06*これからの事
「殿下、お呼びですか」
花姫が無事に終わった次の日。
朝早くから、ジノルグはアンドレアに呼ばれていた。
早朝に呼ばれる事など滅多にない。だがアンドレアはすでにドレスを身にまとい、長い髪は綺麗に巻かれている。これからパーティーにでも出るのか、と問いただしたくなるほどきちっとした姿だ。そのセットをするまでにどれだけの使用人が呼ばれた事だろうか。そんな事を若干思いつつ、ジノルグはアンドレアの前に立った。
「ロゼは?」
いきなり魔女の名が飛び出した。
「まだ寝てらっしゃると思いますが」
ジノルグは淡々と答える。
実は花姫の後、ちょっとしたお祭りみたいなものがあった。なので一緒に屋台を見て回ったり、民と交流したり、結局終わったのは夜だ。「紫陽花の魔女」のお披露目の日だった事もあり、色んな人に囲まれ、ロゼフィアは忙しなく動いていた。きっと疲れてまだ寝ているだろう。
「そう、そうよね。……ねぇジノルグ、ロゼは帰るかしら」
憂いを帯びた表情だった。
なるほど。そわそわしていた理由はこういう事だったのか。確かに無事に花姫は終わった。このままロゼフィアに「帰る」と言われても、自分達に止める権利はない。アンドレアはそれが心配で、こんなにも朝早く目が覚めてしまったのだろう。ロゼフィアが起きた瞬間、「もう帰る」なんて言われてしまっては、アンドレアの落ち込みもすごそうだ。
だがジノルグは正直に答えた。
「分かりません。それは本人次第でしょう」
花姫の後も一緒に過ごしたが、結局民達との会話でほぼ終わった。自分はただ傍について護衛をしただけだ。ロゼフィアもさすがに疲れたのか、城に帰る道中は眠そうな顔をしていた。
するとアンドレアは頬を膨らませる。
「そこは嘘でも、『殿下の事を思って帰らないですよ』とか言ってくれないの?」
「俺が嘘をつけるタイプじゃない事くらい、殿下が一番分かっているでしょう」
そう返せば余計に頬を膨らませる。
まるでフグのようだ。
するとあははっ、と笑い声が聞こえて来た。
「お二人さんは相変わらずだねぇ」
やってきたのはサンドラだ。
いつものように白衣を身にまとっている。
「おはようございます。サンドラ殿」
「おはよう。ジノルグくん」
「今日はどうされたんですか」
すると苦笑される。
「お姫様に呼ばれたからね。朝っぱらから何だと思えば」
どうやらロゼフィアを引き留めるために来てもらったらしい。確かにアンドレアとロゼフィアは付き合いが長いが、同じ薬学に通ずる仲間の方がより理解もあるだろう。だからわざわざ朝早くから来てもらったのか。サンドラが来たからといって、ロゼフィアの意志は固いように思うのだが。
するとジノルグの気持ちが分かったのか、サンドラも何度か頷く。どうやらアンドレアに頼まれる前から断ってはいたらしい。それでも駄々をこねるのでしょうがなく来たとか。
「もうっ! どうして二人ともそんなに落ち着いていられるの? ロゼが帰ってしまうかもしれないのよ? そんなの寂しいじゃない!」
アンドレアはまた駄々をこね始める。二人はそれを呆れて見つめるだけだ。大人なだけあって、現実的な事を考えればどうする事もできないというのが結論だ。だからここまで感情的にならない。決めるのは本人であり、本人の意志に従うしかないのだから。
「美しい鳥を手元に置きたいがために籠の中に入れるより、自由に飛ばせてあげる方が鳥も嬉しいだろう?」
「サンドラの言ってる事、ちっとも分からないわ!」
ばっさりと否定されるが、サンドラは軽く笑う。
そして人差し指を出した。
「じゃあ言い方を変えよう。ロゼには森に行けばまた会えるだろう? 距離だってそう遠くない。会おうと思えばいつでも会える距離にいるよ」
するとアンドレアは、少しだけ言葉に詰まる。
しばらく静かになったが、すぐにジノルグに視線を移した。
「ジノルグはどうなのよ」
「はい?」
「あなただってロゼフィアの護衛がしたいって言っていたわ。離れる事になってもいいの?」
「森でも護衛していいのでしたら、これからも続けるつもりですが」
「な、」
つまりそれは、ロゼフィアが森に戻ってもできる事だと言えよう。だから離れてしまっても寂しいまでにはならない。離れてしまうなら、こちらが迎えに行けばいいだけの話だ。
するとアンドレアはがくっと項垂れる。
どうやら意気消沈したようだ。
これを見たサンドラは、溜息交じりに助け船を出した。
「分かった。じゃあひとまずロゼと話してみるよ」
アンドレアはすぐに顔を上げる。
「話すって?」
「今どう思っているのか、ってね。どことなく帰らないように誘導してみせるから」
「ほんと!?」
すぐに満面の笑みになる。
サンドラは大きく頷いていた。
「本当にできるのですか」
「うん?」
「帰らないように、などと」
どことなく引っかかり、ジノルグは部屋を出たサンドラに聞く。先程は自分と同じように、本人の意志に任すような言い方をしていた。それなのに最後にはアンドレアの味方になるような発言をしている。帰らないように誘導するというのは、些か無理難題ではないだろうか。
するとサンドラはにっと笑う。
「ま、ちょっと大きく言い過ぎたかもしれないね」
「…………」
「そんな顔しないで。ロゼの事だからね。できないわけではないと思うんだ」
「と、言うと?」
「まぁそこは任せておいてよ」
まるで悪戯を開始するような笑みを浮かべる。
ジノルグはそれ以上何も言えなかった。
不意に目が開く。
起きればいつの間にか朝になっていた。
ロゼフィアは昨日の出来事を一瞬で思い出す。
(確か無事に終わってその後もなんだかんだ色々あって)
思い出しながら部屋をなんとなく見渡す。
するといつの間にか机の上に花瓶があり、紫陽花の花が飾ってあった。
『花は魔女殿の花がいい』
「わ――――!!」
思わずジノルグの顔を思い出しかけ、急いで追い払う。
そしてそのまま布団の中に顔を突っ込んだ。
(あれは別に特別な意味はないわけで。別に『紫陽花の魔女』だからって紫陽花の花が私の花じゃないからっ!)
