38*雪の宝石
「……なんだか、」
不意に隣にいたクラウスがそう呟く。
だがすぐに口を閉じた。
今オグニスの部屋にはアンドレアがおり、側近と元側近は部屋の外で待機していた。正確にはドアの前で待機しているのはダビト。自分達はそれよりも少し離れた場所にいる。さすがにドアの前で三人待機するのもどこか異様な光景(または威圧的ともいう)であるため、離れたのだ。
ちなみにクラウスが何と言おうとしたのかは分かる。
ジノルグも同じ気持ちだ。なのであえて言葉をつなぐようにして言う。
「待つだけというのも、どこか落ち着きませんね」
するとクラウスは同意するように何度も頷く。
何か襲撃があったり目の前に敵がいるのであれば応戦できるが、今オグニスの身体を蝕んでいるのは呪いだ。さすがにこれは騎士という立場で何かできる事はない。ヴァイズとロゼフィアが今、呪いを解くために動いてくれている。無事に帰ってくる事を祈るばかりだ。
「そういえば、どうしてジノルグはお留守番なんだ?」
それはこちらの台詞だ。
「さぁ。ヴァイズ殿に『チェンジ』と言われましたから」
しかも自分に代わってロゼフィアの傍にいるのはレオナルドだ。彼なら任せて安心できるが、やはり気になる。なぜ彼なら同行してもいいのか。……だが、少し距離を取れてよかったかもしれない。護衛騎士である以上、そんな事は思ってはいけないのだろうが。
「そうか……。なんだか、変な感じだな。二人はいつも一緒だから」
「そうですね」
するとなぜかクラウスはもじもじし始める。
図体の大きい男がするようなしぐさではないが、なぜか彼だと変に見えない。
「あのさ、ジノルグは魔女殿の事をどう思っているんだ?」
まさか個人的にそう聞かれるとは。大浴場では回避できたと思ったのだが。しかしこの場では逃げ場がない。それにクラウスは他の先輩騎士達と比べて分別がある。なので無難に答えた。
「大事に思っています」
「じゃあ好きなのか?」
直球に聞かれる。
分別はあれど裏表のない性格は少し厄介なのかもしれない。
「なぜそんな事を聞くのですか?」
質問に答えられない場合は質問を返すに限る。
この技は一部からは反感を買う場合もあるが。
「いやな、好きならずっと一緒にいられるって嬉しいだろうなぁって」
律儀に答えてくれる。こういうところはクラウスの良さなのだろう。彼はよく子供っぽいと言われるが、素直だ。感心していると、クラウスは言葉を続ける。
「俺もな、昔サラの護衛をしていたんだけどな、あの頃は」
急にクラウスの話になった(正確にはサラの話だ)。それからずっと惚気話のようなものを聞かされる。元々二人の関係は知っていた。むしろ騎士団で知らない人はいないんじゃないだろうか。夜会の時にロゼフィアがこそこそと動いていたので知ったが、ようやく二人の関係も決定づいたものになるのだろう。
同じ騎士として喜ばしい事だが、このようにいつまでも惚気話を聞かされるのは少し大変かもしれない。そう思っているとふと、近くにあった窓が目に映った。雪だ。風がないからか、花びらのようにゆっくりとひらひら舞っている。
その景色を眺めながら、今ここにロゼフィアがいないのが少し不思議に感じた。今までも離れていた時はあった。それにもうすぐ帰ってくるはずだ。オグニスの事もあるから、きっと早く帰ってくる事だろう。自分もただ待機しているわけにはいかない。いつ何があったとしても、すぐに動く準備をする必要がある。
だから寂しいと思う暇もない。それなのになぜか……無性に会いたくなった。雪を見て寒さを感じたのか、クラウスの話を耳では聞いていたからか、それは分からない。だが、距離を取ろうと思った理由が、些細な事に思えたのだ。
「入るでー」
ドアを開けた瞬間、ヴァイズがそう声をかけた。
中を見れば、口の周りに白い髭を蓄えた男性がいる。
彼は丸縁メガネを外し、何度か瞬きをする。
そして「おお」と嬉しそうに手を上げた。
「ヴァイズじゃねぇか。久しぶりだな」
「ほんとやねぇ。前会ったんはいつぶりやろ」
仲良く談笑し始める。
ロゼフィアは目を丸くした。
