45*決意を持って、前だけを見て
思わずその言葉が出たのは、今の自分にとっては当たり前かもしれない。なぜならどんな時だって一緒だった。クレチジア帝国は行った事がない。レビバンス王国に行った時とは訳が違う。知り合いもおらず、何も分からない場所に行くのだ。だが内心、ジノルグが一緒なら大丈夫だろうと思っていた。
『あの騎士は少々目立ちすぎる。身を守るために護衛はいた方がいいが、他の国からも評判がある程だ。評判は国をまたぐ』
聞けば近国にあるアトラントス王国でも評価されているようだ。そういえば前にアンドレアも言っていた。この国は剣術、武術に優れた者が多いらしく、その実力は近隣諸国の中では一番とまで言われているほど。そこにも引けを取らないというのだから、ジノルグのすごさが伺える。アンドレアの側近だった時に他国と交流し、その腕前を披露した事も大きいのだろう。
どうやらそれは、力のあるクレチジア帝国の耳にも届いているようだ。
『そんな騎士を連れて行けば自ずとお前さんも目立つ事になる。それは私達が望む形ではない。今回は同行を諦めてもらう』
(そんな、)
思わず言葉が漏れた。
すると相手は意外そうに言う。
『むしろ一人で動けるんだから楽じゃないか。何が気に食わないんだい?』
(…………)
何も言わなかった。いや、言えなかったといってもいいかもしれない。言葉では上手く表現できないのだ。彼の存在が、自分にどれほど影響を与えているかなんて。自分でさえよく分かっていないのだから。
するとこちらの反応をどう思ったのか、ルベリカは息を吐く。
『あの騎士を心配しているのかもしれないが、もうすでにこの事は伝えてあるよ』
(……え!?)
『ディミアを通じてね。本人は承諾したらしい』
どうやら二人で話をしたいと言ったのもこの事を話すためだったようだ。驚いたが、やっぱり母親も関与していたのかと少しだけ顔を歪ませる。あくまで遊びに来た、なんて言っておいて、散々人をからかっておいて、やっぱり彼女は彼女で役目があってここに来たのだ。
すると宥めるような声で言われた。
『そう怖い顔しないでやってくれ。あの子も愛情は人一番深いが、不器用なんだよ。それに、あの騎士と面識はあったしね。二人共、久しぶりに会えてよかったんじゃないかね』
(……? 面識?)
確か二人は初対面のはずだ。
会った時にそんな素振りだった。
するとルベリカは「おや」とはっとする。
『もしかして内緒だったかな』
思わずロゼフィアは声が低くなる。
(どういう事。昔会った事があるの?)
するとしばらく相手は静かになる。
どうしようか少し悩んでいる様子にも見えた。
しびれを切らし、「教えて!」と声を大きくする。
『……ま、いいか。そろそろ時効だろうし。そうだよ。昔会った事がある。むしろディミアが彼にお願いしたのさ。ロゼフィアの護衛をしてほしいってね』
なぜか頭を殴られたような衝撃が走った。
「嘘……」
いつの間にか声が出せていた。
そしてずっと真っ暗闇だった世界に亀裂が入る。自分の目線よりも先にある亀裂から光が差し、徐々にその光が広がりを見せた。いきなりの事に思わずそちらに目を奪われるが、ルベリカは落ち着いて「ああ」と声を出した。
『そろそろお別れの時間のようだ。それじゃあロゼ。後は頼んだよ。大丈夫。助けてくれる仲間は身近にいるからね。今度は実際に会って話そう』
「待って! さっきの話」
『それも直接彼に聞いた方が早いだろうね。どんな思いで護衛をしていたのか』
最後にくすっと笑われる。
ロゼフィアは歯を食いしばった。すぐに聞ける状態じゃないのに、相手がぬけぬけと言ってきたからだ。完全に面白がっている。こちらの反応を見て楽しんでいるのだろう。もしここにいるのがディミアだったとしても、きっと一緒の事をしたと思う。もしや魔女という生き物は、少し卑劣なところがあるのだろうか。