ツッコミを入れながらも布団の中で唸る。
昨日は色んな人を紹介してもらえて、民と直に交流する機会をもらえたし、屋台で美味しいものだって食べる事ができた。最初花姫に出る事になった時は憂鬱だと思っていたが、それでも良い一日だったような気がしないでもない。何より皆にも楽しんでもらえただろうから。
それなのにどうしてこう起きて早々ジノルグの事を思い出すのか。初対面の時から変な事ばかり言って来て、こちらも対応に困る。アンドレアのように自分を困らせたいのか。
「……いや違う。あの人はそんな人じゃない……」
数日一緒に過ごして分かる。
ジノルグは真面目で誠実な騎士だ。
自分をからかってああいう事を言ってきたわけではないだろうし、後半だってずっと黙って護衛をしてくれた。少しでも自分がしんどくないように、気遣ってくれていた。本当に立派な騎士だと思う。
「……でも、どうしたらいいの」
このまま護衛をしてもらう事になれば、こちらだけが守ってもらうばかりだ。つまり、ジノルグには何のメリットもない。それは困る。こちらばかりお世話になるわけにはいかない。何か自分に返せる事はないだろうか、とロゼフィアは必死に頭を動かした。
が、はたと我に返る。
(別に、戻れば済む話じゃない)
なぜ今、護衛をしてもらう体で考えていたのだろう。自分は森に帰るのに。帰って、これからも一人で暮らし続けるというのに。森に来てまで護衛をしてもらうのも、ジノルグにとっては手間になるだけだ。だから断ればいい。断って、そして戻ればいい。一人で。
案外すんなりとまとまり、呆気に取られる。
すると、ドアがノックされた。
「は、はい」
「ロゼー。私だよー」
「サンドラ!?」
こんな朝早くからどうしたのだろう。
慌ててそのままドアを開ける。
するとサンドラと一緒にジノルグの姿もあった。
思わずドアを閉める。
「……ロゼー?」
間を空けられてから名前を呼ばれる。
だがこちらはそれどころではない。焦った。
「ちょっとロゼ。開けてよ」
「え、あ、ま、まだ着替えてないから」
よく見たら寝間着のままだった。
この姿で人前に立つのは失礼すぎる。
だがサンドラは呑気な声を出す。
「分かったから、中に入れてよー」
「だ、だから待ってって!」
サンドラだけが入るならいいが、ジノルグが傍にいるなら話は別だ。もちろんジノルグは部屋に入るような事はしないだろうが、一応朝という事で挨拶に来てくれたのだろう。慌てて着替えをしようとするが、ジノルグの落ち着いた声が聞こえてくる。
「俺は一度戻る。もし何かあったら、言ってくれ」
そのまま足音が遠ざかっていく。
どうやら行ってしまったようだ。
「……はぁ」
ドアの前に立ちながら、ロゼフィアは溜息をつく。
そしてそっとドアを開けた。
開けた瞬間、サンドラに目を丸くされる。
「どうしたんだい。朝から暗いねぇ」
「……あの人がいるなら先に言ってよ」
「あの人? ああ、ジノルグくんの事かい? いつも朝に来てくれるんだろう?」
「だからって一緒に来るなんて聞いてない」
「別に一緒に来ようが来まいが、関係なくないかい?」
そう言われ、ロゼフィアは黙る。
これ以上は何もならないと悟ったからだ。
「で、これからどうするんだい?」
目覚まし代わりにコーヒーを飲む。
飲むと少しは頭がすっきりしてきた。
「森に帰るわ」
「おや」
「元々そういう約束だったし、ここにいる意味もない」
そろそろ薬草園の手入れも気にしないといけない。だからこんなところで油を売っている場合じゃない。アンドレアに挨拶くらいしとこうかと思いつつ、どうせ帰らないでと泣きつかれるのが目に見えているため、迷う。少し悩んでいると、急にサンドラはこんな事を言い始めた。
「本当に戻っていいのかい」
「どういう意味?」
「ロゼにとっては災難だったかもしれないけど、私はいい機会だと思うんだよ。王都に来る事で、それなりに民との関わりもできた。でも一日だけで、王都の事が分かるようになるわけじゃない」
「……だから?」
「もう少し、残ってみてもいいんじゃないかい?」
思わず眉を寄せてしまう。
