44*思惑通りに事は進む
「で、次は?」
「えーっと、稽古場! リオネにも挨拶しておきたいし、もしかしたらキイル隊長もいるかもしれないってカミーユが言ってたし」
母であるディミアから挨拶はしっかりしておくように、と釘を刺されたロゼフィアは、クリストファーと共にあちこち移動していた。ちなみにサンドラには既にレビバンス王国での出来事、そして「行ってきます」と伝えている。レビバンス王国とヴァイズの関係はサンドラも知らなかったようで、驚いていた。だが最後にはいつものように穏やかな表情で「行ってらっしゃい」と言ってもらえた。
研究所の後は騎士団本部へと向かった。顔なじみの騎士達に挨拶をした後、文官であるカミーユに他の騎士の場所を聞いたのだ。さすが騎士達の動向を知っているカミーユは的確に場所を教えてくれた。
「なぁ」
歩きながらなぜかクリストファーは溜息をつく。
「え、なに?」と答えれば、渋い顔のまま言われた。
「ジノルグ達が気になる癖に、そんなに挨拶に回る必要あるか?」
思わず言葉に詰まる。
確かに二人の事は気にしていた。現に今だって、時間がないわけじゃないのに焦っている自分がいる。クリストファーはこちらに合わせてくれているので、いつの間にか移動速度が上がった事に気付いたのだろう。
「……でも、あの人は皆に慕われているし、私も、そこは見習わないと、って」
明るくて社交的で愛想の良いディミアと、長い間人とふれ合う事さえしてこなかった自分では、色々と天と地くらいの差がある。実際他者からどちらの方がいいか、と聞けば、明らかにディミアの方がいいと言われるだろう。それくらい自分でも分かっていた。全ては何もしてこなかった自分のせいだ。
「私は、まだまだ足りないから。だから、今からでも、頑張らなきゃ」
思えば周りからの手助けがあって今の自分がある。
嫌々言いながらもここまで引っ張ってもらい、支えてもらった。今では薬師としてももっと精進したいと思っている。だが、薬師としての実力だけでなく、もっとこちらから人に接する努力をしなければ。
するとクリストファーは「ふうん」と言う。
軽い反応だと思えば、ぼそっと付け足された。
「そんなに心配しなくても、あんたはあんたのままでいいと思うけどな」
「え?」
意外な発言に、少し耳を疑う。
クリストファーと言えば、いつも厳しい言葉が多いと思うのだが。
「あんたとあの人は親子かもしれないけど違うだろ。あんたはそのままでいいよ。勝手に動き回ったりいつの間にか人に心配をかける事も多いけど」
ぐうの音も出ない。
過去にクリストファーにも世話になったものだ。
「でも、自分の意志は持ってるし思った事は言えるし、そんなさばさばしたあんたの方が俺は接しやすい」
「クリス……」
「むしろあの人は何考えてるのか分からなくて苦手」
げんなりしたような表情と共に言われ、苦笑してしまう。
どうやら本音はそっちのようだ。
だが、クリストファーの言い分は分かる。娘だが、それでもディミアの考えている事はよく分からなかったりする。教えてもらえる事もあれば、隠されている事もある。隠すのがまた巧妙なので、こちらから問いかける事すらできない。何を隠しているのかさ分からないのだ。
「そういや前から気になってたんだけどさ」
「うん?」
「あんたはジノルグの事どう思ってんの?」
「へ?」
意外な質問でびっくりする。
クリストファーにこんな事を聞かれるのは初めてだ。
「いや一応護衛騎士としてずっと一緒にいるだろ? だからどうなんだと思って」
「どう……どうって」
いきなり聞かれても上手い返し方が分からない。
しばらく黙るが、クリストファーはずっと待っている。どうやら答えない、という選択肢はないらしい。散々悩んだ挙句ロゼフィアが考えた答えはこれだ。
「尊敬してる、かな」
「尊敬ぇ? あいつを? どこが?」
問いの答えが気に入らないのか、それともジノルグ自身が気に入らないのか分からないほど微妙な顔をされる。そんなにおかしかっただろうかと思いつつも、言葉を続けた。ジノルグの名誉のためにも。
「常に自分の信じた道に進んでいて……周りの目なんか気にならないほどに自分を持ってるってすごいと思うの。私には真似できない。今まで人の目を気にして生活していたから」
ジノルグは何があっても目を逸らさない。目の前の事に。自分の決めた事に。あまりに真っ直ぐ過ぎて眩しく見えるほどだ。それに比べて自分は、逃げていた。わざと人の後ろへ後ろへ隠れていた。今まではそれでいいと思っていた。
だが、ジノルグを見れば、それじゃいけない事を思い知らされた気がする。ジノルグから教わった事もあるし、彼を見て自分で悟った事もある。
「ふうん? 俺からすればあいつは一回壁にでもぶつかってみればいいのにとか思うけどな」
「はははは……」
思わず渇いた笑いが出た。
「じゃあ、ここまででいいか?」
「うん、ありがとう」
森に入る前の道で馬から降りる
ここまで連れてきてくれたクリストファーに礼を言った。
