鎧を着た奴らと合わせて……およそ30名の集団が取り囲んでいた。
そいつらを観察すると、何故か疲弊しているような様子で息を荒げているが、その口元には笑みを浮かべていて、しきりに何かを騒いでいる。
これは……どこかのカルト集団が学校に侵入して俺達を拉致したのだろうか?
いやしかし、妙に引っかかる所が多い。拉致監禁するならば俺達の身動きを確実に取れないようにして抵抗を防ぐだろうし、仮にあの光がスタングレネードのような無力化系の新兵器だとしても、身体は浮かんだあの感覚は幻覚効果とは考えにくいリアリティがあった。
相手は疲弊しているようだから、例えこの人数だろうと一人で切り抜けられるだろう。しかしこの場には……あまりに人質が多すぎる。
そのうえ背後に道は無く、あるのは正面の人垣を越えた先にある一つのみ。
「うーん、茜のへんたい……」
「……起きろ!」
「もぎゃあ! はっ、どこだよここ!」
とりあえず今は、この緊迫した状況に非常に不愉快な寝言を発しながら未だに寝転がる慶を蹴り起こしておく。
折角拘束されていないんだ、下手に動いて状況を悪化させるよりは全員が起きるまで静観していた方が良いだろう。
「さっきまで教室に居たはずだろ、ここどこだよ!」
「え、なになになに! もしかして……誘拐?」
「ここどこぉ……お家に帰してよぉ……」
数分後、全員が目を覚ましたがその大半がパニックに陥っていた。
まあ、事件に巻き込まれた経験の無い人間ばかりだろうからな。あまりに唐突な状況の変化に気が動転しても仕方無いだろう。
一部の冷静に場を見れる奴らが落ち着かせようとしているが、収まらない。そのタイミングを見計らっていたかのように、祭壇の正面にいた一人の男がフードを脱ぎ、大きな声で語りかけてきた。
「ようこそ、異世界の勇者様方! どうかこの世界をお救いください!」
……は? 異世界、勇者、世界を救え? 突拍子も無く告げられた単語とその言葉の真意が俺は理解出来なかった。
それはどうやら他の奴らも同じなようで、僅かばかりの静寂が場に流れた後、より一層混乱が極まったようで、騒乱は激しくなる。
「訳分かんねぇ事言ってんじゃねぇぞゴラァ! 早く俺達を帰せ!」
「ふざけるのもいい加減にして。どうせ日本のどこかなんでしょ、妄言言ってんじゃないわよ!」
「嘘だよね、ドッキリか何かだよね……そんなの本当なわけ……」
大半のクラスメイトが騒ぎ立てる中、俺はその言葉を発した男やその周りの人間の顔を見ていた。
興奮に目を開いていたり、申し訳なさそうにしていたりとバラつきがあるが、恐ろしい事に懇願に近い表情が大多数を占めていた。
まだ確信は持てないが、もしも男の言葉の意味が偽りなくそのままの意味であったなら……ヤバいってレベルの問題じゃないぞ。
冷静に分析してもなお次々と焦りが頭を支配していく中、クラスメイトの一人が先頭に躍り出た。
「みんな、少し静かにしてくれっ! 騒がせてしまってすいません。けれど俺達は貴方の言っていることが単なる妄言なのか、真実なのか分かりません。だから順を追って何が起きているのか説明して下さい」
クラスメイトを代表するように男に話しかけたの男子の名は高原 龍星、このクラスの委員長だ。
成績優秀、スポーツ万能。おまけに容姿端麗で持ち前の明るさから人望は厚く、親は大企業の代表取締役という漫画か何か世界から出てきたかのような、側から見れば完璧な人間という印象が強い。
ただ、こいつは天然か意図的かは知らんが重度の女誑しで、いつも三人の幼馴染の女子を側に置いておきながら女子からの告白は絶えない。
さらにこいつは入学早々、俺の妹の菫に告白してフラれ、それでもネチネチとしつこく嫌がる菫に絡み続けた挙句、菫が付き合ってくれないのは俺のせいだと堂々と言い放ち、勝手に決闘とか言い出して俺を巻き込みやがった過去がある。
結局、完膚なきまでに叩きのめして返り討ちにしたのだが、その一件以来負けた腹いせに俺の評判を以前に増して悪くしやがった。
故に、俺はこいつが心の底から嫌いだ。
「私達の話に耳を傾けていただけることを感謝致します。ではまず、私はゲーテル=フォン=バリスと申します。気軽にゲーテルとお呼びください」
フードの男もといゲーテルは高原の前で紳士的な一礼をし、全員に聞こえる声量で話し始めた。
「まず、この世界は勇者様方には元いた世界とは違う世界……ここ『クレアシオン』に私達王宮魔術師の手によって召喚されました」
