35*雪国だからこそ
甲高い音が響く。
多くの騎士達が見守る中、ジノルグとオグニスは再戦していた。場所はこの国の稽古場。あれからそんなに日は経っていないように思えたが、二人の動きを見ればそうじゃない事が分かった。より動きに無駄がない。
前回はジノルグが勝ったのだが、オグニスも負けていない。元々接戦だったのだ。だからこそ、会っていなかった日々も互いに鍛えていたのだろう。それほどまでに長い間、戦い続けていた。
「そこまで!」
審判を務めていたダビトが声と共に手を上げる。
どうやら引き分けのようだ。なかなか勝敗がつかなかったらしい。
オグニスは笑った。
「今回も楽しかった」
「お強くなられてました」
互いに握手を交わす。
二人ともいい表情をしていた。
周りで見ていた騎士達は、感心するような声を出しながら拍手をする。見入ってしまったのだろう。それはロゼフィアも一緒だ。今回も二人の動きに目が逸らせなかった。と、ふとジノルグと目が合う。彼はなぜかにこっと微笑んできた。慌てて視線を逸らす。その微笑みに、どう返していいか分からなかった。
すると肩に急に衝撃が走る。
「え、今笑いましたよね? ロゼ殿に対して笑いましたよね!?」
耳元でささやいてきたのは(若干声は大きいが)マリーだ。いきなり体当たりするような勢いでやってきたので、彼女の言葉よりも自分の肩が外れてないかの方が気になった。さすりながら大丈夫だと分かってから、少し半眼になる。
「それが、なに」
「え、微笑まれたらなんだか嬉しくなりません? ロゼ殿なんでそんなに冷静なんですか? ドライ? いやクール? ドライアイス並みですか?」
急に何やら訳が分からない事を言われ、思わず眉を寄せてしまう。実は昨夜、ダンスの後にマリーがわざわざダビトと一緒に来たのだ。不安にさせるような事をしてしまって申し訳ない、と。彼女の言い分によると、普段からにこにこしているため、真顔が怖く見えるらしい。思い切り笑って「よかった」と言う方が失礼に値すると思って真顔で言ったらしい。
とりあえずこれでわだまりも解消され、改めて仲良くなりたいと言われた。同性と接する機会があまりないので、ロゼフィアも喜んで頷いた。気さくな様子だし、自分にない良さを持っている。きっと仲良くなれるのではないかと思った。が。
「ねぇねぇロゼ殿。ジノルグ殿に抱きしめられてどう思いました? やっぱりきゅん、ってなりました? あの時のお二人本当に素敵で……恋人じゃないなんて嘘ですよね? やっぱり恋人じゃないんですか?」
「………………」
ずっとこんな調子だ。
ちなみにきゅん、って何だ。きゅんて。
彼女は女性騎士ではあるが、どうやら一般的な可愛らしい女性でもあるようだ。身なりはきちんとしているし、髪だって艶がある。腕前は他の騎士には負けないくらい努力家らしい。そこは尊敬するのだが、自分とはタイプが違い過ぎず若干引いてしまう。恋愛が中心のガールズトークなんて、誰ができるだろうか。
「ロゼ殿~。もっと惚気ていいんですよ? ほら、ジノルグ殿とのなれ初めとか」
「そういうのないから……!」
叫びたくなるのを押さえて、小声で諭す。
だが若干声が大きくなったのは許してほしい。
すると同じく再戦を見ていたアンドレアが「ロゼ」と名前を呼びつつ近付いてくる。本当は自分の隣に座って見る予定だったのだが、一応仮にも王女なので、別で用意されていた椅子に座って見ていたのだ。やっとマリーからの質問攻めから逃れられると思い、そちらに顔を向ける。
「オグニスがトリシアという町に案内してくれるそうよ。そこに『雪の宝石』があるんですって」
そういえばこの国には珍しい「雪の宝石」というものがあるらしい。それがどういったものなのかは分からないが、アンドレアはこれを見るのも楽しみにしていた。どうやらそのトリシアと呼ばれる町にしかないようだ。
「はいはい、私も行きますよ!」
話を聞いていたマリーが元気よく手を上げる。
一瞬げ、と思ってしまったが、彼女は得意げな顔をする。
「あの町の道は慣れた人じゃないと危ないですからね」
そう言われては敵わない。
元々従者も多めに連れて行く事だろうし。