だがその後すぐに光が広がり、辺り一面白い世界になった。そしてどんどんその光は勢いを増し、目が開けられない状態までになる。
そして次の瞬間、ロゼフィアははっと目を開けた。
「大丈夫か。ロゼ」
自分は横たわっていたらしい。視界に入ってきたのは必死な顔をしたヴァイズだった。肩まである横髪が下を向いており、自分の顔にかかりそうになっている。
「ヴァ、ヴァイズ……?」
驚きつつ起き上がろうとすると、振動で思わずぐらっとする。慌てて彼女が腕を引っ張ってくれた。見ればそこは森ではなかった。いつの間にか馬車に乗っており、自分はヴァイズの傍で眠っていたようだ。
「ここは……」
と呟いて自分で気付く。
この馬車はクレチジア帝国に向かっているのだと。
すると急にヴァイズは頭を下げた。
「……ごめんっ!」
「!?」
ぎょっとして思わず身を引いてしまう。
それは間近で大きい声が響いたせいもある。
「え、あの」
「騙してごめん。無理やり馬車に乗せてごめん。多分夢の中で……長に会ったと思うけど、うちも、長に借りがあったけん、協力したんよ。けど、結局ロゼを騙すような事をしてしまって……ごめん」
いつものへらへらした様子はない。顔はずっと下を向いており、表情は髪によって隠れていた。いつもの彼女らしくない、と言えば失礼かもしれないが、ルベリカに会う前の事を思い出す。そういえば、ヴァイズによって自分は夢の中に落ちていたというわけか。
「……顔を上げて」
少しびくっとしたが、彼女はそっとこちらを見る。
眉は下がり、唇も噛んでいる。若干目の縁が赤くなっているようにも見えた。
ロゼフィアは思わずふっと笑う。
「心配しなくても、怒ってないわ」
「……なんで」
「さっき自分で言ってたじゃない。借りがあったから協力したって。それってヴァイズの意志とはまた違うでしょう? それに、私は言ったはずよ。ヴァイズはそんな事をする人じゃないって」
とりあえず何か理由があったのは確かだろうと思っていた。でなければ、眠らせる前にわざわざ謝るだろうか。それにこうしてすぐに謝ってくれた。それだけで十分だ。元々怒りの感情などない。
するとヴァイズは顔をくしゃくしゃにする。
泣き笑いの表情だった。
「……ほんと、ロゼはお人よしやわ」
そう言ってやっといつもの彼女に戻ってくれた。
「さっき借りって言ってたけど、ルベリカ……長の事は知ってたの?」
「いや、本人に会った事はない。色んな国を回っとる時にシュツラーゼに住んでる魔女に会ったんよ」
「へぇ、そんな事あるのね」
聞けばシュツラーゼに住む魔女もずっとそこに居続けるわけではないらしい。さすらいの旅をする者、材料を集める者、期間を設けて他国に住む者など、色々いるようだ。魔女ならばきっと薬に詳しいだろうと、ヴァイズはオグニスの呪いを解くための材料を聞いたようだ。
「ほんと何というか……」
なぜか彼女は半眼になる。
「あの長はなかなかの情報網やわ。事情を聞いてくれたシュツラーゼの魔女が長に掛け合ってくれたんやけど、すぐに材料がある場所の情報をくれた」
「え」
「どうやら顔が広いみたいやね。国の住人に聞いたりもしたけど、ほとんど長のおかげで集まったわ」
そのおかげで薬も完成できたという事か。確かに一緒に薬を作ったが、材料は見た事がないものが多かった。やはり魔女の長、というだけはある。ちなみにシュツラーゼの話は厳禁なのだが、ヴァイズが魔法使いの子孫であるため、その魔女は正体を明かしてくれたらしい。
「まぁ当たり前やけど長にはあの時目をつけられたな。何かあったら絶対使われるやろうと思っとったし、別に借りを返せるならなんでもよかった。実際助かったしな。……けど、まさか協力しろと言われるとは思わんかったわ」
