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37*仮面に隠れた本音を

「「…………」」


 二人の間には静かな沈黙だけが残る。


 ヴァイズが正体を明かした後、アンドレアとオグニスは二人きりにされたのだ。丁度呼ばれて到着したはずのロゼフィアはジノルグと共にヴァイズを追いかけ、ダビトもそっと扉を閉めて外に出てしまった。


 今だ口を閉ざすオグニスに、こちらから声をかける。


「呪い、だったのね」

「…………」

「急に倒れたから、病気なんだと思っていたわ」

「…………すまない」


 消え入りそうな声だった。

 アンドレアは何度か瞬きをする。


「どうして、謝るの?」

「……ずっと、隠していた」

「呪いだって事を?」

「それだけじゃない」


 オグニスは両方の拳をぐっと握る。

 そして一度息を吐き、再度口を開く。


「僕は」

「知っていたわ」


 アンドレアは落ち着いた声色でそう言う。

 それを聞いたオグニスは、こちらに顔を向ける。


 信じられない、とでも言うように、口が半開きになっていた。


「知っていた。私に隠している事があるって。だって、オグニスは何も言ってくれなかったもの。あの時も、ここに来てからも……」


 国に来てくれた後も文通は続けていた。だから、初めて会った時よりも少しは親しい関係になれたと思っていた。だが、彼が心の奥底で何を考えているのかまでは、分からなかった。


(これだったのね……)


 薄々気付いていた。お互い王族という立場であり、今後どうすればもっと国が良くなるのか、短い時間ではあったが、考えを伝え合った。同じ立場という事で理解できる部分もあり、楽しく充実した時間だった。……だが、どこか壁があった。その壁を壊そうとしても、オグニスの方から壁を壊してくれる事はなかった。その一番の原因は、呪いの事があったからだろうか。


 オグニスはさらに拳を握る。

 爪が食い込む勢いだった。見ていて少し痛々しい。


「……そうだ。僕はずっと、本心を隠して生きてきた」

「…………」


 アンドレアはただ黙って聞く。


「昔から仮面をしていたんだ。呪いがあったから。でも、怖くはなかった。仮面で顔は隠れているから、表情は読めないから、本心を悟られる事もない。隠せると思った。隠していれば、周りも気にしないだろうと思った。……でも、それが辛くなってきた。隠す事が当たり前になっていたから、今更本心をさらけ出す勇気がなかった。仮面も外せなくなったんだ。もう何年も人に顔を見せていない」


 聞きながら思わず顔が歪んだ。


 以前、親しい友人や家族には素顔を見せているのでは、と聞いて、曖昧な返事をされた。……あれは、本当は見せていなかったという事か。それを聞いて、アンドレアは胸が苦しくなる。今まで、どういう思いで生きてきたのだろう。そして、どうして自分は、それに気付いてあげられなかったのだろう。


「王族として、王子として、自分の責務は果たすべきだと思っていた。だから、不安なところや苦しむところは、見せられなかった。一番近くにいるダビトでさえ……見せられなかった。民達から羨望の眼差しを集めても、それが苦しくなった。それは本当の僕じゃないから」

「……そんな事、ないわ。それもオグニスの一部だもの」


 確かに立派なふるまいをしている。堂々としているように見える。それが仮にそう見せているだけなのだとしても、全くの別人というわけではない。人は理想を追い求める。そして努力する分その理想に追いつける。オグニスも努力をした。だからこそ今のオグニスがある。