ロゼフィアはバレないように小さく溜息をついた。
トリシアという町は、ここから一時間ほどかかる場所にあった。道中は雪が降らなかった事もあり、穏やかに行く事ができたと思う。そして着いた瞬間、広大で真っ白な世界に目を奪われた。何もなく、足跡もないまさに白銀の世界。その景色は幻想的で、とても美しい。
町には家や店もあるが、それよりも少し外れた場所を見れば、すぐに真っ白な雪に覆われている。土地が広いのだろう。むしろ使い道がないのか、持て余しているようにも感じる。
「この先に、湖がある」
オグニス自ら案内してくれる。
ここからは歩いての移動のようだ。
この広大な中を歩いていくとは、少し大変そうだ。道と呼べる道もなく、白い雪の上を自分達の足跡で埋めていく。先頭にオグニス、そして複数の従者がいる。さすが慣れているのか、深く積もった雪の中を難なく歩いている。
その間を、アンドレア、クラウス、サラ、そしてロゼフィアとジノルグが進む。ちなみにレオナルドを含む他の騎士達はお留守番だ。あまり人数がいても困るという事で、レビバンス王国の騎士達と交流している。先程までジノルグとオグニスの再戦だったので、むしろ身体がなまっているだろう。確かに元気のある騎士達には、一緒に稽古でもして友情を育んだ方がいい。
ちなみにロゼフィアとジノルグの後ろを、マリーが歩いていた。何かあった時に対処できるようにだろう。それはありがたいが、微妙に視線を感じる。ロゼフィアは迂闊な事はできないなと思った。
城の付近の道は整備されており、そこまで移動が苦ではなかった。だがトリシアはほぼ整備されていない。ある意味自然のままだが、こちらは雪の中が慣れていないので、おぼつかないまま進む。
「あっ」
アンドレアが転びそうになる。
それを素早くオグニスが掴んだ。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとう」
「転んだら危ないから、このまま行こう」
オグニスはそう言いながら自然と手を握る。
アンドレアは嬉しそうに頷いた。見ていて微笑ましい。
「わっ」
見ればクラウスが転びそうになっていた。背が高いのでこれで倒れたらいい感じに雪に人型ができそうだ。そんな事を呑気に思っていれば、傍にいたサラが慌てて腕を掴む。どう見ても身長の差があるだろうに、踏ん張って支えていた。さすがだ。
「大丈夫ですか?」
「わ、悪いサラ……」
クラウスはちょっと困ったような顔をしつつ頭を掻く。
サラも苦笑した後、口元を緩めた。
「転んだら危ないですから、よかったらどうぞ」
言いながらすっと手を差し出す。
「え……」
クラウスは戸惑いつつも、サラの手に触れた。
触れた瞬間、これ以上ないほどに嬉しそうな顔をする。分かりやすいほど可愛らしい。サラはその手を引く。二人はずんずんと前に進んでいった。
(…………普通、逆じゃない?)
ロゼフィアは心の中で呟く。
クラウスがサラを引っ張るならまだしも、サラがクラウスを引っ張っている。それでいいのだろうか。だが、すぐに顔がほころぶ。あの二人だからこそ、なのだろう。そして思った通り、サラはクラウスの扱いが上手い。
その様子を見ながら、自分も進もうとする。
とその時、ジノルグがじっとこちらを見ているのに気付いた。
「……なに」
知らぬ間に見られていた事が若干恥ずかしい。
思わずぶっきらぼうな言い方になると、ふっと笑われた。
「手を出そうか迷っただけだ」
どうやら同じように自分も転ぶだろうと思ったらしい。失礼な。だが、否定はできなかった。あの二人が転んで自分が転ばない自信はない。
微妙な顔をしていると、目の前に手を出してきた。
「いるか?」
自分も含めて、ジノルグは皮の厚い手袋をしている。見るだけで自分よりも大きい手を、一瞬取りそうになった。が、後ろの気配にはっとする。何も言わないが、マリーが何やら期待をした目でこちらを見ている。ここで取ってしまえば、また後で何か言われるかもしれない。
ロゼフィアは慌ててそっぽを向く。
「いい」
そして大股で進みだした。
が、数歩歩いて転ぶ。
悲しいかな、顔から突っ込んでしまった。
