60*守り、護る
(……サンドラ!?)
どうしてここに、と思っていると別の声も聞こえる。
「おいサンドラ落ち着け。まだあの魔女かどうか核心は持てない」
「瞳が青と紫のオッドアイだなんてロゼ以外にいないじゃないか!」
確かにそりゃそうだ。
ロゼフィアは内心ツッコんでしまう。
しかしこれでバレた事が分かった。思わずうう、と唸りそうになる。いくら隠してもやはりバレるものはバレるのか。しかも目元はどうしようもない。
「それでも真っ先に会いに来ないのは何か理由があるか別人かどっちかだろ」
さすがクリストファーだ。その読みは当たっている。
「でも……それでも一年ぶりなんだよ? なんで会えないの? 会いたいと思うのはいけないのかい?」
サンドラが咎めるような言い方をする。
こんな彼女の姿(隠れているので姿が見えないのだが)は初めてかもしれない。手紙でも元気そうだと思ったのに。いやむしろクリストファーの前だからこうなのかもしれない。
するとクリストファーも少し困惑するような声を出した。
「……どうした。いつものお前らしくない。待ってやればいいだろ」
「だって会えるなら会いたいよ。いつ帰ってくるかも分からないのに。大体クリスもジノルグくんもどうしてそんなに淡泊なんだい。帰ってくるまでただ待ってろ? 私は昔からロゼの事を知ってる。あの子だから合う話だってあるんだ。大体こんなに長く離れた事なんかないし、一度森に帰った時でさえ寂しく思ってたのに」
饒舌に語る様子にクリストファーは参った、と言わんばかりに両手を出す。
「わかった、わかったから。……あいつと比べるな。あいつはお前より長く魔女を見てる」
「……わかってるよ。けど私はジノルグくんじゃない。いいじゃないかジノルグくんは。どうせロゼが帰ってきたらずっと一緒にいられるんだからっ!」
「…………お前、もしかして妬いてるのか?」
(え)
まさかの言葉にロゼフィアはそっと茂みから顔を出す。
幸い場所が少し遠かったので、二人は気付いていない様子だった。
サンドラは少しむすっとしたような顔で目線を下にしていた。
いつも笑顔でにこにこしていて、そんな顔を一度も見せた事がないのに。まさか自分が離れているだけで、そこまで思ってもらえるとは思わなかった。いつも心配してくれていたが、それは同じ薬師だから気にかけてくれただけで……ってそれだけじゃない事くらいさすがに今のロゼフィアにも分かる。そこまで思ってくれていた事に少し戸惑いつつ、内心嬉しく思っている感情もあった。
「そうだよそれがなにか?」
もはや開き直るようにサンドラが言う。
「…………」
クリストファーは長くしていた前髪を切ったらしい。今では緑色の瞳も距離のあるここからでもよく見えた。童顔を気にしていたようだが、背も伸び髪型も少し変えている。彼自身も少し大人びたようだ。
一度息を吐きつつ、彼は腕を組む。
「俺は逆に妬ける」
(……おお)
はっきりと言い切った。
いつもサンドラに対してアタックしている話をサンドラや第三者から聞くものの、こうして間近で聞く事はなかったので少し新鮮に感じる。もしかして二人きりだから言うんだろうか。
するとサンドラはすぐに半眼になった。
「そうやって隙あらば口説くのやめてくれ」
「だったら俺の前であの魔女の話ばかりするな」
「してないよ! してないから今してるんじゃないか! 大体帰ってるかもしれないんだから会いたいんだよ! それを邪魔するならいくらクリスでも怒るよ!?」
「っ、」
「え、なんすか二人共喧嘩してるんすか……?」
ばっと二人が振り返ればそこにリオネがいた。
クリストファーは遠慮なく舌打ちする。
「わっ。す、すいませんしたお邪魔して」
「全然お邪魔じゃないよ。どうしたんだいリオネくん」
「…………」
はっきりと言い切ったサンドラにクリストファーは黙る。
少し哀れとリオネも思ったようだが、そのまま続けた。
「さっきシュツラーゼの魔女が来たんすけど、どことなくロゼ殿に似てたなと思って」
「「!!」」
(!!)