あの時エマーシャルがやってくる事も事前に知らされていたようだ。だがエマーシャルとは初対面らしく、あの登場の仕方はさすがにびびったらしい。全て演技というわけではなかったようだ。
「ちなみにクレチジア帝国にうちもついていく。影でサポートするけん」
ぐっと拳を作ってこちらを真っ直ぐ見つめてくる。
ヴァイズの目はやる気に満ちていた。
「それはありがたいけど、でも」
「うちの事は気にせんでいい。一番気にしとったオグニスの事が終わったけんな。しばらく店が休みでも問題ないし。なんなら薬草を取りたいと思っとったし」
「もしかして、行った事あるの?」
「遠いけん、そんなに頻繁じゃないけどな。あそこは広大な土地を持っとる事もあって、なかなか栄えとるで。他にも」
ヴァイズがクレチジア帝国についての情報を教えてくれる中、少しだけ安心している自分がいた。「一人じゃない」。それだけでどれだけ心強いだろう。しかも行った事があるようだし、頼りになる。
と同時に、もしこれが一人だったらどうなっていただろうと思った。昔は一人でいるのが当たり前で、むしろ平気だった。もし皆に会っていなかったら……ジノルグに会ってなかったら、何も心配する事なく一人で行っていたかもしれない。
(……ジノルグは)
思わず心の中で呟く。
(頼まれたから護衛をしてくれたのね)
護衛は自分の意志でもある、と彼は言った。それを最初は信じていなかった。だが徐々に信じられた。それだけ自分の事を考えてくれたから。でも、最初のきっかけは母の言葉だったのだ。一体どんな気持ちで自分に接していたのだろう。いつから自分の意志で護衛をしてくれたのだろう。最初からだと信じていたが、そうじゃないという事実を突きつけられて地味に傷ついた。傷つく道理もないというのに。
だが何より一番思ったのは、ちゃんと別れの挨拶ができなかった事だ。他の皆にはちゃんとしたのに。意識して自分で動いて挨拶できたのに。それなのに、一番近くにいてお世話になっているジノルグにできなかったなんて。
自分は過信していた。ジノルグが絶対に一緒に来てくれると。信じ過ぎていたのだ。これは遊びに行くのでもなんでもない。同族の危機でもあるのだから、自分のできる事はしなければ。
ロゼフィアは思わず両手で両頬をぱんっ! と叩く。
ヴァイズはぎょっとして話を止めた。
「ど、どしたん?」
「いや、気合いを入れようと思って」
勢いがよかったため、ものすごく痛い。
だが、吹っ切れた気がする。
決意を改め、ロゼフィアは真っ直ぐ前を見る。
憧れる彼と同じように。
「………………」
そんな決意も束の間、いつの間にか身体はがちがちに固まっていた。無遠慮、というわけではないが、それでも相手の視線は自分だけを見ている。これを緊張しないという方が無理だ。
「本当に美しい髪色と瞳の色ですね」
「あ、あ、ありがとうございます」
思わず「あ」が二つになる。
まだ褒め慣れてないのもある。
ロゼフィアとヴァイズはクレチジア帝国に着いたらすぐに城へと向かった。事情を説明すればすぐに門番に通され、そしてすぐにお目通りが叶った。ちなみにヴァイズは他の部屋で待機している。むしろこんなにあっさり敵陣(?)に入れると思わず唖然としたものだ。
むしろ何の準備もしていない。
気合いは入れてきたが何を話せばいいのか考えてなかった。
すると焦げ茶色の髪に黒縁メガネをしている男性は、ふうと溜息をつく。
褒めてくれたのが彼なのだが、ちらっと王座に座る人物を見た。
「陛下、いい加減に何かお言葉をかけたらいかがですか」
「…………ああ」