稽古場ではまるでこちらが来るのを分かっていたかのように皆が揃っており、一通り挨拶する事ができた。前では考えられないほどに皆と話が弾み、すっかり空を見れば茜色になっている。
ジノルグ達が頭の隅にあったものの、皆からの好意は無下にできない。だからこんな時間になってしまった。だが、決して無駄な時間ではなかった。むしろ皆と仲良くなれているのだな、と身をもって実感できた。
歩きつつ、自分の家を目指す。
そこまで遠くはないはずだ。
「ロゼ」
急に名を呼ばれる。
振り返ればそこにはヴァイズがいた。
ここまで走ってきたのか、少し息が切れている。
どうやら探し回っていたようだ。申し訳ないと思いつつ、背中をさすった。
すると落ち着いた彼女は笑う。
「間に合ってよかった。これ、差し入れに」
いいつつ渡してきたのは何かが入っている袋だ。
開けてみると様々な種類のパンがある。焼きたてなのか、いい香りがした。
「よかったら明日の朝にでも食べてや」
「え……もしかして、これヴァイズが作ったの?」
「ああ。元々そういうの作るん好きなんよ」
どうやらお店で売られているお菓子も手作りのようだ。薬のみを作っていると思いきや、薬との相性を考えて全部一から作っているらしい。なんというか、こだわりがすごい。まさかパンまで作れるとは。
「ありがとう、美味しそう」
見つつ手を出してしまいそうになる。
焼きたてなのに明日に回すのはちょっと忍びない。
だが明日に、と言われたのに食べていいのだろうか。何種類もあるので、おそらくジノルグ達の分も用意してくれたのだろう。少し迷いつつも、目が離せない。
するとヴァイズが苦笑する。
「なんなら今食べる? 多めに作っとるけん、一個くらいいいやろ」
「そ、そう?」
そう言われると断る理由はない。ありがたい申し出に、ロゼフィアは白いふわふわのパンを取り出した。温かく、そして手で触れると柔らかい。そのままの勢いで口に運ぼうとした。と、急にこんな事を言われる。
「警戒せんのやね」
思わず「え?」と言いながら手を止める。
すぐににこっと笑われる。
「ほら、うちってお菓子とかに薬入れとるやろ? 疑わんのかなーって」
確かに以前サンドラに言われておかしなお菓子を食べさせられた。あの時は何も言われずに食べたのでまさか薬入りと知らなかったわけだが(しかも自分は酔っぱらっていたようだし)。確かに以前の自分なら与えられたものにもう少し警戒心はあったかもしれない。だが。
「ヴァイズがそんな事をする人じゃないっていうのは分かるから」
少し驚いたような顔をされる。
そんなに意外だっただろうか。
ヴァイズは好奇心が旺盛でお茶目なところがある。そして彼女が作る薬は普通と違う。だが、その効果は一時的であり、危険性がない事を確かめた上で販売している。実験をする上でも、それは考慮した上で渡しているだろう。それに、心を込めて作ってくれたのだと、パンを見ればすぐ分かる。同じ薬師として実力は買っているし、警戒も何も、一緒にレビバンスで薬を作った仲だ。最初に会った時よりヴァイズの事を知っているつもりでもある。
するとなぜか彼女は微妙な顔をしながら笑う。
「なんそれ。ちょっとお人よしやない?」
「ヴァイズこそ何言ってるの? 同じ仲間なんだから信じるに決まってるじゃない。疑えっていう方が無理よ」
そしてそのままパンにかぶりつく。
思った通り、優しい小麦本来の味がする。薬なんて入ってなかった。
「そっか」
一呼吸置いて言葉を続ける。
「ごめん、ロゼ」
「え?」
ヴァイズはある物を取り出してこちらに向ける。それから霧状のものが出てきて、顔に当たる。細かい水のようなそれに若干目を閉じそうになるが、しばらくすれば完全に目を閉じていた。そして意識もなくなっていた。
その場に倒れ込んだロゼフィアを、ヴァイズはただ傍観する。
するとそっとフード姿の人物が彼女に近寄った。
「ご協力、ありがとうございます」
それが誰かなんて声で分かった。
思わず険しい顔をしつつ横目で見る。
「見とったんか」
「ちゃんと役目を果たして下さっていたのか気になっていましたので」
「心配せんでも、約束はちゃんと守る」
「そのようですね。後は我々にお任せ下さい」
ヴァイズは思わず身体を相手に向ける。
そして真正面から睨んだ。
「冗談やろ? ロゼにこんな事をした責任は取る。やけん、うちも連れてって」
目を開けると、暗闇の中にいた。
何もない、でもそこに自分だけが立っている。
自分の身体はゆらゆら揺れていて、まるでそこは海のようだ。
だが息は苦しくない。海の中じゃない事だけは分かる。
ここはどこだろう。今まで何があったのだろう。思い出せず、頭を捻る。
『ロゼ』
(誰)
答えたはずなのに、声が出ない。
だが声の主には届いたらしい。
『ああ、良かった。会話ができるな。さて、こんなところで何だが、お前さんにはお願いしたい事を伝えようと思う』
声は低く、女性のようだが男性にも捉えらえる。
知っている声ではない。
(お願いしたい事? あなたは誰なの?)
