53*最初の一歩を二人で
金髪をなびかせながら、彼は荒い呼吸を繰り返していた。
その瞳は、セナリアだけを見つめている。
「あ……」
セナリアが怯えたような声を出す。
その場から動き出そうとするが、体力がないのか動けない。
それでも必死に身体を動かす。その様子に、ロゼフィアは手を貸そうか迷った。
だがそれよりも前に、彼がセナリアに近付いた。
「……セナリア」
「来ないでください」
「セナリア、私は」
「その名で呼ばないで……!」
セナリアは顔を背ける。
身体が動かせないからこその抵抗だと思った。
「…………すまない」
フィリップスは小さい声で謝る。
両拳を強く握りしめていた。
いつもは皇帝として堂々としているというのに、今の彼は見た事がないほどに弱々しく見えた。それはおそらく、相手がセナリアだからだろう。ロゼフィアはなんとなく、フィリップスの気持ちが分かった。
するとセナリアは眉を寄せた。
「……なぜあなたが謝るんです。私は、大勢の人の命を奪って」
「それは違う」
「違いません! 毒で人の命を」
「――奪ってはいないよ」
別の方向から低い声が響く。
見れば真っ白の服に複数の刺繍が施された服を着た人物が立っていた。フィリップスの時といい、一体いつの間に。その女性は長い銀髪を三つ編みにし、印象的な金のピアスをしていた。凛と立つその姿は大人っぽく見えるが、きめ細かな白い肌を持ち、まだ二十代に見える。穏やかな表情をしていた。
「ば、婆様」
セナリアが呟いた。
え、と声を上げたのはロゼフィアだけじゃない。
二人の騎士も同じ反応だ。それほどまでに外見が若い。
エマーシャルも「婆様」と呼んでいたが、それは名前で本当の年齢は違うのだろうか。シュツラーゼには行った事があるものの、ルベリカの外見は覚えていなかった。
すると彼女は楽しそうに笑う。
「これでもれっきとした婆だよ。魔力が無限にあるから若く見えるようでね」
どうやらそれほどまでに彼女の魔力は強いらしい。
それが身体にも影響するとはとんでもないものだ。
しばらく唖然として見ていれば、ルベリカは話を戻した。
「さてセナリア。お前さんは毒で人を殺したと思ったようだが、実際には殺していない。……わざと毒の量を減らしていたんだろう? そのおかげで皆助かった」
「で、でも」
「もちろん死んだ者もいるが、それは毒のせいじゃない。なかなか死なないのを見かねて自らの手で殺した輩がいたようだよ。時間の経過によっては中毒になって瀕死状態の者もいたが、最近の医療は優秀なようだね」
どうやらセナリア自身も抵抗はしていたらしい。隠れて毒の量を減らしたり、わざと使わないようにしていたようだ。死体が出た、という話を元々聞いていたが、それもセナリアのせいではなかった事にほっとする。
セナリアは真実を知り、力が抜けた様子だった。
「それで、なぜ陛下がここに」
誰もが疑問に思っていた事を、ジノルグが聞く。
するとルベリカが代わりに答えた。
「私の魔法で連れて来たのさ。彼がどうしてもセナリアに会いたいと言ったからね」
どうやらクレチジア帝国に残っていた三人が混乱する城の対応をしてくれたようだ。城全体を囲う薬も止み、皆の記憶も徐々に取り戻しているという。全ての記憶が戻るには時間がかかるようだが、フィリップスは真っ先に思い出したという。
元々誰よりも覚えていたのだ。
セナリアに会いたい気持ちが、抑えきれなかったらしい。
「報告はエマから随時受けていた。元々気になっていた魔女の悪い噂も、クレチジア帝国が流していたわけじゃないみたいだしね。探していたうちの同胞も見つかったし、これくらい朝飯前さ」
ロゼフィアはそれを聞いて当初の目的を思い出した。
元々は悪い魔女の噂があったからクレチジア帝国に行ったのだ。