「え、知り合い?」
「ん? ……こりゃまた随分な美人だな。どこのお姫様だ?」
「え、ちが」
「いやいや、こう見えて彼女はお姫様やなくて魔女やで」
ヴァイズがすかさずフォローを入れてくれる。
すると男性は「え、そうなのか?」と驚く。
「世の中には美人な魔女がいるもんなんだな」
「失礼やなぁ、うちだっておるやろ? うん?」
すかさず手を頭や腰に当てる。
どうやらポーズを取っているようだ。
男性はむむ、と顎に手を近付ける。
吟味したようにヴァイズを見た後、溜息をついた。
「お前さんはなぁ。むしろ会う度に変わらな過ぎて心配になるな」
「なんやしっつれーやなぁ」
言いながらヴァイズは笑っていた。
元々こういう仲のようだ。
話を聞くと、国に寄る度にこの町に来ていたらしい。この工房にもちょくちょく顔を見せていたようだ。男性の名はイーエン・クロス。歳は五十代。ヴァイズの素性も知っているようで、今回の目的を手短に伝える。イーエンは真剣な顔になった。
「そうか。王子が……それはなんとかしてやらねーと」
「ただの水じゃいかんみたいやけんな。うちが思うに、『雪の宝石』と関係があると思うんやけど」
「関係あるったって、その湖の水を使ってる事に変わりはないぞ?」
「ああ。だから、」
ヴァイズはそっと耳打ちにする。
イーエンは少し目を見開いた後、にやっと笑った。
「なるほど、そういう事か。ついてこい」
案内され、皆で移動する。小屋の中は普通の部屋だったが、廊下を歩き続けると複数のドアが見えてきた。歩きながら微妙に冷気を感じたので外に出るのかと思ったが、一つの部屋に入った途端息を呑む。
そこには氷の塊が並んでいた。
その形は様々なものだ。四角いものや、長方形のもの、いずれもとても大きい。自分の膝辺りの高さはあるだろうか。横にも大きくまさに塊といってよかった。だがそれよりも目を引くものがあった。大きい机の中央に置かれている「球体の氷」だ。大きさは顔くらいだろうか。目を引いたのはただ丸いからではない。氷の中に雪の結晶が入っているのだ。
六方向に枝分かれしている美しい結晶が複数入っている。固まっている氷は無色透明で、中にある結晶の美しさがより際立つ。そしてこれを見てすぐに分かった。
「これが……」
「そう。これが『雪の宝石』」
「中に結晶が入っていたのね」
「綺麗やろ」
「ええ、とても」
思わず見とれてしまう程だ。
部屋の中に冷気があるのは、どうやら部屋自体が覆われていないからのようだ。屋根や壁はあるものの、よく見れば風が通るように開いている箇所がある。それは氷達が溶けないようにするためだろう。氷を保存しているという事は、ここが作業場という事だろうか。
「褒めてもらえるのはありがたいな。これでも手間暇かけて作ってる」
イーエンが嬉しそうに微笑んだ。
この「雪の宝石」、一見簡単に作れそうだがそういうわけでもないらしい。まず氷を球体にする事自体が難しいそうだ。しかも全て手作業のようで、大量生産はできない。また、雪の結晶自体を集める事も大変らしい。使っているのは「樹枝状結晶」で、結晶の中でも多くの水蒸気を含んでいる。他にも結晶に種類はあり、全て気温と水蒸気によって形が変わるらしい。
ただ結晶の中でも「樹枝状結晶」が一番華やかで美しい。枝分かれしている姿がまるで星や花の形にも見えるからだろう。他の結晶を使う事もあるそうだが、式典や贈り物には「樹枝状結晶」の入った物が多いようだ。結晶ができるのは気温や天気、そして運も必要になる。まさに自然の宝石と言っていい。
「特に式典時にはたくさん必要になってくるからな。大変な事も多いが……俺も含め、作っている奴らは皆の喜ぶ顔を見るのが楽しみなんだ」
イーエンは穏やかな表情になる。
それだけこの仕事に誇りを持っている様子が伝わった。
ここにある物は比較的大きい氷が多いのだが、小さいサイズも作っているらしい。主にそれは民達が購入したり贈り物にする事が多い。式典や行事がある場合は、今目の前にある大きいサイズのものが一般的だそうだ。