ふわふわしている雪のおかげで怪我はないものの、やはり冷たい。顔を上げながらロゼフィアは真顔になる。後ろから笑い声が聞こえなかっただけましだ。むしろ笑われても何も言えない。自分で断っといてこのざまなのだから。
「言わんこっちゃない」
少し呆れた声が聞こえ、身体が浮いた。
立ち上がらせてくれるのかと思ってそのままにしていれば、なぜかジノルグは雪の上に片足をつける。そして横抱きにされ、そのまま持ち上げられた。
まさかそのままの体勢で運ばれると思わず、「わぁっ」と声を上げたと同時にジノルグの首にしがみつく。ジノルグは息を吐いた。白い気体となった息は、すぐに消える。ロゼフィアは慌てた。この近い距離で移動される方が身が持たない。しかも後ろにはマリーがいる。この後何を言われるか分かったものじゃない。
「ちょ、ちょっと下ろして」
「早く行かないと距離が開く一方だぞ」
どうやら離す気はないらしい。
前を見れば、確かに皆はさっさと前に進んでいた。
転んだのが自分だけなので、より距離が開いたようだ。
ジノルグは足に雪を取られながらも平然と歩く。 バランス力がいいのか、転ぶ素振りもない。一人で進むよりもよほど安定感がある。転ぶ心配はないので逆に安心だが、そういう問題じゃない。が、この騎士は何度言っても人の話を聞かない。それは前々から分かっていたので、ロゼフィアは諦めて身体を預けた。
湖は全て凍っていた。
寒いのだから当たり前といえば当たり前だが。
「厚い氷が張ってあるので、そう簡単には壊れないんですよ」
マリーが説明してくれる。
確かにこんこん、といい音が鳴る。
この上を歩いても大丈夫そうだ。
「せっかくだから少し歩いてみようか」
そんな事をオグニスが言い出した。
するとアンドレアは「楽しそうね!」とすぐに同意する。
従者達の意見は放置して、二人は子供のようにはしゃぎながら湖の上を歩き出した。氷になっているのだから、滑るのだろう。バランスを崩しながらも、きゃあきゃあ楽しそうに声を上げる。
思えばアンドレアはまだ十八だ。王族としての責務を果たしつつも、まだ若い。たまにはこうしてはしゃいだって、罰は当たらないだろう。友人であるロゼフィアは、二人の姿を見てこっそり微笑んだ。
「ほら、サラも一緒に」
「いえ私は、」
「こういう機会滅多にないぞ」
(……いや、あなたは少し遠慮しなさいよ)
同じく湖の上を歩いてはしゃぐクラウスを見て、ロゼフィアはツッコミを入れたくなった。クラウスはアンドレア達と同様、子供のようにわくわくした顔をしている。仮にも側近なら傍で見守るのが筋ではないだろうか。
「俺達も久々に歩くか」
「前に競走したよな」
まさかのオグニスの従者達も凍った湖の上を歩き出す。ちなみにダビトはにこにこしながらその場に留まっていた。これぞ本当の側近の姿ではなかろうか。するといつの間にかマリーは器用に滑っており、目の前にやってきた。
「ロゼ殿も一緒に滑りましょ~!」
「いや私は」
と断るが、ぐいぐい引っ張られるのでしょうがなく湖の上に乗る。割れるんじゃないかと少し不安だったが、どうやら杞憂のようだ。一歩ずつ進んでもびくともしない。だが土の上とはわけが違う。つるつるしているので、いつ転ぶか分からない。だからあまりその場を動けなかった。
ちなみにジノルグは傍にいるが、自分と違って安定して氷の上にいる。しかも動じてない。その落ち着きはどこから来るんだ。とりあえず皆が楽しんでいる様子なので、ロゼフィアはそれを見守った。と、しばらくするとクラウスが座り込んでいた。一人で何度かこんこん、と音を鳴らしなが拳で叩いている。
「ちょっと、なにしてるの?」
その行為が気になり、ロゼフィアが近付く。
見ればヒビが入っている箇所を見つけようだ。
その箇所を何度も叩くだなんて、危険すぎる。
とにかく止めようとすると、急に亀裂が入り出した。
「「え」」
二人は声を合わせる。
そして瞬く間に氷が割れる。自分が立っている場所までやってきたので慌ててその場を離れようとするが、足を滑らせた。割れた先に見える冷たそうな水に足が浸かりそうになるところを、ジノルグが腕を掴んで引っ張ってくれる。間一髪で中には入らなかった。と思ったが。
「「あ」」