「だが」

「だったら、」


 言葉を挟む。

 これ以上は聞いていられなかった。


「私に向けてくれた言葉や思いも、全て偽りだと言うの?」

「!」


 オグニスははっとする。


 アンドレアはそっと彼の手に触れた。

 一度手を引かれそうになるが、離さない。握る手に力を込めた。


「私には、そう感じられなかったわ」

「それは、」

「お願い、教えてオグニス」

「…………それ、は」


 苦し気な吐息と共に言葉が吐き出される。


 顔が見えないので表情は読み取れない。

 だがそれでも、アンドレアは目線を逸らさなかった。







「呪いを解くには、二つの条件がある。一つは薬を完成させる事」

「薬?」

「そう。呪い自体を止めるためにな」


 聞くところによると、薬の材料が日記に書かれていたようだ。それが虫食いになっていたのだから、解読に時間がかかった事だろう。しかも材料の一つ一つに正式名称はないらしく、比喩で書かれていたようだ。


「『妖精が好む金色の粉』とか『虹色の鱗』とか、よく分からんもんばっかでな……。しかも採れる場所はバラバラ。薬草の採取ついでに国を巡って聞きまくったら、住人が教えてくれたんや。奇跡的に集まった」


 気になったので日記を見せてもらえば、確かに分かりにくかった。名称しかなく、特徴も特に記載がない。もしや呪いを残した魔法使いの嫌がらせなのかとすら思った。だが、色んな国を転々としていた魔法使いだからこそ、バラバラなのかもしれない。


 しかも材料や作り方が載っているページを書いた日付は、国を出てだいぶ後になっている。その頃には少しは子孫の事まで考えてくれたのかもしれない。時間によって憎しみが風化する事はよくある。もちろん、今となっては彼女の真意は分からないのだが。


「じゃあもう材料は揃ったの?」

「いんや、あと一つ。それがこの国にある」


 ヴァイズがとあるページを指差す。

 そこには瓶に入った液体の絵がある。


「『聖なる清らかな水』。ここでいう『雪の宝石』の事やな」

「え、雪の宝石が?」


 材料は水のはずだ。それなのにどうして雪の宝石なのだろう。

 すると小さく笑われる。


「元々原料が水やけんな。その水を凍らせて作ったんが『雪の宝石』」

「でもそれじゃあ『氷の宝石』になるんじゃないの?」


 凍ったら氷になるではないか。

 どこに雪と関連性があるのだろう。


 ヴァイズは少し考える素振りを見せた後、「んー、説明するより見た方が早いんよね」とだけ言った。少し複雑らしく、言葉だけで説明するのは難しいようだ。


 彼女はすぐに真剣な表情になった。  


「とりあえずうちは今からトリシアに行く。早く薬を完成させないかんけんな。オグニスの様子からしてまだ大丈夫そうやけど、急いだ方がいい」

「なら、私も行くわ」

「え……いいん?」


 少し意外そうな顔をされる。

 ロゼフィアは安心させるため頬を緩ませた。


「アンドレアのためだもの。それに、少しでも役に立ちたいし」

「……そうか。ありがとう」


 ヴァイズは穏やかな表情になる。

 どことなく嬉しそうに見えた。


「そういえば、」


 言いながらヴァイズはちらっと後ろを見る。


「?」


 ロゼフィアも同じように見た。少し後ろの位置に、ジノルグがいる。護衛騎士なので当たり前のように傍にいてくれている。それがどうしたのだろうと思えば、今度はこちらを見てきた。


「その騎士さんも連れて行くん?」

「え。そのつもりだけど……」


 急に何を言い出すかと思えば。

 いつも一緒なので彼が護衛騎士である事をヴァイズも知っているはずだ。


 だが彼女は右手を取り出して手を回すしぐさをした。


「チェンジで」

「「は?」」


 思わず二人は声を合わせた。







「…………で、何で俺なんですかね」


 ロゼフィアとヴァイズ、そしてレオナルドを乗せた馬車はトリシアに向かっている。馬の方が早いから先に行くとレオナルドは言ったのだが、ヴァイズが却下した。なので大人しく一緒に馬車に乗っているのだ。