「ちなみに今ある『雪の宝石』ってこれだけか?」
ヴァイズが辺りを見渡しながら聞く。
確かにそれ以外に同じ物がない。
「ああ、完成品はこれだけだな。今回はあまり結晶が取れなかった」
一つの「雪の宝石」に使う結晶の量は少なくても十~三十個は必要になってくる。結晶が上手くできていたとしても、この工房まで持ってくる事が大変なようだ。ケースに入れて割れないように配慮しているが、壊れてしまう事もある。改めて一つ作るだけでも時間がかかる事を知る。
ヴァイズはちらっとイーエンの顔を見る。
目で何かを語っていた。彼はふっと笑う。
「いいぜ。王子のためなら」
「恩に着るわ」
「……え、どうするの?」
今の会話では全く分からないので、思わず聞く。
すると傍にいたレオナルドが口を開いた。
「これを溶かして水に戻すって事か」
柘榴色の瞳を持つ彼女は、器用に指を鳴らした。
「ご名答」
「え、これを……」
こんなにも美しく、且つ時間をかけて作られた「雪の宝石」を溶かしてしまうのは素直にもったいないと感じる。だが、これがオグニスを助ける薬となるのなら、イーエンも惜しくはないのだろう。溶かすために火の準備までしてくれる。
「紫陽花の魔女」
その作業を見ていると、ヴァイズに呼ばれた。
真剣な目でこちらを見てくる。
「このままここで薬を作る。手伝ってくれるか?」
「もちろん!」
力強く答えると、にこっと笑ってくれた。
「それは……」
しきりにその言葉だけを繰り返し、アンドレアを焦らす。
よほど言いたくないのか、それともその通りなのか、少し不安もあった。
「……確かに、嘘じゃない」
「じゃあ」
「だが……分からない。分からないんだ」
オグニスは何度も頭を振る。
まるで否定しているかのように。
「君に伝えた言葉が、想いが、どれが本物で偽物なのかが分からない」
「!」
「分からないんだ……」
言いながら項垂れる。
アンドレアは何も言えなかった。だがオグニスの様子を見て、分かった。彼はおそらく、幼い頃からずっと仮面の下で本心を隠していたのだろう。そして、そのまま本心さえも隠れてしまった。だから今更、どうやって本心を見せればいいのか分からないのだ。本心とは何かさえも分からないのかもしれない。
そっと近付き、彼を抱きしめる。
一度びくっと身体が動いた。
「……オグニス、少しずつでいい。少しずつでいいから、自分の本心を探しましょ。私も手伝うわ。ダビトだって、周りの皆だって、きっと助けてくれる」
「…………」
「すぐには難しいかもしれない。それでも、もう苦しんでほしくないの。……本心で、あなたには笑ってほしい」
「………………」
しばらくオグニスは黙っていた。
そしてそのまま、身体を委ねてくれた。
少しは、彼の不安を軽くする事ができているのだろうか。
そう思いながら、ずっと身体を抱きしめ続ける。
しばらくすると、擦れた声で名前を呼ばれた。
「なに?」
「…………顔を見て、欲しい」
「え……」
思わず顔を見る。
まだそこには仮面がある。
「僕は、隠し過ぎた。だから、ありのままの僕を見て欲しい」
「……いいの?」
小さく頷く。
なぜか、小さく笑った。
「見られるなら、アンドレアがいい。それと……仮面を外した時の君の表情を見るのは、まだ耐えられないと思う。だから、目を閉じる」
「……分かった」
前回の時と逆だ。前回は目を閉じたまま顔に触れた。だが、今回はオグニスが目を閉じる事になる。数年ぶりに人に顔を見せるのだ。オグニスからすれば怖いだろう。それなのに、いいと言ってくれた。それは、彼なりの勇気だと思う。そして、心を開いてくれている証拠でもあると思う。
オグニスは、そっと仮面に触れる。
そしてゆっくり、ゆっくりと外した。
「…………!」
声には出さないようにしながら、アンドレアは口元を手で覆う。彼の額、そして目の周りには、まるで植物のツタのような模様があった。幾度も絡む棘のあるツタの模様が、顔を覆っている。仮面を隠していない箇所にはないが、隠している箇所にたくさんの荊があるのだ。これを見たら驚かない人はいないだろう。