「悪い噂も、セナリアが流していたんだろう?」
「え」
思わず声が出る。
どうして自分に不利な噂を。
セナリアは少し顔を上げた。
「どうせこの命はいつか朽ちると思っていた。私の事はどうでもいい。だけど……エレナだけは、救ってほしかった。だからあの噂を流したんです。同胞からすれば不服だろうけど、きっとその噂を聞きつけて誰かがエレナを見つけてくれると思ってたから」
わざと悪い噂を流したのは、そういう事だったのか。
確かにそのおかげで、ロゼフィアはクレチジア帝国に行った。そして、時間はかかったが、エレナを見つける事ができた。色々あったものの、こうして二人とも見つかって本当によかった。
「……セナリア」
フィリップスが、ゆっくり名を呼ぶ。
呼ばれたセナリアは、まだ顔を見なかった。
すると彼は、傍に寄って膝をつく。
セナリアと目線を合わせた。そして、そっと両手に触れる。
「ずっと、ずっと私は、お前だけを想っていた。もう二度と、忘れる事はない。離れる事もない」
フィリップスがセナリアをずっと想っていた事は誰もが知っていた。薬によって名前や顔を忘れてしまっていても、それでもその存在はずっと心の中にあった。
「私は後悔した。記憶がなくなる前に気持ちを言えばよかったと。だから、もう間違えない。私の傍に、ずっといてくれないか」
心はずっと空っぽのままで、長い期間を過ごした。
だからもう、同じ事はしない。もう失いたくない。
フィリップスの切実なる想いに、周りは固唾を飲んで見守る。
「……私は、あなたに相応しくありません」
「そんなことはない」
「周りの方々に迷惑をかけた事に違いはありません。だから」
「君も被害者だった」
「最後まで話を聞いて」
ようやくフィリップスに顔を向け、怒ったようにむっとする。
すると「あ、ああ」と彼はたじたじになる。
セナリアはふっと笑い、言葉を続けた。
「だから、罪を償ってからあなたの想いに応えます」
「……え」
「あなたと一緒にいたいという想いは同じ。だけど、今じゃ相応しくない。相応しくなれるよう、努力します」
言い終われば、フィリップスはすぐにセナリアに抱き着く。
そのまま強く彼女を抱きしめ、嬉しそうな声を出した。
「……ああ。待ってる。ずっと待ってる」
するとようやく、セナリアも嬉しそうに抱きしめ返す。
ようやく二人の想いが一つになった瞬間だった。
ロゼフィアも思わず微笑む。
しばらく二人は抱き合っていたが、そのまま身体の周りからきらきらと光が現れ始める。何だろうと思いつつ見ていれば、瞬く間に姿が消えた。ぎょっとしつつルベリカに顔を向ければ、お茶目に舌を出す。
「このまま二人には帰ってもらったよ。今頃皆に祝福されてるだろう」
「え、まさかあのまま……」
「当然さ。言葉で示すより行動で示した方が人は察するだろう」
つまり、抱き合ったまま皆に見られる事になるというわけか。
やり方が少し強引な気がするが、それがルベリカらしいとも思った。
「さて。騎士の諸君にロゼ。今回の事は本当に助かった。魔女を代表して礼を言おう」
丁寧に頭を下げてくる。
ロゼフィアは苦笑した。
「役に立てて光栄だわ。それに……本当に良かった」
改めて二人には祝福を言いたい。色々あったからこそ、これからの道は険しいかもしれない。でも、きっと二人なら大丈夫だろう。そんな風に思えた。
「そうだね。これでクレチジア帝国との協定は継続だ。むしろ感謝の意を表しないと。魔女と皇帝が結ばれるハッピーエンドをこの目で見られるなんて、嬉しいものだね」
「……そういえば、どうして私にこの仕事を頼もうと思ったの?」
ふと思い出して聞いてみる。