サンドラはすぐに嬉しそうに笑顔になる。
「ほら、ほら! やっぱりロゼがいるんだよ!」
「…………」
クリストファーは何とも言えない顔になる。
ロゼフィアも同じ顔になった。騎士団から去る時にちらっとリオネに見られたと思ったが、やはり気付かれていたという事か。……目立つ容姿なばっかりに。
「で、さっき女性騎士がここで魔女と話したって言ってたんで、まだいるかなと思って」
「それは本当かい!? 私も救護室の先生から話を聞いたんだ」
(…………ううう)
まさかのダブルパンチだ。
しかも先生も騎士も(おそらくマナだろう)も言わなくていいのに。
「ねぇロゼ! いるんなら返事して!」
したくてもそれはできない。
「ロゼ殿ー! 俺ですリオネです。覚えてますかー!」
覚えてるけど返事はできない。
「おい魔女。サンドラのために出てこい」
結局そこは折れるんかい。
心でならいくらでも返事できるのだが、それはできない。配達も終わって意気揚々と帰ろうとしていた矢先にこうなるなんて。予想していなかっただけにどうすればいいんだ、と、心臓がうるさいくらいに鳴る。三人はその場から歩き出し、こちらを探している。
逃げようと思っても逃げるのは認めるようなものだ。それだったら皆のためにも出た方がいいんだろうか。でも、ここで会う事でさらに会えなくのはおそらくサンドラの本意ではない。だったらなんとか避けないといけない。自分だって会いたい。もちろん一番会いたい人はいるが、それでもいつも助けてくれた大事な人達だ。会いたくないわけがない。ぎゅっと目を閉じてどうしようかと思考を巡らす。
どうしよう。どうしよう。
何の案もないまま足音が近付いてくる。
――――このままだとバレる。
「あ、ロゼ殿みっけ」
思わず目を見開く。
その瞬間、視界が真っ暗になった。
「え、どこ。どこ!?」
「サンドラ殿、そこまで焦らなくても。こっちですよ」
いきなり現れた人物に、サンドラはとリオネはそのまま素直についていく。だがクリストファーは訝しげな顔をした。そして「なんで知ってるんだ」と聞いた。その人物はくすっと笑う。
「情報網の俺が何も知らないわけないだろ?」
おかしそうにレオナルドは微笑んだ。
視界が真っ暗なまま、ロゼフィアは手を引かれる。
真っ暗といっても、どうやら頭の上に上着が乗っただけのようだ。下を見れば足元は見えるし、乗せてきた相手が手を引いてくれている。足元しか見えないので誰だろうと一瞬思ったがそれは杞憂だった。触れた手の感触はちゃんと覚えている。
痛くないように軽く握っているだけなのだが、ロゼフィアは思わず少しぎゅっと握る。すると相手は、すぐに握り返してくれた。胸がいっぱいになって苦しい。でもその苦しみは嬉しい苦しみでもあった。
しばらくして騎士団の裏門から出た事が分かる。
門から出て人気のない場所まで出ると、すっと手が離される。
そして視界が明るくなる。頭にあった重みが消えた。
そっとロゼフィアは目を開けるが、見れば相手は背中を向けていた。
すぐに上着を羽織り、何気なく口を開く。
「困っているように見えたから助けた。この先を真っ直ぐ行けば帰れる。気を付けて」
最低限な事しか言わない。
だがロゼフィアにはすぐ分かった。
わざとそうしてくれたのだ。
彼の事だからクリストファーのように察してくれたのだろう。どうして真っ先に会いにこないのか。それにはちゃんと理由があると。分かった上で助けてくれた。それはおそらくレオナルドもだ。見つけたふりをして三人の目をそちらに向けさせた。その瞬間、彼が……ジノルグが助けてくれた。
本当に、どこまで助けられるのだろう。
どこまで守ってもらえているんだろう。
ロゼフィアはなかなかその場を立ち去れなかった。
本来なら会ってしまった時点で駄目だろう。だがジノルグはこちらを見ないようにしている。気付いていないふりをしてくれている。ここまでしたらあのルベリカも許してくれるかもしれない。こちらの事情を知らないだろうに、それでも察して、配慮して、こちらを一切見ない。余計な事を言わない。真面目なジノルグらしいと思った。
何か言いたい。せめてお礼だけでも。
だが言っていいんだろうかと迷いが出てくる。ここまでジノルグがしてくれたのにあっさり声をかけていいのか。それは許されるのか。口を開きそうになりつつも、すぐに閉じる。なかなか足も動かない。
どうしようもない気持ちにとても歯がゆい。