「あの、そのさっきから呼んでいる俺達の呼び方、勇者っていうのはどういう意味でしょうか? それに召喚って……」
非現実的な説明から始まったことに困惑したのか高原が質問をするが、ゲーテルは冷静に言葉を返す。
「前者の説明はもう少しお待ち下さい。そして、その反応をお伺いするに、勇者様方の世界は召喚などの魔法の概念が無いのですね」
「そんなの当たり前じゃないですか、魔法なんて物語の中の物でしかありませんから」
何をこいつは言っているのだろう、と言いたげな顔で高原が言い返すとゲーテルは二歩ほど後ろに下がった。
「では一番分かり易い方法でお見せ致しましょう。これが魔法です」
ゲーテルが腕を少し上げると何も無かったその掌に拳大ほどの火の玉がボォッと音を立てて出現した。
その現象を前にクラスメイト達は驚愕に目を見開いているが、特に驚くべきは火の玉が手から直接というよりは浮かせていることだろう。
呆然とそれを見ていると火の玉が雲散し、今度は何も無かった場所から水の球が出現した。これも浮いている。
「驚いていらっしゃるようですね。これで信じて頂けたでしょうか、ここが異世界で魔法が存在することを」
高原やそれを目の当たりにした奴らは黙って頷くしかなく、ゲーテルは続けて話し始めた。
「それでは説明に戻ります。この世界は現在、魔族と呼ばれる野蛮な種族によって危機に瀕しています。魔族は魔王によって支配され、その力の矛先を我等人間に向けている最中なのです。奴らに人間は対抗していますが戦況はすこぶる悪く、その打開策として最後の希望を求め異世界の勇者様のお力を借りることを決意し、今ここに勇者様方を召喚したのです」
ふむ、要約すると強大な敵戦力が出現したけど勝てないから俺達を呼んで代わりに戦争してくれと。えらく横暴だな。
「待ってください! 俺達は一介の学生で、そんな化物と戦う力なんて持っているはずが無いんです。それに俺達は元の世界に帰れるんですか?」
高原がこの場にいるクラスメイト全員が聞きたかったであろう事を質問する。だが、返ってきた返答は極めて絶望的なものだった。
「残念ですが召喚術式には莫大な魔力が必要で、それこそもう一度しようものなら百年は魔力を貯め続けないと出来ない程です。それが送還となると……申し訳ないのですが、現時点ではほぼ不可能でしょう」
「そんな……」
告げられた現実にクラスメイト達は不安や悲観を露わにし始めた。
そして俺も恐らく周りの奴らに近い表情をしているに違いない。
それを見計らったかのようにゲーテルは両手を広げ、陽気な笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。
「ですが、魔王を討ち滅ぼしさてすればここにいらっしゃる全員を直ちに送り返すことは可能になるでしょう!」
「質問ですが、なぜ魔王を討ち滅ぼせばそれが可能になるのですか?」
「申し訳ありません、言い忘れておりました。実を言うと強大な力を持つ魔王は私達が行ったような召喚術式による干渉を妨害する魔術を展開しており、それの力が一時的に弱まったタイミングで召喚に成功した訳ですが、魔王を討つことでこの忌々しい魔術は消え、無事に送り返す事が可能になるという訳です」
それを聞いたクラスメイト達は僅かに見えた希望に気力を少し取り戻したようだが……嘘くさい。
俺には魔術やら干渉やらといった事の知識が無いため、その言葉だけを聞いて真実かどうかは理解できない、できるはずがない。
その知識が無い俺達はゲーテルの言葉を鵜呑みにするしかなく、仮に嘘だとしたらありもしない希望に縋って勇者という肩書きの元にこき使われることが容易く想像できる。
信用出来ない要素が今は多過ぎる、警戒しておくに越したことはないだろう。
「そして! 先ほどから勇者様方はご自身に戦う力が無いと思っていらっしゃるようですが、実は既にその身には召喚者のみに与えられる力が存在している筈なのです!」
多分、これは本当だろう。何の力も持ち合わせていない人間をわざわざ手元に置きたがるような真似はしないはず。
すると召喚した人間には何かしらのメリットがあると推測出来る。それがゲーテルの言う力とやらだろう。
「現時点ではどのような力を秘めていらっしゃるかは判別出来ません。ですのでそれを確かめるべく、我が国の王の御前に御案内致します。私達に続いてついて来て下さい」
ゲーテルが指示を出すと周りの奴ら、恐らく部下達は俺達の周囲を固めるように持ち場につき、流されるままに正面の一本道へと歩みを進めていった。