アンドレアは、そっとオグニスの顔に触れる。
触れても彼は何も言わない。前回と一緒だ。何もない状態。だが、今は違う。そこに荊がある。見えていなかった、いや、見ていなかっただけで、そこにある。
「……これが」
目は閉じられているが、まつ毛が長い。鼻筋は通っており、ほどよい肉付きの頬。王子という名に相応しい、端正な顔立ちだ。荊の模様に驚いたが、それでもアンドレアは、オグニスの顔を見る事ができて嬉しいと思ってしまった。
「……醜いだろう」
「……いいえ、美しいわ」
本心だった。
確かに今は異様な姿かもしれない。
それでも、オグニスが美しい事に変わりはない。
「アンドレア……」
そっと手を伸ばしてくる。
だが、目は閉じられているのでその手はどこに向かっているのか分からない。その手を優しく取り、自分の頬に当てる。ここに自分がいる、と伝えるように。するとどこかほっとしたような表情をする。やはり、仮面がないと表情がよく分かる。アンドレアも微笑んだ。
すると、急にオグニスは顔をしかめた。
なぜか呻き出し、自分の身体を抱きしめるような姿勢になる。
「オグニス?」
「うっ、うう……」
「オグニス、オグニス!?」
慌てて身体に触れようとするが、それよりも先に彼はベッドの上に倒れた。苦しそうな声を出し、シーツを力強く掴む。そうでもしないと耐えられないのか、破けそうな勢いのままシーツを掴んで離そうとしなかった。
「誰かっ! 誰か早く来てっ!」
大声で叫べば、異常を察知したのかダビトが入ってきた。
近くで待機していた二人も一緒だ。
ダビトはオグニスを見てすぐに眉を寄せる。
「発作が、」
「発作……!?」
「呪いで身体中に痣があるのです。その痣の痛みで……」
幼少期の頃はこれでもツタのような痣は少なかったという。だが、成長する度に顔だけでなく全身に痣が現れ始めたようだ。発作があってもそれを痛がる素振りはしていなかったようだが、陰ながらダビトは気付いていたらしい。
「夜中にうなされている姿は何度も見ておりましたから……。普通の薬では治す事もできず、殿下はただ耐えていらっしゃった」
痛々しいほどに顔を歪める。近くにいながら何もできなかった事を、悔いているようだった。オグニスは痛みの方が強いようで、周りに囲まれている事に気付いていない様子だった。それよりも声を荒げながら、しきりにシーツを握ってその場で動かないよう耐えている。
今までどれほど痛い思いをしてきたのだろう。どれほど誰にも言えずに辛い思いをしているのだろう。一番辛いのはオグニス自身であるのに、アンドレアはいつの間にか流れてきた涙を止める事ができなかった。
すると勢いよくドアが開く。
「待たせたっ!」
ヴァイズが息を切らしながら中に入ってきた。その後ろにはロゼフィアがいる。オグニスの姿を見てはっとし、急いで自身が持っていた皮の鞄からある瓶を取り出した。そしてすぐにアンドレアに手渡す。
「薬は完成した。後は王女に任せる」
「任せる、って?」
「あなたの手でオグニスに飲ませて欲しい」
瓶の中に入った液体は透明だった。
だがよく見れば、金や銀に光る物が見える。
アンドレアは頷き、すぐに受け取る。
そしてオグニスの口元に薬を運ぼうとした。
「ううう、あああっ……!」
だが口元まで薬を持っていっても、身体に激痛が走ったのか、オグニスが身悶えし始める。今まで耐えていたが激しく身体が動き、薬を与えるどころではなくなった。すぐにダビトとクラウス、ジノルグが動く。どうにか身体が動かないよう、オグニスの身体をベッドの上に押し付ける。それでも彼は抵抗する。
「王女、お急ぎくださいっ!」
ダビトに促され、急いで口元に薬を運ぶ。
だが暴れるせいか口に入っても飲み込んでくれない。
それを見ながらヴァイズは険しい顔になる。
「このままやと……。こうなったら針で」
直接飲ませる事ができないならと、別の方法を考える。
だがアンドレアははっきりと言った。
「いいえ」
一気に薬を自分の口の中に含ませる。
そして顔を寄せ、頬に手を当てて思い切り口付けた。