確か最初に頼まれた時は魔女だから、という理由が大きかった。確かに魔女であるし、同胞が関係しているならと、特に気にせず引き受けた。他にも皇帝の側室になるための容姿も理由だったようだが、魔女も色んな人がいるわけだから、わざわざロゼフィアに頼む理由が分からない。
するとルベリカは、ははっと笑う。
「ずっと引きこもりだったくせに人と関わるようになって変わったからね。そんなお前さんだからこそ頼めばきっと良い方向に動くだろうと思ったのさ。実際正解だったわけだが」
どうやら母であるディミアの差し金もあるらしい。
本当にあの母は……何を考えているのか分からない。
「それに、まだお願いしたい事はあるよ」
「え?」
お願いというのはこれで終わったものとばかり思っていた。
だがルベリカは言葉を続けず、隣にいたジノルグに目を向ける。
「ま。今日は護衛が怖いからやめておこうかね。それに後始末もあるだろう。落ち着いてからまたこちらから連絡をしよう」
「え、ちょっと」
「じゃあねロゼ。どうせすぐまた会えると思うけど」
ルベリカの身体もきらきらと光り始める。
これは先程の二人のように消えるつもりだ。
「まだ話は、」
にこっと笑う。
「今を大切に」
意味深な発言の後、彼女は消えていなくなった。
「……そうですか。もう国に戻られたのですね」
「色々ありまして……」
ロゼフィアは苦い顔をした。
森から戻ってからファンド達に説明するのは骨が折れた。この国には魔女がいないため、魔女の掟であったり魔女の特性もよく知らない。魔法さえないのでまずはそこから説明しないといけなかった。とりあえず時間もないので簡単に伝えると、ファンドはあっはっは、と大きい声で笑う。
「いやはや、良かったではないですか。無事に解決したようで」
「え、ええ。まぁ」
血気の激しい国でもあるため、何か言われるかと思ったのでほっとする。だがすぐにファンドは目ざとくジノルグ、レオナルド、そしてロゼフィアを見てきた。
「まぁその魔女に会えなかったのは少し残念でしたがね」
ディミトリスの仲間はこの国で預かっている。それも含めてセナリアに色々と聞きたい事があったのだろう。他国で事件が起こるとややこしくなるものだ。
これ以上は何を言っても苦しい。
どうしようと思っていれば、レオナルドが助け舟を出してくれる。
「クレチジア帝国には恩も売れました。彼女に事情は聞く予定です。今だけ、会いたい人との再会を許してやってください。協力していただいたわけですから、俺が伝令となって動きます」
「……レオナルド殿がそう言って下さるなら」
少しは機嫌をよくしてくれたらしい。
するとジノルグも言葉を付け足す。
「時間が合えば、今後騎士団の皆さんと交流の時間を持ちたいのですが」
「それはそれは……ぜひ!」
ファンドの目が輝く。
大きい瞳がさらに大きくなった感じだ。
これぞまさに鶴の一声だろうか。
さすが名が知れ渡った騎士なだけはある。
「ああそうだ。国に来られる際はぜひ紫陽花の魔女も」
「え?」
自分が行ってもむしろ邪魔じゃないだろうか。
そう心配したのだが、ファンドは微笑む。
「紫陽花の魔女もいると、我々の士気も上がります故」
「……そ、それなら」
どこがだろう、と思いつつ頷く。
するとファンドはなぜかにやにやとジノルグを見ていた。
一方クレチジア帝国では、いきなり現れたフィリップスとセナリアに祝福の声が殺到していた。薬のおかげで徐々に記憶を戻した人もいて、セナリアとの久々の再会を喜んでいた者もいた。一緒に対応を手伝ってくれていたオルタも、幸せそうなフィリップスの姿に頬を緩めていた。共犯の疑いもあったわけなので事情を聞く必要もありそうだが、今はこのままの方がいいだろう。