本来ならすぐにでもここを去った方がいいのに。
思わず下を向けば、首元から何かが出てくる。
鈍い銀色を放つをそれを見て、ロゼフィアはすぐにそれを口にくわえた。
そして、思い切り吹く。
すると、ジノルグは身じろぎした。
一瞬こちらを振り返りそうになりつつ、留まる。
気付いてくれた。
ロゼフィアは何度も笛を吹く。
何度も、何度も。きっと聞こえていると信じて。
しばらくジノルグはそのままだった。
だがすっと手を動かす。
ピィ――――……。
ロゼフィアの耳に届いた。
高めだが綺麗な笛の音が。
ロゼフィアが笛を吹けば、ジノルグも吹く。
初めて聞いたその笛の音を聞きながら、ロゼフィアは頬が緩んでいた。
しばらく笛の音を互いに聞く。
互いにしか聞こえない音を。
そして笛の音が止んだと思ったら、ジノルグは一言だけ呟いた。
「待ってる」
そしてその場から歩き出した。
なかなか動かないこちらの事を思ってか、自分から行ってくれた。
「…………ありがとう」
姿が見えなくなってから、ロゼフィアは小さく呟いた。
「あ、ジノ。大丈夫だったか?」
「ああ」
レオナルドがこちらを見つけて駆け寄ってくる。
なかなか帰ってこないのを少し心配していたらしい。
「で、ロゼ殿。見たか?」
「見てない」
「えー!? 一瞬だけでも見ればよかったのに」
「見た事で彼女が困るのは嫌だったからな。それに、待った分だけ会えた時の喜びは大きい」
穏やかな表情でジノルグは言う。
レオナルドはしばし黙った後こそっと聞く。
「で、本音は?」
「今すぐにでも抱きしめたかった」
思わず吹きだす。だが同時に安心した。
やはり一番会いたいと願っているのはジノルグだろう。
「こっちはこっちでなんとかした。サンドラ殿は不服そうだったけど」
ロゼフィアの噂(というよりシュツラーゼの魔女の噂)は騎士団にも広まり、それはジノルグとレオナルドの耳に届いた。頑なに顔を隠していると聞いたのでおそらく何か理由があるのだろうと思ったのだ。案の定そうだったし、サンドラに対しても隠れていた。だから連携を取って助けた。
その結果、サンドラには「いないじゃないかっ!」とガチギレされたが。それでもただのシュツラーゼの魔女である事で落ち着いたのでよかった。クリストファーがなんとか宥めてくれたのもある。
「しっかしまた綺麗になってるんだろうなぁロゼ殿……」
何気なく呟けばジノルグは真顔になる。
「当たり前だろう。後、元々綺麗だ」
「知ってるっつーの! そこ惚気なくていいっ!」
素直過ぎる親友にツッコみが絶えなかった。
「お疲れさん」
帰ったらそう言われる。
なぜかにやにやした顔で見られた。
「た、ただいま戻りました」
もしかして何も言わなくても筒抜けなんだろうかと不安になる。
そういえば見張りを用意すると言っていた。思わず冷や汗が出る。
「いやぁ、けっこう長く互いにぴいぴい鳴らしてたねぇ」
さらにニヤニヤして言われる。
「っ!!」
ロゼフィアは顔が真っ赤になる。あの状況を人に見られていたなんてあの時は全く気付いていなかったし、忘れていた。完全に二人の世界に入っていたのだ。穴があったら入りたい。
「まぁよくやったよ。全然人に会わなかった」
「で、でも」
「まず振り返りをしようか。研究所。森。騎士団。全て合格」
「えっ」
「あ、ここからが本題だよ?」
合格と言われて思わずほっと一息つけるかと思いきや、相手は気持ちのいいくらい笑顔でいた。眩しいような、少し意地悪にも見える。……どうやらここからルベリカは色々言いたいらしい。
「お前さんの友人であるサンドラ。そしてその護衛をしている騎士、クリストファー。そして同じく騎士団の騎士、リオネ。そして感づいてくれた騎士、レオナルド。会うまでに至らなくても気付かれたね。一人につき半年、と決めていたから、結果的にプラス二年」
「…………」
「で、お前さんの愛しい騎士さんにも会っちゃったね」
ロゼフィアはきゅっと口を結ぶ。
これは致し方ない。自分が悪い。
「……けど、愛の力でお前さんを庇った。本来ならプラス三年、と言いたいところだけど、彼の努力を認めてプラス二年にしてあげよう」
「え……」
本当なら二年プラス三年なので合計五年だった。
だがジノルグのおかげで四年だ。少しは短い。
改めてあの時助けてくれたジノルグに感謝だ。
ロゼフィアは少しだけ息を吐く。
少しだけで年数が減ったのはありがたい。