『それは後で話そう。……さて、ロゼ。最近世間を賑わす魔女の噂だが、それを流したのはおそらくクレチジア帝国だ』
クレチジア帝国。アンドレアが色んな国について話してくれた中にもあった国だ。ここより遠い西にある国で、産業が主に盛んなのだとか。現在の皇帝は即位してからまだそこまで月日が経っていないにも関わらず周辺国を支配下に置き、その手腕は誰もが舌を巻いているらしい。
『あの国は唯一、大昔に魔女狩りを行っていた』
(!?)
魔女に対する認識が国によって違う事は知っている。それでいてひどい目に遭った事がある、もしくは今でさえひどい目に遭わされている魔女がいる事も知っている。だが……まさか「魔女狩り」を行っていた国が存在していたとは。
それに、クレチジア帝国にそんな情報はなかった。アンドレアからも聞いていない。いや、もしかしたらこちらに気を遣って言わなかったのだろうか。そんな思いが頭をよぎったが、相手は安心させるような声色で言う。
『アンドレア王女も知らない事さ。これを知っているのはクレチジア帝国の上の連中達と……私達魔女くらいのもの』
(……じゃあ、あなたも魔女なの?)
『そうだよ。エマとディミアからは聞いただろう?』
それを聞いてぼんやりしていた目がかっと開く。
(まさかあなた)
すると相手は笑い出す。
顔を見ていないのに、頬を緩めているのがなんとなくでも想像できる。
『察しがよくて助かる。久しぶりだなロゼ。元気そうで安心したよ』
だがすぐに反論する。
(私はあなたの事を覚えてないわ)
幼い頃に行った事はあっても、シュツラーゼの長に会った記憶はない。会った事ですら覚えていないのだ。あちらが一方的にこちらの事を知っているだけではないのか。すると相手は呆れたような声を出す。
『覚えてなくてもなんとなくは分かるだろう。……だが、そうだな。一応自己紹介をしておこうか。改めて、私の名はルベリカだ」
(……私をシュツラーゼに呼んだのはあなたね)
『正確に言えば呼んだふりをしただけで呼んではいない。お前さんにはそのままクレチジア帝国に行ってもらうからね』
(なんですって?)