ジノルグが立っていた場所も割れてしまう。
こうして二人は仲良く水の中に落ちてしまった。
「それはまぁ……災難だったわね」
あの後すぐに診療所を訪ねた。
事情を聞いてすぐに着替えを用意してもらい、暖炉の傍に寄る。最初は寒すぎて手の感覚さえ分からなかったが、少しずつ身体が温かくなる。生きている心地さえした。それを見た診療所で働く女性が、くすっと笑う。
「他国からのお客さんだなんて久しぶりだわ。ゆっくりしてね」
「ありがとうございます」
「机の上に温かい物を置いてるから、いつでも飲んで」
そう言うと、気を遣って二人きりにしてくれた。
ちなみにここは客人用の泊まる部屋らしい。
居心地の良い椅子に、丁寧にシーツがかかったベッドもある。
「とりあえずなんとかなったな」
ジノルグがほっとするように声を出す。まさか自分まで湖に落ちると思っていなかったのだろう。確かに今までのジノルグならそんな失態はしないはず。
「クラウスには困ったものだわ……」
思わずげんなりした顔になった。
あそこで余計な事をしなければ、湖の氷が割れる事もなかったのに。というか、拳で何度も叩くだけでああなるだなんて、クラウスの力はどうなっているんだ。
ちなみにアンドレア達は「雪の宝石」を見にいっている。こちらに合わせては時間がもったいない。若干、気を遣ってくれた部分もある。ちなみにクラウスは、サラに叱られながら謝ってくれた。
するとジノルグがコップを運んでくれる。
中身は茶色の液体だ。
何だろうとにおいを嗅ぎつつ飲めば、すぐに分かった。
「これ、薬用酒ね」
「薬用酒?」
「色んな種類の生薬が入っているの。身体にいいのよ」
「……珍しい味だな」
「そうね。あまり飲みなれないかも」
薬用酒にも種類があるが、その中でもこれは身体を温める作用があるようだ。もしかしたら、この国の人にとっては当たり前のように飲まれている物かもしれない。飲みながら何が入っているのか、吟味する。味、においから、複数の薬草と生薬が入っていると予想した。
後で先程の女性に作り方を聞こう。もしかしたら今後役に立つかもしれない。そんな事を思いつつ飲み終われば、やけにしんとしているなと気付く。
隣を見れば、ジノルグは首を垂れていた。
まさか、とは思いつつ近付けば、小さい寝息が聞こえてくる。
(やっぱり……)
ロゼフィアは苦笑した。
この薬用酒には眠りの作用があるものも入っていた。
だから疲れているとよりぐっすり眠れるだろう。
そっと下から覗き込む。
「ジノルグ」
名前を呼んでみた。
だが起きない。
「ジノルグ」
もう一度呼んでみる。
だが全く動かない。
「ジノルグ」
これで最後、と思いながら名前を呼ぶ。
それでも起きなかった。
前回寝ている姿を見たのは救護室だ。
寝ているといっても、すぐにジノルグは起きたのだが。
ロゼフィアは無意識のうちに黒い髪に触れていた。
柔らかくてさらさらしており、手触りがいい。
(自分で触れる時は、何も感じないのに)
この国に来てからの事を思い出す。
思い出すだけで、なぜか頬が熱くなってしまう。
(どうして触れられたら、こんなに……)
だが慌てて首を振る。
考えてはいけない。そんな事を考えても、意味はない。
ただの緊張や恥ずかしさからだ。誰だってそう。
すぐに思考を放棄して別の事を考えようとする。
するとぎしっ、という椅子が軋んだ音がした。
見ればジノルグと目が合う。
「あ、起きた? そういえば、アンドレア達いつ来るのかしらね」
何事もなかったようなふりをして、そう声をかける。
「雪の宝石」を見終われば、ここに来てくれる予定なのだ。
ロゼフィアは何気なく、窓の方に移動する。
なるべく目を合わせないようにした。
と、手を取られた。
振り返れば、ゆらっと立ち上がったジノルグが近付く。「え」と言う間もなく、身体がぶつかった。ロゼフィアはその重さのまま、後ろに倒れてしまう。床に叩きつけられるかと思い目を閉じたが、思ったよりもふかふかな感触でゆっくり目を開ける。どうやら丁度ベッドの上のようだ。
ほっとし、ゆっくり起き上がろうとする。が、重くて上がらない。見れば、ロゼフィアの上にジノルグの身体が乗っていた。