いつもは意志を尊重してくれるのに。
「サンドラまでそんな事言うなんて。もしかして、アンドレアの味方になったの?」
するとさっと視線を逸らされる。
「まぁそこは置いといて」
「置かないでよ!」
「まぁまぁ。とにかく、今のロゼは知らない事の方が多いと思うんだ。ほら、ジノルグくんの事だって」
思わず身体がびくつく。
「なんで、急に。あの人は関係ないじゃない」
「いや、関係はあるだろう。だってずっと護衛をしてくれる騎士なんだから」
「護衛なんて別に頼んでないし、これからもしてもらうつもりはない」
きっぱりと言い切る。
だがサンドラは少しだけ間を空けた。
「……気持ちは分からなくはないけど、どうしてそう頑ななんだい。もらえるものはありがたくもらう事も、感謝の表れだと思うよ?」
「だって、私は何も返せないのに」
思わず口走ってしまう。
言ってしまった後にはっとするが、サンドラは苦笑する。
「そんな事。ジノルグくんはきっとロゼの護衛ができるだけで」
「それだと私の気が済まないのよっ!」
思わず声を荒げてしまう。
「もらえるだけもらうなんて、そんなの公平じゃない。私にとってはありがたくても、彼にとっては一体何の得があるっていうの。それに」
「……それに?」
「今までずっと一人で、一人でなんでもしてきた。だから、そんな急に優しくされても、私はどうしたらいいのか分からない」
今まで優しい扱いをされてきた事がないわけじゃない。森で薬を買いに来てくれる人だって優しい人は多い。でも、それでも、それはただ薬を買いに来るだけの関係だからだ。自分を好いてくれているアンドレア、なぜか護衛をしたいと言ってくれるジノルグ。他にも魔女としての自分に会いたいと言ってくれたり、薬学の知識をすごいと褒めてくれる人が、王都にはたくさんいる。
そんな人達と出会えて、とてもありがたい反面、申し訳なく思えた。何か自分にできる事はないか。こんなにも優しい人達に自分は何か返せる事はないのか。ずっとそれだけを考えてしまう。
自分の事など気にしないでほしい。このままただ静かに暮らしたい。それを許してくれないのならせめて、自分にできる事をさせてほしい。今のロゼフィアからすれば、それだけが願いだった。
「ロゼ……」
境遇などを知っているサンドラからすれば、今のロゼフィアがとても困惑しているのは目に見えていた。今まで与えられてこなかった人の温かさに触れ、だからこそどう接していいのか、どうすればいいのか、分からない。だからこそ突っ張ったような態度を取ってしまう(性格も関係していると思うが)。
それはちょっともったいないと思いつつ、でもそれでも前に進もうとしている様子が伺える。だからこそサンドラは、これがいい機会だと思ったのだ。このまま優しさに包まれてほしい。
「よし。じゃあ早速行動を開始しようか」
「……は?」
「まずは騎士団に向かおう」
「え、ちょ、ちょっと」
サンドラに腕を引っ張られ、慌ててロゼフィアは立ち上がる。どうしていきなり騎士団に向かう話になるのか。訳も分からず説明を求めれば、サンドラは器用にウインクをしてくる。
「まずは傍にいるジノルグくんの事を知らないと」
「だから、どうしてあの人が出てくるのよ」
「だってロゼはロゼで何かを返したいんでしょ? だったらジノルグくんはどういう人か、何が好きか、知らないといけないじゃないか。本人に聞いたってどうせ遠慮するだろうし」
「それは……確かに」
本人に聞けば手っ取り早いような気はしていたが、どうせ「護衛につくだけでいい」と返してきそうだ。だったら、ジノルグをよく知る他の騎士に聞く方が確実だし分かりやすい。
「だろう? だから、情報収集を始めるよ!」
ノリノリなサンドラに対し、ロゼフィアはどこか気乗りせずに足を進める。騎士団に向かうという事は、また人と会う事になるのか。どうにか人との関わりを避ける方法はないのかと思いつつ、これも相手のためになるのなら、ある意味致し方ないのかもしれない。そして、早くジノルグに何か返せるものが見つかればなと思う。そうすればきっと、もう彼の事で思い悩む事はないはずだろうから。