『ここからが仕事の話だよ、ロゼ。クレチジア帝国とうちの村は、現在協定を結んでいる』
なぜクレチジア帝国が「魔女狩り」を行ったのかは、また別の機会に伝えると言われた。だが一つだけ言えるのは、決して罪を犯してはいない、という事だけ。無実の罪で火あぶりの刑を受けた魔女は何十人もいるらしい。そんな事があったからこそ、魔女側としてもその当時の皇帝を許す事ができず、深い憎しみを持っている。当たり前だ。大事な仲間、そしてその親族からすれば深い悲しみに暮れた事だろう。自分の事じゃなくても、同胞の死は胸が痛くなる。
だからこそ魔女側から皇帝を狙う事は大いにあり得た。実際そのような事も起きたようだ。皇帝としては、大昔の出来事であるからお互いに和解したいと話を持ち掛けて来たらしい。ルベリカはそれに応じ、協定を結ぶ事にした。
『互いの境界線を越えない事。そしてお互いに危害を加えない事を約束した。……だが、最近の動向がおかしくてね』
なんでも魔女に関する悪い噂が突然出て来たらしい。出ているだけならまだしも、実際に魔女の姿を見たという人物が何人もいた。シュツラーゼに住む魔女が様子を見に行って実際に魔女を見たというのだから、間違いないだろう。しかも城に出入りしているらしく、皇帝とどういう関係なのか全く掴めないという。
ロゼフィアはその話を聞きながら、咄嗟にクラブ内で会った魔女の事を思い出した。あの日以来会っていないが、その魔女も関係しているのだろうか。だがこの場でそれを言えばまた話がこんがらがる可能性もあるため、この時は黙っておいた。
『本当に魔女が出入りしているなら、悪い噂を出す利点が見つからない。自身の事を嫌うように仕向けてるわけだしね。同胞にも被害が出る。魔女は仲間意識が強い。そんな事は本来しないはずだ。……だが、もし現皇帝が絡んでいるなら話は別。もしかしたら命令されている可能性もある』
(それで、私はなにをすればいいの)
ここまでの話を聞くと、シュツラーゼ側にも被害がある事が分かる。
そして、そのために自分が呼ばれたのだろう。
様々な事が一気に起こり過ぎて、怒っていいのかもわからない。エマーシャルには急に襲われるし、ディミアは急に帰ってくるし……だが、同じ魔女としてこの問題をなんとかしたいと思っていた。役に立てるならなんだってやる覚悟だ。
するとふっと笑われる。
『話が早いね。お前さんには、城の内部に入ってもらう。内部に入って、皇帝の動きを探ってくれ。近々皇帝が側室を増やすらしい。だからお前さんもそのための試験を受けてほしい』
(……は!?)
一瞬返事をするのに遅れた。
まさかの仕事だ。もっとこう、派手に暴れまわるのかと思ったのに。
するとルベリカは「お前さんも馬鹿だね」と付け足してきた。
『どうせ選ばれたのは腕っぷしがそこそこあるからと思ったんだろう? 例えそうだとしても、一人で太刀打ちできるもんじゃないよ。国自体も大きいし周辺国とも連結してるんだ。ロゼがいる国と戦争してもそう簡単に勝てないだろうね』
図星だ。どちらにせよ、争いは嫌いだ。国同士の戦争には絶対なってほしくない。関係ない人まで巻き込んでしまう事になる。
『お前さんを選んだのはその容姿だ。珍しい容姿は皇帝も目が引く。最初に面接、そして試験、それに合格できれば側室に入れる』
(ちょ、ちょっと待って。そんな簡単に入れるものなの? 大体、側室になりたい人なんて大勢いるんじゃ)
『そうだね。だから倍率も高い。だが皇帝自身があまり側室を好まない。ただ身寄りがないとかお金に困っている人を助ける意味もあるらしい。側室になれるだけで支給金が出るからね。だから他の国と違って定期的に側室の募集はかけているそうだよ。処理する文官達が大変な事だろう。上の連中からすれば、早く王妃を決めて欲しいのも理由の一つだそうだが』
一瞬で話を理解するには骨が折れそうだ。
だがとりあえず、クレチジア帝国はそのようなやり方らしい。
自身のために側室を募集しているというよりは、民達の事を考えてという風にも見える。話だけ聞いていると、その皇帝はまともそうに見えるが。
『民達からの評判はいいらしい。私も過去の皇帝よりずっといいと思っている。そこまで交流しているわけではないけどね。だからこそ妙なのさ。噂の発端が誰なのか分からない』
(…………)
それこそ妙な話だ。
噂とかみ合わない。一体何のために。
『ちなみにロゼは書類選考で通ってるからある意味合格してるようなものさ』
(は?)
書類選考があるなんて今知ったのだが。
だがなぜか楽しそうに笑われる。
『他にもダミーで魔女や知り合い達の書類送っておいたんだけどね、お前さんだけ通ってた。聞けば書類選考で落とされるのがほとんどだ。面接も皇帝とだから時間も惜しいんだろう。通ったのはお前さんだけらしいから、大丈夫だよ』
思わず半眼になる。本当に、どういう理由で通過したのだろう。しかもいつの間に書類を送っていたとは。こちらの意志は無視か。だが、どちらにせよ面接があるなら気を引き締めないといけないだろう。実際会って話すわけだし、少しでも怪しまれたらおしまいだ。それに、魔女である事は隠して入らないといけない。協定を破る事にもなるので、緊張感がないとすぐにぼろが出てしまう。
『ああ、そうだ。一つだけ言っておくけど」
急に真面目な声のトーンになる。
『あの騎士は連れていけないからね』
(え……)