ヒューゴは対応をしつつ、束の間の幸せそうな雰囲気に思わず微笑む。喜び笑う者が大勢いるなら、自然とこちらも笑みが出てしまうというものだ。だがその笑みを見てしまった若い女性達からはきゃあきゃあ言われてしまったので、やはり笑顔はそう簡単に出すもんじゃないなと少し後悔した。
ひと段落し、自国に帰る準備をする。
すると急にどこからともなく銀髪の女性が現れた。
だがヒューゴは動じない。
こうして会ったのはこれで二度目だ。
「シュツラーゼの長」
「今回は世話になったね」
にこっとルベリカが笑う。
ジノルグのためにも協力してほしいと頼まれ、エマーシャルと共にこの国に来た。ジノルグという名前さえ出れば喜んで行く。我ながら単純だが、それでも大事な弟のような存在だ。それに、いつまでも一緒にいられるわけじゃない。今回の事件は無事に終わった。またいつもの職務に戻る事になる。
「実はお前さんにもう一つお願いがあってね」
「なんだ」
くだけた口調なのは相手がそう望んだからだ。
「これからお前さんは伝令としてまた色んな国を巡るんだろう? そこにエマーシャルを連れてって欲しいんだよ」
「えっ」
「……」
また突拍子もないお願い事だ。
さすがに危険な仕事でもある。なので断ろうとした。
だがルベリカには色々と思う事があるらしい。
「お前さんも気付いてるかもしれないが、エマは少し考えが偏っている」
「確かに」
「……ちょっと即答しないでください」
エマーシャルは肘をついてくる。
それでもルベリカの前だから少し控えめだった。
「考えが偏ってるのは私のせいでもある。ずっと縛りつけていたからね」
「婆様、そんな事は」
「いい子なんだが、エマの頭はかちこちでねぇ……」
わざとらしく溜息をつけば、ヒューゴは腕を組んで再度頷く。
「確かに」
「…………」
エマーシャルはもう否定しなかった。
むしろ長に言われたら反抗しようもない。
「この子をしっかり叱れる人はシュツラーゼにいなかった。でもお前さんはあっさり叱ってくれた。それがエマにも良い影響になった。だから連れてってほしいんだ」
今まで井の中の蛙状態だったからこそ、これからはそんな事もないように広い世界を見て欲しい、という思いがあるのだろう。ルベリカなりの親心みたいなものか。少し迷ったが、ヒューゴは息を吐く。
「……ま、泣かせた責任取るって言ったしな」
「ほう」
「え、そうなん」
思わずヴァイズも食いつく。
エマはぎょっとして固まった。
「女よけとしても使えるし、異論はない。後は殿下次第だな」
「あの王女ならおそらく許可してくれるだろう。恩に着るよ」
ルベリカは素直に礼を言う。
「だが俺はこいつを優しく扱う気はない。険しい道もある。それだけの覚悟があるのか、という話だが」
「馬鹿にしないでください」
しばらく黙っていたエマーシャルが口を開く。
こちらをじろっと睨みつけてきた。
「シュツラーゼにいたからといって、楽な生活をした事はありません。着いていくからには足手まといにはなりませんから」
「……そうか。それならいい」
思わず手が伸び、エマーシャルの頭を軽く撫でる。
すると彼女は目を丸くした。そして慌てて目を逸らす。
それを見てルベリカはにやっと笑う。
「もしその時が来たら許可はいらないよ。報告はしておくれ」
ヒューゴは最初きょとんとしたが、すぐに鼻で笑った。
「そうか。事後報告でも大丈夫か?」
「できれば前がいいけど場所的に厳しいだろうしね。事後でもよしとしよう」
「それはどうも」
「……あの、何の話を?」
意味が分からずエマーシャルが聞く。
だが二人は声を揃えた。
「「秘密」」
「そ、そうですか……」
さすがにそう言われたら何も言えまい。
だがヴァイズは心の中で苦笑した。
(そら自分の事だなんて思わんわな……)
どの魔女も外堀から埋められているような気がした。