するとルベリカはくすっと笑う。
「で、ルールが三つあったの覚えてるよね?」
「あ、はい」
確か三つ目は帰ってから伝える、と言われた。
どうせ良くない事だろうと思ったが。
「ルールを決めたのにも理由はある。一つ目はルール自体を守れるかどうか。二つ目は愛しい人のためにどれだけ頑張れるかどうか。三つ目は……お前さん自身の人格を知るためにね」
「人格……?」
「誰にも会うなと言ったが、それでも目の前で困っている人を見捨てるのは魔女……魔女に限らず人としても失格だ。その点お前さんは皆を助けただろう?」
「それは、」
むしろ当たり前だ。亡き祖母にも強く言われた事でもある。
だがルベリカはあっけらかんと言う。
「そう思ってはいても、その時に行動できるか否かは人によって違う。お前さんは元々身についてるようだね。ディミアからも話は聞いてる。良い祖母を持ったものだ」
そう言われてじーんと来る。
祖母の事も褒められた気がした。
「……で、三つ目だけど」
「その点は私からご説明しましょう」
いつの間に現れたのか、エマーシャルが傍にいた。
唖然としながらそちらを見てしまう。一体いつの間に。
するとルベリカは楽しそうに「今回見張りを頼んだんだ」と言った。
当の本人は相変わらず事務的な言い方で口を開く。
「城下で女の子を。研究所では薬剤師を。騎士団では負傷した騎士団の治療の手伝い、そして騎士の女性の恋の相談に乗ってます」
「そんなわけでお前さんは四人……薬剤師はけっこう助けたけど一組と換算して四人助けた。一人を半年として、二年分マイナスにしてあげよう」
「え、じゃあ」
ルベリカはにやっと笑う。
「残り二年。一年は学んでいるんだ。合計すれば三年か。丁度いいね。後、二年頑張りなさい」
「……え」
戸惑うような声が出る。
すると鼻で笑われた。
「なんだい。もっと長くここにいると思った?」
「だ、だって、すぐには帰さないって」
「そりゃ帰さないよ。学んでもない魔女を返したところで役に立たないだろう?」
「そ、それは確かに……」
するとルベリカは立ち上がり、こちらまで歩いてくる。
ずいっと顔が近付き、はっきり言われた。
「もう期間は決めたから、後二年は死ぬ気で頑張りな。言っとくけど、時間はないよ。毎日必死で覚えてもらうからね」
最後は怖い顔をされ、部屋から出て行く。
見た事がないくらい恐ろしくてしばらく固まる。
すると残っていたエマーシャルはくすっと笑う。
「それだけ期待されてるって事ですよ、ロゼフィア様」
「え?」
「普通はもっとかかります。でも、あなたの頑張りを見て判断されたんです」
どうやら普段の様子を見てルベリカ自らが決めてくれようだ。
いつも無理難題を出してくるが、それもロゼフィアの成長を願ってこそ。知らぬ間に色々と考えてくれていたのだと知り、ロゼフィアは村長の優しさを知る。厳しいだけかと思わせておいて、こういう時は優しいらしい。
(……絶対、後二年でもっと成長してみせる)
心に強く誓った。
ここにいるのは自分の実力だけじゃない。支えてくれる人達がいるから、自分はここにいる。そして例え遠くで離れていても、いつだって思ってくれている。だから自分は、強くなれるのだ。
「ああそうだ。後これを」
「?」
エマーシャルから手渡されたのは手紙だ。
開けばそこには見慣れた字があった。
『ロゼへ
久しぶりね。よく配達を頑張りました。実は森でこっそりあなたを見ていたのよ(笑) きっとジノルグくんもこうやってずっとあなたを見守ってくれたんでしょうね。彼の気持ちが少しは分かった気がしたわ。護衛を頼んだのは私だけど、本当に彼は彼自身の意志でロゼの護衛をしてくれたと思う。帰ってきたら彼をたくさん愛してあげて。きっとロゼフィアをたくさん愛してくれるから。愛は愛で返すものよ。私も成長した姿を見るの、楽しみにしているわ。ディミアより』
……どうやら森に行った事を知っていたらしい。
おかしいと思った。机の上に置くよう指示するなんて。
あの母なら何が何でも会いにくるんじゃないか、と思ったのだ。
だが、少し笑ってしまう。
本当に、自分はどれほど周りの人達に助けられて、愛されているんだろう。その愛はちゃんと自分で返したい。いや、返さないといけない。……特に、ずっと見てくれた彼には。
帰ったらどう会いに行こうか。どうしたら喜んでくれるだろうか。
まだ先の事なのに、ロゼフィアはふふふ、と笑みがこぼれた。