 だがヴァイズはおかしそうに笑う。


「別にいいやん。初めて会った間柄でもないし」

「だからって何で俺を……。見ました? 馬車を見送るあいつの顔」


 ヴァイズから「チェンジ」と言い渡されたジノルグはお留守番になった。だが馬車を出る時まで見送ってくれた。何も言葉は発していないのに、どことなく何か言いたそうな雰囲気だけは出していた。レオナルドからすればそれが分かったのだろう。まだ出発して間もないのに、早くも疲れたような顔をしている。


「お預け食らった犬みたいやったねぇ」

「犬の方がまだ可愛げありますよ。ありゃ犬の皮被った狼だな」

「あっはっは!」


 面白かったのか、笑い声が大きくなる。

 ロゼフィアは苦笑しつつも聞いた。


「それで、どうしてレオナルドを?」


 ヴァイズは涙を拭いている。

 よほど面白かったらしい。


「それより紫陽花の魔女、あの騎士さんと微妙に距離があったように見えたけど」

「え?」

「前はあーんなに熱い抱擁しとったのになぁ」

「な、それは別に」


 熱い抱擁、というのは、ヴァイズの店でジノルグが抱きしめてきた時の事だろう。別に熱くないし心配してくれただけだ。その時レオナルドは薬で寝ていたため、その事を知らない。慌てて誤魔化そうとしたが、なぜかレオナルドはいつものにやにや顔ではなく、半眼だった。そして鼻を鳴らす。


「熱い抱擁だったらもうすでにしてますよ。人前であんな堂々と抱きしめる奴がいますかね」

「レオナルドっ!」

「え、そうなん? そこんとこ詳しく教えてや」

「ヴァイズもっ!」


 今はこんな事を話している場合ではない。だが、トリシアまでまだまだ時間がかかる。逃げられないしこの二人だ。逃がしてもくれないのだろう。


 悶々としながら黙っていれば、ヴァイズがどうどう、と言ってくる。


「紫陽花の魔女は何も悪くないやん。全部騎士さんの方がしてくるんやろ?」

「それは……まぁ」

「魔女の方から仕返しする事はないん?」

「仕返しって……」


 言われて確かに自分からした事はないかもしれない。

 ……と思ったがそうでもなかった。


 思い出しそうになって頭を振る。どちらにせよ、ここで言えるような内容じゃない。今思えばよくあんな事ができたと頭が痛くなる。黙り込んだロゼフィアに、ヴァイズがふふ、と笑う。


「二人の間に何かあったように見えたんやけどなぁ。もしかしてここ来る前にまたハグされたん?」

「なっ、んで、それを」


 いきなりぴたりと当てられ、動揺を隠せない。


 もしやあの診療所にヴァイズがいたのか。いや、まさか。この国に来て間もない様子だからそれはない。なら、いつものおかしな薬によって思考を当てたのか。それならヴァイズの薬はおかしな薬ではなくすごい薬と言ってもいい。


 すると相手は目を丸くする。

 ちなみにレオナルドはぼそっと「まじか」とだけ呟いた。


「なんだそうなん? 予想で言ったのに当たってしまったな」

「なっ!」


 まさかのやぶ蛇か。

 反応しなければよかった。


 ヴァイズはのんきに言葉を続ける。


「距離はそんな離れてなかったけん、ちょっとした事やろうなって」

「それだけで分かるものなの!?」

「そりゃ店をしとるんやけん、それくらいの観察力はあるわ」


 そんな事を言えるのはヴァイズだからじゃないだろうか。

 唖然としていれば、またくすくす笑われる。


「まぁちゅーじゃなかったんは少し残念やな」

「………………」


 人は本当に焦ったら冷静になれるのかもしれない。

 ロゼフィアは黙ったままでいた。


 するとレオナルドは訝しげな様子でこちらを見る。

 ヴァイズもちらりと視線を寄越してきたが、すぐに話題を変えた。


「そういやさっきなんで騎士さんを連れてこんかったんかって聞いてきたけど」

「……え、ええ」

「二人の微妙な距離が気になったんよ」


 しばらく沈黙が続き、それで気付いた。


「……え、それだけ?」

「そう、それだけ」

「じゃあなんでレオナルドを」

「彼は顔見知りやから。他の騎士さんは見た事ないしな」


 じゃあ別にレオナルドじゃなくてもよかったという事か。


 だが、ロゼフィアは少しだけ頭を捻った。距離があった、と言われたが、自分ではぴんとこなかった。いつも通りだと思っていたのだ。別に診療所で抱きしめられたからって、それよりもオグニスの方が重要であるし、気になった。だからヴァイズの言葉の意味がよく分からなかったりする。