そう呟いた人物は、金髪に琥珀色の瞳を持つクレチジア帝国の皇帝、フィリップス・クレダリア。なかなかの手腕で皇帝になったと聞いたが、思ったよりも若い。それでいて、表情がない。正直何を考えているのか分からない顔をしていた。顔はそれなりに整っており、美青年というよりは男らしい顔つきだ。体格からして鍛え上げられているのも分かる。むしろしっかりした身体つきにその顔は、少し怖くも見えた。しかも先程から何の言葉もなく、ただこちらをじっと見ているだけだ。
すると眼鏡の男性……秘書官であるオルタ・ジンジャーは再度溜息をついた。彼も若く見えるが、どうやらフィリップスとは気心が知れているらしい。くいっと眼鏡を動かしながら、弁解するようにこちらに言ってきた。
「すみません。最近の陛下はどうもずっとこの調子で……」
「はぁ」
「――薬師だそうだな」
「!? は、はい」
話の途中で急に言われ、びくっとする。
今まで何も話さなかったのに。
フィリップスは手に書類を持っていた。
おそらく、こちらが送った書類だろう。
内容としては、容姿のせいで色々と揉め事に遭い、転々としながら薬師の仕事をしている……という設定になっているようだ(ヴァイズが教えてくれた)。いかにも悲劇のヒロイン的な内容だが、確かにその方が哀れに思われるだろう。
「苦労したようだが、腕前はいいらしいな。側室にするのはもったいない。丁度枠があるだろうから、ここの薬剤師として迎える」
「え」
「陛下!」
「話は以上だ」
言い終われば立ち上がり、すぐに謁見室から出ようとする。
オルタは慌てて「陛下っ!」と叫んだ。
「彼女でもう五人目です、いい加減に側室……いえ、王妃を決めないと」
「俺の命令は絶対じゃないのか」
「っ……」
「この話はもう終わりだ」
そう言い捨てたフィリップスは出て行ってしまった。
しばらくしんとなるが、ロゼフィアはあまりの展開の早さに驚く。
「……すみません、驚かれましたよね」
オルタは暗い表情のまま、こちらを見た。
「い、いえ……」
どうやら色々あるようだ。秘書官でもあるし一番近くにいるのだろうから、気苦労も絶えないだろう。それにしても、こうなるとは少し意外だった。上手くいけば側室として入れるだろうと思えば、まさか薬剤師として入れるとは。だがありがたい。そっちの方が本業だ。
「薬師であるという事は、病を治す事ができるのですよね」
急にぽつりと言われる。
「ええ……まぁ」
どぎまぎしつつ答える。
すると、相手は真剣な表情になった。
「でしたら、陛下の病も治していただけませんか」
「え、陛下はご病気なのですか?」
それは一大事だ。仮にもこの国の大切な君主。
だが、見たところ健康にも見えた。一体どこが悪いのだろうか。
するとオルタは微妙な顔をした。
「恋煩い、ですけどね」
「え……」
一番縁のなさそうな病に、思わず素の声が出た。
馬車から二人の人物が出てくる。
両者ともフードを被っていた。
エマーシャルはすぐにフードを取る。
いつものように愛想のない顔をしていた。
彼女はまだ顔を隠している人物を横目で見た。
「……くれぐれも、勝手な事はしないようにお願い致します」
「約束は守る」
エマーシャルは片眉を上げた。
いまいち相手の言動が信用できなかったのだろう。
「それにしても意外ですね。国に残るとばかり思っていたのですが。その方がロゼフィア様のためでもありますから」
するとその人物は低い声で「冗談じゃないな」と答えた。
「俺も一緒だからこその提案だと思ったんだが」
「残念ながら婆様の命令には逆らえませんので」
「ならばこっちはこっちで勝手にさせてもらう」
「! 先程勝手はしないと、」
彼はようやくフードを外した。
その拍子に首元につけている笛が光る。
「誰に何を言われようと、俺はロゼフィア殿を守る」
ジノルグは真っ直ぐ前だけを見ていた。
目の前にある、豪華な造りのクレチジア帝国の城を。