「ま、距離を取っとったんは騎士さんの方やな」

「ジノルグが? どうして?」

「さぁ。紫陽花の魔女に触れ過ぎたんやない?」

「触れ過ぎる?」


 どういう意味なのか。

 魔女に触れるとよくないというのだろうか。


「誰だって心を許しとる者には触れたくなるものよ。特にこの国は寒いけんな。身体だけじゃなくて心も冷えそうになるわ。やけんやない?」


 急に詩人のような事を言われる。

 分かるような分からないような。


「でも触れ過ぎたら火傷する」

「……結局何が言いたいの?」

「自分ばかりが触れ過ぎて遠慮しとるんやない? って話やわ」

「そんな事……」


 別に四六時中べたべたしているわけではないし、そんな事を気にしなくてもいいと思うのだが。でも、この場合何が正しいのだろう。人との接し方のみならず触れ方まで言われてしまっては分からないし悩むところだ。


「やから、紫陽花の魔女が仕返ししたらいいやろ?」

「……その仕返しって言い方はどうかと思うけど」

「いややなぁ、例えやから」


 顎を手に乗せて楽しそうに笑う。


 オグニスの話をしてくれた真剣な表情と真逆だ。

 あれと同一人物なのが一瞬信じられない。


「……つまり、私からすればいいって事?」

「そやな。距離があるってなんか寂しいやん。早くしてあげた方がいいで」

「はぁ」


 意味はよく分からないが、やらないといけないのは分かった。自分でも気付かないのに、ヴァイズの方が気付いていたとは。しかも距離を取られていたとは、確かに少し寂しい。一体何があったのだろう。むしろ聞いてもいい事なのだろうか。そんな不安を持っていれば、向かいのヴァイズの横に座るレオナルドが分かりやすく息を吐く。


「大丈夫だよロゼ殿。ジノはロゼ殿の事を大事にし過ぎてるだけだ」

「?」


 きょとんとすれば、微妙な顔をされる。

 そしてぼそっと呟かれた。


「……何ていうか、二人って特殊だな」

「鈍感なんか天然なんか分からんねぇ」

「え、え?」


 だがヴァイズもレオナルドも苦笑するばかりだった。







 無事にトリシアに着き、湖の方に移動する。


 アンドレア達と歩いた足跡がまだ残っていたので、進むのはまだ楽だった。湖が見え、最初に見た時と同じく厚い氷が覆ってある。ただ一部、割れている箇所もあった。これは間違いなくクラウスのせいだ。


「この湖自体が『雪の宝石』の原料や」

「え」

「この湖は軟水やけんな。あと、水が綺麗過ぎて魚とかはおらん」


 割れている箇所を覗いてみれば、確かに何もない。草などもなく、静かな水だけがそこにある。最初に来た時はそこまで注目していなかったので、少し驚いた。そういえば湖の説明を聞く前に落ちていた。


「じゃあ、この水が材料?」

「ああ。けど、このままやったら使えんと思う。今までの材料もそうやったけんな……」


 少しげんなりした顔を見るとそれなりに苦労があったようだ。聞けば近くに「雪の宝石」を作っている工房があるらしい。ひとまずそこに行ってみる事になった。ヴァイズは用意していた瓶に湖の水を入れる。しばらく湖の先を歩けば、小さい木で作られた小屋が見えてきた